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元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第2章(アーワの森、ザワワ湖、そして王都)

元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第2章(8)俺の胃痛の原因は

作者: 刻田みのり

 ソフィア・マルソー。


 今年で齢四十歳になる彼女は元々子爵家の娘だったが王都の学院に在学中に出会った軍務大臣のアルバート・マルソー公爵に見初められて卒業を待たずに嫁いだ。


 なお、当時のマルソー公爵の年齢は六十五歳、マルソー夫人は十五歳である。つまりはおじいちゃんと孫程の年齢差。


 マルソー公爵婦人となって五年後に公爵が他界。


 噂好きの貴族たちには丁度良いネタでもあったからか「若い妻が年老いた夫を謀殺した」とか「間男に夫を殺させた」とかいろいろと憶測が飛んだらしい。


 真相は闇の中だ。少なくとも俺は知らん。


 そして、夫の喪が明けてからがマルソー夫人の人生の本番(?)となった。


 いやぁ、これがもう男をはべらせることはべらせること。俺の記憶の中のマルソー夫人はいつだって男と一緒にいたぞ。


 しかもどいつもこいつもイケメンだ。マルソー夫人自身が美人だからこれがまた絵になるんだよなぁ。ムカつくことに。


 マルソー夫人の母方が南洋の島国ジェロームの出身だとかで婦人もどこかエキゾチックな雰囲気のある顔立ちをしている。濃い褐色の肌も彫りの深い顔もそしてぱっちりとした目も生粋のアルガーダ人にはない特徴の一つだ。


 お嬢様の言葉を借りると「アルガーダ人とジェローム人は人種が違いますからねぇ。あの人はいい感じの混血なんだと思いますよ」らしい。俺にはどういい感じなのかよくわからんが。


 あれだ、南国だから陽に焼けて肌が黒くなってるだけだろ? 違うのか?


 まあいい。


 それよりも。


 マルソー夫人の八番目の息子(ただし養子)であるロッテ分団長から聞きたくない事実を聞かされた後、俺とイアナ嬢は城に戻っていた。


 与えられた部屋でゆっくりしようとした俺たちを待っていたのはエキゾチックな雰囲気のある顔立ちの褐色の肌の美人と彼女に傅く二人の若い男。


 あ、うん。


 なーんとなくこうなるんじゃないかって気がしてたよ。


 俺が王都に戻ったのが誰かしらにばれたらほぼ確実にこの人に伝わるはずだからね。


 はいはい、こんにちは胃痛の原因。


 あーでもファミマの祝福のお陰で胃痛はないかな? あれも状態異常みたいなものだろうし。わぁ、状態異常無効って素晴らしい。


 ……とか現実逃避していたらむにゅっと柔らかい物が俺を包み込んだ。


 めっちゃいい匂いがする。これ、南国の花の香りかなぁ。北の辺境地であるノーゼアだと栽培できないだろうなぁ。


 ああ、お嬢様に会いたい。


「ジェイちゃん」


 鳥の歌声のような響きの声が俺を呼んだ。


「会いたかったわぁ。あたくし、ずっとずうっと心配していたんですのよ」


 ぎゅっと密着が強まってくる。


 身長差は俺の方が低いのでちょうど彼女の胸のあたりに俺の顔が埋まる感じだ。そこらの男より彼女は背が高い。そういやどっかのご婦人が「お相手する殿方が気の毒ですわ、おほほほほ」て陰口叩いてたな。


 なお、夜のお相手って意味です。はい、下品ですね。すみません。


 て、事で現在絶賛お胸に顔を埋め中。ついでに凄い力で抱き締められています。


 つーか、圧死するかも?


 あ、うん、おっぱい死の危機があるね。俺も相手がお嬢様なら本望です。


 でもこれマルソー夫人なんだよなぁ。現実は辛い。


 この人、相変わらず胸がやたらとでかいんだよな。魔法で膨らませているんじゃないかってくらいでかい。


「あ、あの」


 イアナ嬢の戸惑った声。


「ソフィア・マルソー公爵婦人ですよね。その、そろそろ止めてくれないとジェイが死んじゃうんですけど」

「あら、あたくしとしたことが」


 圧迫が弱まった。


 あ、でも俺ってファミマの祝福があるから窒息したりしないかも。


 わざわざ試さないけどね。


「けど、久しぶりのジェイちゃんの匂い。あとちょっとだけ、本当にちょっとだけ……そう、明日の朝までこのままでも良いですわよね?」

「……」


 いい訳ないだろ。


 勘弁してくれ。


 *


 どうにかマルソー夫人の抱擁から解放された頃には窓の外は真っ暗になっていた。


 壁に設えられた照明の魔道具が柔らかな光を放っている。これ、シスターラビットのお店でも売られていたな。


 応接セットのソファーには俺とマルソー夫人、ローテーブルを挟んでイアナ嬢が座っている。婦人のお付きの男性二人は立っています。ご苦労様。


 最初イアナ嬢が俺の横に座ろうとしたのだけれどマルソー夫人に「婚姻の約束もしていないのにはしたないですわよ」とたしなめられてしまった。そのため彼女は反対側に座っている。


 じゃあマルソー夫人はいいのかとも思うのだが……うん、たぶん言ってもきかないよな。


 ローテーブルの上には城の調理場から運ばれた夕食。急遽マルソー夫人の分も追加されているので調理場はちょい面倒だったと思う。この人、味にはうるさいし。


 なので、俺のリクエストであえて質素にしてもらった。硬い黒パンと豆のスープ、それだけ。はい、お察しの通り嫌がらせです。


 イアナ嬢がすげぇ不満そうだけど気にしない気にしない。


「ジェイちゃんがいなくなってから」


 マルソー夫人が黒パンを千切って豆のスープに浸しながら言った。


「それはもう寂しくて寂しくてどうしようもなかったんですのよ。あたくし、夜しか眠れませんでしたの」

「まあ、それは大変でしたね。不眠はお肌にも悪そうですし」


 イアナ嬢が早くも一個目のパンを食べ終えて二個目に取りかかっている。


「……」


 イアナ嬢。


 お前、ちゃんと聞いていたか?


