38.食卓
愛奈の部屋でマンガを読んで時間を潰す。
美也子は一つしかない座椅子に座らせてもらっていた。部屋主はベッドの上に伏せってスマホをいじっている。
三冊読み終わったところで、ふと聞いてみる。
「ねぇ愛奈。月末、市の花火大会があるじゃない?」
「そう言えばそうだね!」
愛奈が顔を上げ、目を輝かせた。
「美也子、一緒に行ってくれるの?」
「えっと、実はうちのマンションのバルコニーから見えるんだ。だから、私んちに来ない?」
すると愛奈は複雑そうな表情を見せる。
「ってことは、美也子のママと、エイミちゃんと……」
「お母さんは外出しちゃうかもしれないし、エイミも大きい音苦手みたいだから部屋にいると思う。でも、真由香ちゃんが来るよ。毎年そうしてるんだ」
「……そうなんだ」
「愛奈?」
友人の沈んだ顔に戸惑う。
「二人で浴衣来て行くっていうのは、無理なの?」
「ゴメン、もう真由香ちゃんとは約束しちゃってるから……」
それに、浴衣は持っていない。安価なものがいくらでも売っているとは思うのだが、年に数回しか着用しないものに金を出すのは無駄な気がしていた。何より、動きにくそうだ。
「そう」
困ったような顔で、愛奈は笑った。
「じゃあ、あたしも美也子の家に行くよ。三人で花火見よう」
「真由香ちゃんが酷いこと言ったら、私ちゃんと怒るからね」
「えへへ、ありがとう」
愛奈がベッドから下りて、座る美也子へ寄ってきた。
「夏休みになったら、たくさん遊ぼうよ~。プールは?」
犬のようにまとわりついてくる。
「スクール水着しか持ってないや。水着って高いじゃない」
「ネットで安く買えるよぉ」
「夏休みのプールって、どこも人がヤバくない?」
美也子が眉をひそめると、愛奈は少し考え、提案した。
「じゃあ、海とか」
「うーん、海か」
もう何年も海水浴はしていなかった。潮でべた付く印象しかない。
「さては美也子、夏のイベント好きじゃない派だなぁ~!」
「あっ、バレた? だって暑いんだもん。日焼け止め塗るの面倒くさいし」
「あたしが塗ってあげるよ」
首筋を撫でられて飛び上がる。
「ひゃっ!」
「あれ、ここ、弱いの~?」
「誰だって弱いよ」
仕返しで愛奈のうなじもくすぐってやろうと、美也子は手を上げた。
とっさに逃げた愛奈がベッドに倒れ、枕で首元をガードされてしまう。
だから、仕方なく無防備な脇腹を狙った。
「……っは! それはダメ!」
愛奈が足をバタバタさせると、ショートパンツの奥から白い下着が覗く。
「下着、見えてるよ」
指摘すると、枕の下から愛奈が顔を出した。
「別に見てもいいよ」
と、ショートパンツを自らずり下げる。純白ではなく、白地に紺の水玉模様のショーツだった。
大胆な行動に、目が丸くなる。
そんな美也子を見て、愛奈は悪戯っ子のように笑って見せた。
その時、ドアがノックされ、夕食の準備ができたことを知らされる。
愛奈の母が用意してくれた夕食のメニューは、美也子の好物ばかりだった。
味噌カツにキャベツ、青じそのドレッシング、明太子入りポテトサラダ。なめこの味噌汁。
リクエストしたわけではない。
愛奈と親しくなった数か月の間に、日常会話の中で何気なく言ったことを覚えていてくれたのだ。
「本当に、申し訳ありません。ありがとうございます」
心から恐縮しつつ丁寧に礼を言うと、愛奈の母は娘そっくりの顔で微笑んだ。
「いいのよ、娘がもう一人できたみたいで嬉しいわ」
美也子の母もエイミに対してそれと同様のことを言っていた。この年頃の女性の思考回路は、似たようなものなのだろうか。
「美也子ったら、そんなに気を遣わないでよ~」
