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21.悪魔と蜂蜜ちゃん

「ねぇ真由香ちゃん、記憶が戻った私がネヴィラに帰ろうとしたら、できるだけ引き止めてくれないかな?」


 そう告げると、真由香が息を呑んだ。


「……美也子。決めたのね」

「うん、記憶が戻るか、試してみたい」

「そう……。長年魔力を溜めてきたけど、それをあなたのために使うことができて、嬉しいわ」


 微笑んで真由香はソファから立ち上がる。

 自分のショルダーバッグを漁って、はさみを取り出した。

 長いおさげをつかむと、根元に刃を入れる。


「真由香ちゃん!?」


 左側のおさげに次いで、右も切る。利き手ではさみが持てないので、そちらは難儀そうだった。


「毛髪に魔力を溜めていたの。今日から洗髪が楽だわ」


 ざんばら髪のまま真由香は笑う。手にはしっかりとおさげを握りしめていた。


「美容院行かなきゃね。お母さんたち、またビックリしちゃうね」


 心を落ち着かせるため、美也子はあえて軽口を叩く。


「魔女の力の本領を見せてあげるけど、驚かないでね。……あと、引かないでね」


 苦い表情を浮かべて、真由香は滔々と唱え出す。


「――魔導の力を得しものよ、我に従え」


 髪に息を吹きかけると、淡く光って散って消えた。


「――契りを結んだものの呼び掛けに応え、姿を現せ」


 真由香の周囲に青白い炎がともった。熱くはない。美也子はただ唖然と見つめるのみ。


「『墓場の上で誘うもの』」


 囁くように、何かの名前を呼んだ。

 途端、ふっと炎が消えたかと思うと、リビングに明るく間延びした声が響いた。


「あら~んアタシの可愛い蜂蜜ちゃん、お久しぶりぃ」


 声とともに現れたのは、山羊の角と長い尻尾を持つ妖艶な女性。翼はないが、座椅子にでも座っているかのような体勢で真由香の傍らに浮かんでいる。豊満な肉体を水着のような薄布で覆っていた。


