地獄の特訓
体育祭を二週間後に控え、慌ただしく準備が始まっていた。什器が搬入され、生徒たちがそれを組み上げていく。理事会へのアピールであったけれど、カラスマ女子側は手配をしただけであり、力作業は全て武道学館生に任せている。
本来なら武道学館生は誰も設営に参加しなかったはず。ところが、隠しカメラだなんて玲奈の嘘を真に受け、朝から熱心に武道学館生は作業していた。
本日も授業はいつも通り。併合に向け動いていたものの、両校が授業を共にすることはない。学力も校風も異なる二つの学校である。完全な共学となるには時間が必要だった。
放課後になり、玲奈は学園を飛び出している。本日は体育祭の練習。武道学館生だけに課せられた全体訓練と呼ぶべき命令を彼女は出していたのだ。
玲奈がグランドに現れると全員が背筋を伸ばしている。事前に土居が触れ回ったおかげか、一人も欠席することなく集まっていた。
「玲奈さん、壇上にマイクを用意しました。どうぞ……」
「雷神、昨日は休みだったそうだが大丈夫か?」
雷神こと来田が玲奈を朝礼台へと案内する。
玲奈が話すように来田は昨日学校を休んでいた。彼女は体調不良とばかり考えているらしい。
「いえ、休んだのは実家の都合でして。ご心配をおかけいたしました……」
「それならいい。話は聞いているな? それでは始めるぞ!」
玲奈は朝礼台へと上がり、竹刀でゴンと足下を突く。立ち所に雑談がなくなったのは全員が彼女を怒らせたくなかったからだ。
生徒会役員は朝礼台の隣に並び、全校生徒は壇上に向かって姿勢を正している。一見すると大隊を指揮する女性士官のようだ。
玲奈は一八を一瞥してから話し始めた。
「諸君、地獄の特訓へようこそ。こう見えて私は忙しい。よってこのような機会は二度と設けないからそのつもりで。分かっているだろうが私は気が短い。従って出来るまで待つといった生温い対応は期待するな。貴様らが選べるのは二つ。血反吐を吐きながらも私を納得させるか、或いは地獄へと旅立つかだ。出来れば黄泉路へ駆け込む者が少数であることを望んでいる」
一八は呆れたような目をして玲奈を見ていた。既に誰が生徒会長なのか分からなくなっている。
「貴様ら返事は!?」
玲奈が怒鳴ると立ち所に全員から歯切れのよい返事が返された。これには本当に溜め息しかでない。幾ら強かろうが玲奈は女子高生である。良いように扱われている武道学館生には言葉がなかった。
「これから全体行進を行う。全ての競技で同じように入場するので寸分違わず合わせるように」
言って玲奈が笛を吹く。それを聞くや集まった武道学館生が即座に行進を始めた。しかしながら、それは玲奈を納得させるものではない。
「貴様ら止まれ! 連帯責任だ。全員尻を出せ!」
玲奈は朝礼台を飛び降り竹刀で一人ずつ尻を叩き始めた。魔力こそ流していないけれど、運動場には絶叫が木霊している。
全校生徒は三百人近く。しかし、玲奈はものの五分で叩き終えていた。更には直ぐさま笛を吹き、武道学館生を行進させている。
「声を出せ! いち、にぃ、いち、にぃだ!」
まるで軍隊である。最初の一撃で全員が玲奈の本気を感じ取り、また今以上に怒らせるのは死を意味することを察知していた。
大きく元気よくリズム良く。玲奈の笛に合わせて武道学館生が行進している。下校中のカラスマ女子学園の生徒も面白がってそれを眺めていた。
約三時間。一分の休みもなく行進が続く。興味本位で見ていたカラスマの女生徒たちも既に飽きたのか姿がない。けれど、ギャラリーがいようといまいと玲奈は笛を吹き続けた。
すると六時の鐘が鳴る。もう下校する時刻となっていた。玲奈としてはまだ不満が残っていたけれど、風紀委員でもある彼女は校則を遵守すべき立場である。
「全員集合!」
玲奈が壇上で叫ぶと直ちに終結。即座に点呼が始まり、列の最後は点呼完了と声を張る。
「よろしい。貴様ら今日の特訓はこれで終わりだ。しかし、本番まで何度も訓練しろ。本番でやらかそうものなら今度は鉄剣で尻を叩く。死ぬ気で取り組め。以上だ!」
玲奈が壇上を降りるも武道学館生はピクリともしない。それこそ彼女が学園へと戻っていってもそのままであった。
呆れた一八が声をかけ一応は緊張を解いたけれど、ざわつくことなく行進をしながら彼らが下校していく。
「一八さん、玲奈さんと同じようにできますか?」
来田が聞いた。圧倒的統率力を見せた玲奈。恐怖政治であったものの、元よりそれは一八も同じである。
「いや無理だ。少なからず逆らう者がいるはずなんだがな……」
最初の竹刀がよほど効いたのだろうと一八が言う。更には玲奈なら立派な士官になれるんじゃないかと付け加えた。
