114.<番外編 美也子と櫻子> 頭のおかしい神が支配する
五月中旬の土曜日。
美也子は名古屋駅のとあるカフェで矢吹櫻子と再会を果たしていた。
ビルの51階に位置するそのカフェからは、名古屋都心部の景色が一望できる。
あいにく窓際の席は確保できなかったが、視線を横に向ければ問題なく絶景を堪能することができた。
といっても美也子にとってこの店は数回ぶりで、向かいに腰掛ける相手は甘やかしてくれる祖父母ではなく、かつての『ライバル』矢吹櫻子だ。風景を楽しんでいる場合ではない。
一方の櫻子は頬杖をついて窓の方を見ていた。わざわざ高層フロアにあるこの店までやって来たのは、彼女のリクエストあってのことだ。
ケーキをつつきながら、美也子は櫻子の横顔を窺った。絶景に上機嫌の様子で、今にも唄を口ずさみそうな雰囲気。
「あの、どうして今日はわざわざ名古屋まで来たんですか?」
恐る恐る尋ねる。やはり、己を負かした美也子に恨みつらみをぶつけるためだろうか。
会いたいと連絡があった時は無視しようかと迷ったが、住所も知られている以上、それも得策ではないと思ったのだ。
かつての級友・工藤経由で千歳家の住所を知ったらしいこの女は、年賀状まで送りつけてくるのだから。
なぜ大阪の女から年賀状が来るのか、どこで知り合ったのか、母を納得させる理由を捻出するのが大変だった。
胡乱な目で見つめていると、櫻子は大口を開けて笑った。
「そんなに警戒しないで欲しいな。ちょうど今日、ナゴヤドームでライブがあるのさ」
「ああ……」
そういえば有名バンドのライブがあると、クラスメイトも騒いでいた。
よく見れば、櫻子がパーカーの下に着ているTシャツもそのバンドのもののようだ。
「だからついでに、美也子ちゃんに会っておこうと思ってな」
「そうですか……」
所詮『ついで』なのかと口を尖らせる。まぁ、そのほうが身構えずに済んで助かるか。
櫻子は白い歯を見せて、爽やかに笑っている。
「品評会のことを聞きたくてさ」
う、と美也子は唸る。
あまり思い出したいことではない。超常の出来事には慣れたとはいえ、あのイベントはあらゆる意味で衝撃的だった。
マンガなどの創作物の中でしか有り得ないようなことが、それを超越するようなことが、あの場に体現していたのだ。
網膜に映るモノたちが夢か現か分からなくなり、美也子の脳は大いに混乱した。
アスラ神を見つけて義務を果たさせるという目標がなければ、非現実的な出来事の奔流に耐え切れず、美也子は卒倒していただろう。
そして何より――神々へ失望しか抱けなかったことが辛かった。
父神でさえ、奔放に振る舞う子どもたちへただ溜め息を吐くだけの置物だった。
「『あの人』に聞けばいいじゃないですか」
素っ気なくそう返事をすると、櫻子は目を伏せてコーヒーをすすった。
「……『あの人』はね、品評会が済んだらさっさと戻っていったよ」
「え? どこにですか?」
どこか寂しそうな櫻子の様子に、目をしばたたかせる。
「神域……まぁ、お家みたいなところに。また不干渉の引きこもりに戻ったんだ。次に何かの気の迷いを起こすまでは、出てこないだろう」
「そうですか……」
美也子は息を吐いて、うちの神様のことを考えた。
不快な記憶に、胸がきりりと痛む。
『あの人』は、『お前は獣人が好きなんだろう』などと言って、獣耳の生えた姿で迎えに来たのだ。
明らかに美也子を嘲弄していた。どうして己の世界代表選手をここまでコケにできるのか、当初は理解できなかった。
だがぽつぽつと会話をしていると、どうやら『女が嫌い』なのだということが分かってきた。美也子の中身がクリスデンでないことが心底残念なようだった。
さらにショックだったのは、どうやら『男の魂が宿った女の身体』が好みらしいということだ。
