オークを統べる者
玲奈が飛び去ってから二十分ばかり。一八は今もまだオークを叩き斬っていた。
現在は魔力を温存するため力だけで振っている。正直に疲れ果てていたけれど、正確な太刀筋によってオークを仕留めていた。
「師範の教えはこういうことか……」
今の一八はただの剣士であり、間違っても魔道剣術士などではない。十分な素振りが出来るようになるまで魔力が解禁されなかったことは、魔力切れの場面を想定していたのだと身をもって理解できた。
「まだ戦える。きっと玲奈が援軍を連れてくるはずなんだ……」
こうなると玲奈だけが頼りである。七条小隊が回復するや砦の門が開かれ、猛者たちが戦線に復帰してくるはず。一八はそこでお役御免となることを期待している。
ゴールは目前であると信じるしかない。果てしなく続くと考えてしまえば、とてもじゃないが精神力を保てなかった。
ふと視界の端に一八は何かしらの違和感を覚える。意識を向けると雨靄の向こう側に巨大な影があると分かった。先ほどまで存在しなかったその影は徐々に大きくなっていく。
「マジかよ……」
絶望を通り越す窮地だ。なぜだか一八は笑ってしまう。明らかに他のオークとは違う影。それが何であるのか彼は分かってしまった。
「玲奈が去った途端にか……」
雨音に混じるズシンズシンという地鳴りにも似た音。明確に一八の方へと向かっていた。
「まさかこの俺がオークキングと戦うことになるなんてな……」
一八に狙いを定めたのはオークキングであるようだ。全てを威圧する咆吼は記憶にあるものと同じである。前世では自身もそうやって敵の戦意を削いできたのだ。
自ずとオークたちが一八の正面から離れていく。オークキングと彼を結ぶ川のように群れが一瞬にして割れていた。
「ちくしょう。やるっきゃねぇのか……」
眼前から引いたオークの群れは既に一八を取り囲んでいる。これによりオークキングとの戦いは避けられなくなってしまう。
「こいつらは俺が逃げないように命令されてんのか。だとしたらありがてぇ」
上位種はその強さもさることながら、プライドも非常に高い。相手が複数いたとしても単独での戦闘を好んだ。かつては一八自身も部下に引かせて、レイナ・ロゼニアと一騎討ちをした。敵が戦意を喪失し、おののく様を楽しむために。
「キングさえ倒しちまえば雑魚は逃げていく。馬鹿な俺にも分かるぜ。あいつを殺せば俺の勝ちだ……」
皮肉な話であった。もしも天界で人族への転生を望まなければ、目の前のオークキングは一八であったかもしれない。一八の代わりに立ち塞がる人族を叩き殺していただろう。
ようやくとオークキングが一八の眼前に立つ。始めから一八を殺そうとやって来たのは明らかだ。
「クソ豚野郎のお出ましか?」
一八は煽るような台詞を投げた。魔物の上位種は概ね意思疎通が可能だ。さりとて分かり合うことなどないと一八は知っている。
「粋がるな人の子よ。我はエンペラー。随分と部下が世話になったようだな?」
一八は絶句している。オークキングとばかり考えていた相手はその上位種であった。キングとエンペラーの危険度は同格であるが、間違いなくキングの上位種でありキングとは比べものにならない耐久性を持ち合わせている。
一八は少なからず動揺していたけれど、息を整えるためにも会話を続けた。
「あん? 襲ってきたからぶった切っただけだ。文句を言われる筋合いはねぇよ」
「ふはは、我が威圧を受けてもなお軽口が叩けるとはな! ならば殺す前に貴様の名を聞こう。不幸にも人族に生まれた勇猛なる者よ」
チッと一八は舌打ちをした。如何にもオークが優れているように話すエンペラーを睨み付けるようにして。
「てめぇに教える名はねぇよ。お前は俺の代役にすぎん。ぽっと出の大将が何様のつもりだ……?」
言葉にするたび怒りが込み上げていた。一八が人族に転生しなければ、眼前のオークエンペラーは存在しなかったかもしれない。本来そこにいるべきは一八であり、このエンペラーは急遽空いた席に転がり込んだだけだろうと。
「俺こそが最強なんだ! クソ馬鹿なオークに生まれたお前は惨めで哀れだな!」
言って一八が斬り掛かった。作戦としては身体を休めたかったのだが、込み上げる感情がそれを許さない。かつての非道な自分自身と現実とが重なり合う。加えて同じ立場であったかもしれない事実が余計に一八を苛立たせていた。まるで代役である彼に八つ当たりするかのように。目の前のオークを忌まわしい記憶と共に消し去りたいと願う。
「俺は人族で満足してんだよォォッ!」
袈裟懸けに太刀を振る。手応えはあった。けれど、エンペラーは痛がることも怯む様子もない。それは人族であることが不幸だと言ったエンペラーの言葉通り。一八は最初の一太刀で己の非力さを痛感させられてしまう。
「こんなものか? 雑魚を蹴散らしただけでいい気になるな、人の子よ!」
言ってエンペラーが殴りかかってくる。咄嗟にバックステップをして躱したけれど、風圧は肌を切るほどに凄まじかった。
「クソがっ!」
即座に空振りをした腕に斬りかかる。明確なダメージが与えられない一八は手数勝負に切り替えていた。
「確か玲奈の戦法は……」
それは半年前のこと。一八と戦った玲奈は腕ばかりを狙っていた。体格に劣る玲奈は攻守の要である腕を執拗に攻撃したのだ。
「女々しいとか言ってらんねぇな……」
一撃のダメージが乗らないのであれば累積させていくしかない。同じような立場になって一八はようやく理解していた。
「人の子よ、まるで効かんな! 痒いくらいだ!」
エンペラーの反応は予想通りである。弱者の攻撃など意に介すはずもない。たとえそれが徐々に身体を蝕んでいようとも気付くはずがなかった。
「言ってろ!」
斬っては後退を繰り返す。しかしながら、周囲をオークたちが取り囲んでいるため、何度かに一回は態勢を入れ替える必要があった。
どれくらい時間が過ぎただろう。一八は目眩を覚えていた。完全に魔力切れの兆候である。もう百回と斬ったのだ。未だ身体と繋がるエンペラーの腕を見ては溜め息が零れてしまう。
「まだかよ玲奈……」
終いには弱音まで吐いていた。順調ならばとっくに砦へと入っているはず。隊員たちが回復する時間が必要であったとしても遅すぎるように思う。
一八は玲奈がヘマをした可能性を捨てきれずにいる。もしもその時にはエンペラーを倒さぬ限り未来はない。一八には災厄を称する強敵を屠るしかなかった……。
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