53.三人でお風呂
母への御披露目ののち、リューに入浴を勧めると、大層厭わしそうに顔を歪めた。
代謝が人間とは異なるため、さほど汚くならないのだと抗議される。
だが美也子としては、得体の知れない場所からやって来た者をそのままベッドに寝かせたくはなかった。
服だって、いつから着ているのか分かったものではない。一度ひんむいてやらないと。
しつこく頼むと、耳にできるだけ水をかけない、泡を目にいれないという条件で納得してくれた。
やっぱり子どもだ。シャンプーハットを買ってやろうか。
「ねぇエイミ、あの子をお風呂に入れてやってよ」
「かしこまりました」
それが酷な要求だと分かっていたが、つい介護経験者に頼ってしまった。
エイミが二つ返事で了承したのは、リューが雌雄同体だと説明していないからだと思い至り、慌てて脱衣所に飛び込む。
すでに悪魔は裸体をさらしていた。
思わず見ると――少し膨らんだ胸と、丸いお腹、陰部には何もない。まごうことなき女児の身体だ。
「やっぱり女の子じゃないの」
じろじろ眺めていると、悪魔は無感情に言う。
「平生は体内に収納されている。――見るか?」
慌てて頭を振る。収納って、どういう生態だ。
「ご主人様、もしかして、この子が男児だと思って、わたくしに入浴指示を……」
エイミが驚いたような目を向ける。
「わぁ、ゴメン!」
「いえ、当然のことでございます。いずれお子様が生まれたらやらねばならぬことですから」
非難されるのかと思いきや、エイミはニコニコしている。
ああ、彼女にとって、これは予行練習なのだ。未だ見ぬ美也子の子を想像して上機嫌になっている。
ちょっと飛躍しすぎだ。
「じゃあ、三人で入る? ちょっと狭いけど」
「まあ! ご主人様と幼子とわたくしでお風呂に? こんなに早くそんな日が来るなんて」
家族ごっこに胸踊らせるエイミを見て、呆れつつも微笑ましさを感じる。彼女がこんなに喜んでくれるのならば、悪魔とお試し契約した甲斐があるというものだ。
大人しく浴室へやって来たリューは、シャワーから流れる湯を見て、魔法かと驚いていた。
悪魔の順応性について尋ねると、契約者の精神と同調するから問題はないそうだ。
エイミがリューの頭からシャワーを掛けると、耳を押さえ目を固くとじた。それをエイミの背後から観察する美也子は、自分も子どもの頃洗髪が嫌いだったことを思い出した。
「痛かったり、気持ち悪かったりしたら言ってくださいね」
エイミの指が、リューの角の付け根を丁寧に洗っている。美也子にはそこまで洗ってやるという意識がなかった。さすがエイミはよく気が付く。
「悪くない」
高慢な態度のわりに素直なリューの感想を聞いた美也子は、笑いをこらえるために口元を押さえた。
「何てなめらかな髪でしょう」
エイミが感嘆した。
「ほんとだ。私やエイミとは全然違う」
しっとり濡れたクリーム色の髪に触れると、非常にすべらかで、ケラチン質ではないような気がした。
髪の件でエイミと歓声をあげ合っていると、リューが急かすような目を向けてきたため、エイミは作業の続きに戻る。
硬い角をボディタオルで擦ると、黒く汚れた。やはり入浴は必要だったのだ。こんなに溝があっては、いろいろな汚れが溜まるだろう。
それを指摘するとリューは観念したように小さく唸った。
美也子はエイミに背中と頭しか洗ってもらったことはないが、リューは全身お任せコースを受容したようで、エイミの指示にしたがって腕を上げたり、足を伸ばしたりしていた。
見惚れる程に、エイミは手慣れている。
「晩年はクリスデンにこうしてあげてたんだ?」
「そうですね……」
「大変だったでしょう。この子と違って、成人男性だし」
「ずいぶん痩せ細っておられたので、軽かったですよ」
その笑顔に違和感を覚えたが、追及するか迷っているうちにエイミの興味が悪魔に向いた。
「さあ、お股は自分で洗えますね?」
頷いて言われた通りにするリューは、やはり可愛かった。
リューを先に湯船に入れて、次はいつものように美也子とエイミが洗い合う。
それを眺める悪魔は、ぼんやりしている。これは、リラックス状態なのだろうか。
美也子の背中を擦っているエイミを見て、リューがぼやく。
「獣人は人の身体を洗うのが上手い。今後もその質を維持できるなら、お前に任せてもよい」
こましゃくれた物言いにエイミが小さく笑う。
「光栄ですわ」
「エイミみたいなしっかり者がいれば、お風呂嫌いで引退しなくても済んだのにね」
茶化すと、リューは神妙な面持ちで頷いた。
「側付きのやつらは、俺――わたしがイヤがると余計にそれをしたがった」
一人称を律儀に言い直すリューがいじらしく、手を伸ばして頭を撫でてしまった。
しかし、この悪魔の風呂嫌いは周囲の者たちが原因らしい。なんと哀れな。
「人材に恵まれてなかったんだね」
「引退……とは?」
エイミの問いに答えようとするが、異世界の名前も、役職名もとうに忘れてしまっていた。
「えーっと、なんかの役職者だったらしいよ」
「まあ、こんなに小さいのに」
同情したようにエイミが呟く。
その後は、三人で湯船に浸かった。湯があふれる。明日から給湯量を減らすべきだろう。
いつものように美也子とエイミで向かい合い、今日はその間にリューが挟まっている。
上気したその頬を眺めながら、美也子は疑問をぶつける。
「そういえば、あなたは尻尾がないんだね」
真由香の悪魔には、立派な尻尾が生えていた。一方、リューの臀部は美也子と同じでつるりとしている。この場で尻尾を持つのはエイミだけだ。
「あれが生えているのは、我々の中でも半々だな」
「そうなんだ。悪魔の生態って、面白いね」
「我々からすれば、他の種族たちの方が面白い。だから、こうして共に過ごすことは嫌いではない」
回りくどい言い方だが、好意を向けてくれているようではある。
衝動に任せてその頭を撫でていると、リューの視線が美也子に向いた。
「しかし……お前の身体は、成人にはあと一歩及ばずのようだな。初経はいつだった?」
水面下の美也子の身体を無遠慮に見ている。
しょけい、が何を指すのかすぐに理解できず、戸惑う。
エイミがやんわり口を挟んだ。
「他人にそのようなことを聞いてはいけませんよ」
「しょけい、ってなんだっけ?」
「今この子は、ご主人様にとても無礼なことを尋ねました。気にしてはいけませんよ」
柔らかく笑っているが、妙な迫力があった。
「そうなんだ」
とりあえず引き下がるが、後から検索してみようと思う。
再度リューの疑問が飛んでくる。
「獣人とは良い仲なのか?」
「え? 仲良しだよ」
「あまり遊びすぎるなよ。行為が白熱すれば女同士でも一線を越えることはある」
「ん? うん」
奇妙な物言いをするものだ。
ゲームで真剣になりすぎて乱闘になることを指しているのだと解釈した。美也子はさほど遊戯にのめり込む性質ではない。
エイミは、なぜか笑顔のまま固まっていた。