 この人、夜は眠れてたんだぞ。


 マルソー夫人がスープに浸した黒パンを上品に食べた。粗末な食事のはずなのに何故か上等な物を口にしているような錯覚を覚える。美人はずるいな。


 俺はスープをスプーンでかき混ぜつつマルソー夫人の突然の来訪の意図を探った。


「それで、こちらへはどういったご用向きで?」

「あらつれない」

「こんな時間ですし。できれば早々にお引き取り願いたいのですが」

「その割には食事に誘ってくれますのね」

「まあ、一応あなたは公爵夫人ですし」


 一応ね。


 俺の返答に気分を害した訳でもなく、マルソー夫人はまた黒パンを千切ってスープに浸した。


「ジェイちゃんに会いたかったというのは本当ですのよ」

「……」


 俺は背筋がぞくりとした。


 うわぁ、やめてくれ。


 俺はあんたとは会いたくなかったよ。


「もうジェイちゃんのいない生活なんて、具とダシと味付けのないスープのような物よ。あたくし、それはもう辛くて辛くて、一日四食しか口にできませんでしたわ」

「えっ、それはかなりお辛かったのでは?」


 イアナ嬢が心配そうにマルソー夫人を見る。食事絡みの話は大食いのイアナ嬢に強く響いたのだろう。


「……」


 でも待て。


 イアナ嬢、一日四食は十分食べていると思わないか?


 というか食い過ぎなんじゃ……?


 あと、具とダシと味付けのないスープって、それはもうただのおゆなのでは?


 俺はスプーンを皿の脇に置いた。


「ただ会いに来たなんてことはないですよね。俺はあなたがそういったしおらしい女性ではないと知ってますよ」

「ふふっ、ジェイちゃんは遠慮がないですわね。そこも素敵」

「……」


 背筋のぞくぞくが強まった。


 あ、うん。そうだよな、久方ぶりのマルソー夫人だもんな。耐性が落ちていてもしょうがないよな。


 なるたけ早く退去してもらおう。


「まあ、お察しの通り他にも用があるの。聞いてくださる?」

「ええ」


 俺とマルソー夫人の間にただならぬ物を感じたのかイアナ嬢が口を挟まなくなった。


 これはこれで都合が良いので放っておこう。


「実は」


 マルソー夫人が心底愉快そうに目を細めながら告げた。


「ジェイちゃんのお父さん、ライドナウ公爵家の筆頭執事ことダニエル・ハミルトンが半月程前から姿を消したんですのよ」



 **



「ジェイちゃんのお父さん、ライドナウ公爵家の筆頭執事ことダニエル・ハミルトンが半月程前から姿を消したんですのよ」

「……」


 親父が姿を消した?


 そのあまりにも意外すぎる言葉に俺はマルソー夫人を見つめてしまった。


 愉快げに笑んでいた彼女の口がさらに弧を描く。


「そんな顔をするなんてやっぱり知らなかったんですのね。ライドナウ公爵もこのことを秘密にしていらしたようですし」

「秘密にしてた?」

「ええ、少なくとも騎士団に捜索依頼をしたりはしてないみたいですわ。もっともあの家はあなたのお父さんが鍛え上げた使用人軍団もいらっしゃいますし。そこらの人間よりよっぽどアテになるのでしょうね」

「……」


 確かにライドナウ公爵の使用人は特別だった。


 いわゆる武闘家揃いではあるが諜報活動だってこなせる。シスターキャロルもそんな使用人の一人だ。


 きっと今もライドナウ公爵家野使用人が各地で情報収集活動をしているだろう。そして、もちろん荒事になれば一騎当千の活躍をする。


 それもう使用人の域を超えていそうな気もするけどそういうのは気にしたら負けなので気にしないようにしている。気にしてどうにかなる物でもないし。


 ところで、何でこの人は親父が消えたことを知っているんだ?


 訊いてみた。


「どうして父がいなくなったのを知ってるんですか。ライドナウ公爵家が隠そうとしていたんでしょう?」

「ふふっ、それはもちろん直接聞いたんですのよ」

「聞いた?」


 誰に?


 俺の頭に疑問符が浮かんでいたらしい。


 マルソー夫人は悪戯っぽくウインクしながら答えた。


「テレンスくんよ。ライドナウ公爵に聞いてもいいですけどやっぱりあの人から聞き出すのは骨が折れるでしょうから。ああ見えて結構意地が悪いんですのよ」

「……」


 いやそんな訳ないだろ。


 あの公爵様は聖人君子だぞ。


 あんたみたいなとんでも人間じゃないんだからな。


「あらあら信じられないって顔をされるのね。可愛い。そんなジェイちゃんにあの人の武勇伝をお教えしてあげたいのですけど後でバレたらあたくしが酷い目にあいますものね。今は止めておきますわ」

「うちの公爵様に武勇伝なんてないですよ」


 言い返したがマルソー夫人に涼しい顔でスルーされた。ムカつく。


 マルソー夫人が続ける。


「会議に出席したライドナウ公爵が何度もダニエルくんを伴っていなかったのがそもそもの疑問でしたの。だってそうでしょう? あなたのお父さんはあの人の右腕ですのよ。一度や二度ならともかくそう何度も代わりに任せるなんてことはなさいませんわ」


