時には優雅な食卓を
ああ、それ?
日記のようなものさ。でも、ちょっとしたレシピ集にもなっている。
外に出すつもりもないので、適当に書いていたんだ。
お前たちと生きている中で、いろんな素晴らしい人と出会えて、いろんな美味しいものと出会えた。
そういうものに対する感謝というものを、私は忘れたくなくてね。
忘れないためには、書き残しておくのが一番、というわけさ。
え?新聞で連載にしたい?
ちょっと待っておくれ。そんな大したものじゃないよ、これ。
それに、色んな人の実名も出しているから、ちょっとさあ。
ああもう、わかった、わかった。
推敲は後でやるから、まずはお前の愛しきジョナタン殿に渡しておくれ。
それで本当にやるかどうか決めようじゃないか。
まったく、お前の熱っぽさは相変わらずだなあ。
1.
魚市場で蛸を見つけた。しかも二束三文である。思わずで買っていた。
四方を海に囲まれた島国でありながら、文化としてはヴァルハリア内陸部に強い影響を受けていた我が国では、蛸や烏賊などの、いわゆる頭足類と呼ばれる生き物を食することは忌避する傾向にある。
ただ最近は、ユィズランドやエルトゥールルの文化も入ってきたりして、今まで食べてこなかった生き物を食品として扱うことが増えてきている。その一環だろうか。たまにではあるが、こうやって市場で見ることも増えてきていた。
「へえ、蛸ですか。美味しいですよね。地元ではカタプラーナとかいう、ユィズランドの食べ方でよく食べてたんですよ。母上は気味悪がってましたけど」
ちょっと脅かしてやろうと、警察隊婦人会の主拠点たる“赤いインパチエンス亭”に持って行ったところ、皆がぎゃあぎゃあ大騒ぎしている中、ペルグランを含む店員たちだけは平然としていた。そういえば、これの祖先は海の男の代名詞である。そのカタプラーナという食べ方を教わったのか、インパチエンスたちも、慣れこそしないが馴染みはある、という感じだ。
ユィズランドで蛸を食べる際は、石畳に叩きつけて柔らかくするという。なんだか可哀想だが、美味しく食べるには倣うより他にない。人気のない路地裏で、思う存分やっつけてやる。
食べるのは足。頭も美味しいが、内蔵を処理しなきゃいけないし、見た目も映えないので、また後で。
多めの塩でよく揉んで滑りを取る。水を張った鍋に塩。それとぶつ切りにした玉葱。これは食べるものでなく、蛸をさらに柔らかくするためのものである。沸いたら蛸の足を入れて、その後に油。決して混ぜない。ミジョテという手法で、油で蓋をするイメージである。
弱火でことこと二十分。火から下ろしてまた二十分置く。これで最高に柔らかい茹で蛸のできあがり。皮が破けない程度に仕上げるのがこつである。
ここまでくると、生き物というより食材に見えてくるもので、最初は騒いでいた面々も興味津々と言った様子になってきた。ただしかし、フォンブリューヌの山間部で育ったビアトリクスとサラ・アルシェなどは、未だ戦々恐々といった様子であり、見るのもいや、という有り様である。
ならばよし。このふたりのためにも、とびきり地味ながら上等な蛸のサラダと、ついでにカタプラーナというやつも拵えて、蛸くんの名誉回復と洒落込もう。
ボウルに潰したオリーブ。粗みじんにしたケッパー。にんにくはほんとうに、ほんのちょっとだけ。レモンの汁を加えて、ドレッシングは完了だ。
粗熱を取った蛸の足をそぎ切りにして加えていく。外側の筋をとったセロリを小口切りにして、これも加える。そうしたらパセリを散らしたうえで和えていく。セロリの分だけ塩を少量加えてもいいかもしれない。
盛り付け。適当、適当。広い皿の中心に、狭く高くで盛り付ければ、こういう地味なサラダでも綺麗に見えるだろう。アレンジするなら、レンズ豆とかアボカド、小粒の赤茄子なども勿論いい。
カタプラーナ。専用の鍋がある。丸い銅鍋ふたつを球状にくっつけたようなもの。作り方を聞いたのだが、簡単で素晴らしい。これはいいものを聞いたとペルグランを褒めておいた。
芋。玉葱。色とりどりのパプリカに赤茄子。切り方は自由。味付けはにんにく、トウガラシ、ローリエ、白ワイン。あとは浅利とか笠子とか。先程作った茹で蛸含め、思い思いの魚介を用意しよう。
これをまとめて、ぽい。
にんにくの香り出しも、火加減の調節とかもいらない。蓋をして十五分程度、火にかけるだけでいい。できあがったら鍋のまま提供しよう。コリアンダーを散りばめてもよさそうだ。
蛸の下処理だけ時間は掛かるが、あとは簡単。そんな二品を作ってみせて、警察隊婦人会の面々も、おお、と声を上げていた。さて肝心のビアトリクスとサラ・アルシェも、この出来栄えには感心しきりの様子であり、皆と同様、その味に舌鼓を打っていた。
身の淡白さと柔らかさは、どう調理しても最高にうまい。合わせるなら白でいいだろう。外見は赤いが、身は白だからね。
あえて雑に処理をして、こりこりの食感を楽しむのも乙かもしれない。夷波唐府では生食するとも聞く。
蛸。まだまだ楽しみ方が眠っている、奇妙で不思議で、なにより素敵な生き物である。
2.
