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17.本当に嫉妬してないの

「千歳さん」


 ある日の下校途中、美也子は声を掛けられて振り向く。

 小さく手を掲げて近寄ってきたのは、小学校からの同級生、及川だった。何度か同じクラスになったことがある。


「あ、及川くん。久しぶり」


 今はクラスが違うので、会うのは高校の入学式以来だ。


「今日は部活はどうしたの?」


 そう聞きながらも、美也子は彼が何部なのかさえ知らない。運動部だということは知っている程度だ。


「こないだ自転車でコケて怪我しちゃってさぁ。しばらく休むんだ」


 及川はシャツの左袖をまくって、包帯を見せてきた。


「うわぁ、大丈夫なの?」

「折れてるわけじゃないよ。まぁ、利き手じゃなくって助かった」


 二人でバス停まで並んで歩く。同じ路線だが、部活で朝早い彼と出会ったことはない。久々の再会に話が弾み、中学時代のこと、高校生活のこと、教師の愚痴などとりとめのない話題が続く。


「そういえば千歳さんって、佐原さんと仲いいよね?」


 出し抜けな愛奈の話題にも合点がいく。


「あー、及川くんもそうなんだ。宮園くんにも、阿藤先輩にも聞かれた。彼氏と別れたって噂は本当なのかって」


 愛奈は端正な顔立ちに加えてスタイルがよく、非常に人目を引く。平均的な身体の美也子と比べると、腰の位置からして違う。そんな彼女を狙う男は思いの外多いようだ。


「違っ、俺は同じクラスのヤツに聞かれただけで」

「はいはい、そういうことにしておきますよ」


 愛奈の失恋の話は、デリカシーのないクラスメイトがあっという間に広めてしまった。これで愛奈がさらに傷付くことがなければいいが、もしくはよい方向に転じて、素敵な出会いがあればいい。


 バスを待っている間、しばし沈黙が続く。と、及川が話しかけてきた。


「千歳さん、連絡先教えてよ。メッセアプリのID」

「愛奈の情報が欲しいの? そんなことぺらぺら言わないよ?」

「だから違うって。……あのさ、今度映画観に行かない?」

「え、何で? 及川くんと映画観に行くような仲だっけ?」


 急すぎる誘いに驚いて、素直な気持ちが口をついてしまう。あ、と口元を押えた。


「はっきり言うなぁ」


 及川は困ったように笑って頭を掻いたが、その目の奥には悲哀の色があった。

 

 気まずさに明後日の方向を向きながら、美也子は思考を巡らせた。

 連絡先を聞いて、男が女を映画に誘う。

 恋愛経験はなくても、少女漫画や恋愛ドラマを嗜んでいればその意味を察することはできる。

 だが唐突過ぎる。中三の時は隣の席になったこともあり、軽口を叩きながら雑談できる仲ではあるが、そんな『フラグ』があっただろうか?

