85.魔女の帰還
「わたしの愛しい魔女よ!!」
美也子は、その歓声により覚醒した。
元居たリビングに帰って来たのかと思った瞬間、脇に手を入れられ、軽々と抱き上げられた。犯人はもちろんリュー。
俗にいう『高い高い』のポーズだ。急な事態に、美也子は悲鳴を上げた。
「契約は成った! まこと目出度い!」
リューの笑顔はついぞ見たこともないほどに晴れ晴れとしている。まるで難関校に合格した受験生の親のようだった。
「ご主人様!」
「美也子!」
エイミと真由香が寄ってきて、不安そうに美也子を見上げている。
「ちょ、ちょっと降ろしてよ!」
抗議するとリューはその通りにしてくれたが、美也子の足が床についた瞬間、背後から抱き締められた。
エイミの表情が冷ややかなものに変化してく。これはよくないと、背後の悪魔を思い切り突き放した。
「大丈夫だよ、私は私のまま帰ってきた。傷付くようなことも、変わっちゃうようなこともない」
眼前の少女二人の顔を交互に見ながらゆっくりと言う。
「まぁ、ほとんどリューのお陰だよ。代わりに、魔女になったけど……」
「ご主人様、ご無事でよかった!」
感極まったようにエイミが抱き付いてくる。その薄い胸の中で息を吸い込み、愛しい体臭を確認する。
「ちょっと、離れなさいよ!」
真由香の文句にエイミは素直に従った。目尻を指でぬぐいながら数歩後退し、顔を伏せる。心配を掛けるあまり、泣かせてしまったようだ。
「美也子、あなたが魔女になってくれて、私は嬉しいわ」
両手の指を合わせながら、どこかもじもじと真由香が言う。
「でも、記憶はどうなったの?」
「リューが管理してくれるって」
悪魔を仰ぐと、得意げな顔をしている。
「なるほど、そういう手段もあったのね……」
感心する真由香の手を、美也子はしっかりと握った。
「真由香ちゃん、魔女同士、これからいろいろ教えてもらえる?」
「あっ、ああ、私……」
耳まで赤くなった真由香の瞳に涙があふれる。
「こんな夢みたいな日が来るなんて思わなかった」
ぐすっと鼻をすすり上げてうつむいたため、美也子は慌てて手を離した。解放された両手で顔を覆い、真由香は静かに泣き始める。
ただ同胞になっただけで、どうしてこんなに感涙に咽ばれるのか、理解しかねる。
涙する二人に困惑していると、背後からリューが腕を伸ばしてきたため、すかさずかわす。まったく油断も隙もない。
「あら~ん、盛り上がってるわねぇん」
お通夜のようになっているリビングに、明るい女性の声が響いた。
「は~い、ごきげんよう」
真由香の影から姿を現した女悪魔を見て、美也子は目を剥き大声を上げた。
「どうしたの、その怪我!」
右の角が折れ、左頬から耳にかけて痛々しい裂傷が走っていた。血は止まっているようで、白いかさぶたができている。
「あら~ん、心配してくれてあ・り・が・と」
いつも通りの明るい声で礼を言われる。
己の悪魔の惨状を見た真由香はすっかり涙が引っ込んだようで、愕然と口を開けた。青ざめ、震える声で詰め寄る。
「あ、あんた、どうしたの……?」
「何でもないのよん、アタシの可愛い蜂蜜ちゃん」
「何でもないわけないじゃない!」
感情的になる真由香に、女悪魔は駄々っ子を見るような顔をして見せた。
「そのうち治るから大丈夫よん」
「そのうち……って。誰にやられたの!?」
真由香は女悪魔にすがり付く。犯人の名を言えば、たちまち復讐へ向かいそうな剣幕だ。
なんだかんだ、真由香もあの女悪魔が大好きなのだろう。
美也子の傍らのリューが、大きく溜め息をついた。
「『あいつ』にやられたか」
「そうねん、勝手にあなたを連れ出したから、『お姉さま』に怒られちゃった~」
女悪魔は自分を小突く仕草と共に舌を出した。お茶目な所作も、無残な傷口があっては台無しだ。
「わたしを連れ帰るよう言われたな」
「そうなのよ~ん。ちょっとだけでいいから、顔を出して欲しいのぉ」
「仕方あるまい」
リューは女悪魔の元へ歩いて行った。その背中に静かな憤怒を感じる。
「ただちにスンヴェルへ帰る」
「ありがと、助かるわ~ん」
身体をくねらせて礼を言う女悪魔の頬に、リューがそっと手を添えた。そして優しく口づける。
所作こそ優しいものの、『ただくっつけるだけ』ではなく、吸い上げるようなキスだった。しかも長い。
――あ、あれは、大人のキスだ。
美也子は目を背けた。同じく気まずそうな真由香と目が合う。
「水をかけますか?」
エイミがそっと囁いてきたので、それはいい考え、と頷く。だが、気付いた時には悪魔たちは離れていた。
すでに、女悪魔の角も傷も元通りになっていた。意味もなく衆目下で破廉恥な行為を始めたわけではなく、魔力を分け与えて治療していたらしい。
「まったく腹立たしいな。『あいつ』は一体いつまでわたしの保護者気取りでいるつもりか」
口角を舐めながらリューは独り言ちた。
その麗しい横顔を、美也子は半眼で見つめてしまう。いくら治療行為とはいえ、あんなに簡単に他の女性とキスをするリューに、間違っても唇を許さなくてよかったと思う。
美也子のことが好きならば、もっと誠実な態度で示して欲しいものだ。リューの気持ちに答えられない自分に、そんなことを考える権利はないと分かってはいるのだが。
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