「来田、これから道場に行くんだろ? 一緒にいくか?」
昨日は学校を休んでいたが、今日はちゃんと登校している。行き先が同じなのだからと一八は来田を誘っていた。
ところが、来田は浮かない表情だ。小さく顔を振っては一八に返している。
「それが騎士学校の受験に反対されまして……」
思わぬ話になってしまう。聞けば来田は昨日親と大げんかをしたらしい。騎士学校を受験したい来田に対し、両親はいち早く就職することを望んでいる。
「マジか。金銭的な問題じゃあ大学に進学してからの受験も無理そうだな?」
「それどころじゃないですよ。夏休み中にバイトしたので道場の月謝は何とかなりますけど……」
「それなら来田はどうするんだ? 大学に通いながら受験する手もあるが……」
家庭の事情なら強く言えなかった。自分の事は自分で決めるべきと一八は考えているけれど、金銭的な問題は簡単に済む話ではない。実家が有名な道場である一八と一般の家庭では事情が異なるはず。
「自分としては受験くらいはしたいです。でも高校ですら奨学金を受けていますし、大学なんてとても……」
この状況で大学に進学できるとすればスポーツ推薦くらいだ。それも圧倒的な成績を残し、大学側から話がくるレベルでないと授業料の優遇など受けられない。
「自業自得だ……。お前はセンスがあったのに……」
今更ながらに一八は部活への取り組み態度を責める。サボってばかりという彼が強くなるはずもなかった。
「まあだけど、大半の生徒が後悔するんだよ。もっと真剣に頑張っていたならと。もちろん俺もその一人だが……」
「一八さんが? 私には羨ましく思えますけれど……」
来田からすれば一八はまだ可能性がある。しかし、そんな彼もまた後悔しているという。
「上を見ちゃキリがないけど俺は上を見る。玲奈との比較が俺の怠惰な人生を浮き彫りにするんだ。追い込む必要のない玲奈を見てると後悔しかねぇよ」
幼少の頃より騎士を目指していた玲奈と比較するのは間違っている。彼女は受験から逆算をして努力してきたのだから。
「玲奈さんはやはり受かるのでしょうか?」
「あいつが落ちるのなら、俺には少しも可能性がねぇよ。昨日試合をしたんだが、一方的に負けちまった……」
にわかに信じられない話だ。一八は既に門下生と互角以上に戦える。その彼が一方的に負けるなど考えられない。
「玲奈さんは大竿にどう対処したのですか? 失礼ですけど、あの間合いに彼女が入れるとは思えないのですが……」
「いや踏み込んで来て俺の竹刀を弾き飛ばした。とんでもねぇ威力だったよ。あの一撃は……」
今思い出しても重すぎる一太刀であった。一八の握力は百を軽く超えていたというのに、手を離さざるを得なかったのだ。
「玲奈さんがそんな力を? それって彼女が励んでいる筋トレと関係あるのでしょうか?」
「筋トレも多少は影響しているはず。だが、根本的に俺じゃ玲奈に勝てない問題があった。師範も人が悪いぜ……」
昨日の一戦はただ一八に魔道の必要性を知らしめるためだけに行われた。一八がこの先へと進むのなら魔道が不可欠であることを。
「俺たちはまだ剣術を習っただけなんだ。魔道の部分が抜け落ちたまま。魔力なしで互角だった玲奈は魔力を使うだけで何倍も強くなっていたんだ……」
そういえば春先に一八と玲奈が戦っていたことを来田は思い出している。二人の戦いは魔力の使用を禁じていたのだ。またその戦いは決着がつくとは思えないほど拮抗していた。
「来田、悪いが俺は先に行く。今日から俺は魔道を学ぶんだ。将来について考えるのもいいが、打ち込めるときに打ち込まねぇとまた後悔すんぞ?」
言って一八が笑う。将来のことより今の生き方が大切だと。
対する来田は悔しかった。同じ時期に始めたというのに、彼はまだ一万回という素振りをするだけで他の稽古をする時間は残せていない。
「やはり諦めちゃ駄目っすね……。今回ばかりは俺も引きません」
「そうこないとな? 俺は騎士になってモテモテになる。玲奈もそのうちの一人だ。それが嫌なら命を削ってまでやってみせろ。お前はまだ覚悟が足りねぇんだよ……」
一八は来田をけしかけていた。元より来田は同志なのだ。時を同じくして剣術の道を歩み始めた仲間。途中退場させるつもりはなかった。
「やれるだけやってみます。騎士学校に受かったなら、親も認めてくれるはず。給金は一般企業の比ではないし、もちろん雑兵とも違いますから」
まずは一八の背中を追う。遠く霞む玲奈に追いつけるように来田は地道な努力を続けようと思った。
二人は体育会系らしく大声で挨拶をして道場の門を潜って行く。
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