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76.年上からのアドバイス

71話から一晩経ちました


 夜更け前、トイレに起きた美也子はそのまま寝室へ戻らず、リビングのソファに座ってウサギを撫でていた。

 以前ダイニングの物置に放り込んだままだった耳長悪魔を取り出して、元に戻るように命じたらあっさりとふわふわしたウサギの姿になってくれたのだ。


「あねさん、電気も点けねぇで、何かイヤなことでもあったんですかい?」

「まぁね」

「昨日は大勢で何だか揉めてましたもんね」

「聞いてたの?」

「半分くらいは」

「あっそう」


 このウサギが話し相手になってくれるのなら、もっと早く気付けたらよかったと思う。母のいない夜ももっと快適に過ごせたことだろう。

 今はエイミがいるため寂しさや心細さは解決した。だが、彼女の前で弱音を吐くと心配を掛けてしまうから。

 その点、この謎の生物相手ならば、適度にコミュニケーションが取れ、さらに触ると温かくて癒される機能付きだ。


 美也子はウサギを持ち上げると、その腹に顔を擦り付けた。

 臭くはない。ただ温かく柔らかい。


 その至高の感触が唐突に硬くなり、非常に不快な思いをした。


 どうしていきなり元に戻ったのか怒りをぶつける前に、理由が判明した。

 リビングの入り口にリューが立っていたからだ。

 寝ぼけまなこではあるが、真っ直ぐに美也子の方へ歩いてくる。

 

 美也子は思わず身構えた。

 この悪魔には、昨日とんでもない恥辱を与えられた。テレビを見たあと寝室へ戻るとすでに眠りについていたため、その件については話し合えていない。


「昨日は悪かったな」


 ぼそりと呟いたリューは、美也子の横に腰を下ろす。


「な、何のこと?」


 あえてしらばっくれてみる。


「生娘にしてよい行いではなかった」


 明け透けな物言いに呆れ、美也子はやむを得ず折れる。


「んもう、変な言い方しないでよ。でも次やったら窓から放り投げるから」

「留意する。……今はまだ」


 素直に、『はい、もう二度としません』と言えばいいものを、と美也子は嘆息した。

 硬くなった耳長悪魔をソファの端に転がして、今度はリューを撫でようかと手を伸ばした時。


「――お前、すでに心を決めているな」


 リューの鋭い問いに、心臓が跳ねる。


「覚悟が、できているのだな」

「……そう、だよ」


 美也子はとうに決意していた。

 昨夜はあえて何も考えないように振る舞ったが、すでに心は決まり切っていたのだ。


 クリスデンの記憶を取り戻す。


 面倒臭いからと、怖いからと逃げ続けることはできない。無力で無知なままでは、いつか必ず美也子だけでなく周囲にも被害が及ぶだろう。

 まさに、『時が来た』のだ。

 だから目が冴えた。


「そうか」


 リューは小さく呟く。


 それでは今から、と言われまいかとはらはらする。それを言われたら、その通りに応じてしまいそうだからだ。

 イヤなこと、怖いことはさっさと終わらせてしまいたい。


 だが、もう少しだけ時間が欲しかった。己が変わってしまうかもしれない、その前に、大切な人に『挨拶』をする時間が。 

 

 うつむき、不安を吐露する。


「でも、前世の記憶を取り戻したら、やっぱり私自身が変わっちゃうよねぇ」


 百余年の男性としての記憶を得たら、人生観を始めとしたあらゆる価値観が変わってしまうだろう。


 クリスデンに抱いていた敬意も消失するかもしれない。エイミへの気持ちも少なからず変わってしまうかもしれない。

 強力な魔法の知識を取り戻したら、平凡な高校生活など送れなくなってしまうかもしれない。何もかもバカらしくなってしまうかもしれない。

 十五歳の女子高生、千歳美也子としての人格も、なくなってしまうかもしれない。


 何より、死と老いの記憶を知ることになってしまう。エイミさえ恐れる、その記憶を。

 少しだけ、手が震える。


「どうだろうな。人族の記憶の容量には限界がある。忘れたい記憶は忘れてしまう。存外、大したことはないかも知れぬ」


 淡々とリューは言う。抑揚のない口調のせいで、それは慰みなのか、本気でそう思っているのかがつかめない。だが、納得できなくもない。美也子だって、十五年の記憶をすべて覚えてなどいないのだから。


