31.及川 マスト ダイ その2
声の主を振り返り、そこにいた二人の女子を見て顔が強張ってしまった。
愛奈と真由香が、積年の友のような顔で連れ立って通路にたたずんでいたからだ。
「あたしたち、この席でいいでーす」
案内係の店員に明るくそう言って、愛奈が及川の隣に座り、真由香が美也子の横に来た。
「二組の及川くんだよね~? ゴメンね、混んでるから相席してあげたほうが、お店も助かるよね~」
「久しぶりだね及川くん。中二の時同じクラスだった野沢だよ」
「あ、うん」
いやにフレンドリーな女子二人に気圧され、及川は唖然としていた。
「ドリンクバー二つ下さぁい」
愛奈が店員に甘い声でオーダーする。
「じゃ、取りに行こ」
真由香が美也子の腕を引っ張る。いつもはそちらから触れてこないくせに。
「いや、私まだ入ってるから」
「及川くんの分、取りに行ってあげればいいじゃない。ねっ」
真由香の視線を受けて、及川は遠慮がちに答えた。
「あ、じゃあアイスティーを……」
「分かった、取って来るね」
引きつった笑みで、美也子も席を立った。
「何でここにいるって分かったの」
ドリンクコーナーで美也子は二人を非難する。
「真由香ちゃん、悪魔の力で私のこと尾行してたんでしょ」
過日、ヘラーたちの居場所を突き止めた時のことを思い出す。
「私は何の魔法も使ってないわよ」
真由香は涼しい顔で野菜ジュースを注いでいた。その視線を愛奈に向ける。
「えへへ」
曖昧に笑う愛奈の顔を見て、魔精の能力を使ったのだと思い至る。
「そもそも、二人ってこんなに仲良くなかったよね。何で一緒にいるの?」
訝しげに見つめると、愛奈は真由香に微笑みかけた。
「仲良くないこともないよね~、真由香ちゃん。連絡先交換したし」
「バカ言わないで。一時協力体制なだけよ」
協力して美也子のデートを阻害しようとするなど、なんと恐ろしい。一体何が、彼女らをそこまで突き動かすのか。
真由香の気持ちはまだ分かるが、まさか愛奈まで。
溜め息しか出ない。
「はいこれ、及川くんの。持って行ってあげて」
愛奈が差し出してきたのは、ホットドリンク用のカップだった。紅茶のティーバッグがお湯に浮かんでいる。
「ちょっと! アイスって言ってたじゃない!」
「そうだっけ~?」
愛奈はアイスカフェオレを持ってさっさと席に戻っていく。
仕方ないので、これは美也子が飲むことにして、アイスティーを汲み直した。
「お優しいこと」
真由香の嫌味が背中に掛かる。
「あのねぇ、真由香ちゃん。これじゃあ私が、お使いもろくに出来ないバカな子みたいじゃない」
「男って、バカ女の方が好きじゃない?」
「及川くんはそんなことなさそうだよ」
及川を庇う美也子に、真由香は言葉を失って口をパクパクさせた。
それを放置して、席に戻る。
すると、愛奈が及川にあれこれ聞いていた。部活は、成績は、家族構成、血液型は。
及川は戸惑いながらも、きちんと答えている。
「へぇ、及川くんAB型なのぉ~? 二重人格ぅ~?」
愛奈はテーブルに肘をついて、いつもより数割増しで間延びした声を発している。聞き方こそ穏やかだが、及川を貶めようとする意図を感じた。
及川は反論することなくただ苦笑している。
「いや、どうだろうね、あはは」
「そう~? 美也子はどう思う?」
「血液型占いなんて、私は信じてないから」
愛奈に話を振られ、美也子はぴしゃりとそう言ってしまった。愛奈が驚愕の表情を向けてきたが、気付かないふりをする。
「そうそう、そんなの非科学的だよね」
やって来た真由香が美也子に追随する。
魔女が『非科学的』という単語を使用するのは、滑稽である。
愛奈は、協力者だと思っていた人間にまで裏切られ、開いた口が塞がらないようだ。
だがすぐその顔に笑みが戻る。……目は笑っていない。
「真由香ちゃんだって、呪いとか魔法とか信じてるでしょ~?」
今度は真由香が顔をひきつらせた。
魔女である真由香にとってはまごうことなき事実だ。信じる信じない以前に、実際使うことができるのだから。
だが、その正体を知らぬ及川にとっては、真由香はただの『痛い子』になってしまう。
真由香はしばらく表情を強張らせていたが、何か痛快な返しを思いついたようで、口角が吊り上がった。
「そうだね、嫌いな人がいたら、呪ってあげてもいいよ。……元カレとか」
「真由香ちゃん!」
慌てて美也子はたしなめた。まだ失恋の傷は塞がっていないだろう。
笑みを崩さない愛奈だが、ゆえに怖い。
――この状況はマズい。
愛奈VS真由香になってしまった。
及川も不穏な空気を察して、すがるように美也子を見てくる。
「元カレのことは別に恨んでないもん」
「はぁん、じゃあさっさと次の男と付き合えば? この前、うちのクラスのヤツに告白されてたでしょ?」
被っていた真由香の猫がどこぞに去った。すっかり本性を剥き出してしまっている。
何か言い返そうと口を開いた愛奈の目から、一筋の涙がこぼれた。
美也子は思わず真由香の頭に拳骨を落としていた。
「いだっ! 美也子が私を殴った!?」
「愛奈ぁ~、とりあえず外に行こ?」
真由香を強引に押しのけて通路に出ると、鼻をすすり出した愛奈へとハンカチを渡す。
周囲の客のがこちらをちらちらと見始めていた。この状況を体験するのは二度目だが、慣れるはずもない。
