ビリジアン
この作品は霜月透子さん主催される「ひだまり童話館」、「びりびりな話」参加作品です。
少年は名前を翡翠と言いました。色の白い、華奢な子で、病弱でもありましたが、心根は優しく、元・天領で、観光地となっている町の一角の、和風の一軒家に住んでいました。庭には近くの湖水から引かれた水が池となってありました。時折、鮎などが流れ込んだりもします。翡翠には黒猫の友達がいました。名前はビリ。瞳がビリジアンだったので、そこから名付けました。ビリは付き合いの良い猫で、翡翠が臥せている時は、布団の上に丸くなり、それなりに元気で外に出掛ける時は、尻尾をぴん、と立ててついて行くのでした。
ビリは物事を察するということも出来る猫だったので、池の魚を狙おうともしません。魚影があっても、透明のひげをそよがせるだけで、のんびり放置します。ですから、翡翠を始めとした、家族からの信頼は抜群だったのです。
時節はもう春で、庭のハナミズキがピンク色の花を咲かせています。翡翠は、縁側に座ってビリと一緒にその花を眺めるのでした。翡翠は写生をするのも好きな子だったので、時にはスケッチブックを開き、そこにハナミズキの姿を描きとめます。ビリは、そんな翡翠を慈しむようなビリジアンの瞳でじっと眺めるのです。
「僕はビリジアンの色が一番好きだよ」
翡翠は折に触れ、ビリにそう話しかけます。そうするとビリは、承知している、とでも言うかのように、鳴くのでした。翡翠はおばあさんに縫ってもらった緑色の上布の着物を着て、一日を過ごします。春風の冷たい時には上から羽織を引っ掛けました。
けん、けん、と、時折、翡翠が咳き込む時には、ビリは思慮深い目で、翡翠を凝視するのでした。翡翠の加減は、余り良くありません。ある春の嵐の晩、翡翠は発作を起こしました。家族の大人たちが慌ただしく入院の手続きをします。ビリはやはり、その様子を思慮深い目で眺めます。
翡翠が入院した翌日、翡翠の部屋の青い畳の上に、ビチビチと川魚が大量に跳ねていました。それは、ビリが自分なりに考えて、翡翠が良くなるよう池から獲って来た魚でした。ビリは行儀の良い猫でしたので、これまでに一度もこんなことはありませんでした。翡翠の母は、泣き笑いのような表情で、息子の愛猫を撫でました。
「ありがとうね、ビリ」
魚の効能があったのかどうか解りませんが、翡翠は間もなく家に戻りました。快活に笑い、入院する前よりも元気になったようです。翡翠はビリの活躍を聴いて、しなやかな猫の身体を抱き締めて頬擦りしました。ビリは甘えるように、にゃあ、と鳴きます。翡翠はよく食べ、よく寝てよく動くようになり、もう以前の病弱な様子は欠片も見受けられません。やがて立派な大人になっても、翡翠の傍にはずっとビリがいて、翡翠はビリを大切にして可愛がりました。
そんな風にして、一人と一匹の関係は、陽だまりのように続いたのでした。