18.魔精と魔女と
今日は高校の球技大会だが、運動神経が良い方ではない美也子にとっては、非常に怠いイベントだった。それでも退屈な数学の授業を聞くより幾分かマシだ。
体育館ではクラスメイトのバドミントンの試合が行われているが、美也子は隅に座っておざなりに応援していた。自分自身は午前の部で敗退し、もう出番はない。
グラウンドから断続的に響く女子の歓声は、男子のサッカーに向けられたものだ。
「美也子ぉ、今度夏服買いに行こ~」
隣に座る愛奈が腕を絡めてくる。もはや試合など見てはいない。
失恋以来、愛奈の接触が度を増してきた気がする。
女同士でべたべたすることで、少しでも気を紛らわせてくれればいいと美也子は全て受容していた。たまに男子の視線を感じ、優越感を覚えてしまったりもする。
「いいよ。私のコーデ考えてよ」
美也子は快諾した。愛奈は安価な服をうまいこと今風に着こなす。教えを乞うよい機会だ。
くすぐったいなと思えば、愛奈が指で美也子の二の腕に円を描いていた。愁いを帯びた表情をしている。
「どうしたの?」
「中野っちが合コンしようってしつこいの」
「ご、ごうこん」
大人の響きに美也子は戦慄した。
「それで服を買うの?」
「ううん、買い物は気晴らし。しばらく男はいらないの」
「だ、だよね」
『男はいらない』なんて、台詞すら大人だ。あれだけ号泣するような大失恋を経験すれば、大人にならざるを得ないのかもしれない。
「美也子が行くなら行くって言っちゃったけど、中野っちから何か言われた?」
「言われてない」
お子様の美也子はハブられても仕方なかろう。中野のグループは全体的にませている。
「美也子は行きたい?」
「ぜんぜん行きたくない」
男女のあれこれは及川の件だけで十分だ。映画の誘いはまだ保留にしてある。
「だよね~」
なぜか満足そうに愛奈は微笑んで、美也子の肩口に顔をうずめた。いい匂いがする。
突如上がった歓声に思わずコートを見ると、反対側に真由香が座っていることに気が付いた。
こちらをじっと見ている。
そういえば真由香とは愛奈の件で話していない。
なぜ、『あまり仲良くしないほうがいい』のか。
「ねぇ愛奈、他のクラスの友達と話してきていい? 前話したでしょ、同じマンションに住んでる真由香ちゃん。あそこにいるおさげの子」
「いいよ~」
愛奈は愛想よく真由香へと手を振る。真由香は面食らった顔をした。
「あの子も魔力高いよね。魔女でしょ」
あっさり言ってのけた愛奈に美也子は愕然とした。
「分かるの?」
「何となくね。魔精と悪魔は仲が悪いから、あんまり好かれてなさそう」
「あ、悪魔?」
「魔女は悪魔と契約してるから」
「そ、そうなんだ」
そういえば、エイミが『ウサギは悪魔の眷属』だと言っていた。
愛奈は振っていた手の形を変える。指を曲げて、真由香に向けて手招きのしぐさをした。
真由香は何事か呟いたあと、難儀そうに立ち上がる。
「たぶん、『てめぇが来いよ』って言われた。くちびる読んだの~」
「へぇ、すごい」
友人の意外な能力に驚く。まぁ、真由香なら言いかねない。
「最近、いろんな能力が甦ってきちゃって。人間として生きるって決めたのに、皮肉だね~」
愛奈は苦笑したが、少し寂しそうではある。美也子には掛ける言葉が見つからない。
一方、体育館を半周してやって来た真由香は、憤然と美也子の隣に座り、ぶっきらぼうに言い放つ。
「何の用」
対する愛奈はにこやかだ。
「美也子が話したいって言ったから呼んだの」
「そうなの」
途端に真由香の表情が和らいだ。
だが、先ほどの愛奈の説明で、美也子の用件はなくなってしまった。
困っていると、愛奈が人懐こく挨拶した。
「あたしは愛奈だよ。よろしく真由香ちゃん」
無視をする真由香に、愛奈は悪戯っぽい笑みを向ける。
「魔精とは仲良くしたくない? 魔女さん」
「どうして分かっ……!」
ズバリ言い当てられた真由香は動揺に目を見開いた。
「だって真由香ちゃんからは悪魔の匂いがするんだもん」
「キモい、気安く呼ばないで!」
「ちょっと真由香ちゃん。仲良くしなくてもいいから、愛想よくしてよ」
美也子が注意すると、真由香は膨れっ面を見せた。だが怯まず愛奈に鋭い視線を向ける。
「最近あんた美也子に匂い付けすぎ。マーキングしてるの?」
「え~、そんなに目立つ? そんなつもりはないけど、でも美也子のこと好きだからギュってしたくって」
ふわふわとした笑みを浮かべる愛奈に真由香は声を荒らげた。
「私だって好きよ! でも公序良俗に反しないように我慢してるのに」
「あたしだって、こうじょりょうじょくに反するようなことしてないよ」
「言えてないわよ! あ、わざとか、あざといな!」
公序良俗に反することとは一体何なのだろうか。衆目のあるところで好意を叫ぶのは、すでに良俗に反しているのではないか。
「真由香ちゃん、周りに聞こえるから。キャラが違うってクラスのみんながビックリするよ」
注意すると、満面の笑みで美也子に向き直る。
