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95.火蓋は切って落とされた

「ゴメンね工藤さん」


 帰りの電車に揺られながら、美也子は工藤に謝罪した。


「櫻子さんと遊びたかった?」

「ええと……少しね」


 だが工藤の声にも表情にも怒りの色はない。


「でも、これでよかったような気がするわ」


 彼女も気が付いていたのだ、櫻子の魂胆に。女としてそれに乗るか、年相応の慎みを持つべきかを迷っていた。

 さすが学級委員、と美也子も安堵の息を吐く。


「私に協力しろとか、櫻子さんを裏切れとかは言わないよ」

「そうね、私はきっと、櫻子さんの味方をするわ」

「うん、それでいいよ。……でも、工藤さんは気付いてるよね、私が魔女になってること」

「……ええ」


 遠慮がちに工藤は頷く。


「それを櫻子さんに言わないでくれたことは有り難いかも。おかげで、あの人は私を舐めていた。きっとその油断は私に有利に働く」

「……だといいわね」


 しばしの沈黙。電車の騒音と周りの乗客のぼそぼそした会話だけが耳を抜けていく。

 聞くなら今だ、と美也子は口を開く。


「工藤さん、ずっと聞きたかったんだけど……」

「……ええ、佐原愛奈のことでしょ」


 理解が早くて助かるが、相変わらずの呼び捨て。


「もう話してくれてもいいでしょ。どうして愛奈のこと、嫌うの?」

「あの人からは何も聞いてないの? 例えば、前世のことを」

「いや、魔精だったことしか聞いてないよ」


 そう言うと、工藤はこれ以上なく不愉快そうに顔を歪めた。陶然と櫻子を見つめていた少女と同一人物とはとても思えない。


「そう。どうして死んだかも聞いていないのね」

「そんなこと聞けるわけないでしょ。……工藤さんは何か知ってるの? むしろ、知り合いだったとか?」


 すると、工藤はうつむき、声のボリュームを落とした。


「櫻子さんが言っていたでしょ。前回の優勝者、異世界シングラの魔導師は、私の元いた世界、グイラセランとの和平を望んだって」

「それで、失敗したって言ってたね」


 工藤は唇を噛んだ。


「……シングラの魔精どもは、その優勝した魔導師に手を出したのよ」

「え、殺したってこと?」


 剣呑な事態を想像して眉根を寄せると、工藤は頭を横に振る。


「いいえ、よってたかって骨抜きにして、和平も何もかも台無しにした」

「骨抜き?」

「そう。優れた魔導師から魔力を搾り取るため、己の欲望のためだけにその優勝者の男性に……」


 そこで工藤は言い淀んだ。美也子には意味がよく分からないが、今は黙って工藤の続きを待った。


「だから私や私の家族は、今でいうテロみたいなものに巻きまれて死んだし、シングラでは『魔精狩り』が始まった」


 凄絶な話に、美也子は言葉を失った。


「たぶん、佐原愛奈はその狩りで死んだはず。でもよりによって私と同じ年に、同じ世界の同じ国、こんなにすぐそばに転生するなんて」


 吐き捨てるような工藤の物言いに、恐る恐る聞いてみる。


「神様は、何もしてくれなかったの?」

「神が出てくるほどの大きな戦いにはならないの。ただ、お互いの過激派がやり合っているだけ」


 工藤は涙を堪えるように上を向いた。美也子はその表情の中に憎悪を見つけ、鳥肌を立てる。

 険しいままの顔で工藤はゆっくりと美也子を見た。まるで自分が責められているかのような気持ちになり、美也子は息を呑む。


「シングラとグイラセランでは、魔精は永久に駆逐すべし、転生後も許すまじ、と何国もが宣言している。……どういうことか分かるわね?」

「転生後も、ってことは、愛奈が元魔精ってバレたら……」

「狩人が来るわ」


 剣呑な単語に、美也子は唖然とするしかない。


「だから千歳さん、私は、あなたが佐原愛奈と友達でいる以上、絶対にあなたに与することはできない」


 その時、電車が目的の駅に到着した。扉が開く前に工藤はさっと立ち上がった。


「もし狩人がやってきたら、私はその人に協力するから」

「えっ」


 それは、愛奈を殺すことに協力するということではないのか。

 扉が開いた瞬間、工藤は小走りで駆けていく。


 美也子が電車を降りた時には、既にホームに工藤の姿はなかった。

 

 去り行く電車に呆然と視線をやりながら考える。

 愛奈は、元いた世界を恋しがり、そちらでの家族や友人に会いたいと望んでいた。

 ということは、己がなぜ死ぬことになったのか、今も命を狙われていることさえ知らないのではないだろうか。

 

 話すべきか、黙っておくべきか。

 話せば怯えさせるだろう、もしくは知己らの安否を確認するため、すぐにでもシングラへ帰りたいと願うかもしれない。


 ――それはさせられない。


 外気温は恐らく40度近いはず。それでも美也子は手足が冷たくなったような感覚に陥り、しばし動けなかった。





『イザベルさんへ』


 駅のベンチに腰掛け、美也子はかつて己を襲った魔女に宛てたメールを作成していた。

 日陰になっていても蒸し暑さに汗が吹く。それでも何かが美也子を突き動かし、ただちにこれをせずにいられなかった。


 愛奈のことは気がかりだ。だからこそ今は投票戦のことを考えたかった。

 二頭の竜を追う者は必ず両腕を食われると、リューも言っていた。事は順繰りに片づけていくべきだ。


『一度会いましょう。私もお話したいことがあります。それから、アスラのコミュニティの人たちとも会いたいです。その場でも、別の機会でも構いません。夏休みですから、時間は作ります』


 ためらいはしたものの、もうどうにでもなれと送信ボタンをタップする。


 イザベルは、『契約した悪魔の名に懸けて危害を加えない』と送って来た。

 それは魔女にとって最高位の誓いだとリューは言った。イザベルのことは信用できずとも、リューの言葉ならば心底信じられる。


 ちなみに、日本語で送った。渡界してきたのなら、エイミのように何語だって読めるはずだ。


 スリープモードに入ってしまったスマホの画面を注視すると、張りつめたような顔の自分が映っていた。

 たった数時間ですさまじく疲れてしまった。懸念事項が大量に増え、解決策の模索をせねばならない。いつものように面倒くさいなどと言ってはいられない。


 数分ほど自分とにらめっこしていたが、そういえば今は何時だろうとスマホのスリープを解除する。

 メールアプリのアイコンの右下に、新着を示す『1』の文字が出ていた。

 まさかイザベルではないだろう、早すぎる、と思いつつ確認してみる。


 そのまさかだった。

 すべて平仮名で、これだけ書いてある。


『いまからあいたい、ふたりで』


 一瞬、断ろうかと思った。さすがに今からは急すぎる。

 いや、もう火蓋は切って落とされた。矢吹櫻子との投票戦は始まっている。


『構いません。どこに行けばよいですか?』


 ただそれだけ、送信する。もしひと気のないところを指定されたらリューを呼び出そう。もしくは遠方にいるのならば、その時は後日でいいだろう。


『このまえあったおみせのよこのカフエは?』


 ――この前会ったお店の横のカフェ。

 リューを連れて行ったあのデパートの建物の外、同じ敷地内に、全国チェーンの喫茶店がある。

 今いる駅からは、近辺を通るバスが出ているはず。


『三十分以内に行けます』


 それだけ返して立ち上がり、駅の階段を駆け上った。

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