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我ら、男爵家臣団

宣誓。

我ら、男爵家臣団。ここに誓う。


燃え盛る火を恐れぬことを。

自らの生命を投げ出すことを厭わぬことを。

潰えゆく生命を救うことを諦めぬことを。


宣誓。

神たる父と、御使みつかいたるミュザ。

そして我らが主君たる、栄光あるフェデリーゴ・ジャンフランコに誓い。

我ら、天下御免のブロスキ男爵家臣団なり。


国家憲兵消防隊本部、部訓より

1.


 一軒家。赤と黒が、燃え盛っていた。

 衛生救護班。そしてご存知、“錠前屋じょうまえや”、緊急出動。野次馬の壁をゴフとオーベリソンが切りひらき、女たちは現場に走っていく。

 それでも、この炎。それでもこの中に、誰かがいるかもしれない。勇気と恐怖が、せめぎ合っている。

 行かなければ。それでも、どうやって。

「水を汲んできて」

「アンリさま、無茶です」

「無茶を通さなきゃ、何もはじまらないじゃない」

 前に出ようとする身体の前に、大きなものが立ちはだかった。オーベリソン。

「カスパルお父さん。通して、お願い」

「みすみす仲間を死なせるようなことはできない。アンリ、いや、チオリエ特任とくにん伍長。理解しなさい」

「それでも、私は」

「大丈夫だ」

 深い声。後ろから聞こえた。ダンクルベールだった。

「ペルグラン、この家屋の家族と思われる方をこちらへ。そのうえで、足りない人間を確認しよう」

「はっ」

「本部長官さま。私は、行かなきゃ」

「アンリエット」

 のそりと、大きな体は目線を合わせてくれた。

「そのための人々が今、来てくれた」

 その顔と瞳は、微笑んですらいた。

 ダンクルベールの後ろ。人がいた。一個小隊程度か。羽織っているのは油合羽あぶらがっぱではなかった。厚手で、生成りの色をした、そういったジャケットだった。

 その中からひとり、悠然と歩み出てきた。

「遅参の儀、まずはお許しあれ。サントアンリ殿」

 物々しくも雄々しい言葉。それに見合った、中世の武人のような顔つき。ジャケットに縫い付けられた階級章は、中佐のものだった。

「我ら、男爵家臣団。ただいま参上」

 その名乗りに、おう、と声が続いた。

 男たち、広がる。奥から一台、二台と、見慣れない形の馬車が前に出てきた。

 これはもしや、国家憲兵消防隊。

「消防車消火隊、消火ポンプ用意。救命隊、突入用意」

「私も行きます」

「おっと、お嬢さん。その格好じゃあ危ないよ」

 男のひとりが、彼らが着ているものと同じジャケットをひとつ、投げて寄越してきた。その目には、信頼と自信の光が灯っていた。

「うちの娘とおんなじだ。止めたって聞きやしないんだろ?だったら一緒に行こうぜ、聖女さま」

「ご厚意を、感謝いたします」

 きっと、顔は綻んでいた。

 羽織る。油合羽あぶらがっぱよりずっと分厚く、固い。手袋も同じように。ボタン代わりの金具は、そんな分厚い手袋をしたあとでも留めるのが容易な作りになっていた。

 襟を立て、頭巾フードを被る。口元まですっぽり覆うかたちになった。

「本官、プラスローと申します」

 武人のような顔つきの人は、微笑みながら敬礼した。

「本官と貴官で、二階を。他の隊員で、一階を確認します。よろしいか」

「かしこまりました。お願いします」

「よろしい。それでは突入用意。五、四、三」

 鼓動が高鳴る。炎に向かう。その勇気と覚悟。不安も、このジャケットに、託す。

 突入。言葉と同時に、足が動いた。

 熱波。身体が拒むほど。それでもジャケットのおかげか、それほどではない。何ほどのものでも。行かなければ。

 プラスロー。何事もないように進んでいく。その大きな背中を頼りに、アンリは駆け抜けていった。

「階段が崩れかけている。お気をつけて」

 プラスローは冷静だった。この烈火の中、家屋の隅々にまで目を配っていた。時に手を取り、時に声をかけ、アンリを導いてくれる。

 すべてを、この人に委ねていた。この建物の何処かにいるかもしれない、誰かにたどり着くまでの道のりを。

 二階寝室。ふたり、倒れていた。子どもと奥さま。炎には巻かれていない。火傷も軽微。

 でも。

「呼吸がない。意識も」

「煙を吸いすぎたのでしょうな。まずは安全な場所に」

 プラスローが言うより、身体は先に動いていた。奥さまを背負い、子どもを抱きかかえる。

「流石は音に聞こえた、向こう傷の聖女」

 どうやら、笑ったようだった。

 火は着実に弱まっている。消火ポンプから吹き出す水が、赤いものを少しずつ押し留めていっている。

 入口。見えた。外。

「アンリさま」

 ドゥストだった。待っていた。

「意識、呼吸がない。脈も微弱。警察隊衛生救護班の方、心肺蘇生法の心得は?」

「私とエリュアールさん。いけます」

「よろしい。お子さんの方は加減が大切。胸骨圧迫からはじめる。それでは用意」

 はじめ。プラスローの声で、身体は動いた。

 横たえた子どもの身体。圧迫部位は、胸の真ん中。片手の手のひらを当て、その上にもう一方の手のひらを重ねる。胸全体が沈むように。一分間に百回の間隔で、三十回。

「奥さま、呼吸回復」

「よし、身体を横向きにして回復体位。お子さんは?」

「まだです。人工呼吸、行きます」

「心得た。用意」

 はじめ。

 まずは気道の確保。片方の手のひらを額に。人差し指と中指を下顎の先に当てて持ち上げ、頭を後ろにそらす。そうして鼻をつまんで、口全体を覆うように。

 人工呼吸、二回。胸骨圧迫を三十回。これを繰り返していく。

 絶対に助けてみせる。あなたをお星さまになんか、させやしない。

 そのうちに、子どもが咳き込んだ。呼吸が続く。すぐにその身体を横向きにする。上の足の膝と肘を軽く曲げて手前に出し、上になった手を顎にあてがう。

 回復体位。よし。

「アガット、ロドリグ」

 男ひとり、駆け寄ってきた。

「旦那さまですな。他にご家族は?」

「これで全員です。ああ、その傷は、きっとサントアンリさま。助けていただいた。本当に、本当に」

「いいえ。私だけじゃありません」

 頭巾フードを脱ぎながら。

「消防隊の皆さまがいてこそ、助けることができました」

 プラスローを見る。余裕綽々、という表情だった。

「我ら、ブロスキ男爵家臣団。火急とあらば即参上。いつでもご用命ください」

 敬礼と、とびきりのスマイルだった。

 家族のことはドゥストたちに託した。野次馬たちは“錠前屋じょうまえや”が抑え込んでくれている。家屋の火はほとんど落ち着いて、ダンクルベールやビアトリクスたちが乗り込めるほどになっていた。