「そうそう。愛奈もパパも小食だから、お姉ちゃんが家を出てから料理のし甲斐がなくって。今日は腕を振るっちゃった」
「おねーちゃん、大食いだったもんね~」
顔を見合わせて笑う母娘は、まるで姉妹のようだった。千歳家の母娘関係とは少し違うなと思う。
美也子の母はこんなに穏やかな話し方ではないし、家族とはいえ、年長者に対するそれ相応の態度で接しないと注意される。
それは当然のことで、決してイヤではないのだが、フレンドリーな愛奈母娘を目の当たりにすると、わずかな寂しさを感じてしまった。
食卓には二人分しか並んでおらず、つい尋ねてしまう。
「愛奈のお母さんの分は?」
「パパが今日は遅くなるから、待ってから一緒に食べるんだよ」
「お先に頂いてしまって、すみません」
美也子が一礼すると、愛奈の母は口元に手をやって上品に笑う。
「いいのよ。他所のおばさんが一緒だと、緊張してすぐ満腹になっちゃうでしょ?」
「そんなことは……」
「そうそう、ママは部屋に行っててよぉ」
「ひどいわねぇ」
そのやり取りは千歳家では絶対に起こらない。
戸惑い、つい話を逸らしてしまった。
「愛奈のお父さんは、いつも遅いの?」
「週の半分くらいは、九時とかだよ」
「うちのお母さんもそんな感じだよ」
すると愛奈は悲哀を顔に浮かべた。
「そうなんだ……。美也子のママも大変だね。寂しくない?」
「遅くなったのはここ数年くらいだから、全然大丈夫。むしろ羽伸ばせるよ」
それに今はエイミがいるし、という言葉は愛奈の母の手前、飲み込んだ。
「あらまぁ、美也子ちゃんのお母さんは何のお仕事を?」
愛奈の母が首を傾げて尋ねてくる。
母子家庭の美也子に対し、こうして探りを入れてくる大人は今まで幾人も見てきたが、愛奈の母からはイヤなものを感じなかった。探るというより、単なる世間話のような様子だ。
「自動車部品を売ってるみたいですけど、よく分からなくって。車のボンネットを開けて、これがお母さんの会社で取り扱ってる部品だよーとか言われたんですけど、さっぱり」
「分かる分かる! パパも、これはうちの会社で作ってるーとかしょっちゅう言ってくるけど、どうでもいいし。パパが作った訳じゃないのに」
「そうよねぇ」
そう言って母娘で笑う。本当に友人のようだった。
「ほら、さっさと食べて、臭い人が帰って来る前にお風呂入っちゃお~」
キャベツにドレッシングを掛けながら、愛奈が明るく言った。
一瞬、何を言われているか分からなかった。
臭い人とは――父親のことか。
千歳家では、いくら冗談でも年上を貶めれば、母に注意される。
臭い人は言い過ぎだろうと思うが、こんなふうに気軽な冗談の言える佐原家がやはり羨ましい。
母子家庭であるがゆえに、より一層母のしつけが厳しくなっているのだということは薄々感じている。
父親が存命ならば、また違ったのだろうか。
「私たちが一番風呂? いいの?」
遠慮がちに尋ねると、愛奈は当然のように言う。
「だって、パパの後にお風呂入るのイヤだし」
「気にしなくてもいいのよ。でも美也子ちゃんは本当に偉いわね。お母さんにきちんと教えられているのねぇ」
愛奈の母の深い感心に心のもやが晴れる。こうして母を褒めてもらうのは嬉しいものだ。
それから食休みにドラマの続きを見て、入浴の運びとなった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
美也子視点のみで書いているため、
描写不足の部分があるかと思います。
意図してそうしている部分もありますが、
分かりにくい点などございましたら、ご指摘下さい。