54.快楽を追及するためには、時に苦痛を覚悟せねばならない
風呂あがりのリューに美也子のTシャツを着せると、ワンピースのようになってちょうどよかった。
下着は元々身に付けておらず、明日買ってくるから履くか尋ねると、身体にフィットするものは嫌いとのことだ。
悪魔は排泄はしないと言うので、人間ほど汚れないのだろう。うらやましい話だ。
リビングに連れて行って、エイミがドライヤーをかけてやる。
熱を当てられ、無表情を崩しておっかなびっくりしている姿も小動物のようで愛らしい。
ダイニングテーブルでノートパソコンをいじっていた母が恐る恐る寄ってきて、エイミとドライヤー係を交代する。何だかんだ言っても好奇心の強い人だ。
「美也子はこんなにおとなしくドライヤー掛けさせてくれなかったわ!」
母の頬が緩んでいた。リューの可愛らしさにやられてしまったようだ。
「まあ、やんちゃなお子様だったのですね」
エイミも笑う。
もしかして母は美也子の不在中、子ども時代のエピソードをエイミに語っているのでは。後からエイミを問い詰めねば。場合によっては母を諫めねばならない。
でもまあ、美也子の大好きな人たちが喜んでくれるなら、このまま悪魔と本契約してもいいかなと思う。
自室に戻り、エイミの膝枕で耳掻きをしてもらっていると、リューが横からまじまじ見つめてきていた。目が合う。
「どうしたの?」
「いや……それは耳孔を掃除する道具なのだなと思って」
綿棒を物珍しそうに見ている。
「何だと思ってたの?」
「苦痛を与える道具かと」
思わず吹き出し、エイミに危険だとたしなめられた。
「何でそんなものが私の部屋にあると思うのよ」
「確かに」
素直に頷いてはいるが、悪魔の感覚は不可解だ。
「それはそうと、その行為は深い信頼のおける者にしか任せられまい」
リューが信じられないものを見るように目を開いた。
「当たり前じゃないの」
「自分でもできるだろう? そんな危険なことを」
「他人にやってもらった方が気持ちいいの!」
つい言葉に険を含んでしまう。会話が続くため、危険と判断したエイミが耳掃除をやめてしまったからだ。
至福の時間を邪魔された恨みは深い。
リューには、凄まじい疑りの目を向けられた。
「疑わしいな」
「本当だってば!」
膝枕はそのままで、美也子は叫ぶ。
「うーむ、他人にやってもらった方が気持ちいい、とな。……ふむ、うむ」
美也子の言葉をオウム返しし、ぶつぶつと吟味している。そして唐突に顔を上げた。
「理解した」
「そ、そう」
「自分で行うよりも、他人に任せた方が気持ちいいことは多い」
「そ、そうだよ」
妙な言い方をするものだ。
「だが己でなければ、最良の場所は分からぬではないか」
「まぁそうだけど」
美也子は少し考えた。
「だからこそ、どこがいいかコミュニケーションを取りながらやってもらうの」
「なるほど」
リューが手を打った。
当初のイメージとは異なり、悪魔というものは非常に素直で、話し合えば分かり合える生き物なのだ。
美也子が感心していると、リューが身を乗り出してくる。
「ではわたしにもやってみろ」
その申し出に美也子は驚いた。
「へぇ~、危険だって考えは変わったんだ?」
「快楽を追求するためには、時に苦痛を覚悟せねばならぬ」
「変な言い方」
苦笑しながら美也子は身体を起こす。
「エイミにやってもらったらいいよ。上手だから」
「そうですね」
微笑むエイミが歓迎の姿勢を取る。
「いや、わたしはお前にやってもらいたい」
リューは美也子を指さした。
「えー? エイミのほうが絶対にうまいよ」
「身体は洗わせてくれるのに、お耳はイヤなのですか?」
二人で軽微な抗議をすると、少し間が空いた後、リューが低い声で言った。
「――わたしが、――契約者に、――頼んでいるのだ」
有無を言わさぬ迫力を感じたが、単なる不機嫌だろうと美也子は唇を尖らせる。
子どもは、我が儘だ。
「もう、仕方ないなぁ……。――エイミ?」
振り返ると、エイミの顔が青ざめていた。
「どうしたの?」
「いえ……」
彼女の視線は、リューを捉えている。
改めて悪魔を見遣るが、いつも通り。無表情だが可憐な容貌。
「じゃあ、おいで」
美也子の顔はいつの間にか微笑を浮かべていた。
あの可愛らしい子が、今から自分の膝の上にやって来る。
膝にリューの頭が乗ると、なめらかな感触の白髪が太ももをくすぐった。夏場のため、寝間着としてショートパンツを着用している。
自分の膝に頭部を預ける無防備な幼女。胸から込み上げてきた感情を堪え切れず、頬が緩みっぱなしになる。
傍らでエイミが何か言いたげにしていたが、つい無視してしまった。
悪魔の耳穴を覗き込むと、耳垢に該当するものなど一切なかった。綺麗なものである。
だが一応、綿棒を突っ込んで擦ってやる。
むう、と悪魔が小さく呻った。
「くすぐったいだけで、面白みがない。それは、わたしの経験が浅いからだろうか?」
またおかしな物言いをし始めた。経験が浅いのは美也子の耳かき技術のほうだろうに。
「うーん、痛みを感じる場所の手前までいけたらいいんだけど、私にはちょっと怖いな」
「精緻な技巧が必要なのか」
「んー、っていうか、まずは自分でやって、どこまでいったら気持ちいいのか試しなさいよ」
美也子が突き放すようにそう言うと、リューは小声で呟いた。
「なるほど。まずは自分でやって程度を測る、と」
「そう、自分でやって気持ちのいい場所を探るの」
「自分で気持ちのいい場所を探る、と」
「そうそう」
頷きながら綿棒を抜くと、リューは身体を起こし美也子の目を真っ直ぐ見た。
「理解した。それは、まごうことなき真理だ」
「そ、そうだね」
大袈裟な言い方をするものだ。
悪魔って変なの、と独り言つ。
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