 ちなみにライドナウ公爵家は代々内務大臣を務めている。


 武闘家揃いなのに軍務大臣じゃないってのは俺としては納得できなかったりする。だが公爵様自体は武闘派っぽさが皆無だからしょうがないのかもしれない。


 うん、あの人は戦い向きじゃないもんな。


 いつもぽやぽやーっとしている人の良さそうなおじさんだし。


「うふふっ、真実を知らないって幸せですわよね」


 マルソー夫人が小声で呟くもののその声は小さ過ぎて俺にははっきりと聞き取れなかった。


「ん? 今何て?」

「何でもありませんわ」


 うふふっ、と笑ってマルソー夫人は言葉を紡ぐ。


「気になってしまったらあたくしもうどうしても事情を知りたくなってしまって……はしたないとはわかっていても我慢できなくなりましたの」

「……」


 おい。


 それってつまり……。


 俺はゴクリと唾を呑んだ。


 マルソー夫人が大きくうなずく。


 自分に酔ってるようなそんな恍惚とした表情で彼女は言った。


「ええ、お察しの通りですわ。あたくし、ライドナウ公爵家に突撃してしまいましたの」

「……」


 ワオ。


 よりにもよってライドナウ公爵家に突撃するかぁ。


 命知らずだなぁ。


 ……って。


 俺は自分の身に宿る「それ」とのリンクを強めた。


 恐らくはいるであろう存在を感覚の目で視る。


「……」


 いた。


 というかやっぱりいた。


 マルソー夫人を「微笑みの突撃夫人」たらしめる存在。


 彼女の肩に座っているのは赤くて薄い腰巻き一枚だけを身に付けた細マッチョな美少年姿の契約精霊。髪の色も赤いです。


「ラ・ブーム」


 本当は炎の精霊らしいんだけどマルソー夫人は「愛と情熱の精霊」と主張している。あーうんそうですよね。燃えるような愛とか炎のような情熱って言葉もありますものね。


 この精霊は名前持ちなだけあってなかなか強い。


 少なくとも二年前の俺の防御結界を楽々と突破できる程度には強い。


 俺がマルソー夫人を嫌がる理由の一つがこいつだ。


 迫ってくるマルソー夫人を結界で防ごうとしてもラ・ブームのせいで無意味にされてしまうのだ。あまりにも反則過ぎて正直初めてやられた時は膝から崩れ落ちた……でもってマルソー夫人の重い愛のこもった抱擁を食らった。死ぬかと思った。いや、たぶん昇天しかけていたよな。


「……」


 思い出したらつい遠い目をしてしまったよ。


 マルソー夫人が楽しそうに声を弾ませる。


「さすがはライドナウ公爵家。使用人の皆さんのどなたもとてもお強くてあたくし年甲斐もなく胸躍ってしまいましたわ。ただ、あたくしがか弱い女だからか本気でお相手していただけなかったことが心残りですけど」

「……」


 か弱い女?


 いやいや、あんたがか弱い女な訳ないだろ。


 てか、ひょっとしてうちの使用人全滅させたとかじゃないよな?


 幾ら何でもそれやられたら親父が泣くぞ。


 ……って、その親父がいないんだった。


 ああもう、大丈夫かなうちの連中。


 一応、親父の弟のテレンスさんが万が一のときは代理をすることになっているけどあの人は事務方だからなぁ。武闘派揃いの使用人たちをうまく纏められるか不安ではある。


 なお、テレンスさんは風と水魔法を得意としており、勇者パーティのメンバーだった親父とは別のパーティでSランクに昇り詰めていた。このパーティーメンバーの一人がノーゼアで隠居しているらしいのだがそれはまた別のお話。


「……とまあそんな感じで最終的にはテレンスくんを引っ張り出すことができましたの」

「……」


 おっと、ちょい考えていたら途中の話を聞き逃してしまったよ。


 でもまあどうせラ・ブームの強さがわかるだけの話だっただろうし、そんなもん聞かなくても身に染みているからスルーでいいやスルーで。


 それにしてもテレンスさんも災難だな。


「それで、親父のことを強引に聞き出したんですか」

「あら、強引だなんて酷い」


 マルソー夫人が口を尖らせた。その表情の可愛さが逆にムカつく。


「あたくしは極めて穏便に口を割らせただけですわよ。ラ・ブームの火力だっていつもよりずっとマイルドでしたし」

「……」


 おい。


 いや、本当にテレンスさん災難だったな。


 ある意味災害レベルの被害だろ、たぶん。


 俺はテレンスさんのことを思いそっと黙祷した。


 まあ、とマルソー夫人が付け加えるように言う。


「後でライドナウ公爵から苦言を呈されましたけど。あたくし、あの人のお願い事を一つ聞かなくてはならなくなりましたわ」

「お願い事?」

「それは秘密ですわ」


 マルソー夫人が妖艶な笑みを浮かべた。すっげぇ怖い。


「とにかく、ダニエルくんがいなくなって当面はテレンスくんが代行になるみたいですわ。使用人たちの中から捜索隊を編制したようですけど今のところは収穫がないようですわね」

「そもそも親父がいなくなるなんて前代未聞ですよ」

「ええ」


 マルソー夫人が深くうなずいた。


「あたくしも同感ですわ。ダニエルくんは誰かに誘拐されるようなタマではありませんし、自分からライドナウ公爵家を離れることもしないはずです。何せあの忠誠心はあたくしが羨むくらいですし。あれだけの忠義の持ち主はそうそういませんわよ」