サウナの店ができたという。アンリが鼻息を荒くして教えに来た。
北方の国、アルケンヤールの蒸し風呂文化である。掘立小屋にストーブを置くだけの簡素なやつで、水が少なくても身を清めることが可能な優れものだそうだ。前々から興味があったので、ルキエやラクロワも連れて行ってみることにした。
入りたてはハマムと変わりない温度。ちょっと拍子抜け。それでもかなり乾燥していて、壁のような暑さである。
その暑さに慣れはじめたあたり、アンリが、ストーブの上に積んだ石に水をかけはじめた。ばん、と蒸気が発生して、一気に体感温度が上がる。暑い。とにかく暑い。白樺の葉を束ねたもので身体を叩くと更に暑い。ルキエとラクロワと三人でぎゃあぎゃあ騒いでいたのだが、アンリだけは久しぶりのサウナとあって、終始満足げであった。
どろどろになるぐらいに汗をかいたら、冷たい水で身を清めてから外気浴である。揺れ椅子が用意してあった。これが心地いい。なんだか騒ぎ疲れた後のような、気持ちのいい気怠さを感じる。ととのう、というらしい。人ではない身の上だが、こうやって人と同じ感覚を味わうと、なんだか嬉しいものである。
あらためてもう一度入ってみれば、木の香りや熱の心地よさに気づくことができた。このくだりを二週ほど楽しむのが普通だというが、アンリは四週していた。丈夫なこである。
さて、気持ちのいいお風呂を楽しんだ後は、何故だか小腹が空いてしまう。ちょうど近くにオーベリソン一家のおうちがあるようなので、ちょっとお邪魔をして、アルケンヤールの喫茶文化、フィーカを楽しむとしよう。
煮出した珈琲。アンリは紅茶党のように思えたのだが、珈琲もいけるくちだそうだ。
沸かした湯に焙煎した珈琲粉をたっぷりと。そして塩をほんのひとつまみ。これで旨みが出るらしい。そうしてまた沸かす。沸いたらすぐ火から下ろすと苦味が出過ぎない。粉が薬缶の底に落ちるまで五分ほど待とう。
ククサという、白樺から切り出して作ったカップで味わう。自然な苦味と酸味が楽しく、思った以上に飲みやすい一杯だ。
さて、この珈琲にはあまり砂糖を加えない。お菓子を甘く作るからだ。
「ビョルンのパンカーカ、本当に美味しいんですよ。ティナさんもきっと、気にいると思いますよ」
というわけでビョルン君に、アルケンヤール風のパンケーキこと、パンカーカを作ってもらうことにしよう。
美味しく作る配合は、卵、一。小麦粉、一。牛乳、二。ほんのり塩を入れておこう。フライパンを熱して、適量のバターを溶かす。焼き上がったら四つに折るか、巻いて冷めないように。
おや、これでは甘くないのでは、とも思ったが、ここで登場するのが苔桃のジャムである。
苔桃はきれいに洗って水気を取る。これの重さの半分の砂糖。それといくらかのレモン汁。ビョルンは苔桃独特の苦みをいやがって、ほんの少し林檎を加えて作っていた。きっとこれが秘訣だろう。
弱火から中火で、果肉がしっかりと崩れるまで。灰汁は取らなくてもいいけれど、取ったほうが美味しいかな、とも。火を通さず砂糖と混ぜるだけのレシピもあるそうだ。
これを、もっちりとしたパンカーカに絡めながら頂戴する。うん。甘酸っぱさとほどよい苦みがちょうどいい。更に添えられた生クリームも素敵な甘ったるさで、苦味と酸味に富んだ珈琲との組み合わせは最高だ。
ビョルンもそろそろ奉公上がり。進路はどうするのかと聞いたところ、なんと警察隊を目指しているそうだ。セルヴァン閣下や法務部部長オダン大佐に報告、相談したところ、諸手を上げて歓迎しているとのこと。
我らが自慢の息子たるルイソン・ペルグランが警察隊のおもちゃ枠を卒業した今、新しいおもちゃが来るのだと知って、皆で大はしゃぎしてしまった。長身、童顔、美少年。なんとも弄り甲斐がありそうではないか。とはいえ、おっかない親父も近くにいることだし、ほどほどにしてあげよう。
サウナとフィーカ。北方のリフレッシュ文化。長く生きたが、知らないことだらけ。それがよくって、私は今も生きている。
3.
