第5話 作家を目指しています。その一言が親に言えない。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、初めましての方もそうでない方も、どうも猫憑です。
本日も僕のかなり偏った、でも、きっと同じように苦しむ人がどこかにいるんだろうなぁ、といった内容になっております。
ではでは、今日も『掃き溜めに壺』楽しんでいってください、ませ。
『大きくなったら、僕は、本を書く人になりたいです!』
もしもこの言葉を、幼い子供が言ったとしよう。そうすれば周りの大人は『まぁ、なんて賢い子! 将来が有望だわ! 絶対、この子ならなれるわ!』と、持て囃すだろう。
だけどもし3x歳の僕が、「本気で作家を目指して小説を書いているんだ」と言えばどうだろうか?
「ふっ」
鼻で笑われて終わりかな。しまいには僕は泣きますよ。
今日は、そんなことを、夢のなんやかんやをこの壺の中で叫んでいこうと思う。
まず初めに、君に問わせてほしい。君は、君の人生の中で一番最初に心の中で願った〝将来の夢〟を覚えているかい?
よぉく、考えて。思い出せなければ、一旦読むのをやめてもいい。
僕は、覚えているよ。
僕の人生初めての将来の夢は「ペンギン」だった。
はい、今、そこでほくそ笑んだ君、脳内の野次が五月蝿いよ。
証拠も残っている。保育園生、当時三歳だった、字の書けない僕の代わりに担任の先生が書いてくれた『猫憑ケイジくん の 将来のゆめ ペンギン』と書かれた紙を首からぶらせげている僕の写真が、保育園アルバムにしっかりと収められている。そして、僕は思い出に関することにのみ記憶力が特化しているらしく、二、三歳位の頃からの記憶を割と覚えている。
僕が〝ペンギン〟になりたかった理由、それは『きんぎょ注意報!』というアニメが原因だった。姉が見ていたアニメを一緒に見ていた時に、そのアニメに出てくる『わぴこちゃん』という女の子が、ペンギンの着ぐるみを着てペンギンと遊ぶという内容のエピソードが放映されたのだ。その着ぐるみが、三歳の僕にとってはとても魅力的だった。
僕は、詳しく言えば本物のペンギンになりたかったのではなく、『あの着ぐるみが着たかった』のだった。それを上手く説明できなかった僕の将来の夢を、都合よく勘違いしてくれた担任の先生が『ペンギンになりたいのね!』と僕の人生初の将来の夢を若干異なる職業へと変換し、その証拠写真を残してくれたわけだ。
しかしこんなエピソードも、〝あり得ない将来の夢〟も、子供時代のものであれば、それは可愛らしく愛おしいという種類の笑いで話せる、心温まる思い出だ。
では、話を本題へと戻そう。
もし、僕が、3x歳の僕が「本気で作家になりたいんだ!」と言えば、どうだろうか。
ペンギン、よりは、作家になりたいという方が確実性はあるだろう。ペンギンになるというのは遺伝子組み換えどころの騒ぎではないからだ。
ペンギンの着ぐるみを着て過ごしたい、よりは、作家になるということの方が堅実的であるし、大人のなる職業としてきちんとしている、と思う。
だが、世の中はそうは上手くはいかない。
この世の中の厄介で理不尽なことの一つに、子供は何を言っても大抵のことは許される、ということがある。なぜならそれは、長期戦覚悟の現実味を帯びていないからだ。子供は自分の行動の責任を自分だけで取ればいい。しかし、大人は、どうだろうか?
そして、こんなこと書き出せば、これを読んでいるかもしれない学生諸君の君たちは、僕のことを嫌いになるだろう。それは違うよ、猫憑さんと。
だけど、大人は理不尽で怖がりな生き物なのだ。
きっと僕が小学生だったら「作家になりたい」と言えば、周りの大人は喜ぶのだろう。
きっと僕が中学生だったら「作家になりたい」と言っても、周りにそれほど白い目では見られないだろう。きっと親にはそれほど抵抗なく言えると思う。
きっと僕が高校生だったら「作家になりたい」と言えば、「じゃぁ、良い大学へ入ったらいいだろう」と言われるだろうが、きっとまだ、親には言えるかもしれない。
僕が大学生だったら、きっとどの学部に通っているかによって言い難さが変わるだろう。
僕が社会人だったら、それも20代だったら? 言えるだろうか……。
そして、今僕は立派な3x歳だ。家庭を築いて、子供もいる。
別になにも、僕は、家庭を投げ打って、今の生活を捨てて、小説家になろうとしているわけではない。今の生活を保ち、自分のストレスだけに負荷をかけて執筆活動をしているのだ。
であるからして、別に何に恥じずとも「作家を目指して執筆している」とサラッとペロッと言ってしまえばいいだけ、なのだ。
なのに、僕は、まだ僕の両親にそのことを言えていない。
大人になればなるほど、本音を言うことが難しくなる。
きっと僕は、拒絶されることを恐れている。
きっと僕は、嘲笑われることを恐れている。
きっと僕は、認めてもらいたいと願っている。
きっと僕は、信じてもらいたいと願っている。
僕は、子供の頃みたいに手放しで心から僕の可能性を信じて応援してほしい、と願っている。そして、両親が子供の頃僕を応援してくれたみたいに、今の僕を応援することが難しいことだというのも、わかっている。
なぜなら、大人は理不尽で怖がりな生き物だからだ。
3x歳なんぼのポッと出の一般人の僕だ。作家になるなんて、雲を掴むような話だろう。
そして、僕の両親は、僕を愛するが故に、僕の将来に堅実性と安定性を求めている。
そして、作家を目指すという博打打ちに現実性を見出すことができないのだ。
悲しいことに、その思考回路をこの歳になった僕だからこそ、理解が出来てしまうのだ。
だから、僕は。僕の愛する両親に、今僕が、痩せゆく体重と増えゆく白髪とストレスで不眠症になる毎日を、情熱をかけて注いでいる真剣について、話すことが出来ないのだ。
話したい、応援されたい。だけど、言えないのだ。
だから、僕は決めている。いつか、僕の書くライトノベルが何かの賞を取れるかもしれない可能性を浴びることが出来たら、その時は、僕の両親に胸を張って僕の真剣な毎日の話をしたいと。
その日が来ればいいなと思う。
早く、その日が来ればいいなと思う。
そして、子供の頃のように「すごいじゃない! よくやった!」と手放しで喜んでもらえたらと思う。彼らのために小説を書いているわけではないが、僕の情熱を理解してもらえる日が来ればいいなと、僕は願っている。
そんなことを、今日は壺の中に残していこうと思うのだ。
本日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。次回、「作家を目指そうと志した一日目の僕へ」ご期待ください!
応援、コメント、泣いて喜びます。