83.ゴースト イン ザ ウィッチ その5
「記憶を引き継ぐという神との約束は果たした。悪魔に引き継いではならないという約束などしていないしね」
クリスデンは、年甲斐もなく悪戯っ子のように笑って見せた。
「責務を果たしたら、死者は死者らしくするよ」
「そんな……」
あまりに唐突な宣言に、美也子は頭を振るだけだった。
表情を強張らせる美也子とは反対に、クリスデンはにやにやしながら言う。
「あれ~、寂しいんだ?」
「た、多少は……」
「おや、素直だな」
調子が狂ったと言わんばかりにクリスデンは頬を掻く。その仕草は、困った時などに美也子も自然とやってしまう。
「ねぇクリスデン、エイミに会ってあげるつもりはないの?」
思いついたことを言うと、クリスデンの瞳が再度凍る。それでも構わず続けた。
「昔、私のお母さんにしたみたいに、一時的に人格を表に出して、話をするつもりはないの?」
「そんなことをして、何の意味があるのさ?」
冷えた声。美也子には反論できなかった。
「死人が表に出て、ゴメンねエイミ、これからは千歳美也子ちゃんと仲良くやるんだよ、って言えばいい?」
「……ごめんなさい」
恥じ入り、うつむく。あまりに子どもらしい、浅慮なことを言ってしまった。
しばしの沈黙に、クリスデンはうって変わって陽気な声を出した。
「うーん、空気が悪くなっちゃったね。もっと明るいお別れの方が僕の……互いの好みでしょ?」
曖昧に頷く美也子に向ってクリスデンは唇に指を添え、お茶目な様子で言った。
「君と僕、最大の共通点を教えてあげようじゃないか」
「な、何?」
クリスデンは大仰に手を広げる。
「と~ってもモテる。そしてそのせいでいつも苦労する。たくさんのトラブルが降りかかる」
「はぁ? そ、そうかなぁ」
いきなり何を言うのかと戸惑い、美也子は首を傾げ心当たりを模索する。
とりあえずエイミと真由香が該当するが、彼女たちは元々クリスデンに好意を持っていたのだし、美也子自身が『とってもモテた』記憶はないのだが。
「ええー、自覚ないんだ。信じられなーい」
わざとらしい声で非難され、苛立つ。よく見ればリューまで頷いていた。
「僕は愛奈ちゃんが好きだなぁ」
どことなくいやらしい物言いに、美也子は友人が汚されたような錯覚を覚えた。というか、エイミのことはどうしたというのだ。つい軽蔑の眼差しを向けてしまう。
「あー、そういう目で見られると傷付くよ」
だがどことなく嬉しそうだ。己の前世の姿とはいえ、やはりこの男のことは理解しがたい。
肩をすくめたクリスデンは、再びリューを見る。
「では、あとはあなたに任せる。どうぞ心ゆくまで、この子の記憶を漁って、良心に従って蓋をしてあげてくれ」
「言われるまでもない。この娘の無垢な心が壊れることはわたしの望むところではない。貴様の汚らわしい記憶はわたしの中に留めておく」
「汚らわしいって言われると悲しいなぁ。間違ってはないけど……」
いじけるようにうつむくクリスデンの顔が、不意に持ち上がる。
「そうだ、もう一つ!」
美也子に向って人差し指を立てる。
「矢吹櫻子の話をよく聞くんだ」
ここでその名前が出たことは意外だった。
十三世界の神話を書いている謎の女性。美也子に会うため、わざわざ大阪からやって来てくれるその人とは、再来週に会う約束がある。
「彼女の話を聞いた結果、恐らく君と僕の考えは一致するはず。その時、僕がこの世界の神と結んだ密約も、その理由も分かるだろう」
「どうして、あなたから話してくれないの?」
「僕が言えば、どうしても僕の意思が混ざる」
クリスデンは瞬きもせず言う。
「たとえ魂が同じだとしても、育ちや年齢が違えば、異なる判断をする場合もあるだろう。もしくは、考え付きもしないことだってあるかもしれない。それを、ジジイの僕じゃなく、若い君が判断して欲しい」
「あなたと同じ考えを持つことができなければ、どうなるの?」
「どうもならない。その時はそれでいい」
美也子は混乱し、言葉を紡ぐことができない。
リューが口を挟む。
「記憶を受け継いだあと、わたしから話してもよいが、それは貴様の願いではなさそうだな」
「ああ、死人の遺志を汲んでもらえて助かるなぁ、悪魔王」
にっこりと笑ったあと、大魔導師は手を振った。まるでほんの一時の別れのように。
「じゃ、そういうことで」
「クリスデン……!」
「これで本当に『おしまい』だ。本当に長くて面倒で、くそったれな人生だったよ」
笑みを浮かべたまま、クリスデンはしみじみと呟いた。
「あの、私……」
もっとたくさん話したいことがある気がするが、何も胸から出てこない。ただ一言絞り出す。
「ええと、ありがとう……」
「礼などいらないよ。僕は君にすべての面倒ごとを押し付けようとしている」
それは恐らく本心だ。男は同情の目で美也子を見ている。
「そんなっ、でも、待って……」
美也子の呼びかけに答えることなく、異世界の大魔導師は薄く笑って霞のように消えて行く。
「ああ……!」
何か大切なものを喪失してしまったような感覚に、うつむいて胸を押さえる。
再度見上げた時、もはや何もいなかった。
「ありがとう!」
すでに聞こえてはいないだろうが、それでも言わずにいられなかった。
白い空間に、耳が痛くなるような沈黙が満ちる。
彼とは二度と会うことはない。その永遠の別れの余韻に、自分の身体をきつく抱いた。
「さて」
突然、リューに強く肩をつかまれ、美也子はびくりとする。
「やっと二人きりになったな」
夜を待ちわびていた恋人のような物言いに、美也子の危機センサーが激しく反応した。