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87.夕餉と入浴

 悪魔たちの去った日の夜。

 宣言通り定時で帰宅した母と共に、美也子は近所のファミレスで夕食をとっていた。

 

 運転中も、食事が運ばれてくるまでも、母は他愛もない話しか振って来なかった。今朝の件に関して追及がないため、美也子は油断しきって食事を楽しんでいたのだが――。


「すっきりした顔してるわね」


 ハンバーグをナイフで切りながら、母はぽつりとそれだけ言った。目線はあふれる肉汁に向けられている。

 美也子はライスを頬張りながら、その鋭さに目を見開いた。


 口に物が入っているのをいいことに、美也子はむぐむぐと呻って曖昧な返事をしてしまう。

 今朝の悩み事が解決したことなど、母にはお見通しというわけか。詳細を突っ込んで尋ねてくる様子がないため、安心して嚥下する。


「あの小さな悪魔の子はどうしちゃったの?」


 話題が完全に逸れたため、さらに安堵する。


「元居た世界に帰ったよ。お母さんが寂しがるなら、また呼ぶよ」

「……いや、いいわ」


 複雑そうに笑って、母はハンバーグを口に運ぶ。やはり非現実的な存在は受け入れがたいようだ。


 それから、夏休みの宿題の進捗、進路のこと、塾に行ったらどうかという嫌な話題が続いた。それでも久方ぶりの母子水入らずに心が躍り、美也子も饒舌になる。

 学校生活のこと、友人のこと、祖父母のことなど、話題は尽きない。


「そのキーホルダー、可愛いわね」


 会話が途切れたと思った時、母は美也子のトートバッグを指さした。

 そこには、ウサギを模したバッグチャームがぶら下がっている。


「うん、友達からもらったの」


 答えながらもつい苦い顔になってしまう。

 祖母からもらった置物に向かってマウンティング行動を取った不届き者には、暴力を以って制裁を加えた。おかげですっかり大人しい。

 今は完全にぬいぐるみに擬態しており、耳と顔の隙間にチェーンを通して無理矢理カバンにつけた。


 母の口元がにやりと歪む。


「男の子から?」


 そんなことを言われて、慌てて首を振った。


「違う違う!」

「あら、そう」


 わざとらしく嘆息し、母はハンバーグを刻む作業に戻った。


 マスカラとアイシャドウで彩られたその目を見ながら、いつかエイミとのことを話さなくてはいけないなと美也子は思う。


 ――将来を誓ったということを。


 それは今ではない。

 決して先延ばしをしているわけではない。美也子がもう少し大人になって、己の言動に責任を取れるようになってから。

 たった十五歳の小娘の誓いなど、大人からすれば吹けば飛ぶようなものだと自覚している。

 

 その日が来たとき、きちんと認めてもらえるように土台を積み上げておかねばと強く思う。


「ねぇ、岐阜のおじいちゃんちにはいつ行くの?」


 努めて明るい声で、違う話題を提供した。





 帰宅後すぐ、留守番していてくれたエイミとお風呂に入った。

 彼女は夕飯として、お昼の残りの素麺を食べたそうだ。申し訳ないので、明日は二人で豪勢なものを作ろうと思う。


 二人きりの入浴は二日ぶりだが、ずいぶん長い間、二人の狭間にリューがいたような気がする。


 いつものように向かい合って湯船に浸かり、心地よさに身も心もとろけさせていた時だった。


「あの悪魔と何回口づけなさったのですか?」


 不意に届いたエイミの声に、慌てて姿勢を正す。


 まじまじその顔を見ると、いつものように柔らかい笑みを浮かべていた。口調だってやんわりとしたもので、何も恐れることはないはずなのだが、美也子は少しだけ戦慄した。


 正直に答えることが誠意だろうと、記憶を掘り起こしながら指折り数える。

 そして激しく後悔した。


 たった三日で、五指で数えねばならぬほどしたのだと、エイミにひけらかしてしまったからだ。

 まずい、と眼前の少女の顔色を窺うと、笑顔のまま固まっていた。


「いや、口づけしたんじゃなくて、されたの。私からしたことなんてないよ」

「左様でございますか、うふふ」

「あ、あはは」


 双方白々しく笑ったあと、美也子は鼻まで湯船に沈んだ。

 エイミの追撃は止まらない。


「そういえば、以前ご命令なさいましたね。ご主人様が不在の夜、わたくしがお母様にどうやって身体を洗われたか再現するようにと。結局うやむやになっておりましたが、同様のことをわたくしが求めても、お怒りにならないでしょうか?」


 もちろん美也子が『お怒りになる』はずなどない。それでエイミの機嫌が直るのならば、そうしてくれればいい。

 だが、それを再現すればきっとエイミが『お怒りになる』。


 呻りながら、美也子は激しく思考を巡らせた。

 彼女の機嫌を直し、また今後嫉妬心を抑え、安心させてやるために、自分には一体何ができるだろうか。


 ――アクセサリーを贈るか。


 最初に浮かんだのは指輪だが、サイズが分からないとどうしようもないし、ネックレスだと体毛が絡みつくだろう。

 あの獣の耳にイヤリングというのも難しそうだし、腕輪や腕時計あたりが無難だろうか。

 気恥ずかしいが、思い切って聞いてみる。


「あの、こっちの世界では、好きな人と添い遂げるって決めたら指輪を贈るんだけど、ネヴィラではどうなの……?」


 照れ隠しに自分の髪を指に巻き付け、戻し、また巻き付ける。

 エイミも美也子の意を察したようで、どこか照れながらも答えてくれた。


「ネヴィラでも指輪や腕輪など、揃いの物を贈る風習はありますね……。ただ、少し前時代的な風習ですが……」

「ぜ、前時代的なんだ。じゃあ、イマドキの人はどうしてるの?」

「ええと、耳飾り用の穴を開け合ったりします」

「なにそれこわい」


 つい呟いてしまったが、よくよく考えれば、ピアス穴を開け合うということか。

 ピアッサーを使えば比較的楽にできると聞いたことはあるが、やはり怖い。

 母の両耳には計三つ開いているため、やってしまっても怒られないとは思うが、果たしてエイミの獣耳に対してそれを行ってもいいものか。

 眉間にしわを寄せて考え込んでいると、エイミがぼそりと呟く。


「わたくしはすでに覚悟ができております」

「へっ」

「どのような痛みにも耐える覚悟がっ!」


 突如上半身を乗り出してきたエイミに、美也子は申し訳なさそうに言うしかなかった。


「ゴメン、校則違反だ……」

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