79.ゴースト イン ザ ウィッチ その1
「いつまでグズグズ泣いてるのよ、鬱陶しい!」
真由香の辛辣な言葉がリビングに響く。
あんまりな物言いに美也子は嘆息した。
美也子が告白をしてから、エイミはずっと泣いている。ティッシュボックスを抱えて、キッチンカウンターの奥に隠れるようにしゃがみ込んで鼻をすすっている。
美也子はその傍らで頭を撫でてやるしかない。
前世の記憶を取り戻すと決意した美也子のために来てくれた真由香を、無下にはできない。同時に魔女契約もすることになるため、同胞の誕生を見守る意図もあるようだ。
ちなみに、今日はなぜか女悪魔を連れて来てはいなかった。
きっと真由香は、辛い選択をした美也子を哀れんでの涙だと思っているだろう。
『私がプロポーズしたから、エイミは感極まって泣いてるんだよ』なんて説明できやしない。
リューは何かを察したようで、ソファに座りこんでぶすっとしていた。
「気持ちが決まっているのならば、待つ意味もない。やるぞ」
すっくと立ちあがったかと思うと、一陣の風が吹き、家具やカーテンを揺らした。カレンダーが壁から落ちそうになり、美也子は思わずリューを睨んだ。
風が止むと、リューは本性を現していた。同性でさえ見とれるほど美しい、艶麗にして昂然たる姿の女悪魔。
美也子のTシャツを着ていたため、先日のように破れてしまうことはなかったが、下半身が丸出しだ。全裸よりも性的に感じる。
えっ、これどうしよう、と股間の白い毛を見ながら思う。真由香も赤面しつつ魅了されているようで、まじまじとそこを見ていた。
スカートでも履かせてやるかと自室へ取って返そうとした時、手を引かれる。
いつの間にかすぐそばにリューが立って、美也子の手首をつかんでいた。昨日と同じ白い衣をまとい、頭一つほど高い位置から美也子を見下ろしてきている。
「来い」
「どこに行くの?」
「お前の部屋だ」
「ここじゃダメなの?」
「衆人環視の中でする気か?」
そんなことを言われても、エイミと真由香しかいない。
「ずっと前に真由香ちゃんの悪魔に記憶を見てもらった時は、普通にここでやったよね」
真由香に同意を求めるが、答えてもらえなかった。リューが睨みつけているからだと遅れて理解する。
それに抗議しようとした時、リューがずいっと顔を近付けて来た。思わず手を掲げ、接近をガードする。
「何のつもり?」
「魔力をもらうだけだ」
「今朝したでしょ!?」
今のは、恐らく失言だった。案の定、エイミが『何をしたのか』という目で見上げてきている。泣き腫らし真っ赤だというのに、その瞳はしっかりと美也子たちを審尋していた。
「ま、まだ足りないの?」
「いや、足りている」
不貞腐れたように答えるリュー。その美しい横顔に見とれながら、美也子はソファの方へ促した。
「ここでいいよね? 隠れてするようなことじゃないよね、真由香ちゃん」
「そ、そうね。私の時も、母が見てたわ」
経験者の同意を得たため、どっかりとソファに座りこむ。
「じゃ、どうぞ」
勢いのままそう言う。本当は、今にも心臓が口から飛び出そうだった。
これが終わった時、果たして自分はどうなっているのか――。
リューは美也子の横ではなく、膝の上にまたがってきた。薄い衣越しに肌が擦れ合う感触に、美也子は悲鳴を上げる。
キッチンの方では、立ち上がったエイミが非難がましい視線を向けてきており、とても気まずい。
「こちらを見ろ」
短い言葉に、素直に従う。
リューの黄金色の瞳が闇色に濁り、浮遊感と共に意識が落ちる――かと思えば再浮上した。
開始しようとしてやめたのだと悟り、何事かとリューを窺う。
彼女は眉間にしわを寄せ、牙を剥き、すさまじい怒りをあらわにしていた。
「馬鹿者!」
ついぞ聞いたことのないような大声で怒鳴られ、首をすくめる。
「お前は、すでに記憶を魔精に触られているではないか!」
魔精と言われ、浮かぶのは当然友人の愛奈のことだった。
お泊り会の日、『楽しい夢を見せてあげようとした』と言われたことを思い出す。そのために記憶に干渉しようとしたのだと。
「お前の記憶の一部には、その魔精が場所を作っている。そいつを呼べ、八つ裂きにしてやる」
「はぁ!?」
前半の言葉はよく理解できなかったが、後半の友人への殺害予告に、美也子も憤然と言い返す。
「そんなの絶対ダメ! そうしないと契約しないって言うんなら、もういらない!」
『いらない』という単語にリューは怯んだ。
「っ、ではお前は無力のままだ!」
「それで結構ですぅ!」
美也子の気勢にリューが鼻白み、視線を逸らす。それは、彼女が折れたのだということを示していた。
そういえば真由香が、『悪魔と契約する時は言い負かして有利に立て』と言っていた。意図せずそれを行ってしまったようだ。
「ちょっと美也子、あの淫魔に何されたのよ!」
今度はその真由香が攻撃してきた。エイミを見遣ると、彼女も微妙な表情をしている。
美也子は大きく息を吐いた。それでも収まらぬ苛立ちを喉から吐き出す。
「さっさとやってよ!」
美也子の腹を据わらせるためにわざと騒がしくしているのだとしたら、本当に有難い話なのだが、その確証は到底持てなかった。
再度リューに目を覗き込まれた時、意識が途絶えた。
気が付いた時、かつてと同じ何もない白い空間に立っていた。リューの悪魔としての術が成功し、己の意識の中へ降り立ったのだ。
そのリューは、そしてクリスデンはどこにいるのかと周囲を見渡し、ぎょっとする。
少し離れたところで、リューが赤毛の男――クリスデンを足蹴にしていたからだ。
転がりうつ伏せになったクリスデンの背中を、リューが力強く踏みつけた。
これよりしばらくクリスデンとの対話シーンが続きます。
退屈に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、どうかお付き合いください。
また、9万pv超えました。ありがとうございます。




