武道学館の異変
アールヌーボー様式の美しい校舎を出て、キャンパス全面を彩る芝生を通っていく。
カラスマ女子学園はどこを見渡そうがゴミ一つなく、目に潤いを覚えるほどに壮麗であり煌びやかだった。
だが、学園をあとにしアネヤコウジ武道学館の校門前まで来ると世界が一変する。とても同じ法人が経営しているとは思えない。無機質なコンクリートの壁。黒ずんだ校舎が醸し出す荒廃感はある意味新鮮である。加えて窓には鉄格子まで取り付けられており、全体的な印象は学校というより刑務所だ。
「やっぱ凄いね。アネヤコウジ武道学館は……」
「まったくですね。魔道車通学ですので普段は通り過ぎるだけ。武道学館がここまで荒れ果てているとは考えていませんでした……」
改めて戸惑う恵美里と舞子。その一方で玲奈は周囲に視線を投げながら彼女たちの前に立つ。
「全力でお守り致しますが気を付けてください。こんな豚小屋に住むようなやつらです。性癖が歪んで当然なんですから……」
三人が校門の前で話をしていると黒い影が視界に飛び込んできた。かといって、それは武道学館生ではない。とても小さな黒い生き物だった。
「あああっ! 玲奈ちゃん、黒い柴犬の子供よ! 可愛い!」
三人に駆け寄ってきたのは子犬である。出迎えようとしているのか、愛らしい尻尾を小刻みに振っていた。
直ぐさましゃがみ込んだのは舞子だ。目的も忘れて子犬とじゃれ始めている。
「癒やされるわぁ。校舎の方から走ってきたけど、もしかして武道学館で飼われてるのかな?」
「舞子殿、それはあり得ません。恐らく、それは緊急時の非常食でしょう。でもなければ、豚共が餌を与える理由はありませんからね……」
またそんな冗談をと舞子。玲奈の忠告をまるで聞いていないようだ。抱き上げては柴犬の頭を撫でている。
「子犬のように見えますが、実は地獄の門番ケルベロスやもしれません。舞子殿、懐柔されるのであれば慎重にお願いします。今のうちに手懐けておれば、不意打ちを避けられるやもしれません」
玲奈の分析にアハハと笑う恵美里と舞子。少しも心配していないようである。
しかし、グルリと校内を見渡せばガラの悪そうな連中が目に入った。如何にも不良といった感じ。恵美里と舞子の二人は流石に尻込みしてしまう。
「玲奈さん、本当に大丈夫ですか……?」
恵美里の問いかけに、玲奈は一歩前へと進む。まあ任せてくださいと玲奈はドンと胸を叩き、戦いの準備なのか長い黒髪を後ろで纏めて竹刀を右手に握った。
既に放課後である。従ってアネヤコウジ武道学館も大勢の生徒が帰宅しようとしていた。
玲奈を先頭にして三人は歩いて行く。恵美里と舞子は過度に緊張していたけれど、そんな二人も校門を潜るや異変に気付いた。何やら様子がおかしいことに。
「玲奈さん、お疲れさまっす!」
「玲奈さん、お先に失礼します!」
「玲奈さん、ご苦労様です!」
明らかに前回とは異なった。全員がすれ違い様に頭を下げて玲奈に挨拶している。どうやら、この二日で彼女の名前は全校生徒に知れ渡ったらしい。
「玲奈ちゃん、いったい何をしたっての? たった一日で……」
堪らず舞子が尋ねる。少なからず揉め事を覚悟していた舞子にとって、お姫様のような扱いの玲奈は完全に予想外だ。
「風神と雷神を倒したら、全員が大人しくなったのだ!」
「何それ!? 人間よね……?」
話を聞いたあとでもさっぱり分からないが、とりあえずは喧嘩に発展する危険がなくなったのだと理解している。
校庭を抜け、三人は古びた校舎の入り口へとやって来た。
「玲奈様、ご機嫌麗しゅう。奥田会長は生徒会役員室にいらっしゃいます。ご案内いたしましょう」
校舎の前にいた大男が頭を下げた。これには舞子も恵美里も唖然としてしまう。凶悪そうな顔と体格。だというのに彼はとても丁寧な対応をしていた。
「雷神、気が利くな! それで風神はどうした?」
「は、風神めは玲奈様の一撃に耐えきれなかったようで入院中でございます。何でも頭蓋骨を骨折しているのだとか……」
しれっと恐ろしいことを聞いてしまい恵美里は青ざめ、舞子は震え上がっている。
二人は昨日の放課後に何があったのかを察していた。これ程までに男子生徒の態度が一変したのは、それだけのことがあったから。頭蓋骨骨折などカラスマ女子学園では聞いたこともない大怪我である。
「見舞いは必要か?」
「いえいえ、とんでもございません! 風神めが未熟であっただけ。玲奈様にご足労いただく必要など少しもございませんので!」
それならば結構と玲奈。相手の大怪我にもかかわらず彼女は大きな声で笑っている。
正直に恵美里は人選に失敗したと思う。玲奈の剣術を知っていたからこその抜擢だが、男の子相手にここまで圧倒してしまうなど想定を遥かに超えている。
雷神こと来田の案内により、三人は何事もなく生徒会役員室へと到着。小さく二回ノックをしてから、玲奈が徐に扉を開いた。
「頼もう!――――」
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