タイプライターというものを買ってみた。達筆、速筆には自信はあれど、新しいものには何より弱い。
職業作家、兼、翻訳家であるからして、文房具に対するこだわりは強い。万年筆もいいが、やはりつけペンである。製図用の、烏のものを使った羽根ペンを使っていた時期もあったが、最近は硝子ペンがお気に入り。あの滑らかで硬質な書き味がいいのである。舶来品であるからして、値段がとんでもないことになっているのはご愛嬌だ。
さて、タイプライター。個人用の活版印刷機とでもいえばいいのだろうか。無機質だがこじんまりとしていて、かたかたという音の感じや触り心地もあって、なんだか愛嬌がある。
しかし使い方がわからない。用紙を挟めるまではなんとかなるが、いざ文章を書こうとしても、鍵盤がアルファベット順になっていないので、書きたい文字を探すのにいちいち時間がかかるし、何とか書きはじめたとしても、改行をどうすればいいのかわからない。
わからないことがあったなら、ひとまず彼に任せよう。百貨店ことウトマン君だ。多忙なのは重々承知の上で、司法警察局庁舎に押しかけてみた。
しかしウトマンも触るのははじめてなようで、結局はボンフィス中佐やらセルヴァン閣下やらまで駆り出してでの大騒ぎ。それでも皆、わからずじまいといった有り様であり、こりゃあどうもならんと音を上げていた。
そこに意外な救世主が現れた。かの高名なムッシュ・ラポワントである。セルヴァンの体調を診に庁舎に寄ったらしく、面白半分で触らせたところ、誰よりも上手に使いこなしていた。たちまち適当なカルテのようなものを一枚、仕上げてみせたのだ。
「なんだかギターに似ていますね。改行間近の、ちりんという音が可愛いですなあ」
彼の手にかかれば、無機質な機械音すら歌うように聞こえるのだから、なんだか不思議なものである。
何にしても皆には迷惑をかけてしまった。お手軽にできるスポンジケーキを拵えて、お礼とお詫びのしるしに振る舞うことにしよう。その名も失敗作だ。
型は浅めの手鍋を使うことでいい。バターを軽く塗ってから小麦粉をまぶす。こうすることでケーキが鍋から外れやすくなるぞ。
卵は卵黄と卵白に分けておく。卵黄に甜菜糖を加える。薄力粉を回数を分けながら加え、混ぜていこう。
メレンゲ。ここが失敗ポイント。卵白が立ち切る前に甜菜糖と塩を加えて混ぜるのだ。こうすることでメレンゲの立ちが悪くなる。
メレンゲって立ちすぎると油分と水分が分離するし、立ちが悪いとふんわりしないので気を使う。いいんです、立たなくたって。見た目が悪くなって、味わいも重くなるが、その分、芳醇で贅沢な味わいになるのだから。
卵黄生地にメレンゲを混ぜていく。回数を分けながら。混ぜ合わせるときは、わざと空気を入れながらいこう。
型に流し込んだら天火で四十分だ。できあがりは型から上面が膨れ上がった、奇っ怪なものになる。粗熱を取るとそれが萎んで、更に奇々怪々だ。それでも粉糖で仕上げてやれば、素朴で贅沢な味わいになる。
そういえばセルヴァンに食事を提供するのは生前以来である。ワインは甘いものが好みだった記憶があるが、目を輝かせながらぱくぱく食べてくれた。近頃、体を悪くしたこともあり、色々と心配していたが、食欲は落ちていないようだ。紅茶にも角砂糖を三つ、四つと入れて楽しんでいた。もしかしたらそれじゃないか、体を悪くした原因。
各々、ムッシュに教えを請い、おっかなびっくりで触っていくと、段々とわかってきた。こうなると、文章を書き上げるというよりも、触っていることそのものが楽しくなってくる。機械油の香り。心地よい打鍵音。紙の端に近づいた時になる鈴の音。改行レバーの触り心地。そうして触り疲れた頃、紅茶とスポンジケーキに手を伸ばせば、温かさと甘さが脳を蕩かしに来る。これがほんとうにたまらない。
結局は、大の大人が面白がって、タイプライターの取り合いを起こしていた。これにはムッシュも苦笑い。習熟の早いウトマン。筋骨隆々とした体躯との不釣り合いがおかしいボンフィス。何かと絵になるセルヴァンと、三者三様の楽しさを見せてもらった。
次の新作はタイプライターを使ってみようか。なんだか目的と手段が逆になってしまった感は否めない。その時はきっとまた、スポンジケーキを作ってしまうのかも。なんたって頭脳労働には甘いものが欠かせないからね。たとえそれが失敗作でも、だ。
4.