「幻術をかけてボカシてあるから大丈夫よ」
「あ、そうなんだ……」
よく分からないまま頷いていると、真由香は鬼のような顔で愛奈に言った。
「この淫魔、美也子に手ぇ出したらくびり殺してやる」
「あたしは人間として生きるって決めたんだから、美也子に変なことしないよ~」
「本当だろうな!?」
「ホントだよ~」
美也子を挟んで、二人の応酬が続く。
『いんま』という単語は、どういう意味の罵声なのかは分からなかった。首を傾げていると、愛奈がぼそりと言った。
「……たぶんね」
「てめぇ今何て言った!」
敵意を剥きだす真由香とは対照的に、愛奈は飄々としている。転生前は百年以上生きたと言っていたので、年齢差からくる余裕だろうか。
「あんたみたいなのが美也子の側にいると、美也子の名が堕ちるわ」
吐き捨てた真由香の言葉は、どこかで聞いた覚えがあった。
――言ったのは、クラスメイトの工藤だ。名前が傷付くと。
「真由香ちゃん、やめて」
その時の怒りを思い出し、制止の声が低くなった。真由香も愛奈も、驚いて美也子を見た。
「ごめん」
慌てて謝罪し、少し迷ったが相談してみたほうがいいだろうと思い至る。
「あのさ、工藤さんって、魔女か何かじゃないの……かな」
「工藤さんが? あたしは何も感じないよ」
愛奈が首を振り、真由香が続いた。
「工藤って美也子のクラスの学級委員でしょ。うちのクラスの女と親しいみたいでよく来るけど、特に魔力は感じないわ」
「うーん、でも、愛奈のこと苦手としてるところが、真由香ちゃんに似てるんだよね」
『苦手』と言葉をぼかしたが、かつてのあれは嫌悪だった。工藤はあの日から美也子にも積極的に話し掛けてこなくなった。
「まじめな学級委員には、こいつの女臭さが気に障るんじゃない?」
「真由香ちゃんひどーい」
真由香の物言いもあんまりだったが、言われた本人が茶化すので注意するタイミングを失った。
「今、工藤はどこにいるのかしら?」
「第二グラウンドでバレーしてると思う」
真由香の問いに美也子が答えると、にやりと笑った。
「ちょっかいかけてみる?」
「わ~、面白そう」
なんと愛奈まで同意した。彼女なりに、工藤には何か意趣返ししてやりたいと思っているようだ。
多数決で決まってしまったため、美也子は大人しく腰を上げた。
三人で連れ立って、女子バレーの試合が行われているであろう第二グラウンドへ向かう。
道すがら愛奈は美也子と腕を組み、真由香はそれを不愉快そうに見ながらも触れてこない。
「真由香ちゃんも手繋ぐ?」
何気なく尋ねて手を差し出すと、真由香は真っ赤になった。
「結構よ、こんなところで恥ずかしい」
確かに、三人で手を取り合って歩いていたらさすがに目立つか。
第二グラウンドもなかなかの盛り上がりを見せていた。活躍しているのは主にバレー部の面子だが、そうでない面々も足を引っ張っていない。
コートの中にいる工藤は真剣だが生き生きしており、競技を満喫しているようだった。
「ちょっかいって、何するの? まじめにやってるのに邪魔したら悪いよ」
「美也子のクラスが勝ってるんだから、ちょっとくらいいいでしょ」
あっさり言ってのけた真由香に、美也子は呆れ声を出す。
「えぇ……。真由香ちゃん、いつも魔法を使って悪いことしてるの?」
「してるわけないでしょ。魔力がもったいない」
真由香は口元でぼそぼそとなにか呟いた。
するとトスしようと構えていた工藤の目前で、ボールが不意に軌道を変えて地面に落ちる。
やや不自然ではあるが、有り得なくはない程度の動き。
ドンマイと声を掛けるクラスメイトに応えることなく、工藤は真っ直ぐ、離れたところに立つ美也子たちを見た。顔には驚愕が張り付いている。
「気付かれた!」
小柄な真由香は愛奈の背後に隠れる。
「あれは確かに、魔導師か何かだ」
「あたしは何も感じないよ~」
隠れ蓑にされた愛奈は呑気に言う。
「何か術を使って、魔力を隠しているに違いないわ。一瞬でこちらに気付くなんて、ただ者じゃない!」
真由香は震えていた。
工藤は胡乱げに眉を歪めたが、すぐに試合に集中し始めた。
「逃げよう」
一目散に駆け出す真由香。彼女はともかく、美也子と愛奈は面が割れている。顔を見合わせてから、仕方なく真由香の背を追ったが、見失ってしまった。
「はぁ……藪蛇ってこのことだね」
ちょっかいを出そうと言った本人は消え、美也子は苦笑するしかない。
「工藤さんには、ますます嫌われちゃうね~」
相変わらず愛奈は呑気そうだった。嫌われるだけで済めばいいが。
「それよりごめんね愛奈。真由香ちゃんったら口も態度も悪くって」
「いいよぉ~」
まったく気にした様子もなく、愛奈はくすくすと笑う。
その余裕ある態度に、賞賛を送らずにいられない。
「愛奈はすごい、ホント大人だなぁ。怒らないんだ」
「美也子相手なら、一夫多妻でいいもん」
「えぇ? どういうこと?」
愛奈からの返事はなかった。ただ、微笑んでいる。
 




