66.誰が害したアスラ神
「どうしたの?」
ただならぬ様子に、美也子は焦った。
「私も、探されているかもしれない」
ぼそりと真由香が呟いた。
「クリスデンを追ってこの世界に来たことは、ネヴィラの魔女仲間に知れ渡っているもの。だから、クリスデンと同時に、私だって探されていてもおかしくないわ」
「でもさ、アスラの人たちが真由香ちゃんを見つけたって意味ないじゃない?」
美也子が首を傾げると、真由香はこれ以上なく苦い顔をした。
「ネヴィラで賞金を懸けられているとしたら? それを、ヘラーたちが伝えたかもしれない」
うーん、と美也子は唸るしかない。
「ですが、真由香様は大丈夫かと……」
控え目なエイミの声に、そちらを向く。
「ネヴィラ人と、この世界のアスラ人の利害は一致しないからです。ネヴィラ人は、ご主人様をネヴィラに連れ戻すことが目的。そしてアスラ人は、あくまでこの世界でご主人様を利用する気のようですから」
そこでエイミは一息ついた。
「仮にヘラー様たちがアスラ人の支援を受けているとしても、恐らく意図的にご主人様のことを隠しておられるはずです。ということは、真由香様の存在だって告げてはおられないはず。さもなくば、真由香様が見つかった時点で、芋づる式にご主人様の居所も知れてしまいますから」
「ふん」
つっけんどんな態度だが、真由香の表情が和らいだ。おそらく、エイミの言は一理あると思ったのだろう。
「そうだよ。ヘラーさんたちだって、他の誰かを探してるような様子じゃなかったし」
「その通りです、もし真由香様を探しておられるのなら、訪問された時に質問があったはずです」
二人がかりで諭すと、真由香は多少落ち着いたようで、麦茶を一気に飲み干した。
その表情が、意地悪な魔女のものになる。
「そうね、本当にヤバいのはあんたじゃない」
真由香の指摘に、エイミがびくりと肩を震わせる。
「どうして?」
「それはね……」
美也子の問いに、真由香はなぶるような視線をエイミに向けた。まるでいじめっ子のような、イヤな感じのする視線だ。
「いやーん、蜂蜜ちゃんったら性格悪~い!」
女悪魔が入れた茶々は、間違いなく助け舟だった。わずかに場が和んだ上に、美也子も真由香を嫌いにならなくて済んだから。
真由香は、悪魔たちのことを『頭がスカスカ』と言っていたが、そうは思えなくなっていた。みんな優しくて思い遣りがあり、空気をよく読んでくれる。
「んもう、隠しても仕方ないし、ちゃんと自分で言いなさいよ」
咳払いした真由香の顔からは険が消え、諭すようにエイミをせっつく。
罪人が告白する時のように、エイミは震えながら口を開いた。
「アスラの神を害したのは、わたくしたち獣人なのです……」
「へ? ふーん、そうなの」
美也子には、エイミが何を恐れているのか全く理解できない。
「でもさ、エイミには関係ないじゃない。大昔のことでしょ」
キョトンとした調子で言うと、女悪魔が口笛を吹いてはやし立てた。
「元クリスデンちゃんったらぁ、かっこいい~!」
何を褒めちぎられているのかさえ分からない。
「美也子、その台詞、アスラ人の前で言っちゃダメよ」
真由香の厳しい調子の声に、美也子は母に叱られた時のように身体を強張らせた。
エイミは目を伏せる。
「真由香様のおっしゃる通りです。全てのアスラ人は今も重苦に喘いでいる……。そして全ての獣人を、強く憎んでいるのです」
「なんで……」
いくらなんでも、全ての獣人を憎むのは筋違いではないだろうか。彼らが憎むべきは、実際に神を殺そうとした当事者たちではないのか?
テーブルに目線を落としたまま、エイミは哀しい声で語り始めた。
「獣人は、アスラ固有の種族でした。自らの能力の高さに傲り、種族全体で結束してアスラの神を殺そうと画策したのです。神に代わって、アスラを支配するために」
神に代わって――確かにそれは間違いなく、傲慢な行いだ。
エイミは続ける。
「計画は成功し、神はお隠れになった。そして天変地異が始まると、我先に異世界へ逃げ出したのです。生来、順応性がとても高い獣人には逃亡さえ容易でした。今、十三世界各地に散っている獣人たちは全て、アスラから逃亡した罪人たちの子孫です」
「そ、そうなんだ」
それだけ言って、美也子は空のグラスを覗き込んだ。喉の渇きを覚え、麦茶を飲み干したことを後悔する。
しかし、何百年も前のことなのに、未だに獣人たちが憎まれているのはなぜだろうか。理不尽ではないか?
