57.悪魔、子ども服を着せられる
「ねぇエイミ、三人で外に行こう」
そう声を掛けると、コップに氷を入れていたエイミの手が止まる。
「わたくしは暑さが苦手ですので、留守番しております」
声色は頑なだった。
「久々に手を繋いで歩こう?」
「いいえ、どうぞあの子と二人でお出かけ下さい」
「何でそんなこと言うのぉ」
美也子は情けない声を上げ、エイミの腰にすがり付く。
「私の可愛いエイミちゃん、機嫌を直してぇ~」
猫なで声を出しながら頬を擦り寄せるが、返ってきたのは冷ややかな声。
「そういえば――クリスデン様も似たような状況の時は、まったく同じことを甘えた声でおっしゃっていましたね」
「うっ」
全く覚えてはいないが、前世と共通の悪癖を指摘され、恥じ入るしかない。
百年生きておいて、エイミの機嫌の取り方が下手なんじゃないのか、あの男は。だから、美也子がこうして皮肉を言われねばならないのだ。などと、内心で八つ当たりしてしまう。
美也子の部屋着の裾を、リューが引っ張った。
「早くしないか。さもないと今日は風呂に入らぬまま眠るぞ」
「その子も、そう言っていますから」
「うーん……」
この状況は全くよろしくない。
このままでは母にも叱られるだろう。かつて、母と約束したのだから。『エイミに責任を取る』と。
万が一エイミが母に美也子の無情を訴えるようなことがあれば、殺される。
「早くしろと言っている」
再度リューが裾を引いた時、なぜか美也子の心はぴたりと決まった。
「……じゃあ、二人で行ってくるよ」
「……はい。熱中症にはお気を付けて」
二人の間に、かつてのようなよくない空気が漂う。
それを静かに振り払い、美也子はリューの手を取って自室に向かった。
決して苛立っているわけではない。ただ、今はこの可憐な悪魔を優先してやらねばと思った、それだけだ。
美也子は部屋のクローゼットを開くと、最奥に押し込めてあるクリアケースを引きずり出した。
中には、フリルのついたワンピースやブランドロゴ入りのシンプルなTシャツ、水玉模様のスカート、刺繍の施されたデニムパンツなど数点が入っている。
やや防虫剤くさいが、歩いているうちにマシになるだろう。
「お前、そのようなヒラヒラとしたものをわたしに着せるつもりか」
ワンピースを広げている美也子に対し、リューが苦々しげに声を掛けてきた。
「似合うと思うけどなぁ」
だが下着がないため、ズボンを履かせた方がよいだろうと思い至る。
ちょうど、紐入りのショートパンツがある。これならば、ウエストの調整も利くだろう。
「それで、どうやって人間に擬態するの?」
上着を見つくろいながら尋ねる。
「見ろ」
短い言葉に振り返ると、そこには髪と瞳を黒く変じさせたリューが立っていた。角も消えている。もともと抜けるように白かった肌の色も、黄色人種に合わせてくれたようだ。
それでも目鼻立ちがハッキリしているため、日本人とはかけ離れた容姿なのだが、まあ問題なかろう。
知り合いに見つかったら、外国に類縁がいたのかと驚かれるだろうが、遭遇しないことを祈るだけだ。
「へぇ、その姿も可愛いね」
頬を緩めながら美也子は素直な感想を述べる。
結局、ボーダーのゆったりとしたカットソーと、ショートパンツを履かせた。健康美あふれる活発な美少女、といった風体だ。
「似合う似合う」
本当に妹ができたようで、感無量だ。
美也子自身もTシャツとキュロットに着替える。ポーチに財布とスマホをねじ込んで肩に掛けた。日焼け止めは、今日は曇っているし面倒だから塗らずともよいか、と思う。
子供用サンダルは、玄関のシューズクロークの隅に箱ごとしまってある。
箱を開けて、一度も履いていない理由を悟った。黒色だったからだ。
今こうして見ると、シンプルで合わせやすいデザインだと思うのだが、小学生の美也子なりに好みがあった。可愛くない、いらないと思ったが、それを口に出すことはタブーだと理解していた。子どもの頭で考えて、ベルトの部分が痛いから履きたくないと母に嘘を吐いたのだった。
それを今履こうとしている悪魔が、同様に言わないことを祈りながら装着を促す。すると、文句を言わず足を通した。美也子は眼前に跪いて、ベルトを調整してやる。
「これで外出できるね」
リューに微笑むが、笑みは返ってこない。だが不満そうでもない。
「ご主人様」
気付けば、気配を察したらしいエイミが廊下に出てきていた。
「じゃあ、行ってくるね。留守番お願い」
「はい、行ってらっしゃいませ」
表情はいつものようににこやかだったが、耳が垂れ下がっている。
たまらず美也子は履いたスニーカーを脱ぎ、エイミに駆け寄った。
「ゴメンね、甘いもの買ってくるから」
「はい」
美也子は背伸びをすると、エイミの首筋に口づけ軽く皮膚を吸う。ついでに馴染み深い体臭を鼻腔に吸い込んだ。
あ、と小さくエイミが声を上げた。
「じゃあね」
「は、はい」
赤くなって俯くエイミを一瞥しリューと共に玄関を出た。
『こんなの、いつの間に覚えたのですか』と聞こえたような気がした。
次回、少し話が進みます。
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