6話 帰り道のカフェ
その日の午後、訓練を終えたウィル様が北の医務室へとやって来た。
朝は挨拶をした後そそくさと逃げてしまったので一応お礼を言っておこうかと振り向いた。
「……今朝はありがとうございました」
「いや、あれは君のせいじゃない。俺の方こそ配慮が足らなかったよ」
「まあ、予想はしてましたので」
ウィル様も一応自分の影響力は自覚しているみたいだ。まさか直接私に突っかかって来る人がいるとは思わなかったのかもしれないけれど。
患者用の椅子に座ったウィル様は少し考えこんで、それからぱっと顔を上げた。
「ところで今日の勤務は何時までなんだ?」
「え? 今日は早出だったのであと二時間くらいですかね」
「そうか。だったら俺も今日は同じくらいには上がれるから一緒に帰らないか?」
「え、ウィル様と……ですか?」
ウィル様と一緒に帰る?
またすごい注目の的になりそうだなあ。
私が戸惑っていると嬉しそうにウィル様がこちらを覗き込んできた。だから顔を近づけるのはやめてほしいんだけど……。
「だって俺達婚約者になったんだから、もっとお互いをよく知った方がいいと思うんだ」
「確かにそれはそうですけど……」
さすが人気者は違うなあ。根暗が驚くくらいグイグイくる。
「だから、今日は一緒に帰ろう」
王城からの帰り道。
まだ日が高いので私とウィル様は街を散策していた。
これって……もしやデートなの?
いや、ただ一緒に帰ってるだけだし。私って自意識過剰だ。
本当にウィル様の気持ちがわからない。秘密を隠すためとはいえ本気で私と結婚するつもりなんだろうか。
にこやかに道案内してくれるウィル様の隣で私は密かに悩んでいた。
「ここ! 前から来てみたかったんだ」
「……ラズベリーカフェですか?」
ウィル様が立ち止まったのは小さなカフェの前だった。
可愛いイチゴのイラストが看板の脇に添えてあるピンク色の屋根のカフェは女性達で賑わっていた。
ラズベリーケーキ、ラズベリーのパイ、ラズベリータルト。他にも色々、ベリー系の見ているだけでも可愛らしい商品がずらりとケースの中に並んでいた。
ちらりと隣を見たらキラキラとまるで子供のように瞳を輝かせたウィル様が真剣にメニューを選んでいた。
「もしかして今日ここに来たくて私を誘ったんですか?」
「……さすがに一人じゃ入り辛くてさ」
確かに周囲を見渡しても女性ばかり。かろうじている男性はカップルで来ているみたいだ。このお店に男性だけで入るのはウィル様でなくても勇気がいるだろう。恥ずかしそうにメニューで顔を隠してちらりとこちらを見るウィル様に思わず吹き出してしまった。
通りに面したテラス席に通された私達はそれぞれメニューを注文した。私はラズベリーケーキにハーブティー。ウィル様は目玉商品だというラズベリースペシャルタルトにコーヒーだ。
ピンク色のケーキにはたっぷりの生クリームとハート型のチョコレートが刺さっている。すごく甘そうだなあ……。
「わあ、かわいいなあ……!」
「ウィル様、顔がくずれてますよ」
「えっ」
「良かったらこちらも一口食べますか?」
本当に可愛い物が好きみたい。
なんだかちょっと面白くて揶揄ってしまったら慌てて周囲を見て澄ました顔をするものだから、お詫びに私のラズベリーケーキを差し出した。
「え、いいのか? じゃあ俺のも一口どうぞ」
「そういうつもりじゃなかったんですけど……じゃあお言葉に甘えて」
それぞれ一口ずつ交換しておいしい! と目を輝かせた。
考えてみれば私もこんな流行りの店なんて来たことなかった。ウィル様に誘われなければきっとこんな経験もできなかったんだろうなあ。
店の可愛らしいインテリアを眺めながらご満悦そうなウィル様を見て呟いた。
「ありがとうございます」
「ん? 何か言った?」
「いいえ何にも」
しらっと嘯いてハーブティーに口をつけた。
「そうだ、今日あたりアンダーソン家から正式に婚約の書状が君の家に届いてる頃だと思う。後日うちの父親と君のご両親と顔合わせをお願いすると思うんだけど……」
「教会に提出して正式に婚約が認められるんでしたっけ」
「そう」
ラザフォード王国の貴族間の婚約は両家で契約の書類を交わして、それを教会に提出することで成立する。その契約は婚約者の両親同士が共にサインするのだそうだ。
ウィル様は早くに病でお母上を亡くされているらしい。だから婚約の書類にサインするのはお父上のパトリック・アンダーソン卿なのだろう。
……私とウィル様、本当に婚約するのか。
今ファンシーなカフェで向かい合ってケーキを食べているだけでも現実感が無いのに。
そう考えてぱくりと自分のケーキを一口食べたときだった。
「やあ、おいしそうだな」
「……兄さん!」
ふっと私達の席に誰かが近づいた。
顔を上げてぎょっとする。
そこにいたのはウィル様の兄、ブラッド・アンダーソン様だったからだ。
ウィル様によく似た、けれどウィル様とは違う紫の瞳で穏やかに微笑むその人は彼のお兄様だ。王国騎士団の副団長を務めているブラッド・アンダーソン様。
王国騎士団副団長!