 生命を、助けることができた。この手で、この身体で。

 プラスローの方に向き直った。できうる限り、深々と礼をした。

「プラスロー中佐さま。本当に、ありがとうございました。消防隊の皆さまのおかげで、ふたりも救うことができました」

「こちらも、かのサントアンリ殿のお手伝いができたとあって、これほど光栄なことはございませんよ」

 そうやって笑った。本当に、頼もしいひと。勇者だった。

「それにしても、どうしてブロスキ男爵さまのお名前を?」

「おや、ご存知ではなかったのですね」

 アンリの問いに、プラスローはちょっとだけ残念そうに、それでも笑って敬礼を掲げた。

「我らが主君はブロスキ男爵マレンツィオ閣下。かつての、消防隊本部長官でございますから」

 その答えに、アンリはきっと、きょとんとしていた。

「随分昔の話だよ。警察隊ジョアンヴィル支部次長、警察隊本部捜査一課課長を経て、消防隊本部長官。そうして貴族院議員へ推薦されて、今に至る」

「そうですな。そうして今や、あの貴族院議会の次期議長になるやも、という声も出ておりますので、我ら家臣団としても鼻が高い限りです」

 寄ってきたダンクルベールとふたり、プラスローは楽しそうにしていた。

 脱いだジャケット。灰と煤だらけ。他の消防隊隊員も、おんなじように。

 それでも皆、誇らしく、なにより輝いていた。

「そいつは記念だから、あげるよ」

 それを渡してくれた隊員に返そうとしたら、そう言われた。消火ポンプを片付けながら、そのひとは笑っていた。

「俺の娘も、アンリエットでね」

「そうなんですか」

「エティって呼んでる。アンリさまと同じじゃあ、気が引けるしね」

「エティのほうが、女の子らしくって素敵です。アンリだと、男の名前ですもの」

「語感でそうしたのかな?サントアンリエットだと長ったらしいから、サントアンリ」

「きっと、そうかも。それと私、小さい頃はおかっぱ頭で、男の子みたいだったから」

「今だって、男より男らしいさ。見惚れるぐらい、かっこよかったもの」

 ジョクスと名乗った人は、からりと笑っていた。

「いやあ。消防隊ってのも、いいやつらじゃないか」

 本部庁舎に戻って片付けをしていた。“錠前屋じょうまえや”たちは、そんなことばかりを言っていた。

「本当に、絵になる人たちだったね」

「あのジャケット、用意できないかな。あれがあれば、俺ら素人でも、程度なら飛び込める」

「やめときなさい。どうせ固いだの重いだの、ぶうたれるだけよ」

「まるで着たことあるみたいな言い方じゃないっすか、マギー監督」

「着たことあるわよ。少尉時代に」

「へええ。人に歴史あり、だなあ」

「衛生救護班としても課題ができました。心肺蘇生法ができる人員が足りません。救護、看護、そして“錠前屋じょうまえや”を含む警察隊全員ができるぐらいにしないと」

「全員が、マウス・トゥ・マウスを?」

 ルキエが赤い顔で、ぎょっとした声を上げた。それがなんだかおかしくって、皆で笑った。

「それにしても、悪いやつもいるものね」

 ひとしきり話題が落ち着いたあたりで、ビアトリクスがごちていた。その言葉に、皆の表情が変わった。

「監督。それって、つまり」

「ええ、放火よ」

 それで、目の色も変わった。

 デッサンが何枚かの素描を用意してきた。過去の現場検証報告書も。それを皆、食い入るように見つめていた。

「同じ火元が過去四件。いずれも白昼。同一犯と見ていいでしょうね」

「盗みがない。女、子どもがいるときを狙っている。愉快犯ですかな?」

「通報者が、消防より先に警察に来てるのもおかしい。順番が逆だよな。協力者がいるか、もしくは複数人」

 誰も彼もが忌憚なく意見を述べていく。意見が発想を呼び、議論が白熱していく。

 アンリはただそれを、遠巻きに見ているしかできなかった。

 沸き起こる思い。湿気ったもの。それが、自分自身に向いていく。

 ゆるせない。

「おい、俺たちのアンリ」

 そこに声をかけてきたのはゴフだった。その声に、はっとした。

「怒りの矛先を間違えんなよ?」

 笑顔での言葉に、胸が軽くなった気がした。

 怒りを自分に向けるがある。それを処理しきれなくなって、泣いてしまったり、他の人にぶつけてしまう。ゴフはそれを、わかってくれていた。

 それが本当に、ありがたかった。

「プラスロー中佐殿も変わらんな。忠烈な熱血漢だ」

