51.契約 『惰眠を貪るもの』
「えっと、私は初めてを提供するとして、じゃああなたはどうなんですか?」
美也子は真っ直ぐ悪魔の目を見て言った。
小柄な悪魔は眉をひそめる。
「何だと?」
「あなたも初めてじゃないと、釣り合わないじゃないですか。私だって、他の人相手にたくさん使われたものはイヤです」
鼻を鳴らし、不満そうにそっぽを向いてやった。
処女性を重視されるのならば、こちらだって同じ貞操観念を要求したっていいだろうと思う。今や男女平等の時代なのだから。
第一、『もの』呼ばわりも気に食わないので、そのまま返してやる。
それでも屁理屈だと笑い飛ばされるかと思っていた。女と男は違うと。
だが悪魔たちは、真顔で顔を見合わせたかと思うと、感心したように呻る。
「確かに」
「それは考えたことなかったわん」
悪魔って意外と素直、というか単純馬鹿かもしれない。肩透かしを食らった気分だ。
「だけどねぇん、特等契約すれば四六時中一緒にいられるからぁ、危険なことからは全部守ってあげられるわよん。それに、十全に力を貸してあげられるからぁ、と~っても強い魔女になれるのよん」
女悪魔の言葉に、美也子は疑念を抱かずにいられない。
四六時中共にいられる――それは果たしてメリットなのだろうか。邪魔ではないか?
「記憶と純潔をあげただけでですか? たったそれだけのことで、あなたたちは自分の全てを差し出すと?」
「あらぁ~、『たったそれだけ』って、言うじゃなぁい」
女悪魔は淫靡に笑った。失言だったかと口を押さえる。
確かに、『たったそれだけ』は言い過ぎだが、悪魔にとって割が合わないと思ったのだ。
「特等契約は、人族でいうところの婚姻のようなものだ」
小柄な悪魔が口を挟む。
「肉体が朽ち、魂が輪廻の輪に還るまで共に過ごしてもらう。他の男と交際しようが、子を成そうが構わない。それでも、『真の伴侶』は我々だ。我々と生き、我々と享楽を追求してもらう」
「お互いが全てを差し出し合うということ?」
「そうだ。共にいる間、我々は決して不義はしないし、富を搾取しないし、暴力も振るわない。そこらの男と添い遂げるよりは余程良い目をみさせてやれる」
「性的な意味でもねん」
と呟いた女悪魔は真由香に叩かれる。
「うーん、でも今はそれは考えられないな……」
美也子の脳裏にエイミが浮かぶ。全てを差し出したい相手は、今は間違いなくエイミだ。出会ったばかりの悪魔ではない。
「そうか。まあ、すぐに身を投げ出す女も浅慮で好まぬ。身持ちの固さも女の価値だ」
小柄な悪魔は偉そうにそう言った。
彼女が何歳なのかは検討もつかないが、十歳程度の顔でそんなことを言われると、笑えてくる。もちろん、堪えた。
「まぁ、ひとまずお試し契約してみたらいいじゃなーい?」
明るく女悪魔が提案し、美也子は眉根を寄せた。
「お試しって……悪魔契約ってそんなにカジュアルなの?」
「間口を広げて契約してもらいやすくしないとねん」
「うーん、お試しかぁ」
美也子は改めてクリーム色の髪の悪魔を見た。
ちょこんと座っている姿は、間違いなく可愛らしい。口さえ開かなければ。
「聡い娘は好きだ」
などと言って、美也子を見ている。無表情が多少和らいでいる気がした。
これはどうやら、気に入られたらしい。
真由香が身を寄せて囁いてくる。
「やったわね美也子。悪魔と契約するときは、言い負かして上位に立つのが基本なのよ。今後有利になるわ」
「そうなんだ」
可愛い顔の悪魔をじっと見つめる。
「私のこと、守ってくれるの? 話し相手にもなってくれるって」
「そうだな。人間と共に過ごすのは悪くない」
「じゃあ、数日くらいはお試しで一緒に過ごしてもいいかなぁ」
好奇心が大いにあった。お試し契約では魔女っ子にはなれないようだが、一時的にでも悪魔を使役できるなんて、アニメやマンガみたいで面白そうだ。
「では、心変わりする前に」
小柄な悪魔が立ち上がる。
「お前の名前は?」
「千歳美也子です」
「そうか、千歳美也子。俺の名前をよく聞くがよい」
「あ、はい」
契約したら、一人称を『わたし』に改めるようにお願いしようと思う。
「我が通名は、『惰眠を貪るもの』だ」
「は、はい、『惰眠を貪るもの』さん」
「真名は、特等契約する場合にのみ教えてやる」
「はい」
雰囲気に飲まれて神妙な返事をしてしまう美也子。その右手を、悪魔がそっと掬ったかと思うと、甲に冷たい唇が押し当てられた。
わずかな脱力感が身体を襲う。
魔力を吸われたのだと本能的に理解した。
「では、よしなに」
そう言って悪魔は、にやりと笑った。
ようやく見せた深い深い笑みは、彼女がいかに高齢の存在であるかを推量させた。