15.どうして女に生まれたの
美也子は真由香から事情を聞くため、リビングへと導いた。
一旦泣き止んだ真由香と共に、ソファへ腰掛ける。
エイミが気を遣ってお茶を入れてくれた。
「獣人の入れた茶なんて飲めるか、毛が浮いている」
鼻声の真由香がエイミに噛みつく。もちろん毛など浮いていない、ただの言いがかりだ。
「やめて、真由香ちゃん」
美也子の制止は真由香に届かない。ただエイミに恨み言をぶつける。
「お前のせいで、クリスデンの死に目に会えなかったんだ」
「それはクリスデン様のご意思で……」
「うるさい、転生先にまでしつこく来やがって、魔導師共に実験台にされちまえばよかったんだ」
あんまりな物言いに、美也子はつい声を荒げた。
「真由香ちゃん!」
呼ばれた本人だけでなくエイミまで肩を震わせたため、美也子は『ごめん』と謝罪した。
だが真由香にははっきりと告げねばらならない。
「冷静に話をする気がないなら帰って」
辛辣な物言いだという自覚はあったが、この少女は美也子のよく知る幼馴染ではなくなってしまった。素性を明かさずエイミを攻撃し続けるのならば、追い出すしかない。
そんな美也子の内情を悟ったのか、真由香は哀しげに笑った。
「やっぱりあなたは、あいつの味方をするのね」
まるで大人の女のような口調に、美也子は面食らった。
「分かったわ、冷静になる。ここまで来たら、話さなきゃね」
真由香は何度か鼻をすすり、深呼吸した。
エイミは無言で礼をすると、リビングを出て行った。自分がいると話が進まないという気遣いからだろう。
「あの獣人の言った通り、私はネヴィラ、クンターランドの魔女リーサよ」
すっかり落ち着いたらしい真由香はそう言った。
外見こそ美也子のよく知る真由香だったが、そのはきはきとしたしゃべり方はすでに見知らぬ者のそれだ。凛とした雰囲気をまとい、ひどく大人びて見える。
「あなたが死んだと知って、すぐに転生先を血眼で探したの。どこの世界とも交流のない、この名もなき世界であなたを見つけたのは、あなたが十歳の時。私は、すぐに渡界した。仲間の魔女を捨てて……いえ、裏切って」
「裏切った?」
思いもよらぬ単語に、美也子は眉をひそめた。
「ええ、この世界へ渡るため、仲間が何十年もかけて集めていた魔力を奪ったのよ。もし今戻れば、私刑に遭うでしょうね。でも、もう戻る気はないから、どんなに恨まれたっていいの」
「そ、そうなんだ……」
曖昧に相槌を打つことしかできない美也子に、真由香はどこか寂しげな笑みを向ける。
「私はあなたのそばにいたかった。ただの女の子として過ごしているあなたと、幼馴染ごっこがしたかったのよ」
そして自分の胸のあたりに触れた。
「だから、あなたと同じ年齢のこの野沢真由香の身体を乗っ取ったの」
「乗っ取った!?」
つい大声を上げた美也子に、真由香は慌てて頭を振る。
「誤解しないで、合意の上よ。本人は事故で死にかけていて、もう生への気力が希薄になっていたから……。楽に死なせてあげる代わりに、死んだ直後の肉体をもらい受けたの。身体は真由香で、魂はリーサというわけ。魔女の技の一つよ」
壮絶な話に美也子は絶句した。
「あとは魔法で『真由香』の父親を操って、同じマンションに引っ越させた。ただそれだけよ」
自嘲気味に笑ったあと、真由香は両手で顔を覆った。
「分かってるわよ、こういうの、こっちの世界ではストーカーって言うんでしょ? だから、もっとそばにいたい気持ちを必死で抑えて過ごしてきた。あえて同じクラスにならないように教師も操ったわよ」
美也子の言葉はまだ蘇らない。何と受け答えしたらいいのか見当もつかない。
真由香はひたすら続ける。
「こんな魔力のない、気持ちの悪い世界にいまいち順応できなくて、何度も気が狂うかと思った。それでも、あなたがいてくれたから……!」
語尾が震え跳ね上がる。
「それなのに何で、何であんな獣人と一緒にいるの! 何で魔精なんかと一緒にいるの! あの獣人よりもずっと先に私が見つけていたのに、どうして!」
次いで紡がれた言葉は、美也子に多大なショックを与えた。
「どうして、女に生まれたのよ……!」
そんなことを言われても、どうしようもない。
とうとう真由香は、声を上げて泣き出した。