 まさに、アニメや漫画に出てくるような『女悪魔』だった。

 これが、真由香を魔女たらしめている悪魔なのかと美也子は口を開けて見つめた。

 あらかじめ『悪魔』という種族の存在を聞き及んでいたからいいものの、そうでなければ驚きに卒倒していたかもしれない。


 真由香は、恥をかかされたときのように真っ赤な顔で震えている。


「お前、その恰好は何だ」

「え~? この世界の悪魔ってこんな感じの衣装よね~ん。『いんたーねっつ』で見たもの」

「あれは創作だ、恥ずかしい!」

「んも~、数年ぶりの召喚だっていうのに、蜂蜜ちゃんの意地悪!」


 二人のやり取りにぽかんとする美也子を、悪魔が見た。


「あら~、クリスデンの生まれ変わりっ子じゃない。大きくなったわねぇん」


 嬉しそうにすり寄ってきたが、驚きに足が固まって動かない。


「蜂蜜ちゃんと仲良くしてあげてね~ん」

「あ、はい、もちろんです」


 思わず敬語になった美也子の耳に、悪魔が囁く。


「蜂蜜ちゃんは可哀相な子なの。叶わない恋にず~っと身を焦がして、あなたが女の子になっちゃったから、まだまだず~っと処女のまま」


 明け透けな悪魔の物言いに美也子は赤くなる。


「お前、美也子に何を言った!」

「蜂蜜ちゃんのいいところを教えてあげたのよ~ん」


 流し目でウインクする悪魔は、同性の美也子にもエロティックに映る。


「この世界って不便よね~、魔力がないなんて。アタシを召喚するのにも一苦労だし。それでぇ、貯めていた魔力全部使っちゃって、今日は何の用なの~?」

「美也子の記憶を戻せないかしら?」


 すると悪魔は面白そうに片眉を跳ね上げた。


「人間の頭の中をいじるのは得意だけど、蜂蜜ちゃんの愛し人に手を出してもいいのぉん?」


 なるほど、この悪魔の力で、真由香の父に引っ越しを決めさせ、学校のクラス編成を操作してきたのか。

 だが、『頭の中をいじる』という物言いは剣呑だ。


 おっかなびっくりしていると、そんな美也子の心情を悟ったらしい真由香が慌てて説明してくれる。


「言い方がおかしいけど誤解しないで。この悪魔に余計なことはさせない。ただ、最奥に秘めた記憶までの通り道を探すだけ」

「そうだけどぉ~ん、頭を探っているうちに色々分かっちゃうのよ~。た・と・え・ば、初めて一人遊びを覚えた年齢とかねん」


 一人遊びと聞いて、美也子は一人カラオケを想像した。それならば経験はない。

 悪戯っ子のように笑う悪魔を真由香が殴ろうとしたが、ふわりと避けられてしまう。そのまま天井付近まで逃げてから、悪魔は身をくねらせた。


「でも安心して~。知りえた秘め事は、契約者にだって決して話したりはしないわん。悪魔はねぇ、人間のことを『知る』のがとーっても大好きなのよん。だからそれを吹聴していたら、誰も契約してくれないし、頭を見せてくれないじゃなぁ~い」


