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29.愛は折れゆく、されど挫けず

 一日の授業が終わった。


 帰宅後は、真由香の部屋に行って、昨日の報告をする約束になっている。

 昨日から心休まることがなく、とても面倒だ。


 真由香とは待ち合わせをして一緒に帰ってもいいのだが、少し一人になりたかった。


 校門を出たところで、塀にもたれ掛かるように立っている女がいることに気が付いた。黒髪を腰まで伸ばした、横顔美人。長い脚に、クロップドパンツがよく似合っている。


 他の生徒も、そちらを気にしながら帰って行く。


 日本人じゃないな、と思った時、唐突に閃いた。


 ――カリュピナだ!


 髪を下ろしていることで印象が変わっていたが、間違いない。

 思わず回れ右した時、声を掛けられてしまう。


「おい、千歳美也子じゃないか!」

「違います」

「どうして嘘をつくんだ」

「敷地に入って来ないで下さい! 通報されますよ!」


 校舎内へ逃げ帰ろうとしたが、校庭に数歩入ったところで首をホールドされてしまった。


「お前をずっと待っていたんだ! さっさと帰るぞ!」


 助けてと叫んでやろうかと逡巡したが、昨日の罪悪感が蘇る。

 やけに友好的な雰囲気で、周りの通行人も、知り合いだろう、と怪しむ様子はない。


「復讐に来たんですか?」


 恐る恐る問うと、馬鹿にしたように返された。


「そんな無駄なことはしない。お師匠様がお前に話したいことがあるから、連れて来いって」

「どこにですかぁ」


 今度はエイミではなく美也子を誘拐する気かと身構える。やはり絶叫しておくか。


「お前の家だ!」

「なっ……! こ、これから帰るところですよ、わざわざ来なくても」

「散歩のついでだ!」


 そう言ってから、カリュピナは前を通り過ぎていく男子高生三人組を目で追った。 


「へへへ、ここは若い男の子がいっぱいいていいな」


 いやらしい物言いに、美也子は思わず顔をしかめた。

 呆れ声で警告してやる。


「この世界では、大人が未成年に手を出すと逮捕されちゃうんですよ」

「何でだ? 子どもをこさえるには、適齢期だろうに」


 疑問符を頭に浮かべるカリュピナに、説明する気も起こらない。


「お前、()()っぽいな。婆さんになる前に、一回でも多くやっといた方がいいぞ」

「え? ……ええ!?」

「神は、人間が交合を楽しめるように作ったんだからな、楽しまないと勿体ない」


 とんでもないセクハラを受けている気がする。顔が火照ってしまった。


 手を握られ、引きずられるように校門を出る。

 狭い路地の方へ導かれそうになったため、手を振り払った。


「ほら、空歩で連れて行ってやる」


 エスコートする紳士のように手を差し出され、少し戸惑う。

 空歩というのは魔法だと思われるが、昨日出会ったばかりの女と、原理も分からない初体験を済ますのは御免だった。


「結構です、バスで帰ります」

「バスか、あの大きいやつなら平気だ。乗り方を教えろ」

「ひええ」


 とことん美也子を一人にする気がないらしく、腕組みされてしまった。


 昨日エイミに暴力を振るった凶暴な姿も、関門でえずいていた哀れな姿も、今は微塵もない。ただの友好的な――というか馴れ馴れしい――年上の女の人だ。しかも、美人。

 真由香同様、口が悪いのが玉に瑕だ。


 なぜこんな展開に、と思いつつ、バスに横に並んで腰かける。

 車窓から見える景色について矢継ぎ早に質問をしてきて、煩わしい。


「この国には人間しかいなくてつまらないな」

「はぁ、そんなもんですか。ネヴィラには獣人以外にどんな種族がいるんですか?」

「小人、巨人、妖精、悪魔、魔精。特に最後のヤツがいないと楽しくない」

「そうなんですか」


 身近に該当者がいることは、絶対に教えてやらない。

 確かに、愛奈と一緒にいると楽しい。魔精とは総じて、周囲の人間を楽しませる能力でもあるのだろうか。


 しかし、空想の種族がたくさん暮らすネヴィラとは一体どのような世界なのだろう。いや、ネヴィラだけでなく、この世界以外の十二の異世界は。

 興味はあるが、もちろん旅する気など起こらない。


「そういえば、ヘラーさんは私の家で待ってるんですか?」

「昨日みたいに窓から乗り込んだら、獣人が開けてくれたぞ。最初は居留守を使ってやがったんだ」

「乱暴なことしてないでしょうね!」


 思わず声を荒げてしまう。

 するとカリュピナはくつくつと笑う。


 その胸倉をつかみたくなる衝動を抑え問いただそうとした時、バスは自宅最寄りの停留所に到着した。


「百八十円ですよ!」


 ここで争っても仕方ないため、金額を教えてやる。


「なるほど、そういうシステムか。お師匠様に教えて差し上げよう」


 カリュピナは感心したように金を払って、バスを降りた。その後ろに続く。

 昨日は、この世界のことを気色悪いだとか散々言っていたくせに、いざ帰れないとなると、その順応性を十二分に発揮しているようだ。


 バスが走り去っていった後、カリュピナに食って掛かった。


「エイミは!」

「何もしてないに決まってるだろう。あ、昼飯を作らせた」

「からかったんですね!」

「それよりお前、金を払わずに何かピッてやっただろう!」

「やめてください!」


 定期入れをひったくられそうになりながら、走ってマンションに向かう。何もしていないと言ってはいたが、心配だ。

 カリュピナがぴったりと後ろを付いてくる。変質者に追いかけられているような気がして、不快だった。

 