美也子はただうつむいて横に座っているしかない。
だって、エイミに対して感じたような想いが湧いてこないから。
エイミが美也子の部屋へ訪れたあの夜のように、きつく抱き締めてやりたいという衝動が、一切湧いてこないのだから。
「クリスデンってどんなひとだった?」
沈黙に耐えかね、少女の身体で号泣する女に尋ねる。
「冷酷で傲慢で伊達な男だったわ」
しゃくりあげながら真由香は言う。
美也子は困惑した。それは、抱いていたイメージとは全く異なるうえ、美也子自身ともひどく相違した人物のように思える。
「でも頭がよくて、曲がったことが嫌いで……辛い時も努めて笑みを浮かべている人だった。私はその笑顔が好きだった。たとえ相手にされなくとも」
切なく声を絞り出す真由香。そんな彼女にティッシュを渡すべきだとようやく思い至り、それを実行する。
人柄を褒められているのは間違いないが、やはり美也子にはピンとこない。美也子の成績はクラスでも中位だし、辛い時に笑っていられるか自信がない。
「ねぇ、私、クリスデンだった時の記憶なんてまったくないんだよ。いくら魂が同じだからって、性別も人格も、頭のよさも、育った環境も全部違ったら、もう別人でしょう? 真由……リーサさんの愛したクリスデンとは違うんじゃないの?」
「違わないわよ」
鼻声だったが、真由香ははっきりと言った。
「あなたがそう思うのは、無知だから。世界の成り立ち、神、魔法、魂の輪廻について、正しいことを教えられていないから。教育を放棄したこの世界の神が怠慢なのよ。だから宗教が乱立し、勝手な神が祀られ、バラバラな生死観がでっち上げられている」
くだらない、と吐き捨てると、真由香は真摯な声音で言う。
「魂はその人間の根幹。育ちで多少の矯正がかかっても性根は変わらない。私は、クリスデンの、美也子の魂を愛している」
「そう……」
胸が締め付けられ、美也子はうつむいた。
真由香の言葉は、まごうことなき愛の告白だったからだ。
だが美也子は気が付いた。真由香は、エイミや愛奈のように決してこちらに触れてこない。
割り切っているのだ、その愛が受け入れられぬことを。同じクラスになるよう操作したっていいのに、毎朝一緒に登校したっていいのに、それさえしない。一定の距離を置いている。なんて寂しい恋愛だろう。
「あの、リーサさん……」
「もう私はリーサじゃなくて真由香なの。魔女にとって、身体を乗っ取るということは、その者の名前も人生も引き継ぐということよ。だから真由香って呼んで、今まで通り接して頂戴」
「……うん、わかったよ真由香ちゃん」
果たして、今まで通り接することなどできるだろうか……。
その答えが出ぬまま、とりあえず尋ねる。
「これからもずっと真由香ちゃんとして生きるの?」
「あなたが千歳美也子として生きる限りね」
真由香は大人の女の目でこちらを見ている。
「最初は本当に辛かったわよ。なにせ、三十過ぎて十歳のガキのふりをしないといけなかったんだから。学校も程度が低くてくだらないしね」
それは苦笑だったが、ようやく笑みを見せた真由香に、美也子は安堵する。
ただ泣いて過ごす人生など、あまりに酷だ。いくら中身が異世界の魔女だとしても、今までそばにいてくれた『真由香』にそんな生き方をさせたくは無いと思う。
それが美也子の答えだった。
「真由香ちゃんは、ずっと演技をしてたんだね。これからは私の前だけでは素を出して。口が悪いのはちょっと怖いけど、大人のお姉さんと話してるみたいで、イヤじゃないよ」
そう告げると、真由香は目を見開いた。動揺の浮かぶその瞳を真っ直ぐ見て続ける。
「私のことを好いてくれて、ありがとう」
それはその場しのぎの慰めではなく、美也子の素直な気持ちだった。
「真由香ちゃんを愛することはできないと思う。嫌いだからじゃなく、女同士だし、ずっと友達だったから。……でも、これから新しい関係を築くことはできるでしょ」
「……っ!」
真由香は嗚咽をこらえるように、口元を覆った。
「……あなたはやっぱりクリスデンだわ。その優しいところ、よく似ている」
そしてぽつりと漏らした。
「……クリスデンは、私にはそんな素敵な言葉をかけてくれたことはないけれど」