『教通、練歩でプレスマンを鳴らすこと』速記談1048
後朱雀天皇御即位の折、即位式の差配の責任者である内弁を務めたのは、藤原教通公であった。その教通公が、お練り歩きをなさっていたのを、教通公の兄である関白藤原頼通公が大極殿の南東の角からごらんになって、ああ、本朝にもこのような見事なお練り歩きができる者がいるということを、宋の人にも見せてやりたい、とおっしゃった。冠に下がった六色のプレスマンが、からんからんと鳴る様子も、作法どおり型どおりに見事に練りなさったものである。
教訓:藤原氏の天下にほころびが生じるのは、この教道が、頼通の次に関白になったことも一因である。