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2.拒否

「……撫でて頂けないでしょうか」

「えっ」

 

 美也子の腕の中でエイミが呟いた。不意の要求に美也子は戸惑うが、とりあえず犬猫と触れ合う時のように頭を撫で、耳の付け根をくすぐる。

 

 茶色の毛の奥には白い毛が生えており、ダブルコートになっていた。毛髪というより獣の体毛である。耳はひくひくと動いており、まるで大型犬を触っているようだ。

 

「あああ、その手の動き、姿形が変わられてもやはりご主人様のもの……」

 

 突如エイミが恍惚と呟いたので、美也子は触るのをやめた。

 

「変な声出すのやめてよ」

「も、申し訳ございません、ご不快でしたか。久々の感触でつい感極まって……」

 

 エイミは慌てて居ずまいを正すとベッドの上に平伏した。

 

「で、ですがあの日最後に触れて頂いてからは何者にも愛撫を許しておりません」

「いや、いいけど……」

 

 愛撫という単語に動揺しながら曖昧な返事をすると、エイミは悲痛な顔を見せた。

 

「お疑いなのですか? それともわたくしがご主人様以外に頭を許しても構わないと……」

「あの、ええっと」

「……ご主人様のそういう嗜虐的な一面は嫌いではございません」

 

 エイミは勝手に納得して恥じらうように微笑んだ。

 果たして、他人にエイミの頭を触ることを許すのは嗜虐的な行いなのだろうか。不可解さに美也子は少しだけ眉根を寄せた。

 

「疑ってないし、他の人に触らせろとは言わないから」

「ありがとうございます」

 

 とりあえずなだめておくと、エイミは満足そうに笑った。

 

 ――そこで美也子は大きく息をついた。

 努めて頭を冴えさせ、状況を整理しようと試みる。

 

 自分は確かに人間離れしたエイミの存在を受け入れている。だが、己が大魔導師の生まれかわりだとか言う話は、冷静に考えてみるとどうもピンと来なかった。『下僕』だというエイミをどう扱っていいのかも分からない。

 

「ご主人様?」

 

 エイミが首をかしげる。かわいい仕草だ。

 

「あの、エイミ……ちゃん」

 

 おずおずと呼び掛けると、エイミは頬を染めて言う。

 

「ああご主人様、かつて最初に出会ったその日も、最初はそう呼んでお声を掛けて下さいましたね。ですが、下僕のことはどうか気安く呼び捨てて下さいませ」

 

 話が進まない。美也子のすべての言動を『ご主人様』に重ねてうっとりと懐かしむエイミに、少し苛立つ。

 

「ごめん、私、あなたのことも大魔導師とか言う人のことも知らない。生まれかわりとか言われても何も思い出せない」

 

 そもそも『大魔導師』とはまたひどくファンタジーな単語である。

 だが現にこうして獣耳の少女がいるのだし、まだまだ世間には解明されていないことも多いのだから、地球のどこかに魔法使い的な存在がいてもおかしくはない……のかもしれない。

 

「あなたは間違いなく、クリスデン様の生まれかわりです。その魂の輝きを、わたくしは追って参りました。転生されているのは何年も前に観測できていたのですが、正確な場所を探すことと、こちらの世界に渡る準備に手間取り、お迎えが遅れました」

 

 ――こちらの世界?

 違和感のある単語が聞こえた。

 

「あのさ、クリスデンって人はどこの国の人なの?」

「セントライナです」

 

 知らない国名が出た。だが美也子が無知なだけだろう、そうに違いない。

 

「セントライナってどこかな? 何大陸にあるの?」

 

 聞きながらもスマートフォンに手を伸ばして検索しようと試みる。

 

「あ、いえ、今いるこの世界の地名ではありません。ネヴィラと呼称される世界の一国です」

「……ね、ネヴィラ?」

「はい、クリスデン様とわたくしが元々暮らしていたのはネヴィラのセントライナ帝国でございます。そこで魔法を行使し、異なる世界を繋げ、クリスデン様の転生先であるこの世界に渡って参りました」

 

 美也子はスマートフォンをシーツの上に落とした。状況が想像以上に非現実味を帯びてきた。

 

「それではご主人様、セントライナに帰りましょう」

 

 唖然としていると、エイミが腕を軽く引っ張ってきた。

 

「はぁっ?」

「セントライナは……いえ、ネヴィラはご主人様の叡知と魔力を必要としています。あれから代替りなさいましたが、現皇帝も歓待して下さるでしょう。何より魔導師協会も。いえ、せっかく女性に生まれ変わられたのですから魔女の同盟に入っても宜しいかと」

「待ってよ!」

 

 美也子は叫んだ。

 

「嫌よ、私はセントライナなんて知らない、魔導師協会とか意味分からない。っていうか何より家族と離れたくない!」

 

 エイミは自分を連れていく目的でやって来たのだと悟って急に怖くなる。首を振って必死で拒否をした。

 

「ううん、それ以前に私、大魔導師の生まれかわりって言われても魔法なんて使えないし、思い出せもしない。そもそもこの世界には魔導師なんていないし、魔法も存在しない」

「はい、確かにこの世界には魔力が存在しないようです。そんな環境でお育ちになったのですから、使えなくても当たり前です」

 

 エイミは落ち着いた声音で美也子を諭す。

 

「ですが必要な時が来れば必ず思い出します。クリスデン様は死の間際に己に魔法を掛けていらした。転生しても記憶を引き継ぐようにと」

「でも……」

 

 美也子は恐怖を感じずにいられない。

 自分は普通の人間ではないのか。ゆえにエイミと共に違う世界へ行かねばならないのか。――母親を置いて?

 泣きそうになりうつむいたところにエイミの声がかかる。

 

「ネヴィラに帰りたくないのであれば、それで構いません」

「えっ、いいの?」

 

 美也子は顔を上げる。

 

「クリスデン様はおっしゃっていました。転生後の自分は、その世界で愛するものに囲まれて幸福な生を送っているかもしれない。もう魔導師としての生活を望んではいないかもしれない、と。その場合はもちろん、転生後のご主人様に従う所存で参りました」

「ほんとに?」

「はい、このわたくしが、ご主人様の厭うことを無理強いするなど有り得ません。……ご主人様は、こちらの世界を愛しておられるのですね」

 

 エイミの眼差しは優しく、嘘の色はないようだった。

 この世界を愛しているかと問われれば、完全な肯定は出来ない。だが母を始めとした多くの人たちのことは愛しているし、その人たちもまた美也子を愛してくれているはずだ。美也子はそれに報いたい。

 

「うん、私はこの世界で生きていきたい。魔導師としての記憶はいらない。それでもいいかな……エイミちゃん」

 

 前世の記憶を否定するということは、自分を慕うエイミを否定することにならないだろうかと、恐る恐る尋ねてみる。

 

「勿論でございます。ご主人様の望みこそ我が望み。ですが……」

 

 エイミは深々と頭を下げた。

 

「それでもどうか、以後お側に仕えることをお許しください」

 

 美也子は即答出来なかった。

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