「公爵様は親父の恩人ですからね。まあ、あれだけの聖人君子なら誰でも忠誠を誓いたくなりますよ」

「……本当に真実を知らないって幸せですわよね」

「……」


 またマルソー夫人が何か呟いた。


 特大のため息のおまけ付きだ。


 うーん、何て言ったのかな。


 ま、どうせろくなことじゃないだろ。


 俺は聞かなかったことにした。実際聞こえてないし。


「あの」


 と、ずっと黙っていたイアナ嬢が口を開いた。


「マルソー公爵夫人はネンチャーク男爵のことをご存知ですか?」

「ネンチャーク男爵?」


 マルソー夫人がこてんと首を傾げる。お、頭に疑問符が並んでいるぞ。


 それにしても。


「……」


 イアナ嬢。


 唐突過ぎるだろ。



 **



「ええっと」


 マルソー夫人はイアナ嬢に言った。


「ネンチャーク男爵のことは存じてますわよ。あの人はこう……いろいろとありますから」

「何か不審なところとかありませんか?」


 イアナ嬢が質問を重ねる。


 マルソー夫人はじいっとイアナ嬢を見つめ、やがて困ったようにため息をついた。


「あなたグランデ伯爵の娘ですわよね。ご自分の立場をおわかりで?」

「?」

「今、王都では聖女の後継者について二つの勢力がありますの」

「は、はあ」


 あまりピンと来ていない感じでイアナ嬢が応える。


 マルソー夫人の肩に座っているラ・ブームがクスクスと笑い出した。


 マルソー夫人のまわりの温度が急に上がる。


 俺が感覚の目で見るとマルソー夫人を炎が包んでいた。マルソー夫人に熱がっていたり火傷したりしている様子はない。


 そして、ソファやローテーブルなどの周囲の物に燃え移ってもいなかった。


「……」


 あれだ、シュナの聖剣ハースニールみたいな奴だ。


 ご都合主義。


 あ、うん。わかってるよ。


 そもそもこの姿を目にするのは初めてじゃないし。二年前までは散々見てきたし。


 そっかぁ、威圧してくるかぁ。


 イアナ嬢に効くかどうかはわからないけどまあ初見でこれやられたら吃驚はするかもなぁ。


 よくこうやって身の程を知らぬ輩に威圧していたものな。ほいでもってなおも逆らってくる馬鹿には制圧。


 わぁ、懐かしい。


 ……ま、さすがにここでイアナ嬢をどうこうしたりはしないと思うけど。絶対に大事になるだろうし。


 ……つーか、やっぱこの人うちの使用人軍団全滅させたんじゃね?


 マルソー夫人がイアナ嬢に見えるようにニホンの指を立てた。人差し指と中指だ。


「あなたを推す次代の聖女派とメラニア様を推す真なる聖女派」


 一呼吸置き。


「別名・会いに行ける聖女を愛でる会。何やら握手会とかお食事会とかも催されているみたいですわね。まあ、これはどうでもいいお話ですけど」

「……」


 何それ。


 あ、イアナ嬢もぽかんとしてる。


 そうだよな、俺だって「会いに行ける聖女(以下略)」なんて聞いたら馬鹿らしくて開いた口が塞がらなくなるものな。


 つーか、誰だよそんな名称を付けたの。


「ちなみにこの会の名前を付けたのは宰相のズーク様ですわ。あの方もメラニア様の大ファンですからね」

「……」


 うわっ、宰相が命名したのかよ。


 というかあの女宰相まで魅了したのか。恐ろしい女だな。


 この調子だと他の連中も堕とされているかもしれないな。少なくとも学園にいた取り巻きたちはあの女の味方だろうし。


 うーん、こうなると公爵様とか大丈夫かな? メラニアに精神操作とかされたらひとたまりもないんじゃないか。


 何せ、ぽやぽやっとした人の良さそうなおじさんだしなぁ。


 レジストとか出来るか心配だなぁ。


 俺がそんなふうに考えているとイアナ嬢が気を取り直したかのように咳払いした。


 表情を引き締める。


「べ、別にあたしを聖女にしたくない勢力があっても気にしませんよ。それどころかあたし聖女になれなくても構いませんし」

「あら、そうなの?」

「あたし、冒険者としてやっていければ聖女にこだわりません」


 ちら、とイアナ嬢が俺を見た。


 ん?


 何だ?


 俺と目が合うと彼女の頬がほんのりと赤く染まった。


 マルソー夫人が口許を片手で隠す。おいおい、そのいやらしそうな笑みは何だ。


「あらあら。そういうことですの」

「……」


 そういうことって何だよ。


 てか、イアナ嬢が耳まで真っ赤になっているのだが。あれか、急性の熱病か?


 まあそれはともかく、とマルソー夫人が言い、纏っていた炎を消した。


 急速に室温が下がっていく。


「あたくしはメラニア様の派閥の一員ですの。これがどういうことかわかりますわよね?」

「あ、えっと……はい」


 イアナ嬢がうなずいた。


 俺はマルソー夫人に尋ねる。


「協力はしないって事ですか」

「そうなりますわね。あたくしも立場がありますし」

「……」


 立場か。


 あぁ、面倒くせぇ。


 俺はマルソー夫人を睨みつけた。


「派閥とかそんなものより大事なことがあるんじゃないですか? 今、王都では離宮の侍女たちが狙われる事件が起きています。それにネンチャーク男爵が関わっているかもしれないんですよ」

