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73.<番外編 エイミ> 別れと出会い その2

 翌日、エイミは男と一緒に洗濯をした。

 しまいこんであった衣類や寝具を洗い、日にさらすため。


 庭に大きなたらいを出して、シーツは男が踏み洗いし、衣類はエイミが手洗いする。

 一人でやると申し出たが、二人でやった方が早いと断られてしまった。


 元居た屋敷と同じくらい大きな屋敷の主のはずなのに、召使いのような存在はいないのだろうか。


「晴れてよかったね」


 泡にまみれながら、男はまるで子供のように笑う。

 手を動かしつつ、エイミは戸惑うしかない。


 昨日など、風呂の入り方を教えてくれた上、もつれた背中の毛を丁寧に梳いて、毛玉を切り取ってくれた。

 前開きのシャツを前後逆に着て小さな胸を隠しながら、エイミは男の腹の内を探ろうと思ったが、ドキドキしてしまい、叶わなかった。

 この動悸は、異性に半裸をさらす緊張感からくるものだけではないような気がした。


「久々に洗濯したなぁ。古いシーツも取っておいてよかったよ」


 洗濯物を干しながら、男は清々しそうに言った。


 その笑顔が、不意に曇る。


「君に、言わなければいけないことがあるのだけど――」


 エイミは手を止めて、何事かとその横顔を見つめる。


「お母さんは、もう長くない」


 男は、ハッキリとした口調でそう言った。


「治らない病気じゃないんだ。ただ、長く放置しすぎてしまったから、体中に毒が回ってしまった」


 それは、己の無力を嘆く声だった。苦渋に満ちたその顔を見上げながら、エイミはとうに決まっていた覚悟を告げる。


「では、何か刃物をお借りできないでしょうか?」

「え、どうして?」


 男が目を丸くして聞き返してくる。


「母を、楽にしてやりたいのです。首と胸、どちらを刺せば、より楽に死なせてやれるでしょうか」


 それは、夫人にすがり付く前から考えていたことだった。どうしても助からないのならば、いっそ苦痛にまみれた生を終わらせてやりたいと。


「ちょっと待って」

「もしくは首を絞めてやったほうがいいでしょうか。ご迷惑はおかけしません。この家から離れたところでやります」

「君は本当にそれでいいの?」


 肩に男の手が乗せられた。目を真っ直ぐに覗き込んでくる。


「命は救ってあげられない。でも、残された時間を穏やかに過ごさせてあげることはできるよ。薬と魔法で苦痛を緩和して、日当たりのいい部屋で、美しい庭を見ながら、君と二人でゆっくり過ごす時間を作ってあげることはできる。僕は、その手間を惜しまない。それでも君は、お母さんの命をすぐにでも終わらせてあげたい?」


 非難している様子などなかった。ただ真摯に、エイミの選択を問うている。

 エイミには答えることができない。涙があふれたからだ。


「……わたくしに、看取る時間を下さいますか?」

「もちろんだよ」


 男は、穏やかに笑った。


「どうして、獣人相手にそこまでして下さるのですか? 実験用とは、嘘ですよね」


 男は、薄汚れた服を見たときも、毛玉まみれになった背中の毛を切ってくれるときも、一言たりとも汚いなどと言わず、嫌悪する様子もなかった。新品の衣類まで与えてくれた。


「自己満足だよ」


 笑みが消え、険しい顔になる。


「獣人たちは、元の世界――アスラで取り返しのつかないことをした。だが、ネヴィラの人間がそれを理由に、君たちを奴隷のように扱う権利なんてないんだよ。僕たちはそれを言い訳に、君たちをいいように扱っている。――ただ、それが許せない」

「ですが、元の世界の人々は今も苦しんでいるそうです。獣人は償わなくてはならないのでは?」


 母に言われたことをそのまま問う。


「そうだね。でも、それは祖先のしたこと。今生きている獣人たちには、関係ないよね?」

「そんなことは……」


 エイミはうつむく。本当に、関係ないのだろうか。


「もちろん間違いなく、アスラの人々は今も獣人を憎んでいる。それは当然だ」


 やはりそうだろう、と顔を上げる。そんなエイミを見て、男は優しく微笑んだ。


「だから、君が隷属し尽くしたいと願うならば、ネヴィラの民ではなく、アスラの民にするべきだ」


 エイミは瞠目した。確かに、その通りだ。


「アスラの民に尽くすためには、どうしたらよいのでしょう?」


 そう尋ねると、男の顔がさらに柔和になる。だが、少し寂しそうだ。


「まずは、己を産んでくれたお母さんに尽くしたらいいと思うよ」





 一か月も立たずに、母は死んだ。

 苦痛なく、穏やかな死に顔だった。


 男――ヒュー・クリスデンという名の魔導師は、墓まで作ってくれた。

 涙を堪えるエイミを優しく抱き締めてくれた。

 嗚咽を堪え切れなくなり、大声で喚くエイミを黙って見守ってくれた。


「あなた様のおかげで、母の最期を看取ることができました。この御恩は如何様にお返ししたら宜しいでしょうか」


 泣き止んだエイミは、自室の椅子に座って茶をすするクリスデンに尋ねる。


「正直言えば、僕は君に見返りを求めている」


 後ろめたさを誤魔化すように、苦笑し頭を掻きながらクリスデンはそう言った。


「君が快諾するのなら、それをお願いしたい。もちろん拒否権はある。イヤならば、獣人への偏見の少ない知人に預けようかと思うけど……」


 エイミは迷うことなく告げる。


「あなた様に、御恩を返したく存じます」

「ありがとう」


 クリスデンは茶を置いて、立ち上がった。数歩離れた場所に立つエイミに近寄り、腰を屈めて目線を合わせてくる。


「君には、僕の介護をしてもらいたい」

「介護?」


 一体何を言っているのか。こんなにも若々しいのに。


 いや、よく見れば、少しだけ目が落ちくぼんで、頬もこけているような。洗濯をしている時に見た手足も、男性のものにしては細かったような。


「僕はきっともうすぐ動けなくなる。その時、お世話して、最期を看取って欲しい」


 エイミはその時ようやく気が付いた。

 この穏やかな男の顔、それは、死を覚悟した者の顔だと。


 表情を硬くするエイミに、クリスデンは満面の笑みを浮かべた。


「だから、残りの人生、好き勝手に楽しみたいんだ。もちろん、君もそれに付き合ってね」


 そのとき彼がしてみせたウインクは、ものすごく下手だったことを覚えている。

次回は真由香とクリスデンのエピソードになります。


8万PVを超えました。

皆様のご愛顧に感謝いたします。


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