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75.<番外編 真由香> まるで運命の王子様 その2

*性表現を思わせる描写がございます。ご注意ください。


 ――神の意思を問うべし。


 そう言ったクリスデンは少女に背を向け、一歩、二歩と伯爵へ歩み寄る。


「ここに籠を二つ用意なさい。一つには僕が入る。もう片方には、あなたが入りなさい」


 伯爵は震えていた。


「そして同時に火をつけましょう。果たしてどちらの火が消えるか、僕の神寵を証明するいい機会だ。はたまた、両方とも消えないかもしれませんね」


 クリスデンが爽やかな声をあげて笑うと、民衆がさらに歓声をあげた。そう為せ、と口々に叫んでいる。


 兵士がもうひとつ籠を持ってきた。伯爵の人望のなさがうかがえる。いや、クリスデンという名の魔導師への衆望が、あまりに大きいのだ。

 彼が一体何者なのか、世相に疎い少女には分からない。


「さぁさぁ、どうぞ伯爵もお入りなさい」


 クリスデンはいそいそと少女の元いた籠に入り込む。

 まったく信じられない。多くの魔導師はそれに近付くことさえ恐れ、精神の弱い者など見るだけで吐いてしまうというのに。


 伯爵はうつむき震えたまま。

 入れ、入れ、と民衆がコールする。


「謝罪するのなら今のうちです」


 籠からひょっこり顔を覗かせたクリスデンが囁く。まるで悪戯っ子のように、稚気にあふれる笑みを浮かべている。


 伯爵はか細い声で言った。


「す、すまなかった」

「もっと大きな声で~!」


 まるで子どもを応援するかのように、クリスデンは伯爵を急き立てた。


「濫用せぬという神との古い約束を破ったこと、心から詫びる。神よ、お許しを!」

「え? 神だけ?」


 クリスデンは耳に手を当てて問う。口元を押さえ、今にも大笑せんとする己を制しているようだった。


「魔女よ、再審を行う! 民よ、いたずらに人心を困惑せしめた領主を許せ!」


 とうとう伯爵は、地に伏して叫んだ。

 民衆の声がいっそう大きく刑場を揺らした。みな、クリスデンを讃えている。


「自分にされてイヤなことは、他人にしちゃダメだよねぇ」


 籠の中のクリスデンが呑気に呟き、茫然と状況を眺めていた少女は思わず彼を見た。


「ね、そうだよね?」


 友人のように同意を求められ、少女――若き魔女リーサは、曖昧に頷く。


 おそらく助かった。

 正当に再審されれば、悪魔を召喚しての取り調べとなるだろう。魔女にとっての有利不利問わず、悪魔は決して嘘をつかない。今度は愚かな反逆者たちだけが籠に入るのだ。


「一件落着、かな」


 伸びをしながら籠から出て来たクリスデンの服の裾は濡れ、悪臭を放っていた。それでも嫌悪する様子なく、座り込むリーサに手を振って、民衆の方へゆるりと歩いて行く。

 誰も彼も、その男を尊敬の眼差しで見つめていた。


 リーサはしばらくその背中を眺めていたが、やがて自分の薄汚い格好に気がついて、かけられたマントを前できつく合わせる。

 残る男の体温がリーサの背を温め、まるで背後から抱かれているようだった。





 魔女リーサは、クンターランドからセントライナ帝都行きの馬車に揺られていた。目的の場所には、(くだん)の魔導師、ヒュー・クリスデンが居を構えている。


 今のところ乗客は自分一人のため、暇潰しに悪魔を召喚した。


「蜂蜜ちゃんが恋をしちゃった」


 リーサに身をよせながら、悪魔『墓場の上で誘うもの』が言う。ショックを受けているような声音だが、顔にはからかうような笑みが貼りついていた。


「葡萄酒を用意しなきゃね~」


 どうして今更、とリーサは首を傾げる。

 ネヴィラでは女性の成人祝いに葡萄酒を振る舞う。年齢ではなく、初潮が基準となるため、リーサはとうにその日を迎えていた。その頃は、母を亡くしたばかりで葡萄酒どころではなかったのだが。


 しばし考え、『恋をして大人になった』と揶揄されたのだと理解する。


「うるさい、黙れ!」


 リーサは真っ赤になって叫ぶ。


「でも、アタシの大事な蜂蜜ちゃんが殺されなくて本当によかったわん。あの大魔導師にはアタシもお礼を言いたいわねん」

「もういいの」


 一連の騒動の後、クリスデンは必死に礼を言うリーサの頭に手を置いて笑ったきり、帰ってしまった。恩を返したいと懇願しても頭を横に振られただけ。


「でも、あの人のそばに行くんでしょ~?」

「ええ! たとえ相手にされなくたっていいの。あの人のそばにいたい」


 籠からリーサを抱き上げた優しい手つきも、同情と労りの視線も、民衆を扇動し伯爵をやり込める冷酷な声も、思惑通り事が運んだ際の茶目っ気ある顔も、思い出すたび全身を熱くさせる。


 あの人こそ、物語に登場する『運命の王子様』だ。

 女の子は、誰しも運命の相手を持っているのだとあらゆる本に書いてあった。

 リーサが読むのは、恋愛物語ばかりだが。


「蜂蜜ちゃんったら、本当に健気なんだからぁ~。一回くらいベッドに誘って貰えたらいいわねん」


 女悪魔が婉然と笑う。


「その前にアタシとし・ま・しょ? 特別契約も兼ねて、ね。殿方は処女だと面倒臭がっちゃうのよん」


 初心なリーサは、男ってそういうものなんだ、と納得しかけたが、すぐに持ち直して悪魔を叩いた。


「うそよ! お母様は、心に決めた人に捧げるために大切にしなさいって言ったわ! おいそれと悪魔にあげちゃダメって!」

「え~? それって綺麗事だわぁ~ん。アタシなら殿方を喜ばせる技巧を教えてあげられるのにぃ」


 女悪魔は、五指でなにか微妙な大きさのものを包み込むような仕草をし、口元に持っていく。

 葡萄酒を飲むジェスチャーだろうか。少し違う気もする。


 理解できたのは、数十年後のこと。

 名も知らぬ異世界で、成人向けのマンガを読んだ時だった。

 既にリーサという名は捨て、野沢真由香と名乗っていた。

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