 ダンクルベールは面白そうに笑っていた。その日の夜、星を眺めていたのを、ダンクルベールとペルグランが声を掛けてくれた。

「あのような方が熱を上げるとなれば、ブロスキ男爵閣下とは、さぞご立派な方なのでしょうね」

「ああ、まあ、課長はな」

「課長?」

「おっと。いや、だな」

 ダンクルベールが恥ずかしそうにした。ペルグランとふたり、怪訝な表情で顔を合わせた。

「俺が一課主任の頃、閣下は一課課長だったからな」

「長官にも、マギー監督みたいながあったんですね。面白いや」

「そういえば仰っていましたね。失礼ではありますが、実直な道のりというか」

「そうだな。あれで男一本、腕一本の人だもの。それこそニコラ・ペルグラン好きが過ぎて軍人を目指して、でも船酔いが酷かったから警察隊になったんだとよ」

「へえ。なんだか、こそばゆいです。両親からは、嫌味で偏屈な癇癪持ちだとも伺っておりましたが、以前にお会いしたときは、とてもそうとは思えませんでした」

「難しい人であることは確かだな。気に入らないことがあると、すぐにを曲げるのだから」

 ダンクルベールはずっと、楽しそうだった。

 天下御免のブロスキ男爵、フェデリーゴ・マレンツィオ。普段からもよく話題に上がる有名人である。今では数少なくなったヴァルハリア貴族。その大仰な肩書の割に、どこにでも飄々と顔を出し、人とよく交わる。アンリも町中で、それらしい人を何度か見ていた。横にも縦にも大きな人。奥さまとふたり、雑誌で話題になったビストロの行列に、行儀よく並んでいたりなんかして。

 ダンクルベールは、色んな話をしてくれた。狙撃の名手として知られていたこと。奥さまが本当に心優しい人であるということ。娘ふたりが世話になったこと。セルヴァンとは折り合いが悪かったが、ふたりとも大人になって、大人の付き合いをするようになったこと。

「あの人が消防隊の本部長官になってから、志願者が増えたんだよな。ぜひとも男爵さまの家臣になりたいって」

「すごい方なのですね。会ってみたいなあ」

「そのうち会えるさ。そのあたりを歩いているからな」

 星を眺めながら、ダンクルベールは笑っていた。

 ダック地のジャケット。部屋に飾ってみた。油合羽あぶらがっぱよりごわついて、着ぶくれして、女の子らしくない装束。

 でもこれが、男爵家臣団の証。火を恐れず、火と戦う、決意と勇気の結晶。

「行ってまいります、男爵さま」

 会ったことなんてないけれど、気持ちは通じるだろうから。

 そうひと声かけてから、アンリは庁舎に赴いた。


2.


 連続放火。ビアトリクスは、違和感をまとめ上げていっているところだった。

 いずれも火元は同じ。家長が離れているのを見計らって犯行に及んでいる。そして通報は消防ではなく、必ず警察に対して行われていた。

 組織とは、役割により分割される。消火活動は消防隊の役割であり、警察隊の役割は犯罪捜査である。警察隊本部は行政警察の一面も持ち合わせているため、“錠前屋じょうまえや”のように即応可能な機動力や、衛生救護班のような人命救助を目的とした機能をも有しているため、ある程度の対応こそ可能だが、消火は本領ではない。

 警察から消防に対して出動要請を行うという、必ず発生する時間のロス。これが被害を大きくしている一因になっている。現在のところ、それぞれの奮戦のお陰で人命の損失こそないものの、いずれそれが発生しうるかもしれない。

 三件目から、通報者を“あし”で監視していた。全員、通報後に同じ人物と接触していた。

「遊びだろうね」

 寂れた探偵事務所。現場検証報告書や“あし”からの報告、そして自身の情報を見ながら、カトーが結論を出した。

「文字通りの火遊び。そしてそれを、親が揉み消している。看過できない」

「しかし大物だ。不用心に取っ捕まえれば、組織が危ない」

「勿論。根回しをしたうえで、現行犯逮捕よ。そして親も引きずり出す」

 ビアトリクスの言葉に、カトーは不安げなため息ひとつ、もらした。

「ニヴェール侯、ねえ。馬鹿な子を持ったものだよ」

 その言葉に、ビアトリクスは喉を鳴らしていた。

 外務尚書しょうしょ(大臣)、ニヴェール侯爵ラルカンジュ。大物中の大物である。

 何と言っても外交官として有能である。ヴァルハリア、ユィズランドからエルトゥールルまで、幅広く信頼関係を築き上げている。彼の存在あってこそ、我が国の独立は保たれていると言っても過言ではない。実績だけでなく人望もあり、自身を長とする巨大な派閥を形成していた。

