俺と母と団地
夕日が沈みかけ、夜へと移ろうとする魔の時間帯。
この時間だけ、俺は世界に受け入れられてると感じる。
俺の散歩コースはもっぱら、住宅街から少し離れた竹林。
人通りが少ないこの場所に来ると、頭の中のゴチャゴチャした感情と向き合える。
俺は365日、1日中家かこの場所に居る。
何も生み出すことのない日々の中、焦燥感と不安だけが身体を蝕んでいく。
俺はこれからどうなるんだ。
人並みに幸せになれるんだろうか。
それともーー
辺りを見回すと、すっかり日が落ちようとしていた。
夜へと完全に移ってしまう。
そしたら俺は現実へ戻らなければいけない。
うっそうと生い茂る竹藪を手で切り開き、住宅街へ出る。
通りに人の気配こそ少ないが、明かりを灯した家からは温かい声が聞こえる。
俺も帰ろう。
家に。
ーー
「ただいま」
そこそこ大きめの声で言い放ち、靴を脱いだ。
「おかえり。ご飯出来てるから、手洗っといで」
台所からは母の声が聞こえ、食欲をそそる良い匂いがする。
「はーい」
俺は空返事をし、洗面所へと向かった。
手洗いとうがいを済ませ、水滴を拭っていると見慣れないハンドソープが目に入った。
「タルカンマ?」
ハンドソープの名前らしい。
ラベルにデカデカと表記されている。
さては母の仕業だな、
母は世界の珍妙なモノが好きで、よく買ってくる。
つい1年前にも、家に帰るとリビングに陸亀の甲羅が飾ってあるという事件を起こしていた。
こんなモノ、どうするんだと聞いたら。
運気が上がる、貴方にぴったりじゃないかしらと言われ。
それ以上、何も言えなかった。
ーー
「今日遅かったな、どこ行ってたん」
母が料理を並べながら、問いただしてきた。
「ちょっと散歩。いつもの場所を」
「そうか。近頃は危ないから気を付けや。特にB棟は危ないから」
「はいはい」
俺はなんとなく聞き流しながら、テレビに目をやる。
画面では自分と同年代であろう少年達が、煌びやかな衣装を身に纏い。歌い。踊っている。
こんなところでも、自分がダメな人間であると突きつけられてる気がして、お腹が痛くなった。
「はい!全部完成したで、はよ食べよか」
料理が出揃い、母も食卓に腰を下ろしていた。
「父さん。今日も遅いの?」
「遅なるみたいよ。だから先食べな」
俺は頷き、料理に目をやった。
瞬間ーー思わず茶碗を落とした。
その音にビックリした母が目を見開く。
「なによ、急にどないしたん」
俺は食卓に盛られた料理を指差す。
「なにコレ……」
指差す先には、蛍光グリーンのゼラチン物質が皿に盛られている。
「なにって……クニュパロやん。あんた好きやろ」
「これが……クニュパロ……」
「そうやで。あ!!あんたご飯落としたまんまやん」
母は床に散らばった、ご飯粒を拾い集め。
ぶつくさ言いながら台所へと入って行った。
皿に盛られた料理?はクニュパロというらしいが、とても食べ物には見えなかった。
「なんだよ、これ」
手に取って触ってみると、スライムに近い触感だ。
このおかしな状況の中、真っ先に頭に浮かぶのは。
ーー 俺のニート同然の状況に遂に参ってしまい、母の頭がおかしくなってしまったという事 ーー
そんな事を考え出すと、自己嫌悪に陥るスイッチが入ってしまった。
一度そうなると、もう食事の気分ではなくなり。
自室で休む事にした。
食事をいらないと言い。
母を心配させ、また傷つけてしまったが、スイッチが入ってしまったから仕方ない。俺の所為じゃない。
ーー
翌日、俺は日課である散歩へと出掛けた。
家に居ると窮屈さを感じる。
別に貶されたり、暴力をされてる訳じゃない。
その逆で、両親は精一杯やっている。
父も母も、俺を励まし、再起させようと手を尽くしてくれている。
ただ、それに応えられない自分がいる。
