35.牽制、宣戦布告 その2
「あーっ、このウサギ、耳長悪魔でしょ。真由香ちゃんの」
愛奈が棚の上のウサギを見つけ、面白そうに駆け寄った。
「分かるの? っていうか、そもそもウサギと耳長悪魔の違いって何なの?」
「耳長悪魔は肉食なんだよ~」
「えぇ……。主食の差なの?」
美也子は陶器のウサギを凝視する。どこからどう見ても、ただの置物だ。これが肉を咀嚼するところなど想像もつかない。第一、ぴくりとも動いたことはない。
「主の命令があるまでは、こうやって擬態してるの。可愛いね」
愛奈がウサギの置物をつつくと、突如それが牙を剥いて、指に噛みついた。
「この汚ねぇ魔精が! 俺様に触れるんじゃあねぇ!」
「きゃー! 痛い!」
「置物が動いた! 喋った!」
硬い陶製だったはずのそれが、柔らかい毛並みへと変貌している。人畜無害な草食獣の顔に皺が寄って、激しい怒りをたたえていた。
ウサギ(?)は棚から二回跳躍し、床に足をつけた。美也子はあまりの驚きに、思わずエイミに抱きついてしまう。
エイミは美也子を抱き締め返した。その力があまりに強く、美也子は我に返る。
「あ、ゴメン。大丈夫だよ」
エイミを仰ぐと、その瞳が真っ直ぐ美也子を見つめてきた。その眼差しに歓喜の色を感じ、しばし見つめ合ってしまう。
「ちょっと美也子ぉ、耳長悪魔が意地悪するの!」
悲鳴が聞こえたためそちらを見遣ると、愛奈の周りをウサギが跳ね回っていた。
「こら! やめなさい!」
止めようとするが、突然動き出したその物体が気持ち悪くて、触れることに抵抗を感じる。
見兼ねたエイミが、背後からウサギをつかむ。その手から逃れようと暴れるウサギは美也子の冷えた視線を受けると、人間のように悄然とうなだれた。
「暴れてすいやせん、あねさん」
生まれてこのかた、そんな呼び方をされたことはない。思わず吹き出してしまった。
「どうしていきなり暴れたの?」
「魔精か獣人が俺をつっついたら、噛みつけとのご指示でしたので」
先日、真由香に術を掛け直してもらったのだが、余計な指示を加えていたようだ。次にエイミが解呪しようとしたら、攻撃させるつもりだったのだ。
「危険だから真由香ちゃんに返そうか。ねぇ二人とも?」
呆れながら、エイミと愛奈に同意を求める。
「それはご勘弁を……。いざとなったら我が身を呈してあねさんを守れってぇのが、主命なんです、はい」
小動物の顔で懇願するウサギからは先ほどまでの凶暴さが消え、すっかり本来の可愛らしさが戻っていた。
「可愛い」
エイミがぼそりと言う。
普段は丁寧語でしか話さない彼女の素直な呟きが、美也子の心を動かした。
「エイミがそう言うなら、許してあげる。その代わり、撫でさせてあげて」
「はい……」
観念するウサギを真っ先に撫で回したのは愛奈だった。
エイミは、美也子を見て無言で伺いを立ててくる。
「撫でくり回してあげたらいいよ」
そう言って笑いかけると、エイミも微笑んで、ベッドに腰掛けた。
ウサギを膝の上にのせて、頭から背中を優しく撫でた。ウサギも満更ではない様子で目を細める。
その時のエイミの柔らかな表情を見て、美也子は胸が熱くなった。
――ああ、可愛い。
小動物を愛でるエイミの穏やかな顔が、とても可愛く、愛おしい。
「エイミは、動物が好きなんだね」
「どうでしょう……。あまり動物と接する機会はありませんでした」
「だって今、とっても可愛い顔してる――」
つい口をついて出た率直な感想に、愛奈が驚いたような目を向けたため、ハッと口を押さえた。
今、とても恥ずかしいことを言った気がする。
誤魔化すように肩をすくめて愛奈を見遣ると、傷付いたような表情をしていた。
「……愛奈?」
「でもこのマンション、ペットはオッケーなの?」
先程までの表情が嘘のようにニヤついて、愛奈はからかうように言う。
「申請すれば、小さいペットは大丈夫みたいだよ」
「ペット扱いしちゃならねぇですよ。こちとら、この場のお嬢様方全員よりずっと長生きしてるんですから」
「へ~ぇ」
三人でまじまじウサギを見た。
「ごはんはいらないの?」
「百年程度は問題ありやせん。食ったらどうしても出るもんが出ちまいますからね」
そう言ってガハハと笑うウサギから、可愛さが何割も失われた。
やはり、後から真由香に苦情を言おう。