 その子どもが放火魔であり、それを匿っていることが明らかになれば、市井も宮廷も大混乱に陥る。内閣不信任、解散だけでは済まされない。他国からの干渉もありうるだろう。

 放火は重罪である。まして連続した犯行であれば死刑は免れない。そしてそれを隠匿したラルカンジュ自身も勿論、罪に問われる。

 親子ともども捕まえることはできる。問題は、その後。崩壊した内閣。頭首を失った巨大派閥。そして怒れる民衆。

 そこにあるのは、滅び。

「王陛下の耳には入れた。大激怒だ。しかしその後のことについてはどうにもならんとのことだ」

 司法警察局庁舎。緊急会議。座についていた内務尚書しょうしょラフォルジュは、四角い顔を苦悶に歪めた。ダンクルベールもセルヴァンも、苦い顔を隠しもしていなかった。

「何かしらのスキャンダル、あるいは健康問題をもって、尚書しょうしょの座を退かせることはできないものでしょうか?」

「難しいだろうな、ニヴェール侯閣下ご自身は清廉潔白で知られた大人物だ。子ども可愛さで過ちを犯したとはいえ、それ以外に何かしらの脛の傷を抱えているわけではないし」

「先に閣下へ通達。ご子息殿がたを含めた自首と、尚書しょうしょ職の辞任を促す」

「後任をどうすべきかだ。閣下ほどの辣腕を持つ外交官など、数えるほどもおるまい。まして尚書しょうしょに適した人材ともなれば、尚更」

「しかしですな、人が死ぬやもしれないことをしているのですぞ?」

「王侯貴族の代表格のような人物が民衆を脅かしている。この事実が明らかになれば、民衆の蜂起すら発生しうる」

「八方、手ふさがりですな。どうもならん」

 ウトマンが天を仰いでいた。

 訪いひとつ、あった。全員が頭を抱えていたときだった。

 現れたのは、老人ひとり。その顔を見て、全員が起立した。

「そのまま、そのまま」

「宰相閣下、これは如何いかがなされましたか?」

「王陛下、両議会議長と協議し、決定した事項を伝えに来た」

 宰相、カゾーラン。決定事項という言葉に、全員の喉が鳴った。

「ニヴェール侯に辞任、および後任の選出。その子息を含む犯行グループの出頭。これを王勅を持って命ずる」

「お待ち下さい、それでは」

「また任命責任として、私の辞任。必要であれば内閣解散の上、両議院議長の辞任も行う」

 皺の中に潜んだ目が、ぎらりと光った。

「そこまで、やりますか」

「やろう。ただし、少し時間は掛かる。その間に、連中が再度犯行に及ぶことがあるやもしれん。その場合は、遠慮なく逮捕に踏み切っていい」

「よろしいのですね?宰相閣下」

「よろしいと、私が申した。そして王陛下も」

 カゾーランが席についたのを見計らって、全員が腰を下ろした。ペルグランが全員分の珈琲コーヒーを淹れ直したものを配っていった。

「実際の捜査担当は、誰になるかね?ダンクルベール長官」

「捜査二課課長、ビアトリクス大尉であります。放火は元来、捜査一課で行うべき重要案件ではありますが、当人の実績と実力十分という、本官とセルヴァン局長閣下の判断により、捜査二課での捜査を命じております」

 促され、ビアトリクスは起立の後、敬礼をした。カゾーランはそれを満足そうに受け取った。

「マギー監督だね?」

「はい、宰相閣下」

「遠慮はいらない。びしばし頼むよ」

「神明に誓って」

 それで、皺だらけの顔が微笑んだ。

「遠慮なしでいいというのであれば」

 本部庁舎に戻ってから、本部長官執務室に赴いた。ダンクルベールやウトマンを含めて、戦略を練りたかった。

「犯人を現場に引きずり出します」

「“あし”を使うか?」

「いえ、カトーさんだけでやれます」

 紙一枚、ダンクルベールに渡した。ほう、という顔だった。

「模倣犯の情報か」

「神経を逆撫でます。愉快犯なら、これでいけるかと」

「もう一歩、行きましょう。父親の進退についても流す。カゾーラン閣下ご病気により、次期宰相の座をニヴェール侯に譲り渡すと」

 ウトマンが割って入ってきた。目を見る。否定はしていない。頷いて返した。

「発想、着眼点よし。馬鹿息子どもめ、これでつけあがるはずだ」

 ダンクルベール。ふう、とため息ひとつ、入れたようだった。

「まこと、人を育てるということは難しいな」

「私も人の親になりました。気持ちだけは、わかる気がします」

「理解もできるし納得もできるが、それに賛同することだけはあってはならない。悪いことは悪いと叱って諭さねば、過ちは正せない。ただ、可愛い我が子だ。末子となれば尚更かもしれん」

「自分の立場というものも、勿論あるかと」

「だとしても、なのだよ」

「そうですね」

 ふたり、紙巻を咥えた。紫煙が香る。

 ひとりの母親として考えていた。フェリクス。可愛い息子。もし人を傷つけるようなことをするならば、自分はどうするか。毅然とした態度で咎めることが、果たしてできるだろうか。そして今まで、できていただろうか。

 私は今、い母親なのだろうか。

「考え事?」

 夕食の後、ぼんやりとしていたのだろう、夫であるドミニクがそう言ってきた。それで、はっとした。

「ううん、大丈夫」

「そうは見えないな。何か、思い詰めているみたいだよ」

 優しい瞳。それで、観念した。

「あなたは孤児院の職員として、そして子どもの親として、適切な人間だと思っている?私は今、自分について、そういうことを考えていた」

「難しいね。でも、それを確かめるために、子どもたちの親をやっているのだと思っているよ」

「そういうものかしら」

 温めたミルク。それで、心のざわつきを落ち着かせようとしてくれているのだろう。

「園長先生には常々言われている。悩んでもいいけど、迷ってはいけないって。その時々で、ちゃんと答えを出しながら進んでいきなさいって。そうしないと人生は、後悔にまみれてしまうから」

 そうやって、ドミニクは気恥ずかしげに笑った。

 ドミニクが勤める孤児院の園長先生。悪入道あくにゅうどうこと、ジスカールの親分。

 ドミニク自身、孤児だったという。育った孤児院を経営していたのがジスカールだった。彼が大悪党だということを知ったときには、腰を抜かすほどに驚いたという。確かに強面だけど、悪い人だと思ったことなんて一度もなかったと。

