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23.二度目の呪詛は届かない

「んも~、最高だったわん、この子の頭の中!」


 悪魔の嬌声で美也子は覚醒した。意識を失っていたはずなので肉体は倒れているかと思ったが、意外にも立ったままだった。


 悪魔は興奮冷めやらぬ様子で空中を人魚のように泳ぎ回っている。

 それを真由香が半眼でねめつけていた。どこか羨ましそうなのは気のせいだと思いたい。


「大丈夫? ……ええと、美也子なの?」


 真由香が窺ってくる。記憶が戻り、人格がクリスデンになってしまっていないかを確認しているようだ。

 美也子は歯を見せて笑い、いつもの調子で語り掛けた。


「大丈夫だよ、真由香ちゃん」

「そう……」


 安堵した様子の真由香を見て、こちらも同様の気分になる。

 美也子が美也子のまま戻ってきたことで、真由香が落胆しなくて本当によかった。


「あれから何分経った?」

「数秒程よ」

「へぇ!」


 驚きを隠せない。長い夢を見ているようだった。

 だが稀有な体験の余韻に浸っている時間はない。早速エイミ奪還作戦を開始しなくては。


「ねぇ真由香ちゃん、こういうことやるのは気が引けるんだけど……。フロントの人の記憶を覗いて、偽名と部屋番号だけも入手できないかな?」

「それは……」

「頭を覗いて得た情報はひ・み・つ・よ~ん」


 悪魔がセクシーな物言いで口を挟んだ。


「じゃあ、フロントの人を操って、宿泊情報を表示させて、それをさっきの蛾の目を通して見ることはできる?」

「……できる。それくらいの簡単な行動操作なら問題ないわ」


 真由香の眉が八の字に歪んだ。


「でも、そのあとどうするの? 策があるの?」

「……警察を呼ぶ」

「ええっ!?」


 驚きに真由香が大声を上げた。言葉を失って口をぱくぱくさせている。

 それをなだめすかせるように、美也子は落ち着いた声音で続ける。


「何号室の『見知らぬ外国人』二人組に、友達が拉致されたって言って通報する。泣きながら、助けて下さいって」


 演技などする必要もなく、懇願の涙は出てくるだろう。


「そんな、どんな大事(おおごと)になるか分からないわ」


 真由香の懸念は理解できる。たくさんのパトカーが来て、事情を聴かれて、母や学校にも連絡が行き、マスコミ沙汰にだってなるかもしれない。


「大事になる覚悟はできてる。お母さんにも連絡が行っちゃうかもしれないけど、エイミのこと知ってるから、事情を話せば理解してくれるよ」


 むしろあの母なら、それが正しい選択だと言ってくれそうだ。


「……エイミの耳を見られた時、警察がどう思うかは分からない。でも、エイミが無事で戻ってくるのなら、そんなことは後から考えるよ」

「うーん……」


 真由香は難しい表情で考え込んだが、すぐに顔を上げた。


「なんとなく分かったわ。むしろ、事を大きくするのが目的なのね?」

「うん。渡界法では、異世界の人を傷付けることは禁止されているんでしょ? 特に、『未開の地の原住民』に対しては」


 クリスデンは言った。

 この世界は、魔法以外の技術の発展が非常にめざましく、他の世界の追随を許していない。人口密度はトップクラスで、あらゆる物量も非常に豊か。

 だが、住人は神や魔法、他の世界の存在を知らない。もちろん交流もない。

 ゆえに、この世界は他の世界からすれば、筋金入りの『未開の地』なのだ、と。


「その通りだわ」


 合点がいったらしく、真由香も強く同意した。


「私みたいな故郷を捨てた魔女とは違って、ヘラー共にはネヴィラでの『立場』がある。渡界法に則るなら、駆け付けてきた警察を撃退することは絶対にできない。警察が一人二人なら、何らかの魔法で誤魔化してしまうかもしれないから、思いっきり事を大きくしてやった方が効果的だわ。警察に泣き付くときは、私も協力する」


