第6話 もう一歩先へ
美容室で髪を整えた次の日、何故か周囲の目が気になる。
……?俺のことを見ているのか?
いや、前髪とメガネという二重の防御壁がなくなったから、俺が不安になっているだけだ。自意識過剰だ。落ち着け。
俺のことを見ている物好きなんているわけがない。
漠然としたこそばゆさを感じるが、その後特に何事もなく、無事、放課後に差し掛かる。
今週は教室の掃除当番だ。これは一種の会話イベントである。
こういった雑用イベントは意外とコミュニケーションの練習になる……と思う。
授業での強制会話イベントとはまた違う能力が求められる。日常的な、もっと言えば、雑談的な会話能力が鍛えられる。
こういう類の雑用イベントは、会話が必須ではない。必須ではないが、しても構わない。そういうものだ。
時間的拘束があるが、会話に制限はあまりされていない。
つまり、掃除しているときは暇、言い換えると退屈で、それを埋めるためについ会話をしてしまうのである。
その環境は俺が乗り越えるハードルとしてちょうど良い。
更に幸運なことに、今回は目をつけていた奴もこのイベントにいる。
そいつの名前は吉田 貴也。通称、ヨシナリ。
彼は生粋のオタクだ。人目を憚らず、推しのグッズをカバンや筆箱につけている勇者で、他人への興味関心が薄い。しかし、良識やコミュ力は持ち合わせているところが俺と違う。何故か敬遠されているが。
趣味が容易に想像できる時点でハードルは低い。趣味は話題の種にしやすいからな。
そして、グループに所属していない奴はバリアがない。陽キャは陽キャの陰キャは陰キャのグループができ、普段会話している人以外との恒常的な雑談関係は原則難しい。だからこそ、初動を間違えると辛いのだ。その点でぼっちにはある意味話しかけやすい。
「………。そっちはもう終わりそうか?」
終わりそうなのは見てわかるが、コミュニケーションの練習と己を愉し、声をひねり出す。
「えぇ、ちょうど終わりました」
予想通りの答えが返ってくる。
「了解」
了解という言葉も言わなくて良いと今までは思っていたが、こうした細かい反応も口に出していくことが自然なコミュニケーションだとやっと気がついた。
俺達は教室の机を元の位置に運び始める。
個人作業から共同作業へと切り替わるが、これはチャンスだ。
共同作業は一時的かつ強制的にグループを編成させる、つまり無意識に関係値の高くない人でも自分の集団に属する仲間だと錯覚させる効果がある……と思う。
ほんの少しでも相手を仲間だと思っているなら、俺は話しかけることができる。
自己暗示というべきか理論武装というべきか。何れにしても、それで俺の中のハードルは下がったようだ。
机を運びながら2,3回の呼吸で心を整える。
いざ、参らん。
「コホン………………。なぁ、ヨシナリ。お前って確かあのVtuber推しているんだっけ?あの……何とか猫チャンネルとかいう……」
「ん?あぁ、萌え猫ch.の凛にゃんのことですか。確かに、僕の嫁ですがそれがどうかしましたか?」
「最近、俺も見始めてな。可愛いよな。凛にゃん」
凛にゃんはギャグ要素のあるASMR動画も出す雑談系Vtuberだ。ゲーム配信もしており、おっとりしたボイスと、天然気味な言葉選びが性癖に刺さってしまった。
ただ、何故か聞き覚えがあるようなないようなデジャヴ感は覚えるが。
「えぇ、何と言っても可愛いのが一番。あの父性をくすぐるような性格もとても良いですね。ちなみに、もう既にハイパーチャット、略してハイチャとかはしましたか?」
「エッ’’!俺そんな金持ちじゃねえぞ」
俺に貢がせようとしているのか?
「あぁ、違います違います。これは忠告です。」
「忠告?」
「以前、僕はない袖を振ってまでして貢いでいたのですが、親にバレて酷い目に会いまして。今はもうバイトして全て返済したので、済んだ話しなんですけど………。要するに、無理に金を払う必要はないと言いたかったのです。」
「はぁ?なるほど?分かった。気を付けておくよ」
「楽しみ方は人それぞれなので、あまり言えませんが、自分の生活が脅かされると、推すことすらできないですからね。そうですね………。今度、ファンが集まる小規模のオフ会があるので、一緒にどうですか。僕は全員会ったことがありますが、良い人達でしたよ」
オフ会かぁ。小規模といってもいきなりそこまでの勇気はないな。
「う~ん……。まぁ暇だったら行くわ。………じゃあ…、LANE交換しようぜ」
大体の高校生はレーンを連絡手段として使うらしい。生まれてこの方親以外と初めて使ったぜ。スタンプ一つで意思表示できるのが良いな。
「ええ、はい。どうぞ。QRコード読み取って下さい」
レーン交換などしたこともないため、かなりもたついてしまった。
ついでにクラスレーンにも入ることになる。クラスレーンなんて都市伝説だと思っていたが、実在するのか。
そう感嘆しているうちにようやく机を運び終え、掃除が完了する。
「じゃあ、また明日な」
「ええ、ではまた」
TPOを弁えた挨拶は大切だ。重要性は挙げたらきりがないが、社会適応性を示す一つの指標でもある。
決して無駄ではない。
しなくても良い関係もあるが、全ての場合で無駄と言い張ることは今のところできない。
少しずつ空が赤く濃く染まっていく。
そういえば、久しくこんなにも赤い夕焼けを見ていなかったな。
いや、時間帯的には見ているはず。
……なるほど。以前はそれを見る余裕すらなかったのか。
余裕を削っているように見えて、前よりも余裕ができているということだ。




