59.元大魔導師(15)は嘘を吐く
どうしてアスラは荒れているのか――その問いに、イザベルは薄く笑ってみせた。
「神様がね、生死不明なのよ」
「ええっ!? どういうことですか」
驚きのあまり大声を出してしまった。
「何百年も前に謀反を起こした種族がいて、その時に神様が死んだのか、他の世界に逃げてしまったのか、分からないままなの」
「いや、でもこの世界の神様だっていないようなものだし、どうして……」
戸惑い視線をさ迷わせると、イザベルは当然のように言った。
「それでも、存在はしているでしょ。世界から神が消えるとアスラみたいになっちゃうってことよ」
「……どうなっているんですか?」
「日が射さず、大気が冷え、病が流行り、天地が荒れている」
イザベルは滔々と語る。おそらく、何度も各地でそれを唱えているのだろう。
『荒れている』と聞いた時は、『悪い奴らがのさばっている』というような意味だと思っていた。予想を超えた話に、美也子は絶句する。
「辛うじて人が生きていける環境。みんな、本当だったらあたしみたいに逃げたいのよ。でもね、順応性が低い人たちは、異世界に行っても精神を病むだけ。それならば、アスラで細々と生きたほうが幾分かマシなの」
何と言葉を掛けたらよいか迷う美也子に、イザベルは困ったように笑った。
「仕方ないのよ、誰にもどうすることもできない。だったら、順応性の高い者は逃げ延びて、食い扶持を減らした方がいいのよ」
「そう……ですか」
凄絶な話に肩を落とす美也子に、イザベルは優しく声を掛けた。
「優しい子ねぇ。――それで、あなたは?」
「わ、私は」
焦って言葉が出てこない。やはり身の上話を代金に、美也子の素性を白状させる魂胆だったのだ。
「口を閉ざすのもまた聡いやり方だ。沈黙は金という言葉は、この世界にはないのか?」
リューのフォローが入った。そういえばそのようなことわざを聞いたことがある。異世界にも同様の言葉があるとは、驚きだ。
「うーん、じゃあ、あなたのことはまあいいわ。ちょっと別件で、聞きたいことがあって」
イザベルは足を組み替えた。
「あたしはこの世界に来てもう二十年ほどになるのだけれど――もちろん、身体は二回交換したわよ」
「はぁ……」
かつて『真由香』が行ったように、この世界のイザベルという女性の身体を乗っ取ったということか。
だが、身体を交換するという行為は、『もちろん』という副詞をつけるにふさわしいものなのか、甚だ疑問だ。
「最初はイギリスに住んでいたんだけど、ちょっと気になる情報があって、数年前に日本に来たのよね。あなた、心当たりないかな?」
「何ですか?」
美也子は身を乗り出した。イザベルは答える。
「日本の愛知県名古屋市近郊に、ネヴィラの大魔導師の生まれ変わりが住んでいる、って」
「知りません」
にっこりと笑って、美也子は否定した。
ほぼ確実に、自分のことだ。
即答に怪しまれたかもしれないが、誤魔化しを貫く他ない。
「それって、どこから出た情報なんですか?」
冷や汗を流しながら、探りを入れてみる。イザベルは怪しむ様子はない。リューはアイスを食べている。
「この世界にはね、各地にアスラ人のコミュニティがあるのよ」
それは意外過ぎる話だった。
「アスラを天変地異が襲った時、みんな散り散りに異世界に逃げた。順応できなかった者は帰還する羽目になったけれど、見事順応して、この世界に住み着いた人たちがいたのよね」
「へぇ~、それは初耳です」
素直に感嘆し、頭をゆっくり上下させた。そんな美也子を見て、微笑ましそうにイザベルは続ける。
「その人たちは、もう数百年も、細々と、でも確実に根を張って生きている。この世界に来た異世界人が騒ぎを起こさないように監視、指導しつつ、住みやすいように援助もしてくれているのよ」
「なるほど」
その呟きは、全ての合点がいったことに対するものだ。
かつて美也子の前に現れた、ヘラーとカリュピナ。故郷に帰ることができなくなってしまったが、『伝手がある』と言っていた。おそらく、アスラ人のコミュニティに助力を乞うたのだろう。
数百年前ならば、江戸時代のあたりだろうか、と考える。それならば、もう『地球人』として馴染み切っているに違いない。
「それで、大魔導師の生まれ変わりを探して、どうするつもりなんですか?」
恐る恐る尋ねる。
「あたしはどうでもいいのだけれど、コミュニティのみんなが探しているのよね。強い力を持っている人物を仲間に加えたいみたい。年々仲間の数が減ってきているから、リーダー候補として招きたいみたいよ」
――うげげ、すごく面倒くさそう。名乗り出てたまるものか。
美也子は内心で悪態をついた。第一、記憶がないのだから、かえって迷惑をかけてしまうだろう、そうに違いない。
「アスラの人たちは、どこで聞いたんでしょうね。本当にこんな辺鄙なところに大魔導師が住んでいるんですかねぇ?」
さりげなく情報収集してみる。
イザベルは赤い唇に指を添わせて上を向く。
「そういわれてみると、どこで得た情報なのかしら? でも、確信の持てる情報みたいよ」
「そうですか。面白そうですね、私も探してみよーっと」
明後日の方向を見ながら、美也子はうそぶく。
帰ったらエイミと真由香に報告相談せねばならない。何と面倒な。
溜め息を堪えながら、溶けかけのオレンジソルベをつつく。
「それで――あなたの名前くらい教えてもらってもいいじゃない?」
正面で、イザベルはにっこりと笑った。『優しいお姉さん』の笑みだ。
助けを求めるようにリューを見ると、アイスから目線を外さずに淡々と言った。
「イヤな予感がするのならば、やめておけ」
「あら、せっかく出会えたのだから、連絡先くらい交換したいわ」
イザベルはバッグからスマートフォンを取り出し、掲げて見せる。
「じゃあ、メールアドレスだけ教えます」
SNSに登録する際に取得した、フリーメールのアドレスを教えることにした。このまま強引に席を立って、放置するのも得策ではなさそうだ。
イザベルは嬉々として、紙ナプキンとボールペンを差し出してくる。
アットマークの前は、父親の名前と母親の誕生日を組み合わせたものになっている。ここから素性を辿るのは難しいと思うが。
「じゃあ、謎の魔女っ子ちゃんで登録しておくわね。空メール送ったから、あたしも登録しておいてね」
「はい……。一方的にいろいろ聞いちゃって、すみません」
「いいのよ。これから仲良くなりましょ。困ったことがあったら、いつでも連絡してきていいわよ」
それは、エイミや真由香の意見を聞いてからにしよう。
「じゃあね、魔女っ子ちゃん、可愛い悪魔ちゃん」
投げキッスをして、イザベルは去って行った。
その姿が視界から消えたのち、美也子は大きな大きな息を吐いた。