継娘たるリリアーヌとキトリーが遊びに来た。しかもノーアポ。これには大変に困り果てた。人をもてなすのにも準備がいる。今、家にあるものでは大したものが作れない。
「なら、私たちが作るわよ。お父さんの血の故郷、エルトゥールル料理。お継母さんとしても新鮮でしょうしね」
リリアーヌがそうやって腕まくりをした。お言葉に甘えて、異国情緒溢れるお昼ごはんを楽しむとしよう。
南東の国、エルトゥールルといっても、国土は広く、海もあれば山もあり、砂漠もある。我が愛しきオーブリー・アディルの血は、北東の砂漠地帯、その中でもオアシスと呼ばれる河川や泉の近くに広がる緑地に強く由来するという。
また生まれ育った東の地でも、貧しくとも畑ひとつはあったらしく、そこで豆や瓜、赤茄子なんかを育てていたらしい。それと奉公先のコンスタン家は海運業の大手だったから、値段がつかないものだとか、香辛料のいくらかだとかを貰ったりしていたとも聞いていた。
ただし今回はアディルの父方側の血、沿岸のレシピからふたつほど、ということだ。オアシスの味はまた今度。楽しみにしておこう。
ひとつめは焼き野菜のサラダだ。向こうの言葉で、サラタ・メシュイアというらしい。
赤茄子は半分に切って種を取る。玉葱はくし切り。少し大きめでよろしい。色とりどりのパプリカも同じくらいに。にんにくは縦半分にして芯を除こう。包丁の腹で叩いてやってもいいだろう。これらは後で刻むので、大きさに拘る必要はあんまりない。
まとめて天火へ。柔らかくなる程度だから、だいたい三十分か。その間に余所事を。味付けの準備をしたり、次のレシピの準備だったり、片付けをしたりだ。そうしたら取り出して、いくらか冷ます。焦げた部分は取り除いて、皮を剥く。終わったら、すべてを細かく刻んでやろう。
味付けは、レモン汁、オリーブ油、塩胡椒。香辛料はシナモン、クミン、キャラウェイあたりを用意して和えていく。
さて盛り付けは、輪切りにした茹で卵、オリーブの実、ケッパーを添えていこう。好みでアリサとかハリッサとか呼ばれるやつも。ちょっと味見させてもらったが、大変に美味しく、それ以上に辛い。このあたりでも瓶詰めで買えるそうだ。
これと母方側のレシピ、刻み野菜のサラダが、ふたりのおふくろの味、あらため、おやじの味だそうだ。サラダで育っておいてこの美貌と発育。父親の教育の賜物か、あるいは北東エルトゥールルの美形の血か。
ふたつめはサンドウィッチ。へえ、エルトゥールルでもパン食べるのね。そう思って調べてみたところ、消費量でいくと、大陸諸国では断トツ一位だそうな。
メインの具は、なんと鯖。ちょっとびっくりな鯖サンドのご登場である。
これはアディルというよりは、キトリーが新婚旅行でエルトゥールル沿岸部に行った際に食べて以来の好物だという。絵葉書を見せてもらった。船着き場に並んで接岸した屋台船。なんだか奇妙で壮麗な光景である。
バゲットは横半分に。断面をバターで軽く焼いておこう。野菜は玉葱、赤茄子、キャベツにサニーレタス。ここまでは一般的なサンドウィッチのそれである。
さて、鯖は丸で買ってきて捌いてもいいし、捌いたものを買ってきてもいい。ただし、釣るのだけはほんとうにお勧めしない。陸に上がった途端、あいつらは暴れに暴れ倒す。そのくせ痛むのも早いのだ。ともあれ油を引いたフライパンで皮目から焼いていこう。しっかりと、両面ともかりかりになるまで。
それぞれを挟んだら、たっぷりのレモン汁をかけて完成だ。結構、簡単である。
鯖の脂がレモンの酸味で中和されて大変に美味しい。味付けに物足りなさを感じたら、マスタードやマヨネーズを用意してもいいだろう。
ちなみにキトリーが頂いた本場のものは、よくわからないけど美味しいドレッシングがかかっていたそうだが、料理した人に何かと尋ねても、よくわからないと返されたそうだ。何だそれ。
サラダとサンド。飲み物は何にしよう。白の辛口かな。レモンが多めで酸味があるから、ロゼでもいいかもしれない。ワインセラーを漁りながら、三人で色々試してみた。ふたりとも父親に似てよく飲むし、くわえて舌が肥えている。このあたりは第二の母たるシャルロット姉さまの薫陶によるものかもしれない。
ふたりとも、ふたりの子どものお母さん。ということは、期せずして母親どころかお祖母ちゃんにもなってしまったわけで、先ごろ祖母デビューを果たしたミラージェ君も途中参戦させて、ママ会ババ会というかたちにしてみた。
諜報機関のエージェントとあって、やはりリリアーヌは大はしゃぎ。ミラージェといえば、泰然とした様子で、料理と酒を楽しんでいた。職務の一環でカフェやビストロを利用することが多く、いろんな店と料理を知っており、こちらも多分に舌が肥えているので、もてなし甲斐がある。鯖サンドもご存知だったようで、その味には大変にご好評をいただいた。継母冥利である。
東の海を渡ったエルトゥールル。愛しき人の血の故郷。いつかは行ってみたいものである。勿論、アディルと一緒にね。
5.