「だからどうだと言いますの? そのこととジェイちゃんたちと何の関わりが?」

「俺とイアナ嬢が調べているんですよ。その過程でネンチャーク男爵が疑わしいとわかったんです」

「なるほど」

「何か知ってることがあるなら教えてくれませんか?」

「うーん」


 マルソー夫人が唸りながら目を瞑った。


「他ならぬジェイちゃんの頼みですからねぇ、あたくしも教えてあげたいのは山々なのですけど」


 と、マルソー夫人は目を開きイアナ嬢を見つめる。


「それでこちらの方を助けるようなことをするのはあたくしとしては承服しかねるのですわ。だってそれでもし万が一事件が解決してしまったらあたくしの裏切りのせいで次代の聖女の株が上がって仕舞いますのよ」

「ほほぅ、ならばそなたはもう要らぬな」


 唐突に聞き覚えのある声がした。


 マルソー夫人の肩にいるラ・ブームがぎょっとする。


 瞬間、マルソー夫人とラ・ブームの姿が消えた。お付きのイケメンたちもいなくなっている。


 入れ替わるように白い着物姿の美人が現れた。


 ソファーに座るファストの膝の上にはカチコチに緊張した様子のポゥ。可哀想に滅茶苦茶怖がってるぞ。


 その頭を撫でるファストに俺は尋ねた。


「マルソー夫人は?」

「うん? ああ、さっきまでいた女か」


 ファストが口角を上げる。実に愉快げだ。


「城の外に転移させてやったぞ。ついでに男たちも送ってやったがまずかったかのう」

「……」


 あ、これ絶対にまずいと思ってないな。


 まあ、お付きも一緒みたいだし心配しなくてもいいか。単に城の外に移動しただけなら問題もないだろうし。


 外の寒さもラ・ブームが何とかしてくれるに違いない。炎の精霊様々だな。


 うん。


 体よくお引き取りいただいたってことにしようっと。


「え、でもまだネンチャーク男爵の情報が」


 イアナ嬢が声を上擦らせる。


 急にファストが出現したことに動揺しているようだ。


「あの女はお主らに教えるのを渋っておったではないか。ならばここにいる必要もなかろう?」

「え、でも」

「何じゃ、妾の判断に不服でもあるのか」

「……」


 ファストの目が妖しく赤く光り、イアナ嬢は口を閉ざした。


 ふん、と鼻息を一つしてファストがポゥの羽を撫でる。


 ポゥがびくりとするがファストは全く気にしないようだ。


「それで」


 と、ファスト。


「妾と会った後で離宮とやらに行ったのじゃろう?」

「ああ」


 俺は肯定した。


「どうやら離宮の侍女の一人が伯爵家に嫁いでから侍女たちへの襲撃が始まったらしい」

「ほほぅ」

「それで、その侍女の交際相手だったネンチャークという男が怪しいとわかった。ただし、確固たる証拠はまだ見つかっていない」

「ふむふむ、なかなか良い線をいってるようじゃの」

「……」


 あ。


 こいつ、知ってて聞いてるな。


 それも事件の真相をわかってて聞いていると見た。


「のう、ジェイ・ハミルトン」


 ファストが俺をじっと見つめてきた。


 チリンチリン。


 突然、俺の頭の中で鈴の音が鳴った。


 うん?


 また鈴の音がしたぞ。


「離宮で話をしたリアとか言う侍女のことをどう思うた?」

「どうって……」


 俺は少しだけ考えてから答えた。


「美人だな。優しそうだしシャルロット姫を大事に思っているのが何より良く伝わってくる。侍女として有能だ。あと、泣き黒子が色っぽくてそそる」


 お胸のことはあえて外しました。


「なるほど、やはりあの姫のことを」

「?」


 やけに意味あり気に呟くファストに俺は首を傾げた。


「リアさんはシャルロット姫付きの侍女なんだぞ。それに仕事熱心だ。そんな彼女が自分の主のことを大事に思っていても別に不思議でもないだろ」

「まあそうじゃな」


 ファストがこくりとうなずき、また俺を見つめた。


 チリンチリン。


「……」


 何だ?


 この鈴の音、どうして頭の中から聞こえてくるんだ?


「お主に一つ確認したいのじゃが」


 ファストが一拍置いてから続けた。


「自分がまだ人間だと思うておるか?」

「……」


 俺は人間だ。


 怒りの精霊を身に宿しているが、左拳をぶっ放して攻撃できるが、寿命が延びて普通の人間より長命になったが、それでもまだ人間だ。


 常人離れしているかもしれないが、それでもまだ人間なのだ。


「ふむ」


 ファスト。


「思考をトレースしてみたがあの方が記録されたサンプルとの差異はなさそうじゃのう。例のプログラムも正常に作動しておるようじゃ」

「……」


 どうしよう。


 ファストが何を言っているのかさっぱりわからない。


「ことによったら闇のが何か要らぬ真似をしておるのかと思うたのじゃが、どうやら取り越し苦労じゃったようじゃ」

「ポ、ポゥ」


 追随するようにポゥが鳴く。


 俺は質問した。


「何の話なんだ?」

「お主は知らぬ方が良い。これはあのお方が女神プログラムの一環としてやっておること。矮小な人間如きには理解も及ぶまいよ」

「……」


 ワォ。


 全然意味がわかんねぇよ。


 あれか、別世界の言葉でも使っているのか?


 それとも俺がおかしいのか?


