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13.修羅場とベッド

 益田とは四時半に近所のファミレスで会う約束になっていたため、少し前に到着するように向かう。


 愛奈はパーカーにジーンズという、ラフな恰好に着替えていた。うつむいて歩く姿は、いつもより小さく見える。何か言葉をかけてやりたかったが、相応しい台詞は見つからない。


 益田はすでに到着していた。ドリンクバーのコップがテーブルに乗っているが、中身が減っていないのは数杯目だからか、それとも喉を通っていないのか。


「千歳さんも来たんだ」


 じろりとねめつけるその態度、以前映画に送迎してもらったときの好青年と同一人物とはとても思えなかった。


「一緒に来るかもとは思ってたよ」


 ひどく冷ややかな物言い。美也子は敵意を向けられているのだと分かった。やはりお邪魔だったか、と冷たい汗をかく。


 益田と向かい合う形で、愛奈と並んで座る。愛奈が益田にすがるような視線を向けているのが切ない。

 腫れた目は前髪で隠しているが、修羅場の雰囲気はそうもいかない。隣の席の中年女性が視線を向けてきているし、注文を取りに来たウエイトレスも気まずそうだ。


 美也子はドリンクバー2つ、と注文をしたが、取りに行く気分には到底なれない。


「この間まで普通に仲良くしてたじゃない。急に何で?」


 かすれた声で愛奈が尋ねた。


「……愛奈が浮気するからだろ」


 益田の指摘に愛奈は言葉を失ったようだ。

 美也子も愕然とする。愛奈がそんなことするはずない、きっと何か誤解があるのだろう。ならば、それを解けば一件落着だろうか。


「何か勘違いしてない? あたし、浮気なんてしてないよ」


 引き絞るような愛奈の声に益田は冷笑した。そして美也子を鋭く見つめる。


「千歳さんと、浮気してるんじゃないの?」

「はぁっ?」


 名指しされた美也子は思わず素っ頓狂な声を上げた。


「まーくん、何を言ってるの? なんであたしが美也子と」

「浮気してないにしても、千歳さんがいるなら、もう俺はいらないだろ。だからもう別れよう」

「何言ってるの、意味が分からないよ」


 戸惑う愛奈に美也子は同じ気持ちを抱く。

 困惑する女二人を交互に睨み、益田ははっきりと言う。


「千歳さんの方が魔力が高いんだろう。だからこれからは千歳さんからもらってくれ。これで俺は用済みになったな」


 予想外の男の宣告に、美也子は混乱した。魔力の高さ云々(うんぬん)が、どうして浮気へとつながるのだろうか。


 愛奈は必死に訴えた。


「そんな、確かに魔力のことはそうだけど、美也子からはもらわないって説明したじゃない。だからまーくんのこと用済みだなんて思ったことない」


 だが益田は頭を振る。


「そんなの信じられない。一瞬でも迷ったんだろ。それにどうせ愛奈は俺の魔力が目当てなんだ。だから俺よりもずっと魔力の高い奴がいたら、そいつに乗り換えるんだ」

「そんなことない、たとえ魔力のやり取りがなくても、まーくんのことは大好きだよ、信じて」


 悲痛な声を出す愛奈に益田はしばし沈黙した。だが苦々しげに顔を歪めて、言い放つ。


「俺だって信じたいけど、もうこういう関係辛いんだよ。ずっと悩んでたけど、もう疲れた。愛奈がいつ俺のことを用済みだって言うのか、ずっと不安だった。千歳さんのことはいい切っ掛けだった」

