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19.喚くだけの、無力な小娘



 結局その日、工藤からの追及はなかった。

 だがよそよそしさは増した気がする。球技大会の結果票を配る工藤は美也子に作り物のような笑みを浮かべてみせた。スポーツマンシップに則らず、球技を邪魔したことへの怒りだけではないだろう。

 かえって、恐ろしい。


 それは真由香も同じようで、工藤を恐れて美也子と一緒に帰りたがった。昇降口で待ち合わせて、寄り添うように帰宅する。


 バスに揺られながら、真由香がぶつぶつ呟くのを胡乱な目で眺めた。魔法を使っているらしい。

 乗客が少ないからいいものの、独り言を漏らす不審者にしか見えない。結界強化が、探知魔法が、などと説明してくれるが、さっぱり分からなかった。

 それでも『気持ち悪い』と感じることがなかったのは、前世の影響か、もう慣れてしまったのか。


「そういえば、美也子にあげたウサギ、もう一度術を掛け直していい?」

「いいよ。工藤さんのこと、気を付けたほうがいい?」

「当たり前じゃない。それにもしネヴィラの魔女なら、私のこと捕まえに来たのかもしれないわ」


 そう言って真由香は身震いする。

 ネヴィラと聞いて、美也子はようやくあることを思い出した。


「そういえば、私がクリスデンだって知ってるっぽかったよ。確信ないけど」


 だが工藤が魔導師のたぐいだと知れた今、確信を持ってもよさそうではある。


「なんでそれを早く言わないの!」


 真由香の怒声に身をすくめる。


「あなたを狙った淫売かもしれないじゃない」

「いんばいって……」


 その単語は以前読んだ漫画で見た。ひどい罵り文句だ。


 バスを降りて足早にマンションにたどり着くと、先にエレベーターを降りた真由香が早口で叫ぶ。


「準備してから美也子の家に行くから、待ってて」

「分かった」


 真由香が来るのであれば、またエイミを隔離したほうがいいだろう。

 そう考えながら自宅のドアを開けると、いつも出迎えてくれるエイミが出てこない。

 怪訝に思って部屋を覗くが、小犬すら見当たらない。

 トイレも無人だ。

 リビングに足を踏み入れる。誰もいないと確認できたと同時に、窓ガラスが開いていることに気付いた。


「エイミ……?」


 バルコニーにもいない。洗濯物がバサバサと揺れていた。

 玄関に取って返して靴を確認するが、全て揃っていた。

 母の部屋も覗いてみるが、無人。


 血の気が引く。一体どこへ消えてしまったのか。玄関は施錠されていたから、バルコニーから裸足で飛び出して行ったのだろうか。


 不可解な事態にふらふらと自室に戻って電気を点ける。


 まさか元の世界へ帰ってしまったのだろうか。

 何か急用でもできたのだろうか。またすぐに美也子の元へ戻ってきてくれるだろうか。

 もし二度と会うことがなかったら――。


 そんな想像をすると胸の奥から怖気が湧き上がってくる。己の身体を強くかき抱いた。


 ふと、勉強机の上に白い鳥がとまっていることに気付く。鳩より少し大きいサイズで、見たこともない種類だ。首を傾げるその仕草は、造り物では有り得ない。


「エイミ?」


 変身しているのかと思い手を伸ばすと、鳥は翼を広げて甲高い声で鳴いた。

 驚いて手を引っ込めた次の瞬間、視界がぼやけて平衡感覚が失われた。たまらず尻餅をつく。


 目を開けるとふらつきは治まっていたが、美也子の部屋は変容を見せていた。

 六畳ほどの部屋の壁が消失し、その向こう側にどこぞの家のリビングが広がっていた。


 恐慌に陥りかけたが、すぐにやってきた既視感が混乱を鎮めてくれた。

 ――魔法で空間が繋げられた。術が解ければ元に戻る。

 自分はこの現象を経験したことがあるのだ。おそらく、前世に。

 だが既視感以上の感覚は得られない。過去は思い出されることはなく、原理も不明。


「久しいな、クリスデン」


 声を掛けられ、ようやくソファに人間が座っていることに気が付いた。


 立ち上がって美也子と対面する格好になった人物は、金髪を背中まで伸ばした女だった。

 峻険な雰囲気を漂わせ、見た目は若いのだが年齢がつかめない。スマートな身体に、パンツスーツがよく似合っていた。


 美也子が呆然としていると、女は淡々と言う。


「……記憶がないというのは本当のようだな。そのような小娘になってしまって、哀れな」

「……あなたは、誰なの?」


 震える声で尋ねると、女は高慢な態度で自己紹介を始めた。


「私はネヴィラの魔導師協会セントライナ支部副長、メレディスのヘラー。お前を迎えに来た」


 協会の副長と言われても、学校の教頭レベルなのか、大企業の副社長レベルなのか分かりかねる。尊大な態度からすると、なかなかのお偉いさんだろうか。


 連れ去られるのだという恐怖に身体がすくむ。


「い、イヤです、私は前世の記憶なんてありません。連れて帰ったって役に立ちません」

「転生後に記憶がなくなるのは当然のことだ。私とて前世のことは知らぬ。だがクリスデンは、記憶を引き継ぐことを条件に、ネヴィラの神から死を赦された」


 ――神から死を赦された?

