過酷なノルマ
学生たちのコースが終わったあとも一八は大竿を振り続けている。三時間ほどが経過し、回数は五千回を超えたところ。しかし、疲れからか間違いなくペースが落ちていた。
そんな折り、道場の扉が開く。一八が視線を向けるとそこには道着を身に纏った玲奈の姿。話していた通り、彼女は自身の稽古に来たらしい。
「おい一八。握り飯を持ってきたぞ。少し休憩しろ」
どうやら玲奈は素振りの特訓中であることを聞いたようだ。まだ夜間の部が始まる時間ではない。早く来たのは一八に夕飯を食べさせるためである。
「ありがてぇ。腹が減って仕方なかったんだ」
早速とおにぎりに手を伸ばす一八。うめぇうめぇと口にしながらがっついている。
「それで一八モグ……。素振りはモグ……上達したか? モグ……」
「てめぇも食うのかよ!?」
おにぎりが十個と唐揚げの大盛り。一八は全てを食べるつもりだったのだが、話を聞く玲奈もまた一緒になって摘まんでいる。
「当たり前だろう? 私は女の子だからと母上にどんぶり飯五杯までしか食べさせてもらえんのだ! モグ……」
「その体格でどれだけ大食らいなんだよ……」
玲奈の大食いは今に始まったことではないけれど、母親の制限には誤りがあると思う。女の子の定義にご飯の量があるとすれば、それは間違ってもどんぶり単位ではない。
「さてと腹ごしらえも済んだところで素振りを再開しよう」
「俺と同じだけ食いやがって……」
立ち上がった玲奈が一八の大竿を手にする。女性が持つには重すぎるものであったけれど、彼女は事もなげに片手で持ち上げていた。
「おい一八、貴様は魔力伝達を知っているのか?」
「はぁ? 何だソレは?」
武士には何も聞いていない。師範の指示は大竿での素振り一万回。それ以外には基本的な振り方を聞いただけである。
「いや、知らないならいい。早く一万回振り終わらないと勉強する時間がなくなるぞ?」
玲奈が一八を急かす。確かに時間がなかった。素振りだけで一日が終わってはならないのだ。このあと玲奈が勉強に付き合ってくれるかは分からなかったが、一八は一人でも机に向かうつもりである。
「飯も食ったし一気に終わらせてやるぜ!」
少しばかりの休憩は活力を与えていた。バテ気味であった一八だが、再び力一杯に大竿を振り始める。
「一八、もっと声を出せ! アフタースクールの女子みたいな声になっているぞ!」
父親も鬼なら娘もまた同じ血を引いている。手加減するつもりは少しもないらしい。
しばらくすると社会人の門下生が続々と道場にやって来た。初めて見る大男が異様に長い竹刀を振っている。更にはそのスピード。全力で振り切る力もさることながら、振り下ろしてから構えるまでがとても速い。癖のない素振りは名のある剣士にしか見えなかった。
「お嬢、誰なんです? まさか道場破りですか?」
社会人クラス筆頭の清水が聞く。彼は一般兵であるが守護兵団の下士官を務めている。任務のない日には道場でその腕を磨いていた。
「清水殿、奴は新人だ。今日、入門したばかり。今は素振り一万回を課せられているところだ……」
「一万回!? あの大竿は鉄柱がベースになっているやつでしょう!?」
信じられないと清水は首を何度も横に振る。彼も手にしたことがあるのだろう。ちょうど五千回振ったところと聞いて彼は再び感嘆の息を吐く。
「お嬢が指導されているので?」
「まあ私は見ているだけだがな。全くの素人だから素振りしかすることがない。それより清水殿、乱取りの相手をしてもらえるか?」
熱心に素振りをする一八から玲奈は視線を外す。注意しなくとも手を抜かぬ彼を見ては自身も稽古を始めている。
瞬く間に二時間が過ぎた。社会人クラスの稽古は終わり、全員が道場をあとにしていく。
「9000!」
九千回のカウントが道場に響いた。残された門下生は一八のみ。さりとて武士の指導が終わるようなことはなかった。
