50.悪魔契約3ステップ
「お前が、契約希望者か」
悪魔の口から流れ出たのは、可憐な外見に見合う甘い美声。
だが年齢を感じさせる落ち着きと高慢さがにじんでいた。思わず息を呑む。
「年頃も、魔力量も申し分ないようだが。契約については詳細を聞いているか?」
問われて頭を振ると、小柄な悪魔は真由香の悪魔を睨んだ。女悪魔は気まずそうに視線を逸らす。
その所作で、彼女らの上下関係が把握できてしまった。やはり可愛くないかもしれない。
幼い悪魔は気怠げに口を開く。
「説明する。――まず仮契約について」
「はい」
思わず居住いを正して敬語になる。
「呼ぶ際に魔力だけ提供してもらえればいい。こちらの力は三分ほどしか提供できぬが、暴徒から守る程度はできる」
「人恋しいときは、話し相手にもなるわよん」
女悪魔が補足し、小柄な悪魔が頷く。
「魔力提供の方法は、粘膜接触」
「粘膜接触?」
耳慣れぬ単語に目をしばたたかせてしまう。
真由香が咳払いし、解説した。
「く、口づけと言うことよ」
「もしくは血液や肉、体毛でも構わない。目減りするものは勧めないがな」
「なるほど」
痛いのは御免だ。髪もそんなに頻繁に提供できない。
幼い悪魔は話を続けた。
「次に本契約だが、これはこちらに決定権がある」
「はぁ」
「まず、お前の記憶を余すところなく見せてもらう。もちろん内容に関して他言はしない」
「ふぅん……」
悪魔は人間のことを知りたがり、その記憶が甘露となるのだと、以前に女悪魔が言っていた。
「その記憶が興味深いものなら、本契約だ」
「興味深いって?」
「何の刺激もない平坦な人生を送ってきた者などつまらない。品性が下劣な者は論外。潔癖過ぎても好みではない」
淡々と悪魔は述べた。
「懊悩する者、悲劇的な人生に在る者、努力する者。ほどよく純粋で楽観的な者も悪くない。若いぶん、人生経験も浅かろうからそこは考慮する」
「えーと、私はどちらかと言えば、平凡な人生を送っていると思いますが」
美也子が疑念を挟むと、悪魔は初めて笑みを見せた。わずかに口の端を吊り上げる、子どもらしからぬ笑み。
「お前は前世の記憶があるらしいな。それで釣りが来るかもしれぬぞ」
金色の瞳の奥に渇望を感じ、美也子の心を覗くことを期待しているのだと分かった。
「本契約となれば、召喚にはいつでも応じ、提供された魔力に値する働きをしてやろう。だが、この世界には魔力が皆無だ。お前の肉体で生成される魔力を頼るのみとなるため、いささか不自由しそうではあるが。それでもお前の凄まじい魔力量なら、有象無象の魔女たちよりは余程力が発揮できるだろう」
「そうですか……」
全ての記憶を見せお眼鏡に適えば、晴れて魔女っ子の仲間入りということか。
だが、自分に『凄まじい魔力量がある』という自覚がないため、どうもピンとこない。それでも、『魔力』という名の謎のエネルギー体を提供するだけならば、契約する価値はあるだろうか。
いや、他人に決して漏らさないとはいえ、余すところなく記憶を覗かれるというのは、大変屈辱的なことなのではないだろうか。
思考を巡らせる美也子をよそに、悪魔は言葉を続けた。
「それで、最後に特等契約のことだが」
「それは不要よ! 美也子はそこまで求めてない」
慌てた様子で真由香が口を挟んだ。
「何で止めるの? ここまで来たら聞いておきたいな」
小首を傾げる美也子に、傍らで聞いていた女悪魔がにやついた。
「一応説明だけでも聞いておいたらいいと思うわん。いつ気が変わるか分からないのだし、その時に説明を挟むのは雰囲気ぶち壊しだものねん」
「雰囲気?」
疑問符を浮かべる美也子と、気まずそうな真由香を尻目に小柄な悪魔ははっきり言い放つ。
「お前の『純潔』をもらう」
すぐに理解できない。
「『純血』? 血のこと?」
真由香に解説を求めるが、俯いて目を合わせないようにしている。
「まさかその歳で男を知っているわけではあるまいな。記憶を覗くときに改める」
冷たい声で小さな悪魔が告げる。美也子も意味が理解できてしまった。
創作物でもよくある話だ。悪魔などの化け物が、処女性を重んじるというのは。
「あなたって、女の子でしょう!?」
思わず疑問を叫んだ。
「いや、我々は雌雄同体だが?」
予期せぬ宣告に言葉が詰まる。
つい、眼前の二人の悪魔を交互に見てしまう。グラマラスな女悪魔にも『ついている』ということなのか。
「信じられんのか。――見るか?」
突如、小柄な悪魔が立ち上がった。真由香が慌ててしがみつき、腰紐をほどこうとする手を阻止する。
そのまま強引に座り直させた。
「待って、美也子には刺激が強すぎる。十五歳の女の子なんだから、忖度しなさいよ」
「十五歳だからよいのだろうが。清い肉体の間でなければ特等契約はできぬぞ」
「ど、どうして純潔でなければならないの?」
美也子が純粋な疑問をぶつけると、悪魔は常識を諭すように答える。
「女が他者に与えうるものの中では、一生に一つしか持ちえない稀有なものだからだ。それを捧げる献身で、こちらも契約者の覚悟を測り知ることができる」
「そんなもんですか」
覚悟を測る――それなら納得できなくもない。頷きかけたその時。
「――それに、他の男が使ったものを俺は使いたくない」
「ええっ!?」
驚愕に仰け反る。
なんと凶悪で明け透けで身も蓋もない言葉だろうか。
しかも今、この可憐な悪魔は『俺』と言った。
助けを求めるように真由香を見ると、初心な少女のように頬を染めていた。
確か真由香の悪魔は、彼女は処女だと言っていた。
だが、この場でもっとも若く純粋なはずの美也子は、照れて言葉を喪失しはしなかった。
悪魔の物言いに理不尽なもの感じ、少し意地悪してみたくなったからだ。