 不穏な言葉に眉をひそめる。クリスデンは神に許可を得て自殺したというのだろうか。それともネヴィラの住人たちは総じて、死ぬにも神の許可をもらわなくてはならないのだろうか。


 思考はヘラーの鋭い声に阻まれる。


「クリスデンの記憶はお前の中に眠り、呼び覚まされる時を待っている。思い出せ」

「思い出せません」

「不毛な問答はやめよう。――カリュピナ!」

「はぁい」


 ヘラーの呼びかけに、リビングの奥の部屋から明るい返事が聞こえた。

 姿を見せたのは二十歳前後の女だった。黒髪を複雑な形に編み上げて、チェック柄のワンピースを着ている。

 彼女がキャリーバッグのように引きずっているのは、エイミだった。体毛ごと後ろ襟をつかまれており、苦しげにしている。


「エイミ!!」


 絶叫して駆け寄ろうとするが、部屋と部屋の境目に見えない壁があるようで、ぶつかってしまった。

 エイミの顔は腫れて、鼻血が出ていた。血液は服に点々と付着している。明らかに暴行を受けた後だった。


「エイミ! なんてひどいことを!」


 怒りが沸き上がり、今すぐ助けたいという衝動に任せて透明の壁を拳で何度も殴りつけた。


「え~? お師匠様、クリスデンって女になっちゃったんですか?」


 カリュピナと呼ばれた女は不満そうに美也子を見た。


「お前、何を聞いていたのだ」


 ヘラーが苦々しく眉間を押さえる。


「まだ十五歳だっていうから、カリュピナお姉さんが可愛がってあげようと思って、楽しみにしてたんですよ!」


 不服げに愚痴を続ける。


「だからこんなに脱ぎやすい服に着替えたのに。そろそろ赤ちゃん欲しかった!」

「……順応性が一番高いという理由でお前を連れてきたのは間違いだったか」


 ヘラーが深く嘆息する。

 カリュピナという女のイカレた思考に、美也子は戦慄した。そして、そんな頭のおかしな女にエイミが捕らえられていることにも。


「ご主人さ……」

「黙れ、けだもの」


 弱々しく呻くエイミの背をカリュピナが蹴り付けた。


「ちょっと、やめてよ!」


 美也子の怒声を無視して、カリュピナはぼやく。


「この獣人め、クリスデンが死んでからずっと面倒見てやったのに裏切りやがって。クリスデンをネヴィラに連れてくるのがお前の役目だったろうに。渡界のためのお膳立てを全部無駄にして」

「ご主人様がそれを望まれていないから……」

「記憶を取り戻させてやるのも、お前の役目だっただろうが。記憶が戻れば、こんな魔力もない、空気も悪い、町中に趣味の悪いもののあふれる気持ち悪い世界なんて、イヤになって帰りたがるだろうに」


 長々と愚痴をこぼすカリュピナをヘラーが止めた。


「やめんか、カリュピナ」

「だって、お師匠様、こいつは獣人の分際で我々を利用したんですよ! 渡界して、愛しのご主人様に会うために」

「だから、散々いたぶっただろうに」


 弟子の暴行を平然と許すヘラーに、美也子は血が沸騰するような感覚を覚える。


「よくもエイミを! ひどい、許さない! 今すぐ返して!」


 強く壁を叩く美也子をカリュピナは面白そうに眺めた。


「記憶がないって本当か? 痛めつけたら思い出すかもしれないな」

「酷なことはおやめ下さい! ご主人様は、まだ、たった十五歳の少女なのですよ!」


 叫ぶエイミを再度カリュピナが蹴る。

 ヘラーが冷笑した。


「あの娘を見れば、記憶がないことはよく分かるだろう。喚き散らすだけの、無力な姿を」


 悔しさに美也子は黙るしかない。


「クリスデン、いや、チトセミヤコ、エイミを取り戻したくば我々のいる場所まで来い」

「どこにいるの?」

「魔法で探せ」

「だから、私は魔法なんて……」

「ならば思い出せ。早急に。一日経つごとに、下僕の指を一本切り落とす」


 冷ややかなヘラーの言葉には真実味があった。美也子は息を呑む。


「そんなのやめて! 分かった、一緒に帰るから、エイミにひどいことしないで」

「ただの小娘などいらん」


 絶望に涙があふれる。今日中に記憶を取り戻さねば最初の一本が切り落とされる。そんな惨いことあってはならない。


「ご主人様、わたくしのことは捨て置きください!」


 エイミの喉をカリュピナが締め上げた。


「こっちだって、この気色悪い世界に我慢してるんだ。ちょっとくらいいたぶってやらないと、釣り合わない」


 指を落とすのは『ちょっとくらい』ではないだろう。


「無理だよ……、やめてぇ」


 くずおれる美也子を、異世界の魔導師たちは嘲笑う。


「待っているぞ」


 ぶつんと音がして、部屋の壁が元に戻った。

「メレディスのヘラー」のメレディスは、出身地です。

「マサラタウンのサトシ」と同様ですね。セントライナ帝国において、平民は姓を持っていません。

ヒュー・クリスデンももともとはただの「ヒュー」だったのですが、大魔導師の称号と共にクリスデンの姓を、皇帝から授かりました。

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