 やばいな、こんな所で頭がおかしくなったらノーゼアに帰れなくなるしお嬢様にも会えなくなる。


 それは御免だ。


「およ?」


 ファストが目を丸くした。


「この数値、予定にはない変動じゃな。こいつは驚いた」

「……」


 チリンチリン。


 三度、頭の中で鈴が鳴った。


 今度は中性的な声も聞こえてくる。



 **



『確認しました!』


『ジェイ・ハミルトンに能力「メンタルバリア」が追加されました』

『これにより以降の精神干渉は全て無効となります』


『さらに能力「魔力変換・精神」が追加されました』

『これにより以降の精神干渉を受けた時に魔力が自動回復します』

『なお、回復する数値は精神干渉の強さにより変動します。ご注意ください』



「……」


 ワォ。


 何か新たな能力を獲得しちゃったよ。


 ええっと、これってつまり精神防御と魔力回復がセットになったってことか?


 例えば誰かに精神操作されそうになってもそれは無効化できるし、同時に俺を精神操作しようとした力を変換して俺の魔力として回復させる、と。


 わぁ、また一歩常人から離れたって気分。


 ポーションとか魔道具とかならまだしも人間が能力で魔力回復するなんて聞いたこともねぇよ。


 自然回復?


 もちろんそれは普通にあるけどそれと能力での回復は別物だ。だいいち自然回復での魔力の回復率なんてそう大したものじゃないぞ。


 一晩かけて眠ってやっと完全回復。消耗の度合いが酷ければさらに回復には時間がかかる。


 だからクエストをこなすほとんどの魔導師はポーション等の回復アイテムを所持しているのだ。いざって時に悠長に休んで魔力回復なんてできないからな。


 そんなことを考えているとファストが片眉を上げた。


「お主、また妙な能力を得たのう」

「得たくて得たんじゃない」

「そうかもしれぬが、これは面倒じゃな。妾の精神干渉も弾いておるではないか」

「……」


 おい。


 こいつ、俺にそんなことしていやがったのかよ。


 あとちょい体温の上昇を感じるのだがこれって魔力が戻る時の現象だよな。魔力回復ポーションとかを飲むとこんなふうになるし。


 わぁ、マジで魔力変換と回復をしているのか。


「……」


 ふと俺は思いつきファストに訊いた。


「なあ、さっきまで何回か鈴の音が頭の中で聞こえていたんだが」

「うん?」


 怪訝そうな目をされた。


「それはあれか、妾がお主に精神干渉した時か?」

「いや、いつのがそれか俺にはわからんのだが」

「ふむ」


 ファストが中空を眺めた。


「精神への干渉に反応して本体に警告を発する機能か。妾がマジンガの腕輪(L)のマイナーアップグレードをした時にひょっとしたら複合的に……いや、違うな。むしろあのお方が既に仕込んでいたと考えるべきじゃろう」

「……」


 え。


 あのお方……て。


 俺の頭にお嬢様の顔が浮かんだ。


 めっちゃいい笑顔でうなずいているし。


 あ、俺に向かってグッと親指立てた。


 つーかいつ「精神干渉されたら鈴の音が鳴る機能」なんて仕込んだんですか?


 かなり怖いんですけど。


 ファストが俺に視線を戻した。


「まあそんなに気にするものでもなかろう。害がある訳でもないしな。それにメンタルバリアを獲得したお主ならもう鈴の音もせぬじゃろうよ」

「そんなものなのか」

「そんなものじゃな」

「ポ、ポゥ」


 ファストだけでなくポゥまで肯定した。。


 そうか、なら鈴の音のことは一旦脇に置こう。


 俺は一つ息をつき、ファストに質問した。


「ところであんたは何しにここに来たんだ? まさか襲撃事件の調査の経過報告を聞きに来たとかじゃないよな。それとも俺に精神干渉するためだったとかじゃないだろうな?」

「無論それもあったのじゃが」


 ファストがポゥの背を押した。


 ポゥが翼を広げて飛び上がり天井を一回りしてから窓枠に降り立つ。きらきらとした光の粒子がその軌道をなぞらえるように光り、幻想的な光の帯を描いてから消えた。


 ポゥが一仕事終えたかのように「ポゥッ」と胸を張る。ちょい得意気だ。


 それを横目で確認するとファストが中空から何かを取り出した。こいつ、当然のように収納の能力を使ってくるな。


 それは銀色の小さな円盤だった。俺の拳より小さなサイズだ。表面にはうっすらと文字と記号が記されているが、俺にはそれが何を意味しているのかわからない。


 ファストが俺に円盤を差し出した。


「お主、これを動かしてみよ」

「……」


 えっと。


 どうやって?


 俺が円盤を見つめているとイアナ嬢が口を開いた。


「投げればいいんじゃない?」

「投擲アイテムではないぞ」


 ファストが否定した。


 イアナ嬢を一睨みしてから俺に。


「魔力を使って操るのじゃ。こう、ぐわっとやってばばーんとじゃな」

「……」


 いや、そんな教え方されても。


 あれか、こいつ案外人に物を教えるのが下手なタイプか。


「ぐぉんとやりつつずんとさせると面白いぞ。ぎゅぱっとやってみるのも一興じゃな」

「へぇ、それ凄いです。さすがはファスト様」

「ふふん、妾の偉大さを理解したか」


 俺には伝わらなかった説明がイアナ嬢にはばっちり通じたようだ。


「……」


 うん、イアナ嬢って割と考え無しだしファストの説明みたいなものの方が言葉で理解するより感覚的にわかるんだろうな。


 ある意味すげぇけど。


 俺が円盤を動かせずにいるとファストがつまらなそうに鼻を鳴らした。


「全く情けない奴じゃのう。これではあの方が考案したオールレンジ攻撃ができぬではないか」

「いやそんなこと言われても」


 そもそも教え方に問題があるだろ。


 てか、いっそイアナ嬢に教えたらいいんじゃね?