 そう言って、面白そうに口元を歪めた。


「ネヴィラの魔導師としてではなく、日本人として対処するってわけね」

「そうだよ」


 すべては、クリスデンの入れ知恵だ。

 現地民を傷付けられないのだから、いっそのこと警察を呼んでしまえ、と。


 だが面倒なことになるのは間違いない。

 潜伏場所がホテル――しかもややお高めな――となると、警察に頼む前に、少し違ったやり方を試すべきだというのが、双方で一致した意見だ。


 ホテルということは、衆目がある。そしてヘラーはどれだけ日本のことを熟知しているのだろうか。大事にする前に、一つ賭けをしてみるのも悪くない。


「通報する前に、一つ試してみたいことがあるんだ」

「何なの?」


 また不安げな表情をする真由香に、深く頷く。


「……ヘラーさんと、対等の状況で話をしたい。ただそれだけ」




 目的のホテルまでは、小走りで十五分ほどだ。

 切りっ放しの髪を隠すため、真由香にはベレー帽を貸した。悪魔はふわふわと背後を付いてくる。どうやら美也子と真由香以外には見えないようにしているらしい。不思議なものだ。 

 悪魔に体力増強の効果のある術を掛けてもらったため、ノンストップで駆けていてもほとんど息があがらない。

 便利だねぇ、と横を走る真由香に話し掛けると、『本当は、違う用途に使うのよん』と悪魔が囁いてきた。一体どんな用途なのだろうか。


 夕方近くのホテルのロビーは、それなりに賑わっていた。

 ビジネスマン、外国人観光客、おばさま。

 奥にカフェもあるので、ティータイム目的の人々も多いようだ。

 子どもの美也子と真由香が紛れていても、不審がられることはなさそうだ。


 空いているソファに座り、真由香が悪魔を放つと、すぐに憑りつかれたフロントマンがパソコンを操作し始めた。


「分かった」


 真由香が目を開く。


「1103号室に、女二人が泊まっているわ。他は日本人男女だから違うでしょ。ヘラーはヘレナ・イシカワと名乗っているようね。住所は市内になっているわ。本当に住んでいるなら笑える」

「ありがとう真由香ちゃん、あとは私に任せて、帰っても大丈夫だよ」


 礼を言うと、真由香の眉が吊り上がる。


「そんなことできるわけないでしょ!」

「も~、蜂蜜ちゃんったら冷静になって。あなたはこの子がピンチになったときに駆け付ける、王子様役をすればいいじゃないの~ん」


 広いロビーの天井をくるくる回りながら悪魔がフォローしてくれた。豪奢な内装が物珍しいらしい。

 万が一『見える人』がいたらどうするつもりだと肝を冷やすが、天井を仰いでいる客はいなかった。


「ヘラーさんをここに呼び出してみる。だから、真由香ちゃんは隠れていたほうがいいよ」


 魔女と悪魔の気配を察知されてしまうかもしれない。


「……じゃあ、外で待っている。せめて、これを側に置いてやって」


 何かが首の後ろに触れ、悲鳴を上げて飛び上がる。このふわふわぞわぞわした感触、あの蛾に違いない。


「やだぁ、取ってぇ」

「汚くないから大丈夫よ」


 そういう問題ではない。


「これは見つからないの?」

「強い魔力を以って直視されない限りね」

「そ、そうなんだ……」


 美也子は肩を落とした。


「会話は聞いているわ。雲行きが怪しくなったら、すぐに私が警察を呼ぶわよ。精一杯、いたいけな女子高生の演技をしてね」

「うん、お願い。……じゃあ、行ってくる」


 鋭い目をする真由香に軽く頷き、立ち上がってフロントへ向かった。

 カウンター内の手すきの女性に、話しかける。


「あの、1103号室に泊まっているヘレナ・イシカワさんに連絡を取って頂けませんか? 千歳美也子が、預かり物を引き取りに来たと」

「少々お待ちください」


 断られる可能性も考えていたが、快く電話をかけてくれた。やはり部屋番号と名前さえ分かっていれば、関係者扱いしてもらえるようだ。


 すぐに誰か出たらしく、美也子が言った通りに伝えてくれる。

 そのあと、揉め始めたことは予想通り。


「……大変申し訳ございません、宿泊者様以外のお部屋への入室はお断りしております。ロビーへお越し頂けないでしょうか、はい、恐れ入ります」


 電話に出たのは二人のうちどちらかは分からないが、美也子を部屋に通せと言って断られたのは間違いないようだ。


 美也子も昨年まで知らなかった。ホテルの客室に宿泊者以外が入ることは、規約で禁止されているのだと。東京の祖父母がこちらへ遊びに来た際、ホテルの部屋ではなくロビーでお喋りした時に初めて知ったことだった。