 それでも園長先生のようになりたくって、育った孤児院の運営に携わることにしたそうだ。

「シルヴィも、先生になるんだっけ?」

「保育園のね。僕に憧れてくれたんだって」

「なら、あなたはきっと、いい親なのだと思う」

「ありがとう。それを見てくれて、認めてくれるマギーもきっと、いい親だと思うよ」

 言われた言葉に、きっと、はにかんでいた。

 スーリから、標的が動いたと連絡が入った。犯行グループの監視を命じていた。

「警察隊本部、および消防隊本部の合同作戦」

 大勢の前で、ビアトリクスは声を上げた。

「法の都合、確保はの後になる。消防隊は即座の消火作戦。警察隊は犯行グループの確保。ここまで、よろしいか」

 返答。咆哮のようだった。

「作戦総指揮は警察隊本部長官ダンクルベール中佐。警察隊作戦指揮、警察隊捜査二課課長ビアトリクス大尉。消防隊作戦指揮、消防隊本部次長プラスロー中佐。また今回、両部隊の後方支援部隊の指揮として、司法警察局局長セルヴァン少将閣下が参加する。ここまで、よろしいか」

 大音声の返答。

 一度、プラスローに場を渡した。しっかりとした面立ちの、中世の武人のような佇まいだった。

「消防本部小隊一同、気をつけぃ」

 ざっと、音が重なる。消防隊全員が、警察隊の方に向き直った。

「宣誓。我ら、ブロスキ男爵家臣団。これまで被害にあわれた方々の生命は必ず救出して参った。この度の作戦においても、警察隊の貴官らを含めた全員の身辺の安全を必ず確保すること、ここにお誓いいたす」

 おう、と声が重なった。ほんとうに、壮観だった。

「それではルフォール本部長官殿の立つ瀬がないではござらぬか」

 ダンクルベール。思わず、といった感じで苦笑していた。

「ご心配なく。ルフォール長官は、我ら男爵家臣団の初代総長でございますがゆえ」

 プラスローの答えに、一同が笑っていた。

「さて、と」

 手を二回、鳴らす。それで全員、ビアトリクスの方に向き直った。

 全員が全員、猛者の顔つきだ。

「作戦、開始。皆、びしばし行くわよ」

 発した声は、誰よりも大きかった。


3.


 路地裏。影四つ、見えた。

「あれだな」

 プラスローは小さく呻くようにした。隣りにいたペルグランという士官が頷いた。

「しかし、ギュスターヴだったか?かのニヴェール侯のご子息とはいえ、やることが人とは思えん」

「そして、人の親とも」

「まったくだ」

 ペルグランの言葉に、口の中は苦くなっていた。

 犯行グループであるギュスターヴたちは、家長に火を点けさせていた。大金を渡して、そういうことをやらせていた。

 それもすべて、道楽だというのだから。

 やらせる側もやらせる側だが、やる側もやる側である。全員、ろくでもない親だった。高利貸しから金を借りていただの、愛人と遊ぶ金が欲しかっただの。ギュスターヴは、それぞれのそういうところにつけ込んで、金で目を眩ませていたのだ。

 合同作戦会議の際、ビアトリクスからそれを聞いて、本心から腹が立った。

 消防隊は、猛火から人を救うのが仕事だ。それがたとえ、どんな人間であれ。それでも時に、ろくでもない人間がでてくる時がある。助けたのに文句を言うやつ。寝ながら紙巻を吸うようなやつ。

 それでも、生命は助けなければならない。それもすべて、納得しなければならない。

 それこそが我ら、男爵家臣団なのだから。

 はじまりは、ルフォールの冗談からだった。酒の席での、ちょっとした馬鹿な思いつき。

 それでも皆、乗り気だった。それだけ、ブロスキ男爵マレンツィオという人間は、魅力的だった。

 容貌魁偉。それでいて、人となりそのものがどっしりとしていて、小狡いところがない。口さがない言い方だが、悪党の大親分のようだった。気っ風がよくて、気前もいい。得意の嫌味も、ちゃんと愛嬌があるのがわかる。

 ご内儀さまのシャルロットさまにも、隊員一同、ほんとうに世話になった。今でもそうだ。いろいろと気を回してくださって。

 だから今まで皆、やってこれた。どんなにくそったれなことがあっても、どんなにやりきれないことがあっても、我ら、男爵家臣団。そのひとことで、すべてを笑い、乗り切ってきた。

 今回だって、はらわたは煮えくり返っている。正直に、見捨ててしまいたい。それでもやる。それが我ら、男爵家臣団。くわえて今回は、ダンクルベールのお殿さまも、セルヴァン少将閣下もいらっしゃる。

 消防のいいところを見せつけてやる。あのガンズビュールの英雄たちに、お見逸れしましたと言わせてやるんだ。

 不意に、影が動いた。家屋から光が漏れる。

 火が、点いた。

「消防車、正面に動かせ。救命隊、突入用意」

「次長。目標が、こっちに来ます」

「お任せ下さい」

 すっと、ペルグランが身を前に出した。腰に下げた馬上刀サーベルを、引き抜く。

 影が、影でなくなる。男、四人。特別に身なりがいいものが、ひとり。

「止まられよ」

「なんだ、てめえ。この俺を誰だと思ってやがる。俺の親父は」

「本官をアズナヴール伯が嫡子、ジャン=ジャック・ニコラ・ドゥ・ペルグランと知っての物言いかっ」

 大喝。童顔の青年のそれに、誰もが硬直した。それはプラスローもそうであった。

 アズナヴール伯ニコラ・ペルグラン。独立戦争の大英雄。体ひとつで爵位をもぎ取り、ときの王妹おうまい殿下のご親族にまで昇り詰めた、立身出世の代名詞。

 今、この青年は、そのお血筋であることを名乗ったのだ。

 ギュスターヴ。顔に脂をたぎらせている。何かを言おうとして口を開けるも、何も言い出せないでいる。確かに爵位に差はあれど、かのニコラ・ペルグランのお血筋が相手とあっては、侯爵家の末っ子風情では権威に差がありすぎるのだろう。