私は慌てて立ち上がった。
「兄さん、紹介が遅れたけどこちらがステラ・ハーディング伯爵令嬢。俺の婚約者だよ」
「お、お初にお目にかかります。……ステラと申します」
一生話すことなんて無いと思っていた大物に私はガチガチになりながらもぎこちなくスカートをつまんでお辞儀をした。
それを見つめていたブラッド様は笑みを深くした。
「そうか君が……。魔法薬師をしているそうだね」
「は、はい」
「君のようなお嬢さんがウィルの恋人だったとは……全然、知らなかったよ」
それはそうでしょう。
だって私達だって少し前まで恋人どころか話したこともなかったのだから。それにしてもブラッド様の眼差しは全てを見透かしているようで落ち着かない。隙の無い笑顔はどう見ても仮面のようだ。
「色々あったんだよ」
「その話は聞かせてくれないのかな?」
「それはまた今度」
ウィル様はさすが弟だからなのか気安くブラッド様と会話しているけれど、私は緊張しすぎて変な汗が出てきてしまった。
ウィル様と婚約するということは歴史あるアンダーソン侯爵家と繋がるということでもあるんだ。
まあ根暗な私にウィル様が飽きるまでの話だから本当にそうなるかはわからないけど。
それにしてもすでにこれがただの婚約じゃないってブラッド様には気づかれている気がしてならない。
「見て、副団長様とウィル様よ!」
「素敵! ……でも隣にいる子は誰?」
う、と私は背を丸めそうになった。
カフェの女性客達がチラチラとこちらを見ている。気にしないようにしていたけどやっぱり視線が痛い。ウィル様はどこにいても注目の的だなあ。まあ彼女達から見ればどう見ても地味でぱっとしない女が一緒で気になるんだろうな。
最初から自信なんてないけれど、さらに気が重くなってきた。
「兄さん」
すっとウィル様が私の肩を抱いた。
突然のことに驚いて顔を上げた私にウィル様が微笑みかける。
「今度ゆっくり話をしよう。ステラは俺のことをわかってくれる大切な人なんだ」
「……そうか。ウィルにそんな相手ができて嬉しいよ」
ウィル様……。
周囲もウィル様の言葉に静まり返る。
これはお互いの秘密を守って自由に過ごすための婚約だ。だけどあまりのウィル様の曇りなき瞳に思わず私は彼をじっと見つめてしまった。私の視線に気がついたウィル様に微笑まれて、至近距離でそれをくらった私は今度は恥ずかしくなって俯いてしまった……!
キラキラ騎士は本当恐ろしい。
じっとこちらを見つめていたブラッド様が苦笑した。
「ぜひ今度うちに遊びにおいで。2人から色々聞かせてほしいな。それじゃあステラ嬢もごゆっくり」
「……はい、ごきげんよう」
ブラッド様はお付きの人達と共に馬車に乗って帰って行った。どうやら彼も帰宅途中だったみたいだ。遠目で見ていた時は威厳たっぷりでもっと話しかけ辛い人なのかと思ったけれど、物腰の柔らかい人だった。……でも、だからってただの優しい人ではなさそうだったけど。だって威圧感がすごかったから。ウィル様に向ける眼差しは優しいものだったけれど、私は緊張しっぱなしだった。
きっと、ブラッド様は私のことを認めてないんだろうな。
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