 クリスデンいわく、ネヴィラの宿泊施設ではそういった決まりはないらしい。よって、ヘラーたちはこの規約を知らない可能性が高いと踏んだのだ。

 もし知っているのならば、呼び出し場所をホテルにはしないだろうと。わざわざ異世界で、ルール違反を犯したりはしないだろうと。

 この分ならばおそらく、部屋のデスクに利用規約が入っていることにも気が付いていないだろう。


 どうせ呼び出すのなら、刑事ドラマのように、廃工場みたいな場所にすればよかっただろうに。だが、それはそれで警察を呼びやすい。……そんな場所は近所にないが。


「イシカワ様が、ロビーにお越しになりますのでお待ちくださいね」


 女性は美也子に柔らかい笑みを返してくれた。美也子が子どもだからだろう。私服だと中学生にも見えることは承知している。


 数分後、エレベーターから憤然とヘラーが出てきた。その表情が予想の通りで、ほくそ笑んでしまう。


 これでヘラーとカリュピナを引き離し、公衆の面前にどちらか一方を引きずり出すことに成功した。

 衆目にさらされれば、ヘラーは魔法による強硬手段を取れない。


 ロビーのソファに座る美也子にヘラーが胡乱な目を向けるので、手を振ってやった。


「早かったな。記憶は戻ったか」


 対面にどっかり腰を下ろしたヘラーはこちらを窺っている。中身は美也子のままなのか、それともクリスデンの意識が戻っているのかと。


「この国のホテルのほとんどは、宿泊者以外部屋には入れないんです。知らなかったみたいですね」


 記憶云々についてははぐらかし、美也子は煽るように言う。


「フロントの人に私の入室を断られ、さぞ驚いたでしょう。あなたは慣れない異世界で、入室禁止のルールを破ることがどの程度の罪に当たるか分からなかった。重罪かもしれない。もう部屋にはエイミを入れている。怪しまれて部屋に踏み込まれれば非常にまずい。だから、やむを得ずフロントの人に従ってわざわざやってきてくれた」


 ヘラーは美也子の言葉をムスッとして聞いている。


「それで、お前を我々の部屋に入れることは重罪なのか?」


 不快げなヘラーの青い目を見て、美也子は真っ直ぐ言い放つ。


「はい、重罪になります」


 嘘だとバレぬよう、目が泳がないように努めた。


「だって、利用者以外の室内への立ち入りを認めてしまったら、無賃宿泊とかされちゃうかもしれません。厳しく規制しておかないと。特にここは、そこそこお高いホテルですし」

「……そうか、それはこちらの調査不足だ」


 ――信じた。

 安堵を悟られぬように、強い口調で言い放つ。


「だから、ここでお話しましょう。エイミを返して下さい」

「返す必要はない。共にネヴィラに帰るのだから」

「帰る気はありません」

「ふざけるな小娘!」


 ヘラーがテーブルを叩いた。美也子が『美也子のまま』なのだと確信したようだ。

 周囲の目がこちらを向き、ヘラーは慌てて居住まいを正す。


 ヘラーが激高したことさえ、美也子には予想通りだ。

 あえてゆっくり言葉を区切って言ってやる。


「『大人のあなた』が、『公共の場』で、『少女』を『恫喝する』、その意味をよく考えたほうがいいです」

「何だと?」

「分かりませんか? 子どもの私はあなたに比べたら社会的弱者なんです。一言悲鳴を上げればすぐにホテルの人が飛んでくる。私が助けを求める演技をすれば、きっとすぐに警察を呼ばれる」

「なっ」


 言葉を失うヘラーに美也子は続けた。


「『警察』が何なのか、分かるみたいですね。ただでさえ外見が『外国人』であるあなたは、より一層怪しまれ、きっと身分証明書の提出を求められる。何か持っていますか?」


 ヘラーは苦々しい面持ちで黙っている。


「治安維持のためやって来た『現地人』から逃げるため、魔法を使いますか? こちらの世界の人々は、魔法を防ぐ術を知らないので、怪我をする可能性が高い。……それは渡界法で禁止されていますよね。それを破って、万一相手を死なせてしまったら、あなたはネヴィラで『あれ』に入れられてしまうのでしょうね」


