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24.神の領域にて

 姿を隠す術をかけてもらい、美也子はヘラーの部屋へと向かう。


 種明かしはした。

 宿泊者以外を部屋に入れる、それは『犯罪行為』などではない。規約違反にはなるため、厳重注意のみで済むのか、叩きだされるのかは分からないが、即捕縛されるような罪ではないのだ、と。


 エレベーターが上昇する間、ヘラーは『本当に宿泊者以外の入室は犯罪ではないのか』としきりに気にしていた。いまいち信頼はされていないようだ。


 美也子のうなじに張り付いていた蛾は、探知結界とやらに引っかかることを恐れて去っていった。真由香は今頃さぞ心配していることだろう。

 ヘラーとの話はある程度まとまったので、焦って警察を呼んでしまっているとは考えにくい。


 ヘラーの部屋はスイートルームだった。柔らかそうなソファ、カフェのようなテーブルとチェア。小洒落た調度品。思わず呆けて見渡してしまった。


「カリュピナ!」


 部屋に入るなり、ヘラーは大声で弟子を呼んだ。

 寝室からひょこひょこと飛ぶように出てきたカリュピナは美也子を見て満足そうに笑う。


「これでネヴィラに帰れますね」

「お前だけ帰れ」

「えっ」

「えっ」


 カリュピナと美也子の声がかぶった。


「どどどどういうことですかお師匠様」

「とりあえず、エイミを連れてこい。乱暴するな」


 疑問符を浮かべた様子で、カリュピナが後ろ手に縛られたエイミを引き立ててくる。


「ご主人様……」


 乾いた鼻血まみれのエイミが不安げな表情を見せた。


「放してやれ」


 師匠の命に、弟子は怪訝そうにしつつも応じる。エイミの腕をつかんでいた手を放すと同時に、何かが割れる音がして、エイミの拘束が解かれた。


 エイミも状況が飲み込めずにいるようなので、美也子から近寄ってカリュピナから引き離した。

 指はちゃんとついている。

 安心感に泣きそうになるが、今はまだその時ではない。


「エイミ、これで顔を拭いてきて」


 ポケットからハンカチを出して、洗面所の方を指さす。


「そんな、汚れてしまいます」


 頭を振るエイミに、美也子は苦笑した。


「言うと思った。そんなのいいから。洗濯したら落ちるよ」

「ですが、備え付けのタオルがあるようですので……」


 その言葉に愕然とした。

 それは当然だ、ここはホテルなのだから、きっととてもふかふかなタオルがある。

 捕らえられていたエイミの方がずっと冷静だった。


「私だけ帰れなんて、そんなことできません。支部長だけじゃない、魔導師協会のやつら全員に何をされるか! クリスデン連れ戻し作戦のために、時間も、お金もたくさんかけて、どれだけの魔力を集めてきたか……! 作戦失敗の責任を私が取らされます!」