 言ってみた。


「俺じゃなくてイアナ嬢の方が向いているんじゃないか? 教えてやれよ」

「ふむ」


 ファストがじいっとイアナ嬢を凝視した。


「……」

「え、えっと」

「数値的には適性があるようじゃ。まあ、それなら教えてみるのも面白かろう」


 ファストの言葉にイアナ嬢が破顔した。



 で。



「ほれほれ、もっとビュンとやらんか。そんなんではスライムにも避けられてしまうぞ」

「ええっ、でも速度はこれで限界」

「旋回が遅いわっ、そこはもっとグワワンとやらんか」

「こ、こうですか?」

「もっとぎゅんとじゃ。お主の動かし方では百年あってもゴブリン一匹倒せぬわ」

「……」


 しばらくつきっきりでファストがイアナ嬢にレクチャーしていたのだがどうも芳しくないようだ。


 ちなみにポゥが室内を飛んだ時に発生したキラキラは魔力を増幅させてくれる効果を持つらしい。


 ファストやお嬢様の考えるオールレンジ攻撃は「専用に作成された魔道具を術者の魔力を増幅して操作する」という方法で行われるのだそうだ。


 これを精霊や魔道具を介して実行する能力をマジック・コントロール、略してマジコンと命名したとか。名付けたのはお嬢様です。


 と、ファストから聞いた話を俺が思い出していると突然イアナ嬢が声を上げた。


「あっ、あたし新しい能力を獲得したって!」

「あれか、中性的な声か」


 俺が尋ねるとイアナ嬢がうなずいた。


 集中が途絶えたからか室内を飛んでいた円盤がポトリと落ちる。


「マジコンレベル1を獲得したって。レベル云々ってことは上達するとレベルが上がるのかも」

「先は長そうだがな」


 俺は床に転がっている円盤を見下ろしながら言った。


 イアナ嬢が口を尖らせる。


「し、仕方ないでしょ。あたしまだ初心者なんだからねッ!」

「素質はあるのじゃがなぁ」


 若干疲れ気味にファストがため息をついた。


「まだ一つしか操っておらぬというのにこれではな。あのお方が想定しておるオールレンジ攻撃は複数の物体を操作するらしいぞ?」

「え」


 イアナ嬢が固まった。


 おっ、顔が青ざめてきてるぞ。


「複数同時に操れるようならレベルが1ってことはないんじゃないか」


 俺が意見するとファストが難しそうな表情で腕組みした。あっ、お胸が強調されてる。凄いな。


「そうじゃな、恐らくレベルが上がる毎に扱える物体の個数も増えるのかもしれぬ。妾もこの能力については未知数が多いのじゃ。試してみぬとはっきりとは言えぬな」

「だ、そうだぞ」


 俺はイアナ嬢に言ってやった。


 イアナ嬢が嫌そうに眉をしかめる。


「あたしちょっと飽きてきてるんだけど」

「……」


 おいおい。


 飽きてるんじゃねーよ。



 **



 それからさらにイアナ嬢のマジコンの練習が続いた。


 その甲斐あってか円盤がすいすいと飛ぶようになった。


「飽きてきた」とか言っていたイアナ嬢の表情も大分マシになっている。


 ファストも満足そうだ。


 イアナ嬢の操る円盤が部屋の天井すれすれを高速で移動して壁際で急停止する。少しの間をおいて壁から壁へと飛んでいった。さらに急降下して床に這うような高さまで達すると斜め上に加速しながら移動して天井の中程でくるりと一回転。そして再び横移動。


 ファストの頭上でまた急停止すると今度は俺の頭を掠めるように飛んだ。その風圧にちょっとひやっとする。


「おい」


 抗議を込めてイアナ嬢を睨むと彼女は悪戯っぽく舌を出した。くっ、可愛さでごまかすつもりだな。


 そうはいかな……うん、可愛いから許す。


「あっ」


 ローテーブルの上で円盤を滑らせた時、イアナ嬢が声を上げた。


「レベル2になったわ」

「ほう」


 ファストが感心したように応え、中空からもう一枚の円盤を取り出した。


「ならばこれも飛ばすがよい」

「えっと」


 イアナ嬢が新たな円盤へと意識を向けた。そのせいかさっきまで動かしていた円盤が失速して床に墜落する。


「イアナ嬢?」


 俺が落ちた円盤と彼女を交互に見ると。


「し、仕方ないでしょ。複数同時なんてやったことないんだから」

「ああ、それもそうか」

「ほれほれ、もっと集中せい」


 動いていた円盤まで床に落下し、ファストが叱った。


 すみません、とイアナ嬢が謝る。


「全く、これでは先が思いやられるのう」

「やっぱりいきなり複数はきついんじゃないか?」

「一つとして動かせぬお主に言われたくないのじゃ」


 ファストの口調が厳しい。


 むう、俺だって動かし方がわかればやってみせるのに。


 ちょい面白くなくて俺は床の円盤を睨んだ。先に落ちた方です。


 動け、と念じてみるがもちろんそんなことでは動かない。


 ポウッ、とポゥが鳴いた。


「ん?」


 俺の身体が僅かに温まった。


 これは……体温上昇?


 てか、魔力が回復した? 微量だけど。


 窓際にいるポゥがその場で翼を広げた。何かを訴えるようにポウポウと鳴く。


「……」


 ええっと。


 何だかやたら魔力が回復しているんですけど。うん、一回一回が微々たる量の回復ですね。でも、回復しているには違いない訳で。


 あれ?


 これ、ポゥに精神干渉されてる?


