28.元妖精はかく語りき
20.お前は何者だ から続く話になります
翌朝、美也子はいつもより三十分ほど早く起きて登校する。ある人物に会うためだ。
校庭は部活の喧騒で賑わっているが、始業時間に程遠い校舎内は人もまばらで静かだった。
あくびを噛み殺しながらひと気の少ない廊下を歩き、約束の場所である図書室へ向かう。
「おはよう工藤さん」
この高校の図書室は、さして広くもない。ど真ん中の席に座り、一人ぼっちで読書をしている工藤に話しかけた。
「おはよう、千歳さん。朝早く悪いわね」
工藤は、長年の友人のような顔をして笑う。その向かいの席に腰掛けた。
「昨日のトラブルは、無事解決したのね」
本にしおりを挟みながら工藤が聞いてきたため、頷く。
心配しているだろうと、昨日は風呂上がりに礼のメッセージだけ送っておいたのだ。すると、ホームルーム前に少し話したいと返信が来た。
そのためだけに早く起きることは苦痛であったが、それを断るほど無情な人間にもなれなかった。
工藤及び、『ある人』には、借りができてしまったのだ。
結局自分の力で解決したのだから、そんなのチャラ! とは言えなかった。
「無事、とはいかないけど、何とかね。……昨日は、いきなりゴメン、そしてありがとう」
頭を下げる美也子に意外そうな声が掛かった。
「あなたって、律儀な人ね」
「どういうこと?」
「褒めているのよ。そうやってきちんと謝れる人って、結構少ないのよ。ましてや同級生相手にね」
「そうかな?」
母にも似たようなことを言われた気がする。
「それで、工藤さんのこと話してもらえるの?」
問うと、自嘲気味な笑みを見せた。
「あなたほど、大した存在じゃないわ。前世は、グイラセランという世界の、妖精だったの」
「へぇ、妖精?」
思わずまじまじ見てしまう。
「妖精っていっても、ティンカーベルみたいな可愛いものを想像しちゃダメよ。日本の創作物で例えるなら、エルフに近いかしら」
「へぇ、エルフ?」
驚きすぎて語彙能力が低下する。同じ返しをしてしまった。
「そう。耳が長く尖っていて、寿命が長い種族。こっちの創作物では妖精と書いてエルフと読ませるものも多いみたいね。でも、そんなに神秘的な種族でもないのよ」
「そうなんだ」
「思い出したのはつい最近、ゴールデンウイークの前よ」
「そういえば工藤さんの態度が変わったのって、連休明けだよね」
指摘すると、ばつが悪そうに首をすくめる。
「ごめんなさい。『ある人』からあなたのことを聞いて、もう普通には接することができなくなったの。危険かもしれないし、精神が男性だったら、一緒に着替えるのだってイヤじゃない」
「あー、それは分かる」
美也子は眉間を押さえた。だからこそ美也子に毎日話しかけて、男性の人格が出ていないかチェックしていたのだ。
「『ある人』に言われて、あなたに前世の記憶が戻っていないか、おかしなことをしていないかを見ていたの」
「おかしなことって何?」
「魔法を使って犯罪行為をしたりとか」
「そんな、まさか!」
予期せぬ言葉に怯んだが、すぐにあることを思い出してうなだれた。
「あ、球技大会の時に邪魔をしたのは謝るよ……」
「あれをやったのは、あなたじゃないでしょう? 昨日電話で叫んでた子でしょ、一組の野沢さん」
すべてお見通しというわけか。今度は美也子が首をすくめた。
「妖精の感知能力は鋭いのよ」
「そういうことね。工藤さんがすぐにこっちを見たから、真由香ちゃん滅茶苦茶ビビってたよ」
「見ていたわ」
二人でくすくす笑った。ひと気のない図書室に、女子二人の笑い声がこだまする。司書の先生がいたら、注意されていただろう。
「それで、ある人ある人って、一体誰なの? 名前を言ってはいけない例の人、ってわけ?」
嫌味交じりでそう言うと、元ネタが分かったらしい工藤は吹き出す。
「そうじゃないわよ。名前を言っても、知らないでしょうから。――矢吹櫻子さん、っていう人よ」
「同じ高校の人?」
「いいえ、大阪に住んでいる社会人よ」
美也子は眉をひそめた。大阪など行ったことはない。ますます怪しい。
「どうやって知り合ったの?」
「前世のことをネットで検索したの。もしかしたら、同じような境遇の人たちがいるんじゃないかって」