 美也子は冷えた目で、窓の外を見た。そこにはタクシーが並んでいる。

 視線を追ったヘラーは蒼白になった。


 半分はハッタリだった。ヘラーは身分証明書を用意しているのかもしれない。警察を言い包めるほどの胆力と話術があるのかもしれない。

 だが、彼女はそこまでの『鎧』を持っていない。その証拠に、怒りに満ちた目で美也子を見つめている。


 美也子は、大人の女に対して脅迫めいたことをしている自分の豪胆さに内心驚いている。

 バックに百歳生きた魔導師がついてくれているから、こんなに堂々としていられるのだろう。


 ヘラーの瞳に理性が戻ったとき、机上で拳を握りしめる仕草をした。

 途端に、周囲の音が遠ざかる。


「こちらの会話を他所に聞こえ辛くした」

「ありがとうございます」


 素直に礼を言う。まだ美也子が不利になった訳ではない。外界と隔絶されたわけではなさそうだし、いつでも逃げることはできる。


「私を脅迫するとはいい度胸だ、賞賛をやろう。だがこんな不毛な会話をしていても、あの獣人は返さぬぞ」

「それならこちらにも考えがあります」

「何だと?」

「今すぐエイミを返して、ネヴィラに帰ってください」


 美也子は努めて笑みを作る。あの魔導師を思い浮かべながら、その真似をする。


「さもなくば、二度と帰れなくしちゃいますよ、ヘラーさん」

「クリスデン……!」


 ヘラーの顔に朱がさす。

 それを見て、美也子は『ああ、この人もか』と気が付く。


 この人もまた、クリスデンを愛しているのだ。


 うなじに張り付く蛾が、雌豚め、と呟いた気がした。


 美也子はクリスデンの演技を続ける。


「エイミをよろしく頼むとお願いしたのに、ひどいですね、まったく」

「貴様、エイミエイミとそればかり! あの獣人の娘のどこがいいのだ!」


 ヘラーは感情をむき出しにして叫んだ。エイミへの強い嫉妬の念が伝わってくる。

 

 美也子はほんのわずか、目を伏せて考えた。

 

 クリスデンとエイミがどのような関係を築いていたかは分からない。共に過ごしたのは十年ほどだと言っていた。

 だが、最期を看取らせる程度には、深い信頼関係で結ばれていたのだ。そのことを、ヘラーもまた憎んでいる。恨みをエイミへ向けている。その気持ちを慮ると、少し辛い。


 黙ってしまった美也子に、ヘラーがわななく。


「このたわけめ、あれだけ恵まれた環境にありながら、よくも異世界に逃げ、よくも記憶をなくしたな」


 彼女の言っていることは理解できない。クリスデンは、人生に疲れて緩慢な自殺をしたと言っていた。本当に、『恵まれた環境』にあったのだろうか。


「よくも、私のことを忘れたな……」


 続いたその台詞に、胸が痛む。つい同情の眼差しを向けてしまった。

 それはさらに女の憎悪に火をつけたのだろう。


「よくも、女などに生まれたな……!」


 憎々しげなヘラーの呪詛は美也子に届かない。だって、すでに言われているから。

 そして以前、それを言い放った魔女は、もうその意見を覆している。今のままの美也子でいいと言ってくれた。


「……ごめんなさい」


 演技をやめ、千歳美也子として謝った。


「待っていてくれたのに、迎えに来てくれたのに、帰ることができなくて、ごめんなさい」


 立ち上がって、深々と頭を下げる。


「でも私は、この世界で生きていきたいんです」


 美也子の態度に、ヘラーのそれも軟化した。


「……お前には、クリスデンの記憶があるのか?」

「……少しだけ」


 あの男から『聞いた』分だけしかない。


「ヘラーさんのことは、いい同輩だと……思っています」


 クリスデンが言っていた言葉を自分の意見のように言い換える。


「だから、信じていたから、エイミを預けたんです」

「……私はその信頼を自ら壊した、愚者というわけか」


 異世界の女魔導師は、自嘲しうなだれた。

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