 カリュピナはひどく焦っていた。魔導師協会とはそんなに恐ろしい組織なのだろうか。


「強引に連れて行ってしまいましょう!」

「それはさせない!」


 美也子は身構え、叫んだ。


「そんなことするなら、今すぐ、あなたたちの渡界権限を封鎖する!」


 渡界には、両世界の神の許可が必要だという。

 クリスデンに教えてもらった秘策、それはこの世界の神に祈念し、ヘラーとカリュピナがネヴィラに戻ることができないようにしてしまう、というものだった。


 クリスデンは、神に繋ぐための魔法を教えてくれた。なぜそんなことができるのか、なぜ神様が素直に言うことを聞いてくれるのか、美也子にはまったく不可解だった。


 クリスデンは吐き捨てるようにこう言った。

 ――この世界の神との間に、密約がある、と。


 その時のクリスデンの表情を見て、『神』というものの底を知った気がした。

 きっと、『世界の神』というのは、美也子が考えていたものとは全く違うのだろう。全知全能でも、博愛主義でも放任主義でもない。

 一人の男に、侮蔑されるような存在。一人の男と密約を交わすような、私情丸出しの存在。


 もちろん、ヘラーたちにこの世界に残られても困るので、あくまで脅しでしかないのだが。


 美也子だって、旅行で海外に行ったとして、『今日中に帰らないと二度と日本に帰しません』と脅されるようなことがあれば、即日帰る。

 ましてやここは『異世界』で、ヘラーたちには魔導師として積み上げてきたキャリアがある。それを御破算にはできまい。


 二人を元の世界へ帰還させ、魔導師協会に『次来たものは帰れなくしてやる』と伝えてくれればそれでいい。


 ちなみに、ネヴィラ人全てをこちらの世界に来れないように、ということは出来ないらしい。


「ご主人様、記憶が戻ったのですか……?」


 エイミの問いには、今は答えない。


「う、嘘だ! そんなことができるはずがない!」

「落ち着け、カリュピナ」


 絶叫する弟子を、ヘラーがなだめる。


「思い出せ、クリスデンは神寵(しんちょう)を受けていた。おそらくこの世界の神も同様に、やつを寵愛しているのだ。その『わがまま』を聞いてやる程度には」

「そんな、じゃあやっぱりあの獣人を渡すべきじゃなかった! 人質にして、無理に帰らせるべきだったんです」

「そうすれば、すぐにでもやつは我々を帰れなくするだろう」

「最悪だ、戻れないのも困る! こんな気持ち悪い世界にずっといてたまるか!」


 頭を抱えてカリュピナは叫んだ。

 そのぎらぎらとした目が、美也子を射抜く。


「クリスデン!」


 憎々し気にその名を呼んで、こちらへ向かってきた。

 エイミをかばおうとするが、身長と身体能力で勝るエイミに逆にかばわれる恰好になる。

 これではいけない――。


「オーヴィの神にヒュー・クリスデンが乞う! ――助けて!」


 思わず美也子は叫んでいた。

 それはクリスデンに教わった、とっておきの問題の解答。神へと繋ぐ秘術の呪文。


 ガラスが割れるような音がしたかと思うと、平衡感覚を失ってよろめく。エイミがそれを支えてくれた。


 ――気が付けば、そこはホテルの客室ではなかった。

 白いもやに包まれた空間に、巨大な扉が浮かんでいる。


 その傍らに、白髪を膝裏まで伸ばした美しい女が浮かんでいた。まとう薄い衣は風もないのに揺らめき、極光のようだった。


「なに、ここ」


 愕然と美也子は呟いた。

 ヘラーたちに脅しが効かぬなら、そのように叫べと言われた通りにしたのだが、その結果何が起こるかは聞いていなかった。まさか本当に使うことになるとは思っていなかったのだから。


「ここは『関門』です。世界と世界を繋ぐ門。ご主人様、渡界の魔法を使われたのですね……」


 感心したようにエイミが呟いた。


 正面には、厳しい顔のヘラーが立っている。カリュピナは腰を抜かしてわなないた。


「こいつ、儀式もなしに関門に飛ばした……!」


 美也子には魔法を使ったという認識がなかった。


「あの人は……?」


 無表情で浮いている白髪女はひどく不気味だった。指をさすことははばかられ、美也子はエイミに耳打ちして尋ねる。


「門番の神使です。基本的には何もなさりませんが……」


 その時、白髪の隙間から覗く赤い目が、その場の全員を睥睨した。そしてその小さな口を開いた時、終ぞ聞いたこともない、耳をつんざくような甲高い音が響き渡った。


 各々が悲鳴を上げ、耳を塞ぐ。


「……許せ」


 周りの人間が苦しんでいることを悟り、神使は音を止めて、ぞんざいに謝罪した。


「先ほどの声が、噂に聞いていた神語か……」


 ヘラーが驚愕を顔に張り付かせて呟く。状況の呑み込めない美也子以外の三人とも、すっかり顔から血の気が引いている。


「再度、生き物の言葉で宣言する。我が名は神使三三番。勅命七十七万二十七号に基づき、ヒュー・クリスデンの渡界を幇助する者の渡界権限を剥奪する。――以上」


 それは、有無を言わさぬ、絶対強者の判決だった。


「ちょっと待って!」


 焦る美也子を、青い顔のエイミが制止した。


「ご主人様、あのかたは我々の言葉など聞き届けません」


 美也子も同様に血の気が引く。取り返しのつかないことをしてしまったのだと気が付いたからだ。


 いや、聞き届けないはずがない。クリスデンが神様と何か約束をしているから、言うことを聞いてくれるはずなのだ。


「今すぐ剥奪しなくてもいいでしょ! この人たちは、ネヴィラに返してあげて!」


 美也子の叫びなど聞こえていないかのように神使は口を閉ざし、視線もくれない。


「ご、ご主人様、無礼が過ぎます」


 エイミが後ろからしがみついてきた。いつも従順な彼女に強い口調でたしなめられて、事態の重さを痛感する。


 えずく音が聞こえ、思わず見遣ると、顔面蒼白になったカリュピナが四つん這いになって胸を押えていた。

 空吐きのようだが、極度のストレス症状だということが見て取れた。ヘラーがそれを介抱している。


 ――この人たちに対して、どんでもないことをしてしまった!

 身体が震えだし、思わずエイミに抱きついた。


 再度、ガラスの割れるような音がした。

 周囲の景色が徐々に、元居たホテルに変化していく。


 立ちすくむ美也子の耳に、どこぞのだれかの声が響いた。


《お兄様の元には、返さないよ》


 次いで哄笑が耳孔を満たし、それが遠ざかっていく。


 はっきりと聞こえたはずなのに、幻聴だったかのように思える。


 気が付けば、スイートルームの只中にいた。

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