 対してペルグラン。顔だけをこちらに向け、ちょっと気恥ずかしそうな感じで舌を出した。それで、プラスローたちの身体もほぐれた。

「神妙にすれば、それでよし」

 路地の闇。吹き上がる赤を背に、大男の姿が。

「そうでないなら」

 全員が、そちらに向き直る。そして誰もがそれを見て、あるいは頭を抱え、あるいはへたり込んでしまった。

 杖の音、ひとつ。

「ここでかばねを晒すことになるぞ」

 またも大喝。

 これが警察隊。これが魔除けの案山子、ダンクルベールのお殿さま。

 プラスローは笑ってしまっていた。役者が違いすぎる。これにゃあ誰も敵わない。

 それでも、こっからは、俺たちの出番。

「救命隊、突入」

 ふたりに負けじと、腹の底から吠えてみせた。

 家屋正面に走った。女ふたり、立っていた。ひとりはアンリだった。

「中に、お子さんがいるそうです」

「私、気が動転して。置いてきてしまって」

「お母さん」

 そのひとの肩に、手を置いた。恐怖に歪む瞳をしっかりと見て、それが収まるまで、十分に時間を使った。

「我ら、天下御免のブロスキ男爵家臣団。必ずや、お子さまを救い出してみせます。必ず」

 それだけ、しっかりと言い伝えた。

 視界の端に、縄を打たれた男ひとり。きっとこの家の家長だろう。そんなつもりはなかっただの、どうしてこんなことにだの、見苦しいことばかり喚いていた。

 それから目を逸らすようにして、家の中に入っていった。

「子どもだ。子どもを探せ」

「二階にはいません」

「一階、見ましたが、どこにも」

「こわがって、狭いところに身を隠しているかもしれない。もう一度よく見るんだ」

「火の勢い、強まります。消火が間に合いません」

「合わせるんだ。延焼させるな」

 誰も彼もが、火の中で叫んでいた。プラスローは走りながら、そこかしらに目を走らせていた。

 台所。いない。便所。いない。物置は、どうだ。いない。

 二階。寝室のクローゼット。思いっきりに開けた。

「だれ?」

 不安そうな顔の少年。十歳とか、それぐらいか。座り込んでいた。

「君を、助けに来たのさ」

 とびっきりの笑顔で、そう言ってやった。

「歩けるかな?」

「はい、大丈夫です。もう、こわくない」

「よし、じゃあ、おじさんと一緒に行こう。外でお母さんが待っている」

 手を伸ばした。それを、少年は握り返してくれた。

 部屋を出ようとしたときだった。大きな音を感じた。火の爆ぜる音だけではない。

 何かが、崩れる音。何度も、聞いた音。見上げていた。

 梁が、落ちてくる。

「坊やっ」

 身体は、動いてくれていた。

 痛み。重さ。そして、熱さ。

 見上げていた。少年は、少し離れたところにいた。そうしてこちらに駆け寄ってきた。

「坊や、大丈夫か?」

「はい。それより、おじさんが」

 梁と、屋根の一部の下敷きになっているようだった。

「おじさんも、大丈夫だ。後から行く。先に行っててくれるかな?」

 泣き出しそうな顔で、少年は頷いてくれた。そうして踵を返して、走り出した。

 よかった。助けてあげることができた。それだけで、プラスローは心が満ち足りていた。火の熱の中、どうしてか、温かさだけが広がっていた。

 犯人は捕まった。人命は救助できた。火もきっと、もうじき消える。

 俺の役目は、ここまで。消防隊員として、そして男爵家臣として、これ以上はない結末を用意してくれた。

 でも、ドリアーヌ。そしてエマとフラヴィ。遺してしまう。それだけ、申し訳なかった。金については心配しなくていいだろう。貯金は十分に用意していたし、俺は軍人だから、遺族年金も入る。殉職した消防士の妻と娘となれば、格好はいくらかつけれるだろう。再婚だって、そんなに大変なことじゃないだろうし。

 ごめんな。それだけ、言えればよかったかな。

「プラスロー中佐さまっ」

 かすれた、それでも雪解け水のような声。

 曖昧な視界の中で、みっつ、見えた。

「なに格好付けてるんすか、中佐殿。さっさと帰りますよ」

 黒い肌の士官。確か、ゴフとか言ったか。すごい剣幕で怒鳴ってきた。オーベリソンとかいう巨躯の隊員と一緒に、プラスローの身体にのしかかっている梁などをどかしにかかった。強引に、しかしてきぱきと。オーベリソンなどは、手にした長柄の斧をにするなどして、すいすいと瓦礫を片付けていく。

 そのうち、身体に感じる重さが少なくなった。それでも身体は動かなかった。どうやらどこかを捻ったか、あるいは折ってしまったか。

 手が、伸びてきた。傷だらけの、ぼろぼろの手。

 サントアンリ。

「アンリ、行けるか?」

「行きます」

 その一声。それで、視界が動いた。

 おぶさっていた。聖女の背中。猛火の中、あのジャケットはない。簡素な修道着だけ。

 それでも、安心できた。

 体の感じる熱が減った。おそらく外。そうして、地面に寝かされた。服を剥ぎ取られていく。

「火傷が複数箇所。打撲と、左鎖骨の骨折。お父さん、当て木になるようなものを」

「おうさ、任せろ」

 声だけが、聞こえる。どうしてか、瞼が重い。

 また、手が伸びてきた。頬に添えられている。

 眼前。可憐な顔と、向こう傷。決意の表情。

「大丈夫。私は御使みつかいさまの名代。あなたをお星さまになんかさせやしない」

 向こう傷の聖女、サントアンリ。

 ありがとう。それだけきっと、言えた気がした。

「あなた」

 聞こえた。確かに。

「あなた、あなた」

 光が、差し込んでくる。音が、ちゃんとしたかたちで聞こえてくる。

 見えたのは、ドリアーヌたちの顔だった。

 エマ、フラヴィ。胸に飛び込んできた。鎖骨に感じた痛みに、ちょっと叫んだ。

 くすくすとした笑い声。アンリが隣りにいた。

 見渡す。どうやら軍病院のようだった。ペルグラン、ダンクルベールに、ビアトリクス。“錠前屋じょうまえや”とかいう面々に、消防隊の皆も居並んで、ぎゅうぎゅう詰めになっていた。