我が愛しの妹、黒髪のジョゼフィーヌが再婚する。めでたい話である。
お相手はビュイソン共同新聞の取締役社長、エルランジェ氏。ロマンスグレーと片眼鏡が目に眩しいイケオジである。
名家であるが庶子であり、マスメディアの社長とあって世俗には通じている。対して名家に産まれ名家に嫁いだ、筋金入りの箱入り娘なジョゼフィーヌ。朱夏を越えての庶民入り、嫁入りとあって、嫁仕事はからきしになってしまっていると、本気で慌てているようだった。
これはいけない。堪忍袋と給料袋は掴めずとも、せめて胃袋だけでも掴んでやって、良夫に見捨てられることのないようにしてやらねば。姉として、そしてひとりの嫁として、再度の花嫁修業を手ほどきしてしんぜよう。
今回は特別ゲストとして、こちらは白秋を迎えた今もなお働き続ける完璧主婦、シャルロット姉さまにもご登場いただき、ひとつ骨を折っていただくことにする。
男はおふくろの味に弱い。つまりは定番の味に弱い。定番料理をいくつか覚えれば、格好のひとつも付けられよう。そのうえでひとつ、得意料理として、特別にかっこいいものを覚えておけばよい。前者は私の仕事、後者はシャルロットの仕事だ。
びしばし行くぞ。着いてこい、我が妹よ。
ひとつ目は肉とチーズと芋の名産地、フォンブリューヌから。芋を使った付け合せだ。
平鍋にバター。臆することなくたっぷり入れる。使うのは玉葱と芋だけだから、拘れるところは存分に拘っていく。
バターがムース状になったら玉葱。フォンブリューヌは玉葱も名産だ。中火。軽く塩コショウ。色を付けずに甘みを出していこう。
芋は小ぶりなものを使ったほうが見栄えがいい。ひとくち大より大きい程度。これを茹でたあと、平鍋に加えていく。そして更にバター。入れ過ぎじゃない。仕上げにパセリ。これでよし。電光石火の、芋のフォンブリューヌ風だ。
ふたつ目はメイン。何にしようか。定番というからには、簡単に行こう。赤茄子の肉詰め。家庭料理としても、ビストロのメインとしても通用する、大定番だ。
赤茄子の果肉はスプーンや包丁を使って取り出す。慣れたら包丁のほうが早い。円形に刃を入れてから、中心部は十字に。それだけでいい。取り出した果肉は軽く塩をして、スプーンやフォークで潰しておく。赤茄子だけでなく、茄子やズッキーニでもいいだろう。やり方は大体同じだ。
玉葱はみじん切り。繊維に沿って刃を入れてから、それに逆らうように刃を入れ直すと簡単にできる。
香り付けは季節によって変えよう。夏はバジル、他はタイムやローズマリーだ。
挽き肉は最初から火を通すもの、最後に火を通すものと、半々で使う。
平鍋に挽き肉。火が通ったあたりで玉葱。玉葱が透き通ったら赤ワインと赤茄子の果肉。水分がなくなるまで煮詰める。あればウスターシャーソース。そして香草と黒コショウ。そうしたら、残しておいた生の挽き肉をくわえる。これで赤茄子の中で肉汁が溢れるようになるだろう。
赤茄子の器には隙間なく肉だねを詰めていく。そうしたらチーズ。天火で十五分から二十分。赤茄子の水分が抜けて香ばしい香りがしたらできあがり。お好みでオリーブ油と黒コショウで、味をはっきりさせるとよい。
「秘伝ではありますが知られた品です。我がジョルジュ家に代々伝わる、海老と木の実のタルタル。きっとエルランジェさまにもお気に召していただけるかと思いますわ」
その口上に、ジョゼフィーヌはぴしりと背筋を伸ばしていた。
南東のジョルジュ家といえば、今でも相当な影響力、発言力を持つ、海運業の最大手。誰もが知りうる超名家である。それでもブロスキ男爵家に嫁ぐにあたり、花嫁修業を三周したという、努力の人でもあるのだ。
シャルロット・コランティーヌ・ジョルジュ・ドゥ・マレンツィオ。そのひとの、渾身の一品である。ありがたくご教授を賜わろう。
大前提。必ず氷室から氷を買っておくこと。そうでないと海老のぷりぷりとした食感が出ない。これは私がレシピを再現する中で実験したことだから間違いない。おそらく、ここが秘伝の部分だろうか。
