合格するには……
翌朝のこと。一八はいつも通り柔術部の朝練に向かっていた。
昨晩もあまり寝ていない。当然のこと彼は勉強していた。ずっと苦手だと考えていた【学び】というもの。しかし、目標が定まった今は稽古と同じように集中できていた。自分でも不思議なくらいに打ち込めている。
「絶対に合格してやる……」
思い出すたび腹が立った。浅村ヒカリに稽古を受けたこと。完膚なきまでに翻弄されてしまったのだ。現状の一八はあの体たらくによって突き動かされている。
ジョギングにて登校しようと走り出した瞬間、
「おい、一八!」
聞き慣れた声が一八の足を止めた。振り返るとそこには長く美しい黒髪を持つ幼馴染み。部活に入っていない玲奈とは出会うはずがなかったというのに。
「ロードワークって感じでもねぇんだな? 玲奈……」
玲奈は制服を身に纏っている。日課としているランニングなどではないようだ。
「うむ、貴様を待っていたのだ! 昨日の結果を聞こうかと思ってな!」
どうやら玲奈は昨日のことで一八を待っていたらしい。彼女は武道学館側の実行委員が変更になったものとばかり考えているようだ。
「ああ、すまない。連絡してなかったな。実行委員は玲奈が知っている通りだ。変更はない。実行委員には俺を含めた四名……」
「なに!? 本気か、一八!? 貴様なら全員を半殺しにしてでも、その役割を降りると考えていたのだが……」
絶対に変更があると考えていたらしい。それこそ一八であれば間違いなくその役割から逃れたはずだと。
「玲奈、俺だって高校生活を締めくくる大イベントを成功させたいんだ。皆で作り上げる体育祭。一生の想い出になるんじゃねぇか?」
予期せぬ理由に玲奈は驚いていた。これは彼女が知る一八ではない。一八ならば面倒事の全てを嫌がると考えていたのに。
「遂に貴様も悟ったのか? 全くその通りだな。皆で作り上げる体育祭は間違いなく良いものになるだろう。まして準備に参加したのなら、達成感がまるで違うはずだ!」
満面の笑みを浮かべながら玲奈が言った。カラスマ女子学園としては余計なイベントであるが、玲奈自身は割と楽しみにしているようだ。
「分かるぜ。やはり達成感が違うよな? 早く来ねぇかなぁ……実行委員会……」
「ん? 何か言ったか!?」
「いやいやいや、何でもねぇ! こっちの話だ! とにかく頑張ろうぜ!」
取り繕う一八を薄い目をして見つめる玲奈。何となく意図は理解した。一八がなぜ実行委員会に参加するのか。
「おい一八、貴様の参加を咎めはせんが、あまりはしゃぎ過ぎるなよ……?」
「当たりめぇだろ? ようやく俺にも女神の加護とやらがあったのかもしれねぇ。この年になって初めてのチャンスだ。絶対に彼女をゲットしてやるぜ。委員会早く来ねぇかなぁ!」
一八の浮かれっぷりに玲奈は呆れていた。転生前の希望を知っていたから、その気持ちも分からなくはなかったのだが……。
「悦に入ってるところ誠に申し上げにくいのだが、基本的に委員会は個別に行動する。まだ校舎が繋がっていないからな。ついでに意見の摺り合わせは私が行うことになっている」
玲奈による補足は瞬間的に一八を冷凍した。完全に動きを止めている。玲奈が心配してしまうほど彼は微動だにしなくなった。
「謀ったな、玲奈ァァ!」
「いやいや、勝手に妄想したのは貴様らではないか!」
女神殿の加護であるなら、こんなものだろうよと玲奈は爆笑している。
「しかし、誰よりも頑張れば貴様のことを気に入る女生徒だっているかもしれんぞ? まったく交流がないわけではないからな」
「ちくしょう……。まあでも俺はやるよ。やるべきことは全てやるって決めたんだ。実行委員会だって教員へのアピールになる。体育祭は絶対に成功させるぜ……」
本当に生まれ変わったかのようだった。玲奈自身も過去を捨てたばかり。一八が新しい人生を強く歩み始めたことを玲奈は察している。
「貴様は怠惰に暮らしすぎた。一年くらい無茶をしてみろ? 何だったら勉強を教えてやっても良いぞ?」
意外な話が返ってきた。それは願ってもない話である。教科書を読むだけでは分からない問題が幾つもあったのだ。ここは玲奈に頭を下げるべきかもしれない。
「まじか? 悪いけど頼む。お前の空いている時間でいい」
「当然だろう? あと貴様が騎士学校を目指すのなら剣術は必須だ。心得はあるか?」
玲奈の話は頭が痛いことである。確か三六は武士に襲いかかって無理矢理学んだと話していた。かといって玲奈に同じことをするわけにはならない。
「やっぱ柔術じゃ受験できないのか?」
「魔道科や支援科であれば剣術は必要ない。だが、その他には剣術科しかないのだ。勉強が苦手で魔法も得意でないのなら、剣術科しか選択肢はない」
本当に時間が足りないと一八は思う。けれど、どうしても諦められない。生まれて初めて明確な目標を設定できたのだ。簡単に引き下がるつもりはなかった。
「おい玲奈……」
一段と低い声が響く。加えて鋭い視線。殺気にも似た凄まじい威圧感が玲奈に向けられていた。
「俺に剣術を指導しろ……」
頼みごとであったというのに、一八は命令するように言った。彼の決意は本物であり、断ることを許さない。どんなに嫌がろうとも稽古をつけてもらおうと決めている。
「ふん、ならば柔術部は引退しろ。朝と晩。私は道場で稽古している。徹底的にしごいてやるからな……」
玲奈は柔術部の引退を条件とした。勉強だけでなく剣術まで始めるのなら柔術に費やす時間を削るしかない。それこそが合格への道だと言いたげである。
「主将のまま卒業した方が評価されるだろうが?」
「今さらだろう? 一年と二年でインハイ王者。それ以上に何が必要だ? 理由を聞かれたならば、受験に備えるためだと言えば良い。夏を前に引退などよくあることだ……」
十七年に亘り続けてきた柔術。部活を止めるだけであったものの、一八を形成する大部分の要素であったはず。それは生半可な決断ではなかった。
「玲奈、約束しろ。必ず合格レベルまで持っていけ。俺は合格してぇんだ……」
決断には確約が欲しかった。心に空く大きな穴を埋めるため。目標に手が届くのならば、捨ててやろうと思う。
「誰に師事すると思っている? 私は試合で一度も負けていないのだぞ?」
期待通りの返答に一八は笑みを浮かべた。随分と出遅れた一八だが、柔術に充てた時間を全て剣術に費やそうと決めた。岸野魔道剣術道場には師範の武士もいる。心強い援軍に違いない。
共に歩いて来た二人だが、アネヤコウジ武道学館前で別れる。一八は武道学館へと入り、玲奈もまたカラスマ女子学園へと向かう。
二人共が神妙な面持ちであったのは一八が本気であることと、玲奈もそれに気付いたからだろう。
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