 二人でエレベーターに乗った時、カリュピナが『この籠の原理はどうなっているか』という質問をしてきたが、無視をした。

 九階に到着し、急いで玄関のドアを開けると、見知らぬ女物の靴が置いてあった。おそらくヘラーのものだろう。


「わざわざ靴を脱いで部屋に上がるなんて、おもしろいな」


 などとぼやいているカリュピナは放っておいて、リビングに飛び込む。


「ご主人様、お帰りなさいませ」


 出迎えるエイミも緊張した様子だった。


 ダイニングテーブルの椅子には、昨日と同じスーツ姿のヘラーが座っている。来客用のカップで、コーヒーを飲んでいた。


「突然上がり込んですまんな」


 丁寧に謝るヘラーに、抗議の言葉を呑み込んだ。


 エイミが側にやって来るので、顔を見て傷がないかチェックする。とりあえず乱暴された形跡はない。


 ホッとしていると、トイレを流す音が聞こえたため思わず廊下の方を見る。すぐあと、リビングに入ってきたカリュピナは、図々しくソファに座ってテレビを点けた。


 ホテルのように寛ぐその姿を見て、美也子は頭が痛くなってきた。

 だが、彼女らに対しては罪の意識がある。無下に追い出すことはできない。


「申し訳ございません、ご主人様」


 うなだれるエイミ。


「仕方ないよ。……お昼ご飯は何を食べさせたの?」

「こちらの世界っぽいものを、とのリクエストでしたので、味噌汁と作り置きの煮物を。それで、食事代としてこんなに頂いてしまいましたが、どうしましょう」


 エイミがそっと見せてきたのは、一万円札だった。

 高校生の美也子にとっては、すさまじい大金である。


「返そう」


 一瞬、もらってしまえと悪魔が囁いたが、良心が勝ったため、エイミから一万円を受け取る。まさか偽札ではと思ったが、何度も流通した痕跡があった。


「あの、ヘラーさん」


 女の向かいに座り、一万円札を差し出す。


「なぜ返す?」

「たぶん、食費だけなら千円もかかっていません」

「心付けだ」


 ――チップということか。

 この世界でも、チップの必要な国は多いため、ネヴィラでもそれが常識なのかもしれない。


 この国にはそういう文化はありませんよ、と言おうとした時、ふとあることを思い出す。

 クリスデン亡き後、魔導師協会がエイミに何をしたかを。


「エイミ、これもらっておきなよ」


 怒りで声が低くなった。むしろ、これでは足りないのでは。

 おずおずと札を受け取るエイミを横に座るように促し、ヘラーへ向き直る。


「何の用ですか」


 声に怒りがにじむ。

 ヘラーは美也子の目を真っ直ぐ見て言った。


「昨日はすまなかったな」


 素直な謝罪に面食らってしまうが、気を取り直して叫んだ。


「エイミに謝って下さい! ――特にそこのあなた!」


 報道番組を真剣に見ているカリュピナに怒鳴ると、ちらりと視線を寄こしただけ。


「正当な制裁をしただけだ」

「はぁ!?」

「組織では時に私刑の方が救いになるぞ」