美也子は足りない頭で一生懸命考えた。あらゆる歴史的な出来事を自分に当てはめてみる。
そしてとても簡単なことに思い至った。
そうだ、アスラの災害は、今も続いているからだ。
日本のように戦災から復興したわけではない。
アスラ人にとっては、現在進行形の厄災。現在進行形で、厄災を引き起こした者たちを、その子孫を憎んでいる。
「じゃあさ、エイミの存在がアスラ人のコミュニティにバレたら……?」
恐る恐る尋ねると、真由香が苦い顔で頷いた。
「私刑に遭ったっておかしくないわよ」
吐き捨てるような声音に、美也子はゾッとした。そして、真由香のエイミに対する辛辣な態度が、嫉妬からくるだけのものではないと、今ようやく気が付いた。
「だから真由香ちゃんも獣人が、エイミが嫌いなの?」
「嫌いっていうか……軽蔑してる……」
美也子は思わずテーブルを叩いていた。真由香が慌てて口をつぐむ。
「ゴメン、真由香ちゃん……」
激昂してしまったことを、素直に謝罪する。そう、当事者でさえない美也子には、怒る権利などない。
だからか――と美也子は唇を噛む。
全て、合点がいった。
だから、エイミは自分のことを『下僕』などと卑下して。
だから、魔導師協会に何をされても仕方ないと諦めて、ヘラーたちに暴行されても当然だというような顔をして。
だから、人種差別せずに可愛がってくれたクリスデンに強い忠義心を持っている。
何も知らなかった自分が情けなく、目頭が熱くなる。
「クリスデン様も、わたくしには関係がないとおっしゃってくれました。それでも……」
エイミも涙を流し、席を立った。何事かと思っていると、美也子の前までやって来て、床に伏した。
「ご主人様、今まで黙っていたことをお許し下さい」
「やめて! エイミは悪くない!」
椅子から立ち上がり、エイミは関係ない、と叫ぼうとして口を閉じる。今も苦しんでいるというアスラの民を思うと、美也子にはそれを言う権利がない。
それでもやはり美也子には、エイミは悪くないとしか思えない。だって、エイミがやったわけではないのだ。先祖の罪を子孫が背負うのは当然のことか? 所詮何百年も前のこと。
美也子が大事なのはエイミだけ。赤の他人、アスラ人なんて知ったことではない。
そこまで考え、涙があふれる。
ああ、なんと愚かなことを考えて。アスラの人たち、ごめんなさい――。
「まったく、お前はすぐ泣く」
気が付けばすぐそばにリューが立っていた。
「わたしではまだ、その獣人には勝てぬか。ああ、よくも見せつけてくれるものだ」
などと、ぼそぼそと言っている。
「そんなにそいつが大事なら、お前が守ってやれ。わたしがお前にしたようにな」
リューの強い意思を含んだ眼差しに、美也子は息を呑んだ。
「守る……」
幼い悪魔の言葉を反芻しながら、美也子はエイミを抱き起こす。少し抵抗されたが、こちらも負けじと力を込めた。
「でも、私にはそんな力がない」
美也子のその言葉は、リューにとっては計算通り、といったところなのだろう。その証拠に、深い笑みを浮かべて見せた。
「そう、お前は無力。そこで、方法が二つだ」
リューは両手を掲げた。それぞれの人差し指を立てている。不思議な『2』の表現の仕方だと思った。彼女の世界では、これが常識なのだろうか。
そして得意げに言った。
「本契約し、わたしがお前の記憶を取り戻す。もしくはわたしと特等契約して強力な魔女になる」
「後者は絶対なし」
美也子は、リューの本来の姿を思い出して赤面した。あの美しい女性に純潔を捧げるなど……想像して動悸が激しくなったため、頭を振って打ち払う。
「本契約というものをすると、クリスデン様の記憶が戻るのですか……?」
エイミが口を挟んだ。少し震えている。
「うん、なんか記憶を全部見られちゃうんだってさ」
美也子が説明すると、エイミの口調が強くなった。
「ならば、わたくしは反対致します」
7万pv達成しました。
読者の皆様がいらっしゃるからこそ、ここまで続けることが出来ました。
本当にありがとうございます。