ティータイム
健二は時間通りに時計台の前にやってきた。
「ごめん、待った?」
「ううん、私も今来たところ。」
紗江はかじかんだ手をこすりながら微笑んだ。
「それじゃあ、行こうか。」
「うん!私、喫茶コーシカずっと行きたかったんだ!」
健二はここ最近の紗江を心配していた。何を言ってもうわの空で、しょっちゅうため息をつく。理由を聞いても
「うん、まあ、大したことないから。」
と言ってなかなか教えてくれない。紗江はいつも自分の悩みとか困っていることは話したがらないが、何も相談されないのもこちらとしては気になる。というかいい加減話してほしい。仕方がない、食べ物で釣ろう、と誘ったのが「喫茶コーシカ」だった。
「コーシカ」というだけあって、店の外も中もところどころ猫が隠れている。そこが猫派の紗江にも刺さったようで、席に着いてからもあちこち隠れにゃんこを見つけては写真に収めていた。
「よく飽きないな。ほら、メニュー。」
「ああごめん、可愛くてつい…。」
受け取った紗江はパラパラとページをめくると、はたと手を止めた。
「これだ…。」
呟いてプレミアムパンケーキに狙いを定める。二段重ねのパンケーキに生クリームやフルーツがふんだんに乗っている魔のメニューである。おそらく最初からこれを頼もうと決めていたのだろうが、迷っているふりをしているようだ。
「どれにするか、もう決まった?」
紗江は「んー」とつぶやきながら、先ほどから狙っていたパンケーキを指さした。
「これかなあ」
「お、いいじゃん。俺も早く決めないと。」
健二はメニューで顔を隠した。財布の入っている鞄を恨めしそうに見やる。今日は自分のおごりにしようと決めていたのだが、やはりこういう喫茶店はファミレスとは違う。もう少し多めに持ってくればよかった。そうでなくても、この店は健二の苦手な甘いものばかりだった。どうしよう。そう思っていると、ふとメニューの隅のバニラアイスに目が留まった。
「健二は決まった?」
「…うん、今決まった。じゃあ注文しちゃおうか。」
「ご注文をどうぞ」
「ミルクティとプレミアムパンケーキを一つずつ」
心なしか、紗江の声が明るい。次は健二の番だ。
「それと、ストレートティと…バニラアイス一つ。」
えっ、それで終わり?という紗江の視線には気づかなかったことにして注文を終わらせた。
「なんかごめん、私だけがっつり頼んじゃって…。」
「いやいや、昼に食べ過ぎてさ。」
紗江の右の眉が上がった。
「今日のお昼ハンバーガーだけだったよね?」
「…そうだっけ。」
「なんかごまかしてる?」
「いや?」
「…ああそっか、そういえば健二甘いものあんまり食べなかったね。もっと早く気づけばよかったなあ」
別に、甘いもの食べてる紗江は好きだし、なんてこの状況では死んでも言えない。慌てたようにお冷を飲む健二に、紗江は怪訝な顔を向ける。それからにやりとした。
「今日の健二はいやに気遣ってくれるねえ。何かやましいことでもあるの?」
ほらほら早く言いなさいよ、今なら怒らないから、と言うが、健二は今回ばかりは失敗したくなかった。もう少しタイミングを見計らいたいところなのに、こういうところで勘が鋭いから困る。
「いや、ほらあの、今日はさ…お前の誕生日が近いから。」
「え、私の誕生日覚えててくれたの?」
紗江の顔がぱっと輝いた。
「私、誕生日とクリスマスいつも一緒にされちゃうから…。」
「一緒にされるっていうか、クリスマスが誕生日だもんな。」
「そう!だから誕生日だけ単体で祝ってもらえるなんて久しぶり!」
「ちょっと早いけど。」
「そこはまあ、健二に免じて許してあげよう。」
紗江はふふんと鼻を鳴らした。もう健二への違和感は忘れたようだ。健二は紗江に聞こえないように、そっと息をついた。
しばらく他愛のない話をしていると、店員がグラスを持ってきた。
「お待たせいたしました、お飲み物です。」
先にきた飲み物に紗江が口をつける。それを見て、健二も紅茶を飲んだ。そろそろ切り出すか。健二が口を開きかけたとき、紗江が感心したように言った。
「よく砂糖とか入れないで飲めるね。」
「ん、ああ、うん。」
ずいぶんまぬけな返事になってしまったのが自分でもわかった。
「私ストレートティ飲んだことないの、コーヒーもブラックは飲めないな。」
「コーヒーよりは苦くないと思うけど。」
「えっ、そうなの?」
「うん……あのさ」
そこへまた店員がやってきた。
「プレミアムパンケーキと、バニラアイスでございます。」
ごとん、とパンケーキがテーブルに鎮座する。直後にアイスもやってきた。
「うわあ!すごい!写真撮るから、先に食べてていいよ。」
完全にタイミングを見失ってしまった。家族に自慢しようと写真を撮る紗江を見ながら、もう少し後で切り出そうかな、と考えた。
紗江はひとしきり撮り終わると、パンケーキを切り分けて口に入れた。途端に目をぱっと見開き、健二を見てにっこりした。健二もつられて頬が緩む。
「うまい?」
「うん、これすごい。」
目を閉じて味わう紗江を見ながら、健二もアイスを口に入れた。思わず笑いが漏れる。
「アイスってこんなにうまかったっけ。」
「そんなにおいしいの?一口ちょうだい、私のもあげるから!」
「いやそれはいい。」
言いながら、こういう喫茶店もたまにはありかもな、と思った。紗江を誘った目的を危うく忘れるところだった。
やがてパンケーキはなくなり、紗江はナイフとフォークを置いた。
「ああ、おいしかった!」
「それはよかった。」
紗江はすっかり上機嫌だ。おかげで隙をついて伝票を取ることに成功した。
今しかない、と健二は確信した。今のこの最高に機嫌が良いときでなければ、紗江はため息の理由を話してくれない気がする。
「紗江、」
声が裏返りかけた。
「あのさ、今日誘ったのはもちろん紗江の誕生日が近いからってのもあったんだけど。」
「うん。」
紗江も背筋を伸ばす。
「その…最近何か悩んでるみたいだったからさ、俺でよければ話してもらえないかなって。」
嫌ならいいんだけど、と付け加えるまで、なぜだか紗江の顔を見られなかった。まるで告白でもしているような気分だった。
紗江は目を丸くしながらしばらく黙っていた。やがて彼女は口を開いた。
「…大したことじゃないって思うかもしれないけど、いいの?」
「うん。」
唾をごくりと飲む。
「実はね…うちのニックのことなんだけど…。」
「ああ、紗江ん家の猫か。ニックがどうかした?」
紗江は視線を落とした。
「ニックがね、最近よく自分がとってきた獲物とか私に持ってくるの。カエルとか…。どうにかならないかなって…。」
一瞬、時が止まった。それから健二は大きく息をついた。紗江には悪いが、本当に大したことではなかったようだ。
「健二、笑ってる?」
「いや笑ってない、笑ってないよ…ニックが、獲物を。」
「怖いの!気持ち悪いとかそういうの通り越して怖いけど、怒るに怒れなくて…。」
思わず噴き出した。
「紗江、子猫だと思われてるんじゃないの?」
健二は脛を蹴られた。