「だといいね」


 希望を込めて、美也子は天井に向かって言った。

 案ずるより産むが易し、という言葉がなんとなく頭に浮かんだ。


「魔女を持つのは、実に数百年ぶりだ」


 一方のリューは感慨深げだった。


「お前の元大魔導師としての知識と魔力、そしてわたしの力。二つが合わされば、十三世界でも最強級の存在になるだろう」


 そのわずかに吊り上がった口元を見ながら、少年マンガみたいな話だと思い、呆れる。『最強』と言われても、まったくワクワクしない。武闘大会に出るわけでもあるまいし。

 父親の遺品の少年マンガを何作か読んだことはあるが、あまり好きにはなれなかった。


「でもさ、全ての記憶を見たとして、それがあなたのお眼鏡に適うかまだ分からないじゃない」


 口を尖らせながら尋ねると、リューは鼻で笑う。


「いまさら何を言う。わたしはすでに、お前を好いている」


 好いている、とまた言った。人間性のことなのか、愛の告白なのか、やはり分からない。

 とりあえず流しておく。


「じゃあ、全部の記憶を覗く必要ないじゃない。クリスデンのだけにしてよ」

「バカを言え。すべて知りたいに決まっているだろう」


 むう、と美也子は唸る。

 すべて――阿呆な悪戯をして怒られた過去、おねしょしていた年齢、歯医者で泣き喚いたこと、股の造りがどうなっているか気になって鏡で覗いたこと。あらゆる恥ずかしい行いを、この小さな悪魔に知られてしまう。


「あのさ、それって、私の弱みを握るってことでしょ?」

「案ずるな。それをネタに揺するようなことはしない。たまに思い出して、一人で楽しむだけだ」

「何それ!!」


 美也子はリューの小さな頭を軽く叩いた。もう慣れてしまったのか、悪魔はただわずかに顔をしかめただけだった。


「朝まであと少し、寝よ」


 ソファから立ち上がってリューに手を差し出すと、しっかりと手首をつかんできた。

 そして手のひらに、小さな唇が押し付けられる。そのまま血色の悪い舌が伸びて、生命線に沿って手首までを舐めていった。

 舌先を使ったその行為に何とも艶めいたものを感じ、心臓が跳ねる。


 いきなり何をするのかという抗議の言葉は、襲ってきた脱力感に阻止された。


「これは、今日お前の記憶に潜る分の代金(まりょく)だ」

「前払いとは聞いてない。っていうか、今のはいやらしい!」


 子ども相手に何をどぎまぎしているのかと戸惑っていると、リューの目線が上がり、動揺する美也子の顔を真っ直ぐ見た。


「いつも、『ただくっつけるだけ』だとは思わぬことだ」


 リューのその台詞にハッとし、次いで頬が熱くなる。昨日エイミとキスするかしないかで揉めていた、その時のことを言われたのだ。

 熟睡しているかとばかり思っていたが、やはり聞いていたらしい。

 あれは、他人に聞かれてはならない会話だった。どうやって忘れさせようか、いや、記憶を覗かれたら結局すべてさらけ出すことになる。


 言葉を失っていると、リューは短い脚でソファから飛び降り、美也子に背を向ける。


「年上として、一つ忠告してやる」


 不意にそんなことを言われ、美也子は聞き入った。


「好いた相手とそんな些細なことで(いさか)い、胸を躍らせられるのは、無垢な少女のうちだけだ。男の記憶を取り戻す前に、その貴重な時間を満喫しておけ」


 そしてとっととリビングを出て行く。どうやら、アドバイスをくれたらしい。エイミをライバル視しているくせに、なんと殊勝なこと。


 ふーっ、とわざとらしい溜め息をこぼしたのは、ソファの隅に転がるウサギだった。陶器の姿のまま喋っている。


「まったく、粋なことをおっしゃる。命短し、恋せよ乙女ってヤツっすね」

「何それ?」

「知らないんですかい……? ご主人はこの唄が好きなんですよ」


 ご主人――真由香のことか。そのどこかロマンチックな響きは、確かに彼女が好みそうな文言だ。だがやはり聞き覚えがない。


 ネヴィラの唄だろうか、と見知らぬ故郷を想いながら、ウサギを物置きに突っ込み、自室へ戻る。

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