「安心したのでしょうね。気を失ったようでした」

「そいつはどうも。警察さんの前で、恥ずかしいものをお見せしちまいました」

「何をおっしゃいますか」

 ペルグラン。童顔の好青年が、びしっと敬礼を決めてみせた。

消防士ファイヤーマンの、そしてブロスキ男爵家臣団の献身ぶり。拝見させていただきました。ほんとうに、敬服いたしました」

 笑顔だった。かのニコラ・ペルグランのお血筋にそう言っていただけるというのなら、こちらも笑顔で敬礼をするしかなかった。

「いやあ、かっこよかったなあ。比べれば、鞄持ちの威張りようったらよう。ニコラ・ペルグランのご印籠ぶっつけて、いい気になりやがってなあ」

「ちょっと、やめてくださいよ。ゴフ隊長ったら」

「そうだぞ、やめなさい。みっともない」

 毅然とした、それでもどこか親しげのある声で、ダンクルベールが割って入った。

「俺だって、昔は鞄持ちだったんだ」

 その言葉に、警察隊の皆が笑い出した。

飲兵衛のんべの殿さま、ですね」

「はい。そのおかげで、今があります。ゆくゆくはペルグランたちも、そうやって大きくなるでしょう」

「そうですな。俺もかつてはブロスキ男爵の副官。鞄持ちだったもの」

 それで笑ったのは、消防隊の面々だった。

 笑い声の中、ひとりだけ、神妙な面持ちだった。ビアトリクスである。

「ばか」

 ぽろりと。大粒の涙とともに。

「えっと、ちょっと、ビアトリクス大尉?」

「心配したんですよ。中佐殿、いつまで経っても外に出てきてくれなくって。アンリたちが飛び込んでいって、大怪我したって」

「ビアトリクスさん、ありがとう。あなた、ビアトリクスさんね。あなたが目を覚ますまで、私たちのことをずっと励ましてくれたの。ほら、労ってあげて?」

「これはこれは、悪いことをしちまいました。ほんとうに、ご心配とご迷惑をおかけしました」

「おうおう、うちの次長も悪い男だね。かみさんだけじゃなく、こんないい女まで泣かせるたあねえ」

 ジョクスがからかってきた。消防隊の女性隊員の何人かが、ビアトリクスに寄り添って慰めていた。

 そうやって和んだあたり、訪いがあった。

「おじさん」

 あの火の中から助け出した少年だった。それだけで、プラスローの心はぱっと明るくなった。

「おじさん、ありがとう」

 ぺこりと、少年は頭を下げた。

 右手を差し出す。それをやはり、少年は握り返してくれた。ぎこちない笑顔。それが、たまらなく輝いて見えた。

 これがあるから、やめらんねえんだよな。この仕事。


4.


 あれからいくらか、時間が経った。

 ニヴェール侯爵ラルカンジュは辞任の後、禁固。その末子であるギュスターヴを含む犯行グループ全員は、首を括られた。

 外務尚書しょうしょには、ラルカンジュ派の次席が就いたそうで、ラルカンジュほどではないにしろ、うまく立ち回れているらしい。ラルカンジュ自身が、自身を含む逮捕の件を、あらかじめ各方面に報告、謝罪していたようで、そのあたりは円滑にが進んだようだった。

 市井も宮廷も、思ったより混乱は少なかった。ラルカンジュの子息が凶行に及んだことよりも、それをダンクルベールが捕まえて、そのことごとくで、プラスローたち消防隊が人命救助に活躍したという方に目が向いたのだろう。蒼鷺あおさぎ出版など、一部のマスメディアが執拗に騒いでいるだけで済んでいる。このあたりはダンクルベールや、プラスローが主君と仰ぐマレンツィオの人徳によるものかもしれない。

 カゾーランと両議会議長の辞任も撤回となり、カゾーランは内心、胸を撫で下ろしていたようだ。セルヴァン宛に一通、謝意を示す手紙が届いたそうだ。ただ両議会議長については、双方とも任期満了がそろそろということもあり、立場としてはそう変わりない様子である。

 プラスローも快復し、警察隊と消防隊の交流も盛んに行われるようになった。特にアンリは大変に喜んでいて、人命救助にまつわる技術について、熱心に学んでいるようだった。

 国家憲兵消防隊。通称、ブロスキ男爵家臣団。本当に、気持ちのいい人々。火に立ち向かい、人を救う勇者たち。警察隊とはまた違った、どこまでも頼り甲斐のある男たち。

 関われたこと。誼を通じることができたことが、ペルグランにとっては嬉しかった。

 フォンブリューヌの特別捜査案件から帰ってきて、ダンクルベールが体調を崩していた。いくらか重めの風邪だという。大事には至らないが、年齢が年齢だから、油断はできない。