「一八、腰が曲がっているぞ! もっと背筋を伸ばせ! 声を張って気合いを入れろ!」
「はい! 師範!」
武士の指示に一八は姿勢を直す。疲れから前屈みになっていた。正しい素振りをしないことには何回振ろうが意味などないのだ。
大量の汗が流れている。一八は夕食から一度も休憩していない。疲れからペースは落ちていたが、それでも武士は休めと言わなかった。
社会人たちが道場を出てから二時間。ようやく一八が一万回の掛け声を上げる。最初の五千回と比べると、かなりの時間を要した。一万回を振り下ろすや一八は道場に寝転がってしまう。
「ふむ、七時間か。こんなことでは合格など不可能。一八よ、騎士は諦めなさい」
やり終えた一八に非情な通告が成される。言い付け通りに素振りをしたというのに、諦めろと武士はいう。
「ちょっと待ってください! 俺はもっとできる!」
「ほう、どれくらいならできる?」
「五時間……。いや、四時間を切ってやる! だから最後まで指導してください!」
玲奈は口出ししなかった。彼女的には評価していたから。一万回という素振りは苦行ともいうべき稽古。それも通常の竹刀ではなく、何倍も重い大竿でやり終えたのだ。しかし、師範である武士が駄目だというのだから口を挟めなかった。
「最低でも四時間を切ることだ。細かな指導はそれからとなる。できないと思うのなら、もう剣術は諦めろ」
友人の息子であったはずが、今や完全に師弟である。道場生以上に厳しく武士は指導していた。
「玲奈、今日は遅くなったから一人で勉強する。けど、そのうち必ず勉強できる時間を残す。素振りを夕飯までに終わらせてやる」
疲れていただろうに一八は武士に礼をしてから道場をあとにしていく。今からは勉強の時間である。一八は一人奥田家へと帰って行った。
残された玲奈。父武士に視線を合わせては疑問を口にする。
「父上、どういうつもりだ? 一八は魔力伝達すら知らなかったぞ?」
一八は魔力伝達を知らないと話していた。魔力を竹刀に流し込めば硬化させることも重量を軽減させることも可能だというのに。
「ずぶの素人が魔力伝達とかこざかしい。余計なことは考えず、素振りをするだけでいいのだ。仮に魔力切れとなってみろ? 魔力伝達の重さに慣れすぎてしまえば、魔力切れの際に奈落太刀を振れなくなる。儂の指導は窮地に陥ったとき必ず役に立つはずだ。お前もあの馬鹿力を見ただろう? 実に面白い素材じゃないか。力だけで大竿を一万回も振り切れる。またその根性は素晴らしい。一年間徹底的にしごき抜いてやるわ。試験官はいけすかん騎士共だ。奴らは受験生を見下しておる。よって儂は騎士共を叩きのめすほどに一八を鍛え上げるだけ。ひょっとしたらひょっとするやもしれん……」
どうやら武士は一八に期待しているらしい。厳しく指導しているのは彼が決して折れないことを分かってのこと。最後まで逃げ出さずについてこれるのなら期待できるとまで考えている。
試験は現役の士官が担当することになっていた。主に配備したばかりの新人が請け負う仕事だが、中には引退前の老剣士も含まれている。
「しかし、父上が無償で教えてやるとは思わなかったな? もしかして一八は父上が三六殿に内緒で清美殿に産ませた子供ではないのか?」
「玲奈よ。儂はちゃんと月謝を受け取っておる。それにERO属性など持っておらんわ」
「父上、それをいうならNTRだ。Rしか合っていないじゃないか?」
ふははと武士は笑っている。先ほどまでの厳しさが嘘のようだ。
一方で玲奈は薄い目をしつつも安堵していた。一八が月謝を払うなんて思いもしなかったのだ。
仕事であれば武士が指導の手を抜くことはない。出来る限り力になってくれるだろう。よって、ここから先は一八の頑張り次第だと思う。
ただでさえ狭き門。潜れるかどうかは彼の努力次第に違いない……。
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