英雄(ヒーロー)皿を洗う
才人は小さなことからも、真理を見出すものですね。
シオジにも10歳のころから人生観が有ったようです。
そしてお姉さまが登場します。
私も姉が居りました。優しくて、純真無垢な人でした。
姉妹のいる男性は、女性の強さ弱さを見て育つので、優しい方が多いように思います。
シオジも母と姉の影響を、父親以上に受けながら育つはずです。
シオジは皿を洗っていた。
(まるで家族に罰を受けてるかのように見えるだろうが、これは心の鍛錬だ)
天駆と呼ばれた英雄イッキウスの言葉に、
「水はすべてを流す。武も智も、水の教え以上のものはない」というものがある。
(この単純に見える家事にも、神髄が込められている)
シオジは黙々と家族の食器を洗いながら、様々な工夫を試していた。
(水は高き所より、低き所へ流れる。その逆をなさせるのは王侯といえども、し難い)
皿は下に、椀は上にと重ねられて、すすぎの水は無駄なく全体を洗い流していた。
(つまりは戦局においても、自然に逆らわず、その力を利用することで、少ない力で勝つことができるということか?皿洗いを通して軍略を会得できる。さすがは俺。さすがは賢者予定者)
シオジの理屈はさておき、この日々の経験が10年後の彼の身を厨房見習いとして助けることになるとは、さしもの賢者予定者にも先読みができてはいなかった。
「ちょっと、賢者(笑)」ほどなく姉が厨房へ現れた。彼女もまた、シオジの逆らいづらい相手の一人だった。そして彼女も賢者の呼び名の後に、一拍を置く。
「その罰は継続することにして、来週からは草刈りもさせるように父様から言付かっています」
「罰ではないです」
「えっ?」
「罰ではないのです。姉上。私は悪いことはしておりません」
「じゃ、そのことも父様には伝えておきます」
「うっ、それは…」弟が姉を弱弱しく見上げる。若干の媚を含んだ、甘えの残ったまなざしだ。
「賢者は、反省もできない愚か者だったかしら?」
「わかりました。私に掛けられたご期待に向後もお応えいたしましょう」
姉は無言となり、数秒の後、肩をすくめた。
「時々、あなたが天才なのか?馬鹿なのかがわからなくなるわ」
シオジは、それに動ぜず姿勢を正した。
「姉上。馬鹿なふりをできるのも、賢者の資質の一つです。爪は隠してこそ意味があるのですから」
「そうね。あなたがそうだといいわね。でも、逆に馬鹿なのに賢者のふりができる器用者もいるかも知れないわ」
「それは面白い。このシオジも、そのような者が居たら、後学のために見てみたいものです」
爽やかにほほ笑むと、シオジは姉に頭を下げて見せた。
「本当に、姉として、そうであってほしいわ」
姉グローリアは、その名を体現するような存在である。暗闇でも燃えるように輝くのではないかと思われるようなオレンジ色の髪に似合う、豪華な容貌をしている。臣下一位の宰相に連なる一族の誉れと言われているほどだ。だが、それは一面のこと、優れた頭脳は十三歳という若さである種の悟りと、家族へのあふれ出るやさしさを生みだしていた。
「ねえ、シオジ、お姉さん、あなたにお願いがあるのだけど」
改めてかけられた呼びかけに、弟も何事かと向き直る。
「あなたがもし他の方々を見て、愚かだとか感じたとしても、口に出してほしくないの」
「姉上、それは何故ですか、馬鹿には馬鹿と教えてあげることも、優しさでは?」
弟の方は、不満顔を見せる。いつもの甘えでもある。
「お姉さんは、そういう言葉があまり好きではないの、だからかわいいあなたが、そんな言葉を使っていたら、たぶん悲しんでしまうと思うの」
姉は理由を自分の感情の問題だという。シオジが心の中で思うことまでは止められない。彼もそれを理由に他人を蔑むまではしないとわかっているからだ。事実、一番の友人は相当の変わり者という。
「そしてね。もし人との関係で失敗したり、悩んだりしたときは、お姉さんに相談するなり、愚痴を言いに来たりしてほしいの」
「はい。姉上のお望みのままに」
シオジも紳士の礼で姉へ応える。
「それでは、心の鍛錬を続けてくださいね」
「はい!」
やはり罰ではないのだ。家族も実はシオジの夢を応援してくれているのだ。
シオジは満足して、大好きな姉の後姿を見送った。
つたない文章を読んでいただき、ありがとうございます。
頭の中だけの構想を棚卸してみたところ、本編よりも少年時代編の方が、大作になりそうです。
そしてシオジは素敵なお姉さんに愛されて、普通なら素直な青年に育ちそうなものですが…
お姉さんは、シオジの驕慢さを心配しながらも、それを欠点として矯正するような素振りは見せません。たぶん、自分自身気付かなければ、改まることが無いとわかっているのでしょう。
本当に賢い人ってのは、こういう配慮ができる人だと思います。