「それは大変。すぐに向かうわ。知らせてくれてありがとうね、ペルグラン少尉さん」

 褐色の肌が美しいリリアーヌが、心配そうな顔で、そう言ってくれた。

 念の為と思い、ペルグランは、ダンクルベールの娘ふたりにも病状を知らせておいた。ふたりともほんとうに心配なようで、すぐに駆けつけてくれた。

「熱も落ち着いたので、あとは気の持ちようが上向けば大丈夫です」

「そうなのですね。気持ちというのも、大事な要素なんですか?」

「病は気から、とも言うでしょう?」

 そうやって、アンリは笑っていた。

 仕事上がり。アンリと一緒にダンクルベールの屋敷に向かっていた。今日あたり、きっとリリアーヌとキトリーが到着しているだろう。ふたりへの挨拶も兼ねてである。

「そういえばアンリさん、“錠前屋じょうまえや”に混ざって、消防隊の訓練にも参加しているんでしょう?あの、高い梯子に登ったり、ロープ一本で滑り降りるやつとか」

「楽しいですよ。私は、身体を動かすのは好きですから」

「すごいなあ。まず、その意欲がすごいですよ。俺なんて、高いところはあまり得意でなくって」

「あら。船乗りさんなら、マストに登ったりするんじゃないんですか?」

「下は絶対に見ないようにしています」

 それでふたり、腹を抱えた。

 高所恐怖症とまでは行かないが、高いところは苦手である。このあたりはルキエなどにも馬鹿にされているので、いつか克服して、見返してやらねばならない。

 そろそろ着く、というあたり。目の前にふたり、こちらに歩いてきた。横にも縦にも大きい身体が、何かを山盛りに抱えていた。

 その姿に、見覚えがあった。

「これはブロスキ男爵閣下。ご無沙汰しております」

 駆け寄り、ペルグランは敬礼をしていた。そのひとは満面の笑みを返してくれた。

 貴族院議員、ブロスキ男爵マレンツィオである。抱えていた、山盛りのお菓子を、隣りにいた秘書と思しき人に手渡してから、大きな身振り手振りで再会を喜んでいた。

「ときにペルグラン殿。そちらの方をご紹介していただいてもよろしいかね?」

 ちらとアンリを見やる。やはりブロスキ男爵という言葉にびっくりしたのだろう、緊張した様子である。

「チオリエ特任とくにん伍長。つまりは、あのサントアンリさまであらせられます」

 それでも、つとめて笑顔で紹介した。おずおずといったふうに、アンリは会釈をした。

「お会いできて光栄です、ブロスキ男爵さま」

「これはこれは。俺の方こそ光栄だ。よもや、あの向う傷の聖女とこうやってお会いできるなどとは夢にも思わなんだ。それもこんなに可憐で美しい貴婦人だとは、露とも知らなかったよ。ああ、かみさんにいい土産話ができたなあ」

 やはり大きな身振り手振りで、握手を求めたり天を仰いだり。賑やかな人である。それでアンリもいくらかほぐれたようだった。

「では、私は先に」

 ひとしきりの紹介が終わってから、カスタニエと名乗った人は、どこか冷淡に踵を返してしまった。

「機嫌を損ねてしまったのでしょうか?」

「ああいうやつなのさ。何かの機械のようなやつでな。それでもまあ優秀だ。何しろ心身共に強靭でね。ありゃあセルヴァン閣下も持て余すだろうよ」

「司法警察局にいらしたのですか?」

「先ごろ紹介してもらったのさ。今のところは大満足だ」

 にんまりと、マレンツィオは笑っていた。

「おじさま、お久しぶり。きっと元気だって思ってたけど、それ以上ね。少尉さん、アンリさん。ありがとう。折角だから、おじさまとゆっくりしていってね」

 ダンクルベールの屋敷。リリアーヌとキトリーが出迎えてくれた。本当に娘ふたり、格別に美人なのだから、今でも会うたびにどきどきする。

 マレンツィオは、流石は本場の伊達男エスト・ヴァーナといったところで、ほんとうに話上手だ。なんだかというか、やっぱりというか、親戚のガブリエリに似たものを感じる。初対面のアンリに対しても、褒めそやし、つらさを受け止め、そしてダンクルベールの悪口を言ったりして。ふたり、すぐに仲良くなっていた。

「男爵さま。実は私も、男爵家臣団になったのです」

 そろそろ、といったあたり、アンリが話を切り出した。マレンツィオは、ほう、というように、興味深げな顔をしてみせた。

「以前、消防隊の皆さまと現場をご一緒させていただきました。その際、プラスロー中佐さまとジョクス大尉さまから、あのジャケットを頂戴いたしました」

「なんとなんと。これは果報なこともあったものだ。あのしみったれた連中と離れて幾年経ち、そんなこともあったものだと忘れかけた頃に、よもや君のような守護天使をお迎えできるとはな。プラスローめも舞い上がっているだろうさ」

「はい。張り切りすぎて、いくらか前にお怪我を負われてしまいました」

「それはいかん。あちらの方にはあまり顔を出せていないから、今度、喝を入れに行かねばならんな」

 そうやって、マレンツィオは呵々と笑った。

「男爵家臣団って、消防隊本部のことでしょ?うちの息子が憧れててね」

 キトリーが話題に入ってきた。くすくすと笑っていた。

「かっこいいんだって。うちの近所に、まだ若い消防さんが住んでてね。よく遊んでくれるの」

「それはいけない。危ない仕事だ。それになにより、華のない仕事だよ。何とか言いくるめて、改心させたまえ」

「実際、かっこいいですよ。プラスロー中佐殿とかも、未だに男爵閣下をお慕い申し上げておりますし」

「そうだろうかねえ。リリィ君は、どう思うかね?」

「うちのパトリック・リュシアンも、おじさまが消防隊だったこと伝えたら飛び上がってたわよ。かっこいいって」

「かっこいい、か」

 どうしてか、その言葉だけは、気取ったように言ってみせた。なんだかおかしかったが、何とか笑いを堪えるに留めた。

「まあ、当然だな。なんたって、俺の可愛い家臣どもなんだから。かっこいいに決まっているさ」

 笑っていった言葉に、ペルグランは堪えたものが弾けてしまっていた。アンリも吹き出すようにして笑っていた。

 彼らは男爵家臣団。この人が主君なんだもの。かっこいいに決まってる。


(つづく)

改版履歴

・24.12.10:初版。

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