深く聞くのが恐ろしかったが、クリスデンや櫻子を意図して女に転生させた、ということを匂わせていた。だからこそ、前世の記憶を持つ櫻子を幼少時から寵愛していたのだ。
それから『あの人』は、悪魔を見て癇癪を起こし、リューを見て混乱する兄姉たちを指さして子どものように笑った。
リューは品評会の場では一切口を開かなかった。ただ、軽蔑しきった目で神々を睥睨していた。たった一言さえもかけてやるのが惜しい、と言わんばかりに。
いつもは優しいリューの瞳には凍土が宿っており、それが己に向けられたものでないと分かっていても、震えずにはいられなかった。
今までに美也子が出会った悪魔は三人だけだが、皆一様に友好的で思い遣りがあった。神とはすなわち、そんな種族を戦へ駆り立てる存在なのだ。
正直言えば、『あの人』にはもう二度と会いたくないし、引きこもってくれたならそれは有り難い。
だが――あの幼稚な神様が『やる気』を出してくれたら、この世界も他の世界のように、魔法が存在するファンタスティックなものへと変貌するだろう。そうできないか交渉くらいしてもよかったのかもしれない。
けれど、それは果たして地球人たちの為になるだろうか。
ただ、人類の持ちうる『兵器』が一つ増えるだけではないだろうか。
他所の世界に迷惑をかけることにならないだろうか。
ならば、現状維持が一番いい。あんな神様はやる気なくお家でゴロゴロしていてくれればいいのだ。
「でも、最後に挨拶に来てくれた時は、とっても機嫌がよさそうだったよ。君のお陰だろうね」
「……そうですかね」
櫻子の言葉に、美也子は無理矢理笑みを作った。
この女は、どこまであの神の本質に気付いているのだろうか。
何となくだが、まだ上辺しか理解していないような気がする。神の真の性質に気付けば、きっとこの女もクリスデンのようになるだろう。聡明であるがゆえに、絶望し、唾棄するようになる。
「すみませんが、私はあの場で起こったことを話したくはないです」
そう言った美也子は、きっとあまりに暗い目をしていたことだろう。櫻子が険しい顔で息を呑んだからだ。
「……そうか」
意外にも櫻子はあっさり引き下がる。美也子の心に渦巻く絶望の片鱗を感じ取ったようだ。
櫻子が好奇心を盛り返す前に話題を変えようと息を吐いて、美也子は胸に引っ掛かる懸念を尋ねる。
「あの、櫻子さん、その……。私のこと、憎んでないのですか」
「そんなことあるはずないだろう」
即答した櫻子は深く笑んだ。気付けばその顔が男性のもののようになっている。
「勝負を持ち掛けたのは私、方法を決めたのも私だ。にも関わらず勝者を憎むほど、私は愚者ではないつもりだよ」
どことなく精悍な面立ちに一瞬魅了されかけた。嘘は一切ないと、その目が雄弁に語っていた。
そんな顔で嘘が吐けるのは、筋金入りの大悪党だけだろう。もし櫻子がその大悪党だったならば、品評会の場にいたのは美也子ではなかったはずだ。
言葉を失っていると、櫻子は人懐こい女性の顔でははっ、と笑った。
「しかし、君が大悪魔と契約していて、しかもアスラ人とのコネクションがあったなんて思わなかったよ」
ほんの少し恨みがましい物言いに、美也子はわざとらしく視線を逸らした。窓際の席で寄り添うカップルを見て、いいなぁ、エイミと来たいな~などと現実逃避する。
「別に黙っていたことを責めているわけじゃないさ」
穏やかな櫻子の声に恐る恐る目線を戻す。女はただ苦笑していた。
「ただのJKだと思って油断していた、それは間違いなく、私の慢心だ」
物分かりのいい櫻子に、美也子は内心で何度も頷いた。
そう、櫻子は美也子を舐めていたのだ、だから負けた、残念でしたぁ~。
サブタイ元ネタ「残酷な神が支配する」
 