「その通りです、ご主人様」

「エイミまで……」


 溜め息をついて、ヘラーを見る。


「エイミが気にしてないなら、大丈夫です。……こちらこそ、取り返しのつかないことしてしまってごめんなさい」

「そーだそーだ!」


 野次を入れるカリュピナを今度こそヘラーはたしなめた。


「少し黙っていろ」

「はーい」

「あいつのことは許してやってくれ。連れてきたのは私だ。それに、ああやってこの世界のことを学ばせてやらねば……。順応性の高いあいつがいなくては、私はこの世界では生き辛い」


 美也子には何も言えず、場が静まる。ニュースキャスターの声だけが響いた。


「これからどうするんですか?」


 恐る恐る尋ねると、ヘラーはわずかに笑みを見せた。


「当面の生活は問題ない。滞在資金は、二百五十万円ほどある」

「ふぇ」


 驚嘆のあまりおかしな声が出た。


 どこで入手したのだろう。

 だが、日本でまっとうに生きて行こうと思ったら、お金があるだけではどうしようもないのでは。

 保険証がないと病院にも通えないし、住むところを借りるのだって保証人か何かが必要ではなかっただろうか。そもそも身分証もないと言っていたし……。


「子どものお前に心配されるようなことは何もない。こちらにも伝手がある」

「そ、そうですか」


 伝手とは何だと、深く突っ込みたかったが、同時に知ることが怖かった。彼女たちの人生に責任を負うことなど、子どもの美也子にはできはしない。


「それで、一つ聞きたいのだが」

「はい」


 ヘラーの真剣な雰囲気に身構える。


「お前……あの時何と言った?」

「あの時?」

「関門に飛んだ時、この世界の名称を呼んだだろう」

「えっ?」


 気付けば、エイミもカリュピナも、美也子を見つめていた。


「訳も分からずに呼んだのか? この世界の名前は、誰も知らぬ。神が下々に宣言していないからな」


 そんなことを言われても、美也子だって、クリスデンに教えられた通りにしただけである。


「そして、神使のあの言葉。『勅命によりクリスデンの渡界を幇助する者の渡界権限を剥奪する』。神はお前をこの世界から出す気がないのだ」

「それは、私にとっては好都合だと思いますが……」


 首を傾げると、ヘラーは厳しい顔をした。


「ネヴィラの神にとっては違う。ネヴィラの神は、クリスデンに特別目をかけていた。だから、クリスデンが死を望んだ時、その記憶を引き継ぐことと、再びネヴィラに帰ることを条件に死を赦した。それを、お前自身だけでなく、この世界の神までもが阻むというのは、ネヴィラの神にとって重大な侮辱だ」


 美也子は息を呑む。

 そのような話、クリスデンは言っていなかった。


「そんな約束は覚えていません。……神様を怒らせちゃうんですか? そうするとどうなるんですか?」

「神は人々に直接手を下すことはない。お前がネヴィラの神との約束を覚えてすらいないとしても、神はそれを知るすべがない。だが、お前を取り戻すために次々人員を送り込むことだろう」