 この悪魔が、美也子の知る空想の存在と大差ないのであれば、その言葉を簡単に信じていいのか迷う。邪悪で残虐で、利己的な生き物ではないのだろうか。

 だが、悪魔は信じられなくとも、真由香のことは信じてもいいと思った。


「き、記憶が戻るなら、いいよ」


 決意を告げると、悪魔は欲望滴る笑みを浮かべた。


「そ、そんなに楽しみ?」

「当たり前じゃないのん。人間の記憶は、至高の甘露なのよぉ~」


 うふふと笑う悪魔を睨みながら真由香が補足する。


「美也子、胡散臭くてごめん、悪魔の言っていることは本当だから安心して。こいつらは絶対に嘘をつかないの。そんじょそこらの人間よりもよほど信頼が置けるわ」


 ――人間よりも信頼が置ける。

 それは美也子の中にあった悪魔のイメージとはまったく異なる。

 興味が湧いてくるが、今はそれどころではない。


「大丈夫だよ。……痛くないよね?」

「もっちろ~ん、痛くも痒くもないわぁ。一瞬で終わるから、お姉さんにま・か・せ・て」


 悪魔が真正面にやって来て、美也子を覗き込む。

 鼻腔に感じるこの甘い香りは、真由香の部屋に漂っているものと同じだ。遊びに行く度に感じていたこの香りは、芳香剤ではなく、悪魔の匂いだったのだ。

 妖しく光る金色の瞳に、美也子は思わず後じさりしてしまう。


「怯えてるのねん、リラックスしてぇ~」

「ちょっと待ちなさい」


 真由香の制止がかかる。


「美也子、今すぐ決めなくてもいいわ。先にあいつらの行方を探しましょう。それまでにもう一度考え直してみて。イヤならイヤで構わないわ」

「でも、他に方法が……」


 うつむく美也子に真由香は複雑そうな顔をして見せた。悪魔は、その表情の理由を知っているようでニヤニヤしている。


「蜂蜜ちゃんがアタシと特等契約して、もっと強い魔女になるっていう手もあるわよん」

「特等契約?」

「そう。蜂蜜ちゃんが後生大事に守っているものを、アタシに捧げてくれたらねぇん」

「大事に守っているもの?」


 悪魔にオウム返ししながらも真由香の顔色を窺うと、頬を染めて恥ずかしそうにしていた。


「美也子にプレッシャーをかけるな。とにかく、魔導師共の居場所を探すわよ」

「はいは~い、わかったわよ~ん」


 明るく返事をして、悪魔は美也子から離れた。


「真由香ちゃん、すぐ見つかるかな?」

「もちろんよ。あいつら、探しやすいようにわざと魔力の痕跡を残していってるからね」

「車がないと行けない場所だったらどうしよう」


 懸念をぶつけると、真由香は怖い顔で首を横に振る。


「それはない。どんなに順応性が高くてもネヴィラの魔導師は絶対車に乗ることはできないわ」

「ああ、エイミから聞いたよ。処刑台と同じ形だって」

「……そう、なのよ」


 真由香は凄まじく不快げに顔を歪め、悪魔がその頭を優しく撫でた。妹を慰める姉のようだった。


「あれは犯罪を犯した魔女や魔導師を処刑する『審判の籠』とよく似ている。あれに似た乗り物の中に入るなんて、生理的に無理だわ。徒歩圏内にいるはずよ」

「魔法でワープみたいなことをした可能性は?」


 美也子はあえて処刑器具の話題を変えた。あまり仔細に聞きたい気分ではないからだ。

 瞬間移動の魔法など存在しているか分からないが、とりあえず聞いてみる。


「魔力のないこの世界では絶対無理ね。隠密と空歩の魔法くらいは使ってると思うけど。それでも長時間は使えないでしょうから」

「ほらぁ~、お話ばっかしてないで、アタシに全部お・ま・か・せぇ」


 割り入った悪魔がウインクする。それから、顎が外れるのではと思うほど大きな口を開けた。

 一体何だろう、と美也子がその口内を見遣った時、白い蛾のような生き物が這い出してきた。


「ひえっ!」


 美也子は嫌悪からくる悲鳴をこらえることができなかった。悪魔は、そんな美也子の態度を気にすることもなく、たおやかな指先にその蛾を乗せた。


「行ってちょうだ~い」


 悪魔は蛾を窓の外へと放つ。


「あの蛾が見ているものが、私の網膜に映るわ」


 真由香は目を閉じ、集中を始めた。それを固唾を飲んで見守るのみ。


 数分後、ハッと何かに気付いたように目を見開く。


「国道沿いのホテル……!」

「あの、結婚式場があるところ?」

「そうよ、あんな高級そうなところに潜伏してやがった」


 確かに、ヘラーのいた部屋はホテルの一室だと言われればそのように思える。

 リビングと寝室が別れている部屋なんて、グレードの高い部屋に違いない。よほど滞在資金が潤沢にあるのだろう。


「異世界の人なのに、ホテルに泊まれるのかな」

「偽名と偽の住所を使ったんだわ。この世界のことをある程度は学習しているようね」

「そういえば、私のことは何年も前に観測できていて、準備してたとかエイミが言ってた」


 エイミが最初に美也子の部屋を訪れた時に、そう説明してくれたことを思い出す。

 数年がかりの計画ならば、人質を取るという強硬手段も納得できなくはない。

 そこまでして、クリスデンという人物を欲しているのだ。背中を冷たい汗が伝うが、怯んで何もしないなどという選択肢は有り得ない。


「部屋番号は分かったの?」

「十一階ってことまでしか分からない。それ以上は、探知結界が張ってあるから、蛾に進むのをやめさせたわ」

「部屋で待ち構えてるんだね」


 罠を張って、獲物がやって来る時を待っている。

 それでもいい、今すぐエイミの元に駆け付けたい。


 だが短慮は禍根を残す。

 無力なままの美也子では、そのままネヴィラに連れ去られてしまうかもしれない。

 拘束されて、眼前でエイミを痛めつけらるかもしれない。


「真由香ちゃん、もう怯えたりしないよ。記憶が戻るか、やってみる」

「美也子……」


 心配する真由香をよそに、悪魔は歓声を上げながら美也子の眼前に降り立った。


「さっ、人間のお得意な『心変わり』が始まる前に、やってしまいましょぉ~」

「心変わりはもうしないよ」

「嫌味じゃないのよん。人間のそういうところも嫌いじゃないものぉ」


 にっこり笑って、悪魔は美也子の目を覗いてきた。それを真っ直ぐに見つめ返す。

 悪魔の金色の瞳が、闇色に濁る。


 ジェットコースターに乗ったときのような浮遊感と共に、意識が落ちた。

女悪魔が「いんたーねっつ」で見て参考にしているのは、格ゲー「ヴァンパイア」のモリガンです(笑)

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