「これこれ」


 ファストがポゥに向いた。


「こやつに精神干渉しても無意味じゃぞ……というか伝えたいことがあるならはっきりせい」

「ポゥッ!」


 一際大きな声で鳴くとポゥが俺を真っ直ぐに見つめてきた。


「……」

「……」


 あ、あれ?


 頭の中で中性的な声が聞こえるぞ。



『聖鳥ポゥ(シロガネフクロウ)からイメージが送られています』

『受け取りますか?(はい・いいえ)』



「……」


 えっ、何これ。


 ポゥからイメージ?


 というか、ポゥってそんなこと出来るの?


 さすが聖鳥っていうか。


 ちょい見直したよ。


 俺が答えずにいると質問が繰り返された。



『聖鳥ポゥ(シロガネフクロウ)からイメージが送られています』

『受け取りますか?(はい・いいえ)』



「……はい、だ」



『データ受信を開始します』

『処理が完了するまで接続を断たないでください』


 何かが俺の頭に流れ込んで来た。


 その流れの速さと圧力に思わず顔をしかめてしまう。



『データ受信の完了まで残り95%……75%……55%……25%……完了しました』


『イメージを再生しますか?(はい・いいえ)』



「はい」


 選択すると一瞬ズ霧と頭が痛んだ。


 脳内で何かが蠢くような感覚。しかしそれもすぐに止んで自分でもどうやったのかよくわからぬままにポゥから受け取ったイメージが理解できた。


 それはマジコンの使い方だった。


 祝福するかのように中性的な声が頭の中で響く。



『確認しました!』


『ジェイ・ハミルトンに能力「マジコンレベル1」が追加されました』

『これにより魔力による物体操作が可能になります』

『ただし、練度によりコントロールの精密さは変化します』

『なお、マジコンで操作可能な物体はオルハリコン5%またはミスリル35%以上を含む特殊金属で作成された専用の魔道具に限られます。ご注意ください』



「俺もマジコンが使えるようになったぞ」

「え」

「ほほう」


 俺の報告にイアナ嬢が固まりファストが喜色を浮かべた。


「ならばこれを試すがよい」


 ファストが中空から銀色の玉を取り出して俺に放る。ちょうど俺の拳の大きさくらいのサイズの銀玉だ。


 俺は意識を集中して魔力を左腕の腕輪に流した。


 ポゥによるとこのマジンガの腕輪(L)を介することによってより精度の高い魔力操作ができるようになるらしい。


 さらに今はポゥの力のおかげで魔力が増幅されているため初心者の俺でも巧みに魔力操作を行えるのだそうだ。


 俺は銀玉を動かしてみた。もちろん手で触れたりはしない。


 ふわり、と銀玉が浮き上がった。


「う、嘘」

「ふむ、やれば出来るではないか」


 イアナ嬢とファスト。


 二人の表情の対比が何とも。つい笑ってしまいそうになるな。


 俺は銀玉を壁から壁へと跳ねさせた。何回も繰り返しながら速度を速めていく。


 石造りの壁を金属で打ちつける音が間隔を縮めて鳴り響いた。


「見事じゃがこれはこれでやかましいのう」


 ファストが苦笑する。


 むむっ、とイアナ嬢が口をへの字にした。


 その顔には「悔しい。あたしだってもっと上手に飛ばせるんだからねっ!」と書いてある。


 イアナ嬢の操る円盤が飛翔した。


 俺の銀玉を追いかけるように宙を駆ける。お、鬼ごっこでもする気か?


 とか思ってたら後ろから追突された。


 衝撃の勢いのまま壁に激突した俺の銀玉はコントロールを失って床に落ちる。


 俺は黙ってイアナ嬢を睨んだ。


 イアナ嬢は俺と目を合わせようとしない。


「わ、わざとじゃないんだからねっ!」

「……」


 俺は黙ってイアナ嬢を睨んでいる。


 イアナ嬢は目を合わせようとしない。


「あ、あんたの銀玉があたしの円盤の前を飛んでいたのがいけないのよ。うん、そう。そうに決まってる」

「……」


 俺は黙ってイアナ嬢を睨んでいる。


 イアナ嬢は俺と目を合わせようとしない。


「それにそんな速さで飛んでいたらあたしの円盤の邪魔になって危ないでしょ。そのくらい常識なんだから予め理解しておきなさいよっ」

「……」


 俺は黙ってイアナ嬢を睨んでいる。


 イアナ嬢は俺と目を合わせようとしない。


「……え、えっと」

「お主、さっさと謝った方がよいぞ」

「……ごめんなさい」


 見かねたファストに忠告されてようやくイアナ嬢が謝罪した。


「お詫びに今夜は徹夜でマジコンの練習に付き合ってあげる」

「いや、俺は寝るからな」

「ううっ、せっかく人が付き合ってあげるって言ってるのにジェイってば酷い」

「いや、別にそこまで急いで修得したい訳じゃないし」

「そうじゃな」


 ファストが意味ありげに笑んだ。


「来たるべき時までに練度を上げておいてくれればそれで良いじゃろう。逆を言えばそれまでしか修練の時間はないということじゃが」

「来たるべき時?」


 俺が尋ねるとファストが着物の袖で口許を隠した。


「おっと、妾としたことが……ふふっ、今のは聞き流すのじゃ。たとえ訊かれても妾は答えぬぞ」

「……」


 き、気になる。


 だが、俺がどんなに聞き出そうとしてもファストは教えてくれないだろう。何故かそんな気がする。


 とりあえず変な空気になったのを何とかしたくてマジコンの練習に戻ろうと俺は銀玉に意識を向けた。


 その時。


 どこかで爆発音が轟いた。

 

 

 


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