「まーくん、あたしが信じられないなら、信じられるようにするよ、どうしたらいいの? 何でも言うこと聞くから」


 それでもすがる愛奈を止めるべきか、美也子は強く迷った。

 『別れたくないから、何でも言うことを聞く』。それは、恋人同士の在り方として大いに間違っていると思ったからだ。

 だが愛奈が望むのならやむを得ないか……。


 美也子が口を出しあぐねていると、益田は歪んだ笑みを浮かべた。


「じゃあさ、千歳さんと三人で()()?」

「する、って何を」

「まーくんっ!」


 訳の分からない美也子の横で、愛奈が絶叫して立ち上がった。ファミレス中がしんと静まる。


「どうしちゃったの? そんなこと言う人じゃなかったじゃない。わざとそういうこと言って、あたしを怒らせようとしてる……?」

「……愛奈のせいだよ。それに俺、もう他に好きな人いるから。バイト先の人に告られて、付き合うことにした」

「……なっ」


 愛奈は脱力して座り込んだ。

 結局のところ、益田が愛奈と別れたいと望んだ最大の理由はそれなのだろう。魔力のやり取りがどうとかいう話も一因ではあるのだろうが、主軸ではなかったようだ。

 美也子は益田のあまりに残酷な宣告に対し、今度こそ口を出さずにいられなかった。


「益田さん、それは最低すぎませんか? 浮気はそっちじゃないですか」

「千歳さんは黙っててよ」


 不快げな益田に対し、美也子は啖呵を切った。


「黙ってなんていられません! 私は愛奈の友人です!」


 突如声を荒げた美也子に、益田も愛奈も驚いた顔を向ける。


「二対一で不公平だと思うなら、益田さんも誰か友人を呼んでください。それで、その人の前で改めて今のことを話してください。――イマカノと別れる前に、他に彼女作っちゃった、心変わりしたから仕方ないよね、って。……そんなこと、友達の前で恥じずに言えますか?」


 益田はうつむいて反論しなかった。自分の言動が後ろめたいものだと理解しているのだろう。


「愛奈、もう行こう?」


 美也子は益田を睨み据えながら、隣で微動だにしない愛奈に声を掛ける。

 これ以上彼女を、衆目にさらすことがはばかられた。


「愛奈には、絶対にもっと素敵な人がいる」


 呆然とする愛奈に優しく囁いて、その頭を抱く。

 まるでドラマのワンシーンみたいだと思いながら、財布から出した千円をテーブルに叩きつけた。正直言えば、痛い出費ではある。


 立つように促すと愛奈は無表情ではあったが、言うことを聞いてくれた。その冷たい手を強く握ってやり、足早にファミレスを出た。

 益田は何も言わず、視線もくれなかった。


 自宅までの道のり、愛奈は無言だったが割合しっかりとした足取りで歩いてくれた。その様子に安堵しつつも、不穏なものを感じる。嵐の前の静けさでないといいが。


 帰着後、出迎えてくれた愛奈の母は交渉決裂を悟ったようで、何も言わずに部屋に通してくれた。


「あたしのせいだ」


 自室のベッドに力なく座り、愛奈は呟く。


「そんなことないよ」


 美也子は愛奈の隣に腰かけて、頭や肩を撫でてやった。


「ううん、まーくんのことが本当に好きだったら、魔力なんてもらっちゃいけなかった。利害関係で結ばれた恋人なんて長続きするわけない。まーくんの不安がよくわかった。他の人にいつ乗り換えられるか分からない恐怖を、ずっと抱えていたんだ」