 次々と――その言葉に、血の気が引く。


「……ヘラーさんは、その時、どっちの味方をするんですか?」

「分からぬ」


 苦い顔を向けられた。


「でも、きっと当分来ないぞ。渡界する魔力も貯めなきゃだし、金もない」


 カリュピナが口を挟む。


「しばらく平和だ。せっかく若いんだから、女の人生を楽しめ。どうだ、カリュピナおねーさんは女でもいけるぞ」


 性的な冗句を飛ばすカリュピナに、エイミが困惑と非難の混ざった目を向けていた。

 反対に、美也子はヘラーを見てしまう。


「あいつと同類だと思うな」


 性奔放な弟子に恥じ入るヘラー。

 クリスデン一筋なんですね、という揶揄が喉元まで出かかったが、なんとか飲み込んだ。


「もしネヴィラから人が来ても、その時はまた帰れなくしてやります。神様がどうとか、知ったこっちゃないです。私は今、この世界に愛する人たちがいるんです」


 半分は強がりだった。故郷に帰れなくしてしまうなど、他人の人生を狂わせる、恐ろしい術だ。だが、後半はまごうことなき本音だ。


 ヘラーの眼光が鋭くなる。


「お前がお前の愛を貫けば、他所で折れる愛もあるぞ」

「そ、それは」


 思わず目を逸らしてしまう。


「いや、子ども相手に、無粋だったな」


 柔らかく笑い、ヘラーは冷めているであろうコーヒーを口にした。

 カップをソーサーに置くと、再度美也子を見つめる。


「手を……右手を見せてくれないか?」

「え?」

「おかしなことはしない」

「はぁ……」

 

 訝しみながらも、身を乗り出して右手を差し出した。意図がつかめず、緊張で動作が強張る。

 ヘラーは差し出された美也子の手首に触れ、たおやかな仕草で甲をなぞり上げた。


 それは愛しむ者の所作だった。


 驚いていると、中指だけを優しくつかまれる。

 

「あいつと同じところに、()()ができているな」


 懐かしむような呟きは、睦言のように甘い。

 大人の女の色香に当てられ、美也子は呆然としてしまう。


 筆圧の強い美也子の中指には、確かに軽度のペンだこがあった。強く握りこむため、できている場所も、一般的なものよりやや上部である。


 その細やかな観察眼に、ヘラーの愛情の深さを知る。

 それでももちろん、美也子にはどうすることもできない。気付かないふりをするより他ない。


 しばしされるがままになっていたが、唐突にヘラーが口を開く。


「……ところで、お前の親はいつ帰ってくるのだ?」

「え? どうしてですか」


 眉をひそめると、あんなに優しく触れてきた手が、今度は拘束具のように手首をつかんだ。

 強い口調で、ヘラーははっきりと言う。


「挨拶をしておかねばと思ってな」

「どうしてそうなるんですか。結構です、困ります」

「なぜ断る。長い付き合いになるのだからな」


 身を乗り出すヘラーに執念めいたものを感じて、強引に手首を引ったくりテーブルの下に隠した。


「いやいや、結構ですって」

「いやいや、礼儀だろう」


 ヘラーは引かない。


「いやいやいや」

「いやいやいや」


 応酬はしばし続いた。インターホンの音が鳴るまでは。


 ――真由香に違いない。約束をすっかり忘れていた。

 この場に通せば、非常にややこしいことになるだろう。


「来客があるので、帰ってもらえませんか? 窓から」

「お前、それは間男への対応だぞ」


 カリュピナの揶揄は聞こえないふりをして、足音を殺して玄関に靴を取りに行き、バルコニーに並べてやった。


 モニターの向こうの真由香の表情が苛立ちを帯びていくのを、エイミがはらはらと見つめていた。



****


 美也子は、クリスデンにもう一度会いたいと思っていた。美也子の魂の最奥にいるという、あの魔導師に。

 会って、聞きたいことがたくさんある。


 神との密約とは何なのか。ヘラーたちを帰してやる方法はないのか。かつて母と接触した時のように、表に出てきて、エイミに会ってやる気はないのか。


 『お兄様のところには返さないよ』と囁いた声は何だったのか。


 精神を集中したり、夢に出てこいと祈ったりしてみたが、どうにもならなかった。

ここまでで初期構想分が終了しました。

予想以上にたくさんの方々に読んで頂きましたので、もっと書いていこうと思い、

途中で伏線を追加していきました。そのせいで少し、とっ散らかった感が出てしまい反省しております。

評価やたくさんのブクマ、本当にありがとうございます。

恐縮ですが、評価、感想など頂けますと励みになります。


シリアスなファンタジー展開が続いてしまいましたので

次からはしばらく百合話になります。

百合好きの方のお眼鏡に適うかは分かりませんが、引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。


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