そんな板挟みの環境に居ると、もう気持ちがグシャグシャになってしまうから、毎日人通りが少ないこの時間に外へと赴く。逃げるように。
ふと、足が別れ道で止まった。
「そういえば、B棟って」
昨日、母がポロッと話したB棟を思い出した。
B棟は、俺が幼少の頃住んでた団地だ。
俺の進学に合わせ、学校に近い今の家へと引っ越してきたのだが。
何故だか、そのB棟が気になる。
俺が今立つ、別れ道の左側を直線で進めば、すぐにでもB棟だ。
ーー
「何も変わらないな」
俺の足は、幼少期の思い出の道を選んでいた。
寸分も違わず、記憶の中と一緒の光景。
外界を断絶する様に、立ち並ぶ団地群。
その中心には、子供達の憩いの場である簡易的な遊具があるのだが、夕日が落ちようとする時間帯に子供達はおらず。
公園一帯が何処か、不気味さと懐かしさを醸し出していた。
俺はベンチへ腰掛け、遊具を見つめた。
どれもこれも、俺が遊んだものだ。
ここのブランコから落ちて、歯を折ったよなとか。
ここでの写真家にあるなとか。
ふと視線に違和感を感じた。
ブランコの向こうの向こうに、人が立っている。
ただ人がいるだけなら、違和感は感じないが。
その人は、立ち止まったまま俺の事を見ている気がするのだ。
「なんなんだよ。クソ……」
小さく呟いた。
強がらなくてはいけなかった。
そうしなければ、この団地の異質さと不気味な人に、呑み込まれてしまいそうだから。
俺は体に緊張感を抱えながら、身を翻し走り去った。
途中後ろを振り返ると、まだ人影は俺を見ていた。
ーー
「ただいま」
肩で息をしながら、玄関にへたり込む。
「おかえり。どうしたん、汗すごいけど」
母がリビングから顔だけ覗かせた。
俺は早く安心感を得たくて、普段なら自室へと直行する所、母のいるリビングへと向かった。
「変な人いたから、逃げ帰ってきた」
「ほら、いつも言ってるやん。こんな時間に散歩は危ないって。あんた男の子やからって、危ないもんは危ないんよ」
母は興奮した様子で、日々の自分の教えを説いている。
俺もさっき起きた出来事もあり。
真面目にとはいかないが、頭には入れるよう耳を傾けた。
母の話が一通り終わり、やっと喋る番が回ってきた。
「あのさB棟行ったんだけど。やっぱりあそこ治安悪いの?だから引っ越したとか」
母の顔がこちらを振り向き、目が見開かれた。
「B棟行ったの……」
「うん。なんか懐かしくなって、浸りに行ってた」
母の様子に少し戸惑いながらも、嘘を付く必要も無いし、正直に話した。
「あんた良かったね。あそこはもう、クラ神様の所だから行っちゃダメよ」
「え」
「クラ神様がいるから、サルガギされちゃうの」
「何言ってんの、意味わかんねぇよ……」
「サルガギされたらもうダメなの。だからアンタは本当に運が良かった」
制止を無視し淡々と語る母に、俺は夕方感じた不気味さを思い出し自室へと駆け込んだ。
ベッドへと倒れ込み、今日の出来事を振り返る。
昔の家……。
不気味な人……。
母の様子……。
「あれ。そう言えば俺って、一人であの公園で遊んでたっけ」
自分自身に問いかける様に、呟いた。
俺はあの公園で、誰かと一緒にいたはずだ。
そして記憶の中の、母の話し方も違ったはず。
いつから関西弁になったんだ。
俺は考え続けて、やがてドアがノックされた。
「あんた、ご飯出来たよ。タトバイ作ったから早よ来な」
母が扉ごしに、捲し立てる様に言った。
「うん。今行く」
俺は考えるのをやめ。
タトバイを食べる為、食卓へと向かう。
タトバイは俺の好物だ。
「面白かった」
「続きが気になる、読みたい!!」
と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!!
ブックマークもいただけると本当に嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします。