33.悪夢と失言
夜は、いつものようにエイミと風呂に入って身体を洗ってやる。
背中を擦ってやっている時、視線がホクロに吸い付けられた。
「エイミ。左の胸のところに、ホクロがあるの知ってる?」
つい聞いてしまう。
「はい」
エイミははっきりと答えた。
そんなところ、腕を上げて覗き込まないと見えないのに、なぜ知っているのだろうか。
「クリスデンに言われたの?」
暗い思考は口から飛び出た。
エイミは答えず、振り向かない。
「答えて」
ついきつい口調になってしまう。
「その通りです」
エイミの返答に、美也子は硬直した。
「一緒に入浴した際は、いつもそれを気にしていらして」
こちらを振り向かないまま、エイミは滔々と続ける。
「あのかたは、ホクロのある女性が好きだったのです。白い肌に浮かぶそれが、情欲をあおると」
エイミの抑揚のない声に怖気立つ。生々しい語りに吐き気がした。
「だから、わたくしを大層可愛がって下さって――」
「もう聞きたくない!」
目を閉じて、叫ぶ。
――という夢を見た。
目が覚めると、ベッドの上。
仮眠を取っていたのだが、どうしようもない『悪夢』を見てしまった。
あれは、エイミを穢す夢だ。自己嫌悪に芋虫のように丸まって呻った。
スマホを見ると、十八時半を過ぎたところ。あと一時間早く起きるつもりだったのだが、アラームセットを忘れていた。
「ご主人様、夕食ですよ」
ノックと共にエイミの声が掛かる。勉強中の美也子に遠慮してなのか、入ってはこない。
今すぐここに来いと命じたい。
頭から尻尾まで無茶苦茶に撫で回して嬌声を上げさせてやりたい。
美也子一人のものなのだと思い知らせて――ああ、なんとバカなことを。
「今日のご飯、何?」
「生姜焼きですよ」
豚肉と白米の旨味を思い出して、空っぽの胃に意識を向けた。
歪んだ欲求は、育ち盛りの食欲でかき消してしまおう。
「すぐ行く!」
身体を起こして、リビングへ向かった。
夜、いつものように風呂でエイミの背中の毛を洗ってやる。ボディソープのいい香りが漂い、エイミも上機嫌そうに短い尻尾を振っている。いつもの光景。
だが今日は、どうしても視線がホクロのある左の胸に吸い付く。
夕食前に見た悪夢を思い出し気持ちが沈み込む。
ただの夢だと言い聞かせ、ボディタオルを持つ手を勤勉に動かす。
それでもやはり、気になる。
聞いてしまえと、自棄になった心が囁いた。
「左胸に、ホクロがあるの知ってる?」
「はい」
素直な返答に、鼓動が早くなる。
「……自分で見たの?」
「はい、後ろの毛を自分で梳くときに見つけました」
――なんだ、やっぱりそうだよね。
美也子は死ぬほど安堵した。
クリスデンと風呂に入っていたのは、背中の毛を洗ってもらう必要があったから。もしくは介護のため。ただそれだけの話。
抱き付いて甘えるだけで真っ赤になる少女が、『そんなこと』をしているわけがない。あの良い歳をした男が、年下の少女に対して、『分別のないこと』をするはずがない。
「んっ」
白い肌と白い泡の中に浮かぶ黒い点を、思わず触ってしまい、エイミが身をよじった。
くすぐったいらしい。
「気になりますか? 気に障るようでしたら絆創膏でも貼っておきます」
「何を言ってるの」
生真面目な回答に笑ってしまう。
湯船に向かい合って沈み、ぼんやりした思考でもう一度ホクロに手を伸ばす。なめらかな肌の感触と乳房の柔らかさが指に心地よい。
「ご主人様……」
エイミは困ったようにしている。いや、照れている。その姿が可愛くて、ふざけて手を真下に滑らせ脇腹までなぞった。
「あっ!」
勢いよく身をよじらせ、湯の飛沫が美也子に掛かる。今の悲鳴は、拒絶ではない。
「ご主人様ったら」
「ほら、大人しくしてよ」
面白くなったのでもう一度。耐えるエイミの口元が震える。
「最近、少し肉が付いてきたよね」
今度は乳房からあばらをなぞる。
「申し訳ございません」
「何で謝るの。元々痩せ過ぎだったでしょ。もっと食べたら、胸だって大きくなるかも」
「ご主人様はその方がお好みですか」
「うーん、かもね」
太ることを肯定させるためにとりあえず同意したのだか、エイミは湯船から上半身を出してまじまじ自分の胸を見つめた。
「クリスデン様とは異なることをおっしゃるのですね」
その言葉に美也子は硬直した。
なぜ美也子の笑みが消えたのか、エイミはすぐに察したようだった。
暖かい浴室にいるはずなのに空気が凍ってしまった気がする。
「申し訳ございません!」
弾かれたように浴槽から出たエイミは浴室の床に平伏した。
「何で謝るの?」
努めて平静を装い、美也子は苦笑している演技をした。
エイミに見抜かれている。前世の自分へのコンプレックスを。一緒に眠った、あの日の夜から。
羞恥心に胃がよじれそうだった。
だが、クリスデンは如何なる状況で、エイミにどのように言ったというのだ? 胸が小さくても良いと、むしろその方が好みだとでも言ったのか? 実際に目視しながら? 触れながらか? 風呂場で? ベッドの上で?
膨らむ妄想が油となり嫉妬の炎を燃え上がらせる。
クリスデンは『前世のことなど知りたがるな』と言った。まったくその通りだ、クソ野郎。
あらゆる罵倒が美也子の脳裏に浮かぶ。同時に、男性そのものへの嫌悪さえ。
「ほら、冷えちゃうから」
全裸で震えるエイミに立つよう促し、再度二人で湯に浸かった。
今度は、肌に触れる気にはなれない。