2.Cielo
透のスカウトをきっかけに、この三人の少し変わった関係がスタートした。
「お二方は、僕よりも一年早くこの学校に通っていらっしゃるはずですから、来る六月の第四週目の五日間がブロックの本番であるということはご存じですよね?」
「ああ」
「うん」
透はこの先何をしようか考えずに二人を引き入れようとしたわけではないらしい。先輩である英利と纏に対して指揮を執るようにこれからのことについて説明しようとしている。まさに今、空き教室で作戦会議中ときた。
「我々に残された期間はあと二ヶ月を切っています。今は四月の終盤です。他のユニットはテーマも曲も決まり、予選に向けてもうすでに練習を始めています」
真剣な顔つきで話を続ける透。適当な場所に座っている英利と纏は、彼がいかに本気かを改めて実感する。実際、校内予選はたったの五ブロックしかなく、その枠に約二十チームが押し込められて、トーナメント戦への切符を奪い合うのだ。透はまだ一年生で、この世界のシビアな事情を肌で感じたことがあるわけではない。だが、それを受け入れる覚悟は十二分にできているという態度だった。
「つまり、俺たちへの猶予はもう無いも同然って言いたいわけね?」
「そうです、纏さん!」
口を挟んできた纏に、透は拳を握りしめて同調する。
「じゃあまず何から始めようってんだ。俺たちはユニットなんて今まで誰とも組んだことねえし、今の時点じゃ使い物にならねえぞ。ここまで話したからには、この後のことももう考えてんだろ?」
早く話を進めてほしそうにしている英利に対して、透は自信たっぷりに答えた。
「当然です。まず僕たちが一番にすべきこと、それは————」
ホワイトボードに大きな文字がひとつひとつ、透の手によって描かれていく。
「ユニット名とテーマ決めです」
透は自分たちの勝利への第一歩を踏み出すかのように言った。
「ユニット名と…」
「テーマ…」
俺たちには今まで縁のなかった言葉だ、というような顔でホワイトボードに書かれた字を見つめる二人。
「はい、僕たちが栄光を手にするに相応しい形を今から決めるのです。三人で頑張って意見を出し合いましょうねっ!」
透は胡散臭そうな良い笑顔で、元気よく言い放った。
*
「いろいろ出たな」
彼らがお互いに意見を出し合っている間に、もう一時間もの時が過ぎていた。
「どれがいいと思う~…?」
纏は疲労した様子で机に顎を乗せながら二人に意見を聞く。こういう地道な作業はあまり得意ではないようだ。
「纏さん、あと少しでこの長いトンネルを抜けられますから。もう少し辛抱なさってください」
透がさりげなくケアをする。彼らと同じ机のある位置からホワイトボードに書かれたたくさんのユニット名候補を眺めながら。
「……うむ…。どれも僕たちが目指すのに過不足ない名前だと思います」
過不足ない。どれもいい。しかしその言葉は何か一際輝く部分は特に無い、という意味でもある。要は量産型の『有象無象』というわけだ。
そんな風に頭を捻っている時、とある一つの文字が透の目に飛び込んできた。
「“Cielo”?」
「あっ、それ?俺が考えたやつ~!イタリア語で“空”っていう意味だよ。ネタも尽きてきたころに、窓の外見てたら何となく思いついたんだよねえ」
Cielo…。空…。透はその言葉から目が離せなくなる。
「でもさあ、俺たちシダスの“プレイヤー”はみんな星座って言われてるじゃん?みんなそれぞれ特別な星の一つ、ってさ。だからSIDASっていうんだろうけどね。そう思うと意外にイケてるって感じない?」
纏が特に深い意味を考えずに言った言葉に対して、透は雷に打たれたようにハッとなる。
「空ねえ…。“星が輝くのに一番うってつけの場所に立つべき奴ら”だって言いたいわけか。お前も大層なことを考えるもんだなぁ」
英利のその一言が、彼らの絆の在り方に名前をつける決定打になった。
透は急いで前の方に戻ると、大きな音を立てて教卓を叩く。
「これです…ッ!!」
「「は?」」
二人は先ほどの大きな音に驚くと同時に、透の振り絞るような声に気が抜けたように答えた。それに構うことなく、透はやっと何かが舞い降りてきた、という風に嬉々と話しを続ける。
「これですよ、僕らが勝利を掴み取るのに最もふさわしい、他の何よりも『特別』なユニット名は!」
透の盛り上がっている様子に茫然としていた二人だったが、やがて英利がすべてを解ったような表情で口を開いた。
「へえ、自分で言っておいてなんだが、そりゃ確かに勝者にとって申し分ない名前だな」
「Cielo、ね…!いいねいいね!なんかワクワクしてきたーっ!」
纏も二人に連なるように、自分たちのユニット名を口に出して高揚した。
たった三人しかいないはずの教室の空気は、大きな熱で沸きあがっている。その空気を少しだけ冷ますかのように、透は優しく、かつ真面目に英利と纏に語りかけた。
「英利さん、纏さん。僕たちは…お互いの利益のためにユニットを結成しました」
「?うん…?」
「そうだな…?」
二人はさっきとは大きく変わった、落ち着いている透の様子を見て、また頭の上にはてなを浮かべる。
「他のユニットと比べれば、僕たちにアドバンテージが無いことは火を見るより明らかです。ですが、そんな彼らに勝っているものがひとつだけ…僕たちにはあります」
透は丁寧に言葉を紡いでゆく。
「それは“絆”です。僕たちの関係は、互いの目的を達成するためだけに始まった。だからこそ、それを達成するまでは絶対に断ち切ることができない。単純な仲違いでは簡単にちぎれることがない、確固たるものなんですよ」
英利は気分が良い、というように表情に自信を滲ませながら微笑んでいる。その横で、纏はどこかホッとしたような表情を浮かべていた。
「もちろん、それ以外の関係性を卑下しようとしているわけではありません。ただ、僕たちの繋がりは誰よりも特別で稀有で強い…と申し上げたいだけです」
二人はその言葉を聞き、心臓が高鳴るのを感じる。
「おう」
「もっちろん!」
英利も纏も、透の言葉に応えた。その返事を聞くことができ、透は嬉しい気持ちを隠すことができないまま、二人に言った。
「はい!これからともに頑張りましょう、兄者!」
「「兄者ぁ!?」」
妙な呼び方をしてきた透に、二人は仰天する。
「これからはお二人のことは兄者と呼ばせていただきますよ。なにせ、絶対服従を誓った尊敬すべき方々ですから!」
透が仰々しく、高らかに手を天にかざしながら大きな声で言う。
「なんだそのふざけたような呼び方は!今すぐやめろ!」
英利は恥ずかしそうに抗議したが、透は依然として撤回する気はない、といった様子である。
「いいえ、そう呼ばせていただきます。僕の強い意志をお二人に感じて頂くためにも!!」
「もう充分感じた!感じたからやめろや!てかお前、俺たちには絶対服従なんだろ!?」
「その部分は管轄外ですね」
「てんめえ…」
二人の攻防が続く中、纏はとても楽しそうにその様子を見ながら言った。
「俺は兄者、オッケーだよ!オールオッケー!めーっちゃ面白いじゃん?」
「流石は纏さんです!いえ、纏の兄者!」
静かな教室で巻き起こる小さな青春を、沈む夕日だけが眺めていた。