まずはパプリカを小さく細かく刻んで、ひまわり油とトンカ豆でコンフィにしてやる。唯一の彩りになるので、発色をよくするためである。油の中でふつふつと煮立ったら、粗熱が取れるまで放置。
海老は背わたを抜き、軽く湯通しをする。そして氷水へ。こうすることで海老の食感が段違いによくなるぞ。熱が取れたら殻を剥いて、細かく刻んでおく。
木の実は季節によって変える。胡桃、栗、アーモンドなど。秋の栗などはとても美味しい。今回はカシューナッツを選んでみた。海老と同じく細かく刻む。
パプリカのコンフィ、海老、木の実をボウルで和える。黒コショウ。そうしたら皿の上に型を用意して盛り付けだ。ほんとうにシンプル。だからこそ具材選びと工程に一切の気を抜いてはいけない。新鮮で、いいものを選ぼう。最後に香草だとか、レモンの皮をオリーブオイルに漬けたものだとかを上に添えれば完成だ。
これにて前菜とメインと付け合せは伝授完了。ちょっとアンバランスかな。でもステーキとかだと、焼き加減がどうだとか、ソースがどうだとかと面倒くさい。ならば見た目から味が連想されるもののほうが数倍もいいだろう。そうそう、これこれ。というやつだ。
あとはデザートをどうするかだが、そこは自分でなんとかやってみるとのこと。私の生前には、感想と一緒に美味しいお菓子を持ってきてくれた記憶があるので、腕に染み付いているのかもしれない。頑張りたまえよ、我が妹。
ジョゼフィーヌの老いらくの恋にはシャルロットも興味津々で、前のめりで質問攻めを食らわしていた。それでも逐一惚気けられる程度には親密なようで、姉としても鼻が高い話である。ペルグラン家に嫁に行くと聞いたときは、ほんとうに気が気ではなかったよね。そう呟くと、自然とほろりと泣けてきてしまったのだから、我ながら情けない。姉と妹に、笑いながら慰めていただいた。
ほんとうに大きくなった。ほんとうに強く、逞しくなったよ、お前は。我が愛しきジョゼフィーヌ・ウィエ=ローズ。男の中の男たる男の母になって、名もなき花たちの母になった。そしてお祖母ちゃんにもなることができた。
もう、妹なんて呼べないな。人生の大先輩だよ。ジョゼ。
6.
我が愛しきオーブリー・アディルが体調を崩した。夏風邪だという。いつぞやのフォンブリューヌの事件以来、体を壊しやすくなったとのことだった。
夫婦ではあるが自身の副業などの都合、今も別居である。早上がりをして、アディルの看病に行かねばならない。市場でひと通りのものを買い揃えてから屋敷に向かうと、先にアルシェ君が到着していた。向こうは本日、非番である。掃除と洗濯は済ませたとのことで、あとは作り置きを何品か用意しておこう、というところだったそうだ。
さてそれならば、かつて台所を何度も共にしたラウリィことアルシェと一緒に、お手軽な作り置きをいくつか拵えて、愛しき人の風邪なんか吹き飛ばしてしまおう。
風邪といえば、やはり鶏肉のスープだろう。手っ取り早くできるのが何よりいい。
芋、玉葱、セロリの葉、人参は大きめに。ツクリタケは石づきを取って半分に。小さいものを使うといいだろう。パプリカも厚みよく切っておく。
琺瑯の鍋で玉葱とセロリの葉を炒める。玉葱が透き通ったら芋と人参。根菜たちに火が通ったらパプリカとツクリタケと、順に入れていこう。そうしたら水を入れて、ひと煮立ち。
鶏肉は手羽元がお出汁もよく出てちょうどいい。マスタードと一緒に入れてやる。弱火で三十分から四十分。味の調整は塩とコショウ。これでよし。
次、ラタトゥイユ。夏野菜の煮込み料理だ。これはアルシェに任せよう。個人的には具材のごろごろしたものが好きなのだが、病人目線で細かく刻んでいた。心遣いがまめやかである。
まずはパプリカ、ズッキーニ、茄子。茄子とズッキーニは、中心のわたを取っていた。煮込むとぐずぐずになるからだろう。煮込む前にそれぞれを油で炒めておくと、野菜の色も、味の輪郭もはっきりして大変よい。
玉葱は、深鍋でにんにくを焦げる手前まで炒めたあとに放り込み、透き通るまで蒸し焼きにする。
その次は赤茄子。これは湯むきをして、先に塩をしておくといい。香り付けはローリエとタイム。しっかりと水分と旨味を引き出そう。鍋の底を掻いたとき、水分が感じられなくなったら頃合いだ。
炒めておいたパプリカ、ズッキーニ、茄子を入れる。白ワインビネガーで味を引き締める。五分ほど火にかけたら、塩コショウで味を整えて完成だ。
ケークサレは美味しそうなものが惣菜屋で売られていたので、それを買ってきた。本当は何でも作るのが一番だが、人の家の焜炉とあっては勝手も違うし、料理人がふたりもいれば火の取り合いにもなる。
今回のものは南瓜とチーズだ。ひとくち食べてレシピは解明できたので、覚書程度に残しておく。
小麦粉に膨らし粉。卵は三つほどかな。この味わいは、牛乳の代わりに豆乳を入れていると思われる。オリーブ油もたっぷりと。あとはコショウとマスタードも隠れているな。
チーズは好みのものを使うことでいいだろう。南瓜はよく蒸したものを賽の目切りで。型に流し入れて、天火で四十分から五十分加熱すればできあがり。
後ほどこのレシピ通りで作ってみたらばっちりだった。私の舌もなかなかどうしてやるやつである。
「家事は交代制。料理については、サラさんがおにく担当で、俺は野菜とか魚かな。サラさん、魚捌くのだけ、苦手だから」
ひとしきりを終え、雑談タイム。アルシェに夫婦円満のこつでも教えてもらおうと茶化してみたら、大真面目に返された。ごちそうさま、というべきか。
あれから何十年。斜向かいの奉公坊主だったラウリィも、今や家庭持ち。仮住まいから一軒家に移り住んで、子どもと一緒に楽しい盛りだそうだ。なんだか嬉しいというか、寂しいというか。
どうか、末永くお幸せに。それが私にとっても、何よりも幸せなことだから。
7.
色々あって、ロジェール男爵領に居を構えることになった。戸籍も手に入れて、アディルとふたり、ご隠居夫婦生活のはじまりである。
ロジェール男爵領。三十年以上ぶりか。とはいえ、何かが変わっているわけでもないのは嬉しいというかなんというか。旅行の際に泊まったホテルも、黒鱸を釣った遊覧船乗り場も残っていた。
ただ、船頭さんとシェフさんの姿は、見当たらなかった。
船頭さんは釣り一本で食っていくといって、黒鱸の本場、南方大陸に渡ったそうだ。こちらでは負けなしの腕前でも、本場では通用せず。それでも大会ひとつ優勝して、人目をはばからず男泣きしたと、二代目さんから手紙を見せてもらった。
シェフさんは退職して、そのあたりをぶらぶらしているという。どこかの湖で会えるかもよ、とも。
生きている、というだけで、ほんとうに嬉しかった。出会った中でも、今でも思い出せるふたり。生きていれば、いつかは会える。
それを願って、生きていくことができる。
とある夕方。アディルとふたり、湖畔を歩いていた。沈む夕日がほんとうに美しかった。
アディルももう、ほんとうにお爺ちゃん。身体のあちこちにがたが出はじめている。左足も、ちゃんと引きずるようになってきた。それでもこうやって、一緒にいることができる。一緒にいて、支えてあげることができる。
愛して、愛されること。それができる。それがたとえ、あと何年かだけであっても。
ふと、水面に一点、違和感を感じた。それは人の上半身のように思えた。下半身は見えない。そうしてずっと、佇んでいるのだろう。
すわ入水自殺か。そう思ったが、近づいてみると違った。釣りをしていたのだ。
長い竿。いつぞやに見たものの倍ほどに。それでいて、きっと柔らかい。それがしっかりと弧を描くように後ろに振りかぶり、そうして、ただ両手を突き出すようにした。
疑似餌は、ずっとずっと遠くに飛んでいった。水平線の向こうに行ったのかと思うぐらいに。
水中の疑似餌に対するイメージができているのだろう、そのひとはすっと竿を立ててみたり、あるいは何かをほぐすように揺すってみたりする。それをひと通りやってから、疑似餌を回収して、また、大きく振りかぶる。弧を描き、音もなく宙を舞う仕掛け。
綺麗なものを見ていた。そんな気分だった。
「あたった」
しばらくしてから、そのひとが呟いた。それでも何もせず、ただ竿を立てたままだった。
「あたったね」
竿が、曲がった。いや、曲げたのか。
完全な弧ではない。穂先は直線的に残ったまま。しかし胴はしっかりと曲がり、角の取れた直角のようになっている。見る間に道糸の揺れは少なくなり、ただ一直線になった。
水面。一度、何かが見えた。そうしてまた、何も見えなくなったと思った途端、それが割れた。
黒鱸。跳ねた。大きい。
手前まで来たそれを労うように掴んだ。そうして勝ち誇ったり、見せびらかすわけでもなく、すぐに釣り針を外して逃がしていた。まるで遊びに来た子どもを見送るようにして。
「ねえちゃん、久しぶりやなあ。えらい変わらへんな」
そのひとはこちらを見て、格別の笑みをくれた。
ああ、シェフさんだ。
ざぶざぶと岸に戻ってきたそのひとに、思わずで抱きついていた。きっとそのとき、頬は濡れていただろう。
「今はね、竿、作ってんねん。世界一、面白い竿」
隠居先の工房にお邪魔させてもらった。にこにこ顔で、彼の作品を見せてくれた。
遠くの魚を釣るために長い竿がいる。でも、ただ長いだけの竿を作ってしまうと、どうしても重たくなる。だから胴を抜く、ということをするそうだ。手渡されたものは、一本の棒として持ったとき、思ったよりも軽く感じた。
それの逆。鈎曲がり。そういう竿も用意していた。魚を掛けたときが最高に気持ちいいという。
翌日、それらの竿で釣りをさせてもらった。心得はないが、シェフさんの言っていることの意味はわかった。疑似餌を遠くに飛ばす快感。あたりを聞くための、研ぎ澄まされる感覚。そして、魚を掛けたときの、冴え渡る掛け心地。
アディルは足の都合、桟橋の上から小物釣りだ。いつぞやのセコ釣りである。大きな体を小さくかがめて、手のひらにも満たない黒鱸たちと戯れながら、おお、おおと楽しそうな声を上げていた。
新天地。懐かしい顔との思わぬ再会。ならば恩返しをしなければならない。ここはひとつ、シェフさんにとびきりの黒鱸料理でもてなしてやろう。向こうももと本職であるからして、一切の手は抜けない。
黒鱸。やはり鱸というより、曹以や羽太などの根魚に近いイメージがある。これ単体では、ほんとうに淡白な白身魚でしかない。調理法とソースが何より大事だ。究極にシンプルで、何より奥深い、料理人の腕前が一番に問われるものになる。
ならば魚はポワレ、ソースはブールブランでいこう。超が着くほどの大定番だ。
エシャロットひとつをみじん切り。とにかく細かく。白ワインビネガーと白ワイン。これをしっかりと煮詰める。ここでアレンジ。白コショウを砕いて入れる。
水分が完全になくなったら、冷えて固くなったバターを入れよう。弱火よりの中火。少しずつ加える。撹拌しながら。そうやって乳白色になるように乳化させていく。濃度の調整は白ワインで。必要であれば塩少々をして裏漉しだ。
黒鱸は三枚に卸して塩を振っておく。しっかりと熱したフライパンにオリーブ油。皮目から焼く。反り返りを防ぐため、最初は身を押さえてあげよう。お好みで香り付けにバターを。両面にしっかりと油分を纏わせ、ふんわりと仕上げたい。仕上げに塩コショウ。魚の処理とアロゼの腕前がものをいう調理法だ。
盛り付け。ソースを敷く。皿を下から叩いて、美しい真円に。そしてその上にポワレした黒鱸を。
白と白。皿も白。緑を散らしたくなるが、ぐっと我慢。これで勝負だ。
ひとくち。それで最高の笑みをもらえた。アディルもご満悦の様子だ。
ああ、このために生きている。人々の笑顔を、感謝を、そして愛を頂戴するこの瞬間。たまらない。至高の美味。病みつきになる。やめられない。
このために生きよう。そして、生きてもらおう。たとえそれが永遠でなくても。その瞬間、その刹那のために。
シェラドゥルーガは、生きている。愛する人々のために。そして、愛してくれる人々のために、ね。
(きっと、つづく)
Reference & Keyword
・檀流クッキング
・小倉知巳のイタリアンプロ養成講座
・オテル・ドゥ・ミクニ
・酒井淳の料理レシピ
・George ジョージ
・青木大介
・村上晴彦
改版履歴
・24.12.15:初版。