 ティッシュを顔にあてがい、ぐすりと鼻をすする。


「あんなこと言う人じゃないのに、言わせたのはあたしだ。まーくんのことが本当に好きだったら、魔精としてでなく、人間として付き合わなきゃダメだったんだ」


 美也子はただ黙って聞いてやることしかできない。

 確かに愛奈の言う通りなのかもしれない。

 それでも益田の言動はまったく適切ではなかった。別れるにしても、もっと誠実なやり方があっただろうに。


 だが恋愛経験のない美也子には何も言う権利がない気がした。


「胸が痛いよ美也子、人間の身体って嫌だ、もう帰りたい」


 とうとう愛奈は美也子にすがって泣き出した。


「……帰りたいの?」


 優しく美也子は尋ねる。


「帰りたい、でも魔力が足りないから無理」


 子どものように泣きじゃくる愛奈に、静かに尋ねる。


「私が魔力をあげたら、帰れるんじゃないの?」


 美也子の言葉に愛奈は勢いよく顔を上げた。泣き腫らした目が真っ直ぐに美也子をとらえる。


「もし本当に愛奈が帰りたいなら、あげるよ。愛奈がいなくなったら寂しいけど、愛奈がこんなふうに泣いている姿を見るのは悲しい」


 それは安い慰めではなく、本心だった。彼女に対してしてやれるのはそんなことだけ。


 エイミは、魔精に魔力をあげるのはまだ早いとか言っていた。なんのことだかさっぱり分からないのだが、危険なことを愛奈がするとは思えない。


「益田さんから魔力をもらっていたのとは違うよ。利害関係とかじゃない。私が、そうしたいの」

「み、みや、美也子」


 愛奈がわなないた。


 その瞳が黄金色に染まっていく。とてもきれいだ。吸い込まれそうで、頭がぼうっとする。


「痛くないんだよね?」

「痛くない……ようにする」


 ふと気が付くと、愛奈が見下ろしてきていた。背中に柔らかいベッドの感触。

 仰向けに倒れているではないか、いったいどうして、いつの間に。


 間近に迫った愛奈の目が、爛々と輝いている。猫のようだ。そして犬のように息が荒い。


「美也子、ごめんね」


 なぜか愛奈は謝罪をした。


 どうして、と尋ねようとしたとき、ノックの音が響いた。


 愛奈は素早く身を起こしドアへ向かう。


「ママ、大丈夫だから、うん、ありがとう。また、美也子を送ってもらってもいいかな?」


 誰かと話しているな、と思いながら美也子も身体を起こした。


 やけに前が冷えると思ったら、ブレザーのボタンがすべて外れてブラウスが見えていた。

 あれ、今朝ちゃんと閉めたけれど、体育のあとにそのままだっただろうか。


「美也子ちゃん、夕飯食べていく?」


 柔らかな声で話しかけてきたのは、愛奈の母親だ。


「ありがとうございます。でもごめんなさい、家で準備してくれているので」


 エイミは今朝、夕餉に豚汁を作ると言っていた。


「あら、そうよね。こちらこそ急にごめんなさい。でも、今度来たときはぜひ食べて行って。この子ったら美也子ちゃんに本当に迷惑かけて」

「そんなことないです、愛奈は大切な友達ですから」


 はっきりとそう言うと、二人の会話を黙って聞いていた愛奈がどこか寂しそうに笑っていた。





「え? 魔力はもういいの?」


 母親が去っていったあと、美也子は改めて先ほどの続きを勧めたが、断られてしまった。


「うん、もういいの。美也子からはもらわないって、この前言ったじゃない。ダメなんだ、この世界で人間として生きることを望むなら、人間らしくしなくっちゃ。それをしなかったから、まーくんにフラれちゃったんだ。しばらくは、人間として生きるよ」


 悟ったように愛奈は言うが、まだ涙はにじんでいた。頬に流れる丸い雫を見た時、美也子の胸はきりりと痛んだ。


「本当に、大丈夫なの?」


 念押しすると、愛奈は深く頷いた。


「美也子がね、あたしにはもっと素敵な人がいるって言ってくれた時本当に嬉しかった。動けないあたしの手を握って連れ出してくれたことも、魔力をくれるって言った時も」


 愛奈は笑みを見せた。無理をしているのだと分かる痛々しいものだったが、それでも努めてそうしている彼女の、前に進もうという気持ちの表れに見えた。


「まだ泣いちゃうかもしれないけど、美也子がそばにいてくれたら、とりあえずこの世界で生きていけるよ」

「えー? そんな大袈裟な…………」


 美也子は言葉に詰まった。涙が頬を伝ったからだ。


「ごめん、私が泣いちゃって。でも、愛奈がこの世界にいたいって言ってくれて、よかったって思って」

「美也子……。あたしこそ、ごめん!」


 女二人で抱き合って、少しだけ泣いた。

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