「ネットで見つかったの!?」
電子の海は果てなく広く、そして離れたところにいる人を容易に結びつける。その運命に、感心するしかない。
「そうなの。櫻子さんは、ブログに十三世界の逸話を綴っていた。知らない人から見れば、それはただの創作ファンタジーに過ぎない。でも、私のような前世の記憶持ちからしたら、それは同士の呼びかけに他ならなかった」
『同士の呼びかけ』。そのどこか物々しい言葉に、美也子は息を呑む。
「ブログを使って、前世の記憶がある人たちを探してるってこと?」
「そうね」
「じゃあもしかして、たくさんいるの?」
美也子の問いに、工藤はわずかに考え込んだ。
「たくさん……はいないみたいよ。みんな、どうしても前世のことは忘れちゃうみたいだもの。覚えている人の方が異常なのよ」
「そうなんだ」
突拍子もない話に、唖然とするしかない。
美也子だって、エイミがやって来なければ、前世のことなど気にすることもなかっただろう。
今だって、たまに既視感があるくらいで、思い出せもしないのだから。
「そのブログを読んで、慌てて連絡を取ったの。それで何度かメールのやり取りをする内に、あなたの話題が出た。愛知県在住の元大魔導師がいる、ってね。まさか、私とクラスメイトだとは櫻子さんも思ってなかったみたいよ」
「愛知県在住の元大魔導師、って、なんかシュールな肩書だね……」
何だかとても恥ずかしく、苦笑いしか出てこない。
「それで、何でその人――櫻子さんは、私のことを知っていたの?」
「それは、直接本人から聞いたらいいわ。存在がバレた以上は、早々に会いたいって言ってたもの」
「大阪かぁ……」
腕を組んで、しかめっ面で考え込む。
高速バスでいくらかかるだろうか、お年玉貯金を崩す羽目になるだろうか。
初めて行く土地、しかも大阪という、言葉も文化も異なる場所へ足を踏み入れるのは、たった十五歳の美也子には重く感じられた。
「心配しなくてもいいわ。櫻子さんが、名古屋に来るって」
「……いつぅ?」
思わず苦い顔をしてしまう。来てくれるのはありがたいが、金銭的な理由で逃げることができない。
工藤はにっこり笑った。
「夏休みの予定、空けてもらえないかしら?」
「えーっと、あはは、そうだね」
面倒な上に不気味だ。それでもこのまま放置するよりは、潔く会ってしまった方が後腐れなかろう。
「ちなみに、これ櫻子さんのブログ。気になったら読んでみて」
工藤はスマホを操作する。
メッセージアプリで、URLを送信してくれた。
夏休みの予定は期末テスト後に相談することになり、工藤とは一旦別れて教室に戻った。彼女はホームルームぎりぎりまで読書をしていくそうだ。
なぜ愛奈をあれほど嫌悪するのか、今はまだ問い詰めないことにした。
もう少し関係が深まってから、やんわりと聞いてみようと思う。
工藤とは長く深い付き合いになりそうだから。
教室にはすでに何人ものクラスメイトがいた。数週間後に迫った期末テストの勉強をしているようだ。
勉強に関しては、まだ美也子のエンジンはかからない。もう少しだけ現実逃避したい。
真剣な級友たちに対するわずかな焦燥感を振り払うため、教えられたブログを少し見てみた。
***
昔々、気が遠くなるほどの遥か昔。
十三人のニートがいました。
彼らは血のつながったきょうだいで、父の権力を笠に着て、毎日毎日ダラダラゴロゴロしていました。
見かねた父は、彼らに言います。
「お前たちそれぞれに土地をやろう。そこで生き物を育てなさい」
きょうだいは、競い合うようにして土地が豊かになるよう頑張りました。
ですが、すぐに飽きてしまいます。
仕方なく、父は提案しました。
「五百年に一度、育てた生き物の品評会を行う。お前たちの土地の中で、最も優れていると思う生き物を一匹、持ってきなさい」
それを聞いて、きょうだいは俄然やる気を出しました。
末の妹を除いて。
***
「何だこれ」
それは率直な感想だった。
ブログの冒頭は、そのふざけた物語から始まっていた。
それ以上は読む気になれず、スマホをカバンにしまう。
やっぱり勉強しようと、教科書を開いてみた。
もちろん、開いて眺めただけ。