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80.ゴースト イン ザ ウィッチ その2

「何やってるの!」


 慌てて駆け寄る。意識の中なのに、肉体の感覚があり、いつもと同じように動くのはとても不思議だ。


「リュー!」


 腰元にしがみつき制止する。その美しい顔を仰ぐと、冷ややかな目でクリスデンを見下ろしていた。

 当の大魔導師は痛みを感じた素振りもなく、苦笑しながら美也子を見た。


「久々の再会なのに、これはひどいじゃないか。助けてくれない?」

「手を出すな」


 短いリューの言葉には、静かだが沸き立つような怒りが含まれていた。


「何が『記憶の守り人』、『メッセンジャー』だ。都合のよい言葉で無知な小娘をたばかったな」

「……どういうこと?」


 恐る恐る問う。クリスデンはへらへらしたまま黙している。

 リューは低い声で続けた。


「この男は、お前の前世ヒュー・クリスデン『そのもの』だ。お前の魂の深奥に住み着き、お前の肉体を乗っ取る日を待つ亡霊だ」


 すぐに意味が理解できなかった。その言葉を反芻し数秒後、ようやく背筋に冷たいものを感じる。


 それは薄々感じていたことだった。

 かつて話をした時、彼は『英単語』『JK』などという、ネヴィラには有り得ないだろう単語を使用した。美也子の見聞きしたことを同じように記憶して、流暢に話し、感情まで発露するその存在は、間違いなく一個の人格。


「こいつは消す」

「えっ、ちょっと……!」

「えっ、ちょっと……!」


 リューの宣告に、美也子とクリスデンの言葉が重なった。声音こそ違えど、まったく同じイントネーション。思わず男を見ると、彼もまた美也子を見た。

 驚いたようなクリスデンの顔が、すっと無表情になり、そして口元だけで笑う。


「僕がただのメッセンジャーでないことは認める。でも、身体を乗っ取るなんてとんでもない。まあ、それらしい理由をつけて僕を消した方が、悪魔にとっては都合がいいもんね」

「ぬかせ害悪め。この娘はわたしがもらい、わたしが愛でる。貴様は邪魔だ」


 台詞だけなら、リューの方が悪役に思えるが。


「この悪魔の言う通りにして、君はそこで傍観しているかい? それとも、エイミの愛した僕を信じて話を聞いてくれるかな?」


 クリスデンにエイミの名前を出されて、美也子はどきりとした。

 眼前の男がクリスデン自身であるならば、彼の言うことは最もだ。彼を信用しないということは、彼に焦がれたエイミの気持ちを軽んじることになる。


 だが、美也子は素直に自分の心に従った。


「リュー」


 その細い腰を強く抱き締める。それは制止ではなく、選択。

 この悪魔とはたった三日の付き合いで、事あるごとに美也子を口説いてセクハラしてくるが、それでもなぜか今は彼女のほうが頼もしかった。

 選ばれし者は、さも愉快そうに口角を吊り上げ、牙を剥いた。


「よく言った、あとでたっぷり可愛がってやる」

「いや、それはいらない」


 冷静に断り、そのままクリスデンを見下ろす。

 クリスデンは、満面の笑みを浮かべて見せた。


「君は今、自分の勘に従ったね。偉い、聡いよ、大正解だ。悪魔は決して嘘をつかない」


 まるで教え子が難問に正解した時のような朗らかさ。だが少しばかりわざとらしい。


「じゃあ、やっぱり私を乗っ取るつもりだったの?」

「そうだね」


 あっさり肯定され、美也子は頭を振った。


「どうして……」

「どうしてって、そりゃあ、新しい肉体で新しい生をやり直したかったから……」

「違う。どうして、今までそうしなかったかって聞いてるの」


 クリスデンの瞳を真っ直ぐ覗き込む。


「赤ちゃんの時にそうすればよかったでしょ? エイミが来る前にそうしておけばよかったでしょ? エイミがさらわれた時、身体を乗っ取って助けに行くことだってできたでしょう……!?」


 美也子が叫ぶたび、クリスデンの顔に苦悩が刻まれていく。


「君は残酷な子だなぁ」


 ぽつりと漏らされた台詞に、息を呑む。


「踏まれて這いつくばったまま会話をしろって? まったく、いい趣味をしている」

「あ、ごめんなさい。――リュー、話をするくらい、いいでしょ」

「癪だが仕方ない。この空間では、わたしのほうが有利だからな」


 難色を示しつつ、リューは大人しく従ってくれた。

 解放されたクリスデンは、難儀そうに立ち上がると腰を押さえて伸びをした。それから首と肩を回す。年寄臭い仕草だ。この意識の中でも、肩がこるというのだろうか。


「まったく、とんでもない大物悪魔を連れて来るんだから……」


 ひとしきりストレッチを行うと困ったように笑い、美也子を見た。


「どうして今までそうしなかったか、君はもう勘付いているはずだ」

「……私の、お母さんのため?」

「そうだよ」


 クリスデンの瞳の中に哀憐の情が満ちた。


「肉体がある程度成長したら、そうしようと思っていた。でも、産みの母の……静香さんが泣き喚いている姿を見て、気が変わったんだ」


 それはかつて、クリスデンが意図的に見せてくれた記憶。父を亡くし、祖母にすがり付く母の姿。


「人格の交代は、人格の死だ。僕は、あの人から娘を取り上げることはできなかった。あの優しい人から、ご夫君に次いで娘まで失う苦しみを与えることなど、とてもできなかったんだ」


 ――やはり、立派な男だ。

 美也子は胸が温かくなる感覚を覚えた。きっと自分の中にも、この男の優しい心が生きている。

 礼賛を述べようとした時、しばらく黙っていたリューが口を開いた。


「ならば、いつまでこの娘の中にいるつもりだ。一つの魂の中に、二つの人格が存在していてよい道理はない。気が変わったのなら、死人は死人らしく去れ」

「去れ、か」


 ははっ、とクリスデンは笑った。

 穏やかだったその目が、唐突に昏く濁る。

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