41.真夏の夜の夢
美也子は夢の中にいた。
これが夢だと理解できる、いわゆる明晰夢だ。
だが、ふわふわした気持ちで、意識ははっきりしていない。
何もない空間が広がっているが、立っているのか横になっているのかも分からない。
気味が悪いとも、早く目覚めたいとも思わない。
気付けば、眼前に愛奈が立っていた。一糸まとわぬ姿だ。
風呂場で見た通りの、大人びた裸体。
瞳は金色に煌めいていて、背中からは光り輝く翼が生えていた。
異様な風体だが、それを不思議だとも思わなかった。
美也子の手を取った愛奈は、それを己の左胸に導いた。
指先には柔らかい脂肪の感触。手のひらには、硬い何かが当たっている。
「これは夢だから」
愛奈が囁く。
「だから、何が起ころうとも、何も心配しなくてもいい。気にしなくてもいい」
耳に息がかかる。夢の中なのに、吐息の熱を感じた。
「美也子のしたいようにしたらいい。望む通りのものを見せてあげる。だから、美也子の心の奥を見せて」
耳朶を噛まれた。
「あたしに、全部任せて」
意識が深く沈んでいく。
この感覚は、体験したことがある。かつて、真由香の悪魔に記憶を覗かれた時のような――。
男女の嬌声が聞こえ、意識が戻る。
美也子の眼前には、どこぞの家の浴室が広がっていた。
浴槽の中で男女が向かい合い、戯れている。
獣耳の生えるその少女は、間違いなくエイミだった。
「まあ、ご主人様。そのようなことをなさってはいけません」
エイミは腕で胸を隠し、身をよじる。言葉とは裏腹に、表情には拒絶の色が一切ない。
エイミがご主人様と呼ぶのは、もちろん美也子ではなかった。
対面で湯に浸かる、赤毛の男。美也子の位置からは顔が見えないが、記憶の中で一度出会ったきりの大魔導師に違いない。
男は、低く甘い声で囁いた。記憶の通りの声だ。
「触れたらダメなの?」
声こそ違えど、喋り方は美也子にそっくりだった。
「だって、くすぐったいんですもの」
エイミは顔を赤らめた。
クリスデンはその腕を優しくつかみ上げ、隠されていた部分を露にする。
空いた方の手はエイミの左胸へ向かい、脇の下に指を這わせた。
「よく見せて」
視線を逸らし赤い顔のまま、従順にエイミは裸体をさらした。
「白い肌に、よく映える」
クリスデンはエイミの左胸のホクロを撫でる。エイミはくすぐったさと羞恥で目を閉じ、わずかに身をくねらせた。媚びる女の仕草だと思った。
男の顔は美也子の位置からは見えない。一体、どんな面をしてエイミに触れているのか。
ただ、一連の二人の行為に、絶望と嫌悪を感じていた。
いつもエイミが美也子に向けているその笑顔を、恥じ入り俯く顔を、可愛い声を、他の男に向けている。例えそいつが、美也子の前世だったとしても。
――この二人は、大人なのだから仕方ない。
愛奈だって言っていた。男なら当たり前のことだと。
美也子のように、ただくすぐってからかうだけでは済まないのだと分かっている。
だが、イヤだ。こんなものは、許されない。
もうこれ以上は見たくない。この先、一体何が始まるのだろうか。
クリスデンがエイミを抱き寄せ、顔を近付ける。
声にならぬ悲鳴を上げ、美也子は跳ね起きた。
そこは愛奈の部屋だった。
夢だったのかと、息を吐く。
とんでもない悪夢の再来だった。
それでも夢だと安堵していいのか、迷う。
あれが、美也子の深奥に眠るクリスデンの記憶だったらどうしよう。
胃が重くなり、口を押さえた、その時。
横で眠る愛奈が、苦鳴を上げてのたうち回り始めた。
異常事態に、血の気が引く。
「愛奈!?」
きつく目を閉じ、噛み締めた歯の間から呻きが漏れている。
美也子は枕元のリモコンを取ると、明かりを点けた。眩しさに閉じようとする瞼を強引に開け、愛奈に声を掛ける。
「お母さんたちを呼んでくるよ!?」
ベッドから飛び降りようとすると、腕をつかまれた。
「もう、大丈夫」
荒い息を吐きながら、愛奈はゆっくりと身を起こした。
「嘘でしょ? 救急車呼んだ方がよくない?」
愛奈の目を見ると、金色の光が明滅していた。
「病気とかじゃない。……『夢潜り』に失敗したペナルティなの……」
「夢潜り?」
オウム返しで問うと愛奈は苦い顔をしたが、意を決したように、真っ直ぐ美也子の目を見た。
刑事ドラマで犯人が告白する時のような顔だ。
「ゴメン美也子。ただ、『いい夢』を見せてあげようとしただけなの」
ここで愛奈は目を逸らす。
「……あたしと美也子、二人の楽しい夢をね」
その言葉に少し嘘の色を感じたが、追及するほどの確信は持てなかった。
「それで美也子の意識に干渉して、記憶の奥に潜ろうとしたんだけど、途中でとっても強い意識の壁があって、弾かれちゃった。だから、術が失敗した反動でちょっと苦しかっただけ」
「強い意識の壁?」
美也子が眉をひそめると、愛奈は硬い表情で答えた。
「うん、美也子の強い悩みのこと。あたしが余計なことしたから、それが引き金になって夢の中に映像化されたの」
愛奈の説明は不可解だった。ただ、何か魔精の能力を使ったのだということしか分からない。
だが、それよりも気になることがあった。
「愛奈も、さっきの私の夢、見た?」
愛奈は無言で頷く。
「あれは、私の前世の記憶なんだよね?」
絶望しながら問うと、愛奈は頭を振る。
「そんなわけないじゃない。あれ、うちのお風呂場だったでしょ。あれは、美也子の妄想。強い懸念が生み出したただの悪夢だよ」
その言葉を聞いて、美也子の瞳に涙があふれた。