 よくよく思い返せば、確かによく話しかけてきてくれていた……ような気がする。


「千歳さん、付き合ってるヤツとかいるの?」

「……いない、けど」

「だったらいいでしょ。映画観に行くだけでもイヤなの?」

「……イヤではない、けど」


 美也子は頭を抱えたくなった。どうしてもイヤかと聞かれればそうではない。映画を見に行く『だけ』なら何の問題もない。


「これから仲良くできたらいいなぁって」


 ぽつりと及川は言った。


「え、映画は……家の手伝いがあるから難しいかも」


 美也子はとっさにそう返す。

 母子家庭であることは及川も知っている。ゆえの苦しい嘘。

 友達との付き合いがあると言えば、母親は快く家の手伝いを免除してくれるだろう。そもそも今はエイミがいるから、彼女に任せれば済む話だ。


「そっか、メッセのやり取りだけでもしていい? あと、一緒に帰ったりとか」

「……たまにはね」


 美也子は身体が石のように硬直していることに気付く。脇にひどく汗をかいているのは、初夏の蒸し暑さにやられただけではない。


「千歳さん、バス来た」

「うん」


 車内はすいていて、隣り合って腰かけた。

 横から差し出されたスマホの画面にはQRコードが映っていた。それを大人しく読み取るしかない。


 先にバスから降りると、疲労感にくずおれそうになる。

 バスに揺られた十数分、ずっと緊張していた。それは照れからくるものではないと分かっていた。


 自宅のドアを開けると、出迎えたエイミが不安そうに眉根を寄せた。今の自分は、それほどに憔悴した顔をしているのだろう。


「あの……どうされましたか?」

「いや、ちょっと学校でいろいろあって。今日はまだご飯作ってないよね?」

「はい」


 素直に答えるエイミに、思い切り訴えた。


「カレーが食べたい!」

「金曜もカレーでしたが、宜しいのでしょうか」

「好きなものが食べたい気分なの。ジャガイモまだあったよね。今から肉買ってくるから」


 美也子は部屋にカバンを放り投げると、制服のままスーパーへ駆け出した。とても走りたい気分だった。






『今日はいきなりゴメン。映画行けそうな日あったら教えて』

『朝は何時のバス乗ってるの?』


 リビングのソファに寝転がって、スマホの画面に表示された及川からのメッセージを眺める。

 積極的な男だ。朝も同伴したいらしい。


 鼻腔には、至福の香りが届いているというのに、心はもやもやしたまま。


「ご主人様、煮込み終わりました」

「ありがとう。六時半くらいに食べよっか」


 エイミがやって来たため身体を起こして場所を空ける。


「ご主人様、憂いを晴らすため、わたくしがお手伝いできることはございますか?」


 エイミが耳を垂らして尋ねてくる。


「……気の乗らない誘いを断る、相手を傷付けない言葉ないかな」


 そう言うと、エイミの耳がますます垂れた。実際魔法を使える少女にも、そんな魔法のような言葉は思いつかないらしい。


「人間関係にお悩みですか」

「うん」

「異性関連の?」


 鋭い指摘にびくりとする。


「クリスデン様も、そういう時は似たような表情をしておられました」


 意外な前世との共通点に、笑うしかない。


「こういう時、クリスデンはどうやって断ってたのかな?」

「謝っておられました。誠心誠意、頭を下げて」

「だよねぇ~」


 深い溜息をつく。


 及川にはまだ『好きだ』と言われたわけではないから、余計対応に困る。

 映画くらい行ってもいいだろうか。交流しているうちに、及川の方から、つまらない女だと幻滅して離れていってもらえる可能性もある。

 だがそれが叶わぬ時はどうしたらいいのだろうか。改めてこちらから断るにしても、散々引っ張っておいてから男を振る冷酷女のそしりを受ける羽目になる。

 ならば、だらだらと交流するより、サクッと関係を断つことが望ましいだろう。


 男女関係に『友達でいましょう』は通じないことは分かる。

 真由香にはそう言ったが、彼女は割り切っているし、同性で気心が知れているから。

 そもそも及川と友達の関係になりたいわけでもない。たまに話す程度の『知り合い』でいい。


 美也子はスマホをテーブルに投げ捨てた。既読無視上等だと自棄になる。


「ご主人様……」

「……嫉妬した?」


 気遣う視線を向けるエイミに、意地悪な返しをしてしまう。


「いいえ、そんな」

「なんで嫉妬しないのぉ~」

「だってお嫌そうですもの」

「あたり」


 二人でくすくす笑った。


 エイミの臀部を見ると、スウェットパンツの生地の中で何かが動いていた。

 短い尻尾を振っているのだ。

 それを見て、湧いてきた衝動を行動に移した。


「ねぇ、尻尾触ってみてもいい?」


 以前断ってから触れていなかった。


「……は、はい、好きになさって下さい」

「そのままでいいよ!」


 美也子は慌ててエイミを止めた。照れながらも下着ごとスウェットパンツを脱ごうとしたからだ。


 座らせたまま腰元に手をまわし、スウェットパンツのゴムの下に手を差し入れる。ショーツの生地を押しのけて、尾てい骨の先にある小さな尻尾にそっと触れた。

 一瞬、なんだか痴漢行為をしている気がしたが、やましいことをしている訳ではないのだと己に弁解する。ただの知的好奇心だ。


 指で撫でると、エイミが息を詰めた。


「ごめん、気持ち悪い?」

「い、いいえ、どうぞそのまま」


 上ずった声。何かを我慢しているようにも聞こえる。


 尻尾を軽く握り、根元から親指で擦り上げ感触を確かめると、エイミは背中を仰け反らせた。

 その過敏な反応に、美也子は遠慮するどころか楽しくなってしまう。


「きゃっ、ご主人様何を」


 空いているほうの手でエイミの上着をまくり上げると、背中に手をまわし、ふわふわの体毛に手を突っ込んで撫でさする。反対の手は尻尾に触れたまま。


「あっ、おやめください」


 身を捩るエイミを抱き締めるように拘束した。


「何で嫌がるの、お風呂でいつも洗ってあげてるじゃない。乾いてるときはダメなの?」

「だって、尻尾と同時に触れられたら、もうわたくし……」


 腕の中で震えるエイミにますます気分が乗り、うなじから腰までの毛をかき回した。


「エイミは可愛いなぁ。触ってると落ち着く」


 特に尻尾の付け根のすぐ上が弱いらしく、そこを掻いてやると大きく喘いだ。


「あっご主人様、ダメです、いけません、あ、ああ」


 気付けば脱力したエイミがソファに転がっていた。

 美也子が押し倒したような格好になる。


 頬を染めて視線を逸らせる獣耳の少女。反った白い喉が荒い呼吸を繰り返している。

 そのさまを見て、頭へと一気に血が上った。それはまごうことなき高揚感だった。


 だがすぐに我に返る。なんだかこれは不健全な状況だ。


「ごめん」


 謝ってエイミを助け起こす。


「いえ……」


 リンゴのように赤いままで、エイミは上着を直す。

 なぜかその姿を直視していられなくなり、美也子は視線をさ迷わせた。そうこうしているうちに、放置されたスマホの存在を思い出す。


 さて、及川への返事はどうしたものか――と美也子は嘆息する。

 いつまでも現実から逃げ続けるわけにもいかない。


「一度、お食事にでも行ってみたらいかがです?」


 衣服を整え終わったエイミの声が掛かった。まさかエイミからそんな提案があるとは思わず、美也子は目を見開いて聞き返す。


「……本当に嫉妬してないの?」

「ええ、よいご縁かもしれないのに、それを無駄にしてしまったら大変です」


 エイミの冷静な物言いに、美也子はわずかな苛立ちを覚えた。


 ――エイミが嫉妬して、行くなって言ってくれたら行かないのに。


 胸に湧き上がる複雑な感情は、理不尽で醜いもの。エイミに向けてはいけないもの。

 頭を振って、気を取り直す。


「……ご主人様?」


 怪訝そうなエイミから視線を逸らし、努めて平静な声を出した。


「……じゃあ、誘いに乗ってみようかな」


 するとエイミはにっこりと笑う。


「お家のことはお任せくださいね」

「ありがとう……」


 なぜか涙が出そうになり、美也子はトイレを口実にエイミから離れた。 


『朝は家を出る時間はバラバラだよ』

『空いている日があったら連絡するね』


 及川には、そう返信しておいた。

次回投稿分から、また話の展開が変わりますので、

及川君関連の話の続きが気になる方は、

次の18話のあとに30話をお読みください。


あいだの話を飛ばしても繋がるようになっています。

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