「えっと、俺、会計してるよ」
「ありがとう。後からお金渡すから」
及川の気遣いに礼を言い、かつてのようにまた愛奈の手を握って外に導く。背後から、仏頂面の真由香がついてきた。
店外に出て愛奈の様子を窺うと、けろりとしていた。
「あ、愛奈?」
「ゴメンね美也子」
愛奈と真由香が視線を交わして、戦友のように頷き合った。
「演技だったの!?」
「ケンカして美也子を連れ出す作戦だったの。でも演技じゃなくて、ほぼ本音よ」
頭をさすりながら真由香が言う。最後の台詞と共に、ぷいとそっぽを向いた。
対する愛奈は真由香を見つめたままだ。
「作戦が成功してよかったね~。すっご~く傷付いたけど」
「傷付けるために言ったんだけど?」
「ふ~ん、そう」
先ほど戦友のようだった二人が、今度は仇敵のように剣呑な笑みを交わす。だが今は止める気になれない。
「ひどいよ」
まんまとしてやられた美也子は、ただ肩を落とすことしかできない。
「千歳さん?」
会計を終えた及川がやって来る。
それを見た愛奈は目元をハンカチで押さえて、泣いている演技を続けた。真由香も不貞腐れた様子で、女の修羅場を演出していた。
それを放置し、美也子はカバンから財布を取り出す。
「及川くん、ありがとう。お金は……」
「いや、お金はいいよ」
「それはダメだよ。えっと、三人分払うから」
「計算しなきゃいけないし、また今度でいいよ」
「……今払って」
支払い方法で応酬する美也子と及川の脇で、愛奈が顔を伏せながら囁く。
「……今払って!」
二度目は、語勢が強まっていた。それを聞いた真由香が、ハッとした表情で財布を出す。
「今払うわ! レシート見せて」
及川からレシートをひったくり、ざっと暗算を始める。
「三人で千八百円でいいかしら?」
「ちょっと多いかな」
「いいのよ、邪魔しちゃったし、気にしないで」
上品に笑ってみせる真由香と、指図した愛奈の意図が分かった。
一刻も早く、美也子と及川の接点をなくしたいのだ。後日清算となれば、それを口実にまたデートの運びとなる。
及川が一体何をしたというのだ。美也子は溜め息しか出ない。
どうやって謝罪しようか考えていると、右手を愛奈、左手を真由香に捕まれた。
「じゃあ、今から仲直り会だから!」
「えっあっちょっと!」
女子二人に引きずられ、美也子は為すすべなく足を動かす。これではまるで刑場に引き立てられる罪人のようではないか。
「千歳さん、今日はありがとう! また連絡するから」
背中に及川の声が掛かる。
「こっちこそありがとう」
無理矢理後ろを向きながら、困惑顔の及川に礼を言った。
それから女三人で、ファストフードの店に入った。
注文後、窓際のカウンターテーブルで美也子を中心に横並びになる。
それから、真由香に払ってもらった分を精算する。
「んもう、そんな短いスカート履いて!」
フライドポテトをかじりながら、真由香が美也子の服装をとがめた。
「いや、キュロットだよ。この前買ってから一度も履いてなかったから」
「男に脚を見せることを想定しながら服を選んだの!?」
「な、何言ってるの? 及川くんと遊ぶのが決まる前に、ワゴンセールで買ったやつだよ」
慌てて弁解すると、逆側の愛奈が身を乗り出してきた。
「あたしと一緒に買いに行ったんだよね~」
「仲良しアピールうざい!」
「ひど~い!」
愛奈と真由香が美也子を挟んで火花を散らす。
美也子はこの状況に呆れながらも、居心地のよさを感じていた。
気の置けない友人に囲まれていたほうが、及川といるよりもずっと楽だ。
彼がどんなに気遣い上手で、どんなにいいヤツだとしても。現状、付き合いたいとは思えない。
「美也子、怒ってるの?」
「美也子ぉ」
物思いにふけっていると、怒りで黙っているのだと思われたようだ。
両側の少女たちが媚びるようにすり寄ってくる。
「いや、怒ってない」
素直な気持ちを述べる。
「むしろ、助かったかも」
それは、言ってはならなかった。
両側の二人がいやらしく笑ったからだ。
「ほら、美也子に男はまだ早い~!」
「あんなガキは美也子には似合わない!」
すっかり調子に乗らせてしまった。
「あいつの財布、バリバリするやつじゃなかった?」
にやにやと真由香が効いてくる。マジックテープのことを指しているのだろう。
「はぁ、さすがに違ったよ。なんかのブランド。入学祝いにお父さんからもらったって言ってたよ。ポー何とかってやつ」
あまりブランド物には詳しくないので、覚えていなかった。
また二人の質問攻めが始まる。
「ポーのあとは何?」
「知らないよ」
「中が派手なシマシマだった?」
「知らないって」
「どっちにしても生意気だわ!」
「やっぱりさっきおごってもらえばよかったね~」
――うるさいなぁ。
でも、やっぱり嫌じゃない。
「美也子、あーんして」
愛奈がポテトを掲げ、それを真由香がひったくって食べた。
ぎゃあぎゃあと再度が騒がしくなる。
その騒音には最早慣れてしまった。
思考は、自宅で待つ獣耳の少女へと飛ぶ。
デートの成果は何もなかったと言ったら、あの少女はどんな顔をするだろうか。
残念でしたね、と言うだろうか。安堵の表情を見せるだろうか。
後者であってほしいと願いながら、